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ある女。

これはある女の手記の最後の数ページ。

19/11/26 22:39 誤字修正

それなりに生きてきた。

高校まではみんなと一緒の一般的な道。

小学校は幾度か転校した。最初の親友とは疎遠になった。6年の頃仲の良かった友達とは万引きや夜遊びなど、悪いこともたくさんした。

中学に上がってからは部活にのめり込んだ。小学校の頃の飛行を償うかのようにボランティアにも積極的に参加した。

高校もそれなりの自称進学校に進んだ。また部活にのめり込み、初めて好きな人ができた。同性だったので公にはできなかった。当然告白もできなかった。3年になった頃、また違う人に恋をした。玉砕したけど。

大学には順当には進まなかった。高校卒業後すぐは何も決められずアルバイトをしてぷらっとした。

どこかの学校に行って何か資格を取らなければと思いとりあえずで友人の通う学校へ。幸い定員割れをするような学校だったのであってないような試験で無事合格。

学校を卒業するころ、就活には失敗した。厳密に言えば内定はもらっていたのだが店が潰れた。

もう一度大学に行くことにした。

20を過ぎお酒を飲めるようになって悪友とホストクラブにハマった。偽物の恋にどっぷりと漬かり、大学はやめた。キャバクラなど夜の仕事で貢ぐための金を稼いだ。親にも金を借り、消費者金融や闇金からも借りた。それを返すために、また夜の世界にどっぷりとつかった。

当時の男のことや夜の仕事、金のことで病み、自殺未遂もした。病院にはかなりお世話になった。向精神薬、安定剤、睡眠薬。いろんな薬を飲むも、環境を変えないのだから狂った精神が治るわけがない。

ハッとしたのは25の頃。友人たちが結婚し始め、悪友はホストにハマりつつホストではない男と婚約をしていた。ようやくこのままではいけない。付き合うわけでも結婚するわけでもない、何なら他の女と結婚しているような他所の男に貢ぐだけの金を稼ぐためにいつまでも夜の仕事などしていられない。親には普通の仕事をしていると嘘をつき、友達にも嘘をついている。そんな自分に嫌気がさした。どこで間違ったのだろう。生まれなおしたい。この記憶を持ったまま、間違った生き方の記憶を持ったままやり直したい。そう何度も思った。

そうやって抜け出さないといけないと考えつつ何もできずにふらふらとしていた時頭の中で何かがはじけた。

「とりあえず仕事をやめよう。夜の外出もやめよう。近くにそういう場所がないところに引っ越そう。」

環境を変え、悪友とも離れる。一度全てを手放し一から手に入れていこう、そう思った。

思い立ったが吉日。その日のうちに仕事を辞め、家を探し始めた。

田舎…どこにしよう…考えあぐねた私はとりあえず見てみるか、と携帯を開きネットサーフィンを始めた。その時に目に入ったのがワーキングホリデー、自衛隊、看護師転職サイト。

看護師は稼げるなと思った。職務内容に見合わない収入だとはよく聞く。しかし額だけを見れば一般職よりは高い。しかし学校に行かなければならないしお金もかかる。

自衛隊も堅実でいいと思った。隊舎があっていると衣食住にも困らず社会的信用もある。ただ給料自体はそれほど高くない。

ワーキングホリデーもいい。海外には昔から行きたいと思っていたし観光だけでなく働くこともできる。しかし資金は必要。

迷いに迷った私は条件があるものから始めようと思った。自衛隊とワーキングホリデーは年齢制限がある。体力がないとできないのは自衛隊。ワーキングホリデーは資金がいる。

自衛隊で資金を貯め、ワーキングホリデーで英語力を磨く。看護師には最悪なれなくとも自衛隊、ワーキングホリデーで経験を積めば何とかなるかも知れない、変われるかも知れないと思った。とりあえず就職するのが先決だと。学校はそのあとでもいける。

そうやって自衛隊に入った。鬱病の罹患歴のある人間は入れないらしく、隠し通した。今まで気にも留めなかった虫歯も治し、コンタクトとメガネも作った。訓練はきつかったが体力もつき、上下関係の厳しさにもなれた。内情も知ることができた。任期制だったので一任期で辞めた。

その後すぐにワーキングホリデービザをとりに行った。30歳までなのでもうギリギリだ。銀行の残高証明など書類を用意するのは面倒だったが楽しく、やりたいことをやって生きるためだと自分を奮い立たせなんとかビザを取った。

当時真面目に仕事をしていたもののわたしと同じように鬱になり疲れ切っていた友人を誘い、二人でニュージーランドに旅立った。農場で働きつつお金を貯め、語学学校に通った。友人とは日本語禁止の約束をして遊び、英語力も高めた。とても楽しかった。

ワーキングホリデーが終わってもわたしは日本にはたまにしか帰らなかった。そのまま海外を飛び回り、世界を見た。写真家としても活動した。海外を回るための収入を得るために起業し社長になった。

そうやって生きて数年。もう、いいかなと思った。とても楽しくてとても充実していた。十数年前には考えもしなかった人生を歩んでいた。だがもう十分だ。

やりたいことがもうないと言えば嘘になる。親の墓にもまいればよかったと思う。まだ行っていない国もある。しかしそれでも、この絶頂期にわたしは人生を終えたい。最後にこの手記を残そう。人生を変えようと思って10年。悪いこともいいことも含め、全て。この上なく素晴らしい、私の人生。ありがとう。

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