テロリスト
俺の隣の席の朝倉さんは、いつも挑発的な行動をしている。この前の月曜なんかは、こんな感じだった。
一時間目、数学。月曜日の一時間目という、一週間で一番テンションが下がっているときに限って数学だ。俺は根っからの文系で、日本史か世界史だったらまだ楽しく受けられたものを、よりにもよって数学。先生の話を聞いていればいるほどつらくなってくる。一時間の授業が二時間、三時間にも長く感じられる。
そんなときにふと視線を落とすと、朝倉さんが下を向いて何やら手を忙しなく動かしているのが目に入った。手にしていたのはゲーム機だった。今どきスマホのゲームも面白いものがあるのに、あえてゲーム機を持ち込んでくるとは、授業をサボる気やる気満々な証拠である。
朝倉さんは、左手の親指をぐるぐると激しく動かしていた。何のゲームだろうと思っていると、小さい声で「ドクター索敵能力高すぎ」と聞こえた。これはきっと最近人気のマルチプレイヤーゲーム『デッドバイデイライト』に違いない。俺もこの半年ほど、毎日深夜にプレイしている。Wi-Fi環境はどうしているのだろうと思っていると、机の下にWiMAXのルーターが光っているのが見えた。用意周到にもほどがある。
朝倉さんは普段から無口で、ポーカーフェイスだ。大人しく本を読んでいるタイプかと思ったら、意外と血の気の多いゲームをやっていたことに少し驚いた。しかも、授業中に隠れてがっつりゲームをするような人だとは思わなかった。
一番後ろの席だから先生から見えづらいとは言え、先生にバレたらハードごと没収されてしまうだろう。しかし、朝倉さんはゲームをやめる気をまったく見せなかった。授業の後半には「スプバだっる」とつぶやいたのから察するに、どうやらキラーまでやり出したようだ。サバイバーよりさらに神経を使うキラーを授業中にやるとは強者だ。しかし、朝倉さんのおかげで、憂鬱だった数学の時間があっという間に過ぎていった。
授業が終盤に差しかかった頃だった。朝倉さんがキラーでプレー中に「よっしゃ、全滅」と言って小さくガッツポーズをしたので、俺も思わず「よっしゃ」と言ってしまった。すると、先生から「何だ、坂井? この問題解けたのか? じゃあ前に来い」と指名されてしまった。もちろん授業など何一つ聞いていなかった俺は「すみません、分かりません」と応える羽目になり、恥を掻いてしまった。しかし、朝倉さんは無線イヤホンをしているらしく、ゲーム音以外は何も聞こえていないのか、こちらの方を見向きもしなかった。何か、不公平だ。
四時間目の授業は生物だった。教科書にはカタカナばかりが並び、どの用語を聞いても右耳から左耳へと抜けていく。それより、腹が減った。腹の足しにならない微生物なんかじゃなくて、早く米と肉が食べたい。お腹と背中がくっついてしまいそうだ。
などと思っていると、隣からふわっと良い匂いがしてきた。まさか、と思って匂いのする方を向くと、朝倉さんが早弁をしていた。先ほどの休み時間のときにも朝倉さんはグミを食べていたというのに、また食べている。
朝倉さんは、細身で小柄だからあまり食欲がない方だと思っていた。しかし、膝の上に置いている弁当箱は、俺のよりも二回りくらい大きい。教科書を盾にし、机の上におかずの入った一段目、膝の上に全面白米が敷き詰められた二段目を載せて、先生の様子を観察しながら交互に口に運んでいく。結構一口が大きいから、先生にバレるのではないかとこっちの方が冷や冷やする。しかし、なぜか先生にはバレない。もう定年間近の先生だから、視界に入らないのだろうか。
ところで、朝倉さんの口に運ばれていくおかずの品々は、これまた美味しそうなものばかりだった。定番の唐揚げに始まり、タコさんウィンナー、アスパラのベーコン巻き、ミートボール、生姜焼き。実に肉ばかりだ。教科書に隠れておかずの段がどのようになっているのかあまり見えないが、きっと茶色だらけに違いない。俺の腹はますます空腹を訴えた。
結局、朝倉さんは授業時間内に弁当を食べきってしまった。教科書の裏で、ちゃんとごちそうさまでしたと手を合わせていたのが好感度が高い。
しかし、朝倉さんのおかげで、授業中に俺の腹が盛大に音を立ててしまった。周りからはクスクスと笑われ、先生からは「ちゃんと朝飯食ってこいよー」と言われ、何とも恥ずかしい思いをした。朝ご飯はちゃんと食べてるってのに。
朝倉さんが、休み時間になってすぐに教室を出たと思ったら、購買の焼きそばパンとメロンパンを買って戻ってきたのを見たときには、俺はつい小声で「まだ食うのかよ」と言ってしまった。
五時間目、世界史。先ほど俺は歴史の授業が好きだと言ったが、五時間目は別だ。とにかく満腹中枢が働いて眠いことこの上ない。ついつい頭が下がっていく。でも、そろそろ期末試験も近いし、ちゃんと起きていないといけない。
そうして俺が必死に眠気と闘っていると、隣から「ぐぅ」と聞こえた。まさか、と思って見てみると、朝倉さんが思いっきり机に突っ伏して寝ていた。先ほどの音は、朝倉さんの寝息というか、いびきだったようだ。
一応、教科書を立ててその陰で寝ているが、さすがにこれでは先生からも丸見えだろう。しかし、他の生徒も何人か眠たそうにしているからか、先生も朝倉さんを注意しない。この先生もまあまあ高齢なので、朝倉さんの寝息が耳に届いていないのかもしれない。
朝倉さんの姿を見ていると、俺もますます眠くなってきた。窓際の後ろの席には昼過ぎの柔らかい日差しがちょうど当たって、ぽかぽかと温かい。これで眠らずに授業を聞けという方がおかしいのだ。俺の首はまたゆっくり下に下がっていった。
すると、俺の額が手に持っていた教科書に当たり、ガタッと大きな音がした。俺は音と衝撃で慌てて身を起こした。それで今度は机と椅子もガタゴトと大きな音を立てた。さすがにクラスメイトや先生も物音に気付き、俺に視線を向けた。
「寝るならせめて静かに寝てよねー」
俺は先生から注意を受けてしまった。これで確実に俺の興味・関心・態度は一ポイント下がってしまっただろう。
隣の朝倉さんは、俺の立てた音にも動じずに寝続けていた。