第四夜
今日もまた、眠れない。ただひとつ言えるのは、ここに書き込まなかった日々が安眠だったわけではない。気が向いたとき、行き詰まったとき、ただ書き込める場所が欲しかった。
わたしはまだ連載を完結させていない。なんとか書ききったものもあるが、短編ばかりだ。また三万字を超えた作品の場合、多くは続きを書こうか書くまいか迷って、いちおうの区切りをつけて書いた作品が多い。多いとはいえ、母数の規模がちいさいために、たった数作品ほどなのだ。
わたしは、文章を書くときに「わたしは」というように主語を入れて書く癖がある。正確には好みだ。なぜなら癖は直せるが、好みとは意図して同じことをくり返すものだからだ。
そもそも、重複表現やおなじ接続詞を繰り返し使うこともそうなのだが、わたしは意味のない言葉をリズムとして取り入れることが好きらしい。
歌でたとえるならば、はじめに歌手が「Ahー」と声を出して音楽に埋もれていくように、意味のない言葉を通してぐるぐると世界に巻き込まれていくのが好きだ。少なくとも、いまこれを書くわたしはそう考えている。
ただ、Aはちょうどラにあたる音でもあるから、あれはチューニングの意味合いがあるのかもしれない。そう、チューニングという考え。これを勝手に重ね合わせると言い換えると、わたしは意味のないことばによって、読み手とチューニングしようとしている。この場合のわたしというのは書き手のわたしであって、読み手の私ではない。
読み手の私はなるべく読み手に寄り添いたいと思うし、だからこそ書き手のわたしと私を含めた読み手とのチューニングの橋渡しのような役割をもっている、と思っている。
こうしてくどくどとかたることは苦手なのだが、むしろ意味がありそうでなさそうで、それでもありそうな文章を書くというのはなかなかに楽しい。なぜならそれもまた小説で、意味のある小説ばかりが持ち上げられるのは面白くないからだ。
私の知らない世界を小説を通して知ったとて、それが架空であるという考えは抜けない。その盲目さから抜け出すためには実際に訪れるべきなのだが、書き手としての私は違う。
生きていく上で考えたことの一部だけでいい。多くの人にとっては架空であったとしても、私のなかで信じるものを迷わず書く。それが私の小説だ。
そのためには無意味さを減らしたり増やしたりすることで、読み手に情報を伝えやすくすることができる。私は自分自身と何より運営者さまが許す限り、ひっそり書き続けていきたい。