四十一
あっという間に一年が経った。
その間、ただの一度も俺はあの『暗い場所』に帰っていない。
帰れないのではない。帰っていないのだ。
アリーシャは俺を首輪で縛ってはいるものの何も言うことは無い。ただ、ひたすら自然に接してきていた。初めの頃はそれを疑っていた。何を企んでいるのだろうかと。
しかし、この一年、結局アリーシャが俺に何かを命令することは無かった。ただひたすら自由だった。だから、帰ろうとしなかったのは俺の意思だ。
別にあの暗い場所に愛着があるわけでもない。わざわざ帰ろうとも思わなかった。
「クロ―!!」
「…………何か用か? リア」
「あのね! あのね!」
ただ一つ、名前だけはどうしようもなく俺の自由にはならなかった。
「……」
でも、それは不快な事なのだろうか。
不快だと感じるべきことなのだろうか。
いや、こんな犬みたいな名前つけられたんだから怒るべきなのかもだけど。
「……? どうした?」
「クロ、機嫌良いね」
「……は?」
「なんだかうれしそう」
「…………別に、そんなことない」
「あ、むすっとした顔になっちゃった」
「生まれつきだ。放っとけ」
最近、思う。
クロの名前で生きても良いんじゃないかと。
名前が気に入ったとかそんな話はしてない。というか一生気に入ってたまるか。
……でも、思うのだ。
かつて掛けられた畏怖を伴った名前を呼ぶ声よりも、今の名前を呼ぶ声の方がどういうわけか心地良いと。
だから、そう思う。
同時にそんなものは幻想に過ぎないことも分かっている。
俺はきっと人間を知りたかったのだ。
そして、あわよくば分かり合いたいと思っていたのだ。
そんなことは無理だととっくの昔に気付いていたのに。それでも諦められず求めて人間の召喚に応じ続けてきた。
だから、今のこのぬるま湯のような環境を捨てられずにいる。
「……」
いつかはそんなもの消えてなくなるというのに。
「クロー?」
「……あぁ、なんだっけ?」
「あのね! お母さんが呼んでる!」
「嫌な予感しかしない」
面倒ごとの匂いだ。それも避けられない奴。
「……はぁ」
とはいえ、ごねたところで逃げられはしないだろう。
だから、結局は行くしかない。
でも、その前に。
「アル」
「ひぇっ」
「俺を見張るのは勝手だけどな、きちんと気配を隠してやれ」
アルはほぼ毎日俺の近くにいる。
ただの一度も近くに来たことは無いけれど、ずっと俺の近くで俺のことを見ている。
悪魔だからな。警戒されているということだろう。
ただ、視線が気になるからもう少しうまくやって欲しい。




