第三夜
お久しぶりです。というのは不自然だ。なぜならこれは私が私のために書いているものだから。おそらくこの小説に関心を持っているのは、私くらいであろう。最近。また筆を執り始めた。断筆していたわけではないが、またいつもの気まぐれにより、私は執筆行為から距離を取っていた。
第一夜、第二夜では、このまま日々小説を書き連ねていくのだろうなと私は考えていた気がする。だが、その後はだんだん執筆行為どころか、小説そのものから離れていた気がする。多くの人にありふレる、飽きという悪癖。私もまたその癖で、小説に対しても飽きてしまったのである。
気まぐれと飽きは似ているが、別々のものだ。私の場合は。飽きという感情に、気まぐれからのった。癖というものは、たとえば選択するという行為において、よりどちらを選択しやすいかという傾向のことを指すのだと私は考える。だから癖は直せると言うのだ。
では、気まぐれとは何だろう。私の気まぐれの実例は、いま書き進めているこの小説だ。気まぐれは、運や直感などの言葉に、偶然に見えるが理屈を付けることもできるという点で似ている。
いままでの話もそうだったが、これから話すこともまた、私の場合のみを考慮して書いていこう。
気まぐれは、五感で感じたものと自分のなかにある優先順位が組み合わさって起きるものだ。優先順位は、しなくてはいけないという義務、したいという欲望、の二種類に大きく分けることができる、このうち、欲望の優先順位が組み合わさりやすい。それはなぜかと述べる前に、五感について述べよう。
五感で感じたもの。それはたとえば、車の流れをずっと眺めているだけかもしれない。好意を持っている相手の声を聞いたときかもしれない。とにかく、日々の様々なことが気まぐれへのきっかけになる。
さて、欲望の優先順位と組み合わさりやすいのはなぜだろうか。それは、五感と欲望には強い繋がりがあるからだ。たとえば、ごはんを食べたいという欲や、本を読みたいという欲。これらはそれぞれ、ほぼすべての五感を使って感じる楽しさを知っているからこそ、欲として心の中にのこるのだ。五感によって感じる楽しさが大きければ大きいほど、その行為に関する欲は大きくなる。つまり、優先順位が高くなる。
日々生きていくなかで、五感は必ず使われる。そうして上がっていく欲。あとはもうタイミングだ。気まぐれが起こる。
くどくどと語っていたら、もうこんな時間だ。第二夜以前とは違い、まだ闇の帳が降りている。
良い締めくくりの言葉があった。Happy Halloween!