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器違いの恋  作者: 結川晶
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第三の器


我ら医神たるもの、決して特別な想いを寄せる存在を作ってはならない。

なぜならーー。




やれやれまったく、と溜息をつく。


他の神々との談話が終わり、天から降りてくると、神殿の門に設置されている台座の上に予期せぬ贈り物が届けられていた。


そこに横たわる若い娘の顔には生気が感じられない。


どうやらこれは、街に蔓延している疫病を祓ったことへの返礼のつもりらしい。


「参ったな。こんなものを届けられたところで、我には何の得もないのだが」


人間達は、神々は等しく生贄を喜ぶと思っているようだが、それは間違いだ。


まして、この(わたし)に死体の捧げ物をするとは。お門違いもよいところだろう。


さて、どうしたものか。


(わたし)は医術と治癒を司る神だ。

死体を食うわけにはいかないし、そもそも食いたいとも思わない。

哀れなので、せめて天界に召し上げてやろうかと、娘の胸の上に手を当てる。


おや?


掌に届く極微な鼓動…。


この娘の心臓、まだ僅かに動いているではないか。

なるほど、大方の予想がついた。

街の者達は、さしずめ、この娘が唐突な発作か何かで急逝したと早合点し、渡りに船と生贄に出したに違いない。


「……まだ蘇生する可能性があるならば、なおのこと見捨てるわけにはいかぬな」


やれやれ、と再び嘆息した。


魔法の力で娘の心肺に圧をかけ、一気に生気を呼び戻す。


「げほっげほっ!!!」


案の定、咳き込んで息を吹き返した。


「こ、ここは…」


不安げな娘の顔。

未知の病に怯える患者のそれに似ている。

医神の定めなのか、この顔にはどうにも弱い。


(わたし)の神殿だ。…其方はどうやら、生贄としてここに出されたらしいぞ」

「……わ、私は、アリンといいます。少しお待ちを。今、我の神殿、と仰いましたか?」

「…そうだが」

「……!それでは、貴方様がスピレイシオ神ですか?」

「……そうだ」

「ああ…やはりそうなのですね。どんな病でも治すことのできるという医神……!直にお目にかかることができるなんて…!

私は、私はなんて、幸せなのでしょうか」


思いがけず内心驚いた。

生贄という言葉を聞いた者の反応とは思えない。

何と危うき者!


「息が苦しくありません!持病が嘘のようです。スピレイシオ神が、私を治してくださったのですね。ありがとうございます」


そして娘のキラキラと輝く目が眩しく、思わず指摘する。


「……何でもというのは語弊があるな。人の死を全て克服できるものではない」

「そうなのですか?」

「例えば天罰による死。それから老衰。これらは病ではなく天の意によるものだから、我の介するところではない」

「なるほど。……しかし、人々を苦しめる悪しき病から守ってくださっているというのは、何も変わらないではありませんか?」


そうしてなお娘の目の輝きは失せることなく、じっと我の目を捉えている。


「もうよい。治ったのならば、ここから立ち去るがよい」


我は娘に一言告げると、すぐにその場を後にした。




ーーだが、これで終わりではなかった。


暫くの時が経ったが、娘は一向に神殿から出て行こうとはしなかったのだ。


「街にはもう居場所がないのです。後生ですから、どうか私をここにおいてくださいませんか」


人間とは全く困ったものだ。

居場所がない、か。

生憎と我は、身体を蝕む病を治す術は有していても、心を蝕む病を治す力までは持ち合わせていなかった。


「お願いです。ここで、神様のお仕事をお手伝いさせてくださいませ」


そうして熱心に毎日毎日頼み込まれた願いを、"人に慈愛を以って接するべし"と父神からの命を受けている我が断ることは、極めて難しい。


結局、娘の目の輝きを跳ね返すことはできなかった。


以降、娘は神殿の一角に住まい、そして我の施しに付き従って補佐をするようになった。


補佐といっても医術に携わるわけではなく、神である我と人間達の伝言役のような役割に過ぎない。


しかしまあ、人間の娘を介することで、患者達との意思疎通は以前よりも簡単になったことは確かであった。


「ありがとうございます。私はあなた様のお陰で、こうして居場所ができました」


それがアリンの口癖だった。


しかし人であるこの娘にとって、我の補佐はかなりの大役、いや重労働だった。


我が流行病や疫病を治療しに現地に赴くと、同行したアリンは大抵病に罹った。


無論すぐに我が治すのだが、何度でも何度でも行く先々で病にかかるわけだから、当然精神的な負担はあるはずだ。


「人の子には辛かろう。別の街でもよい。そろそろ人里に戻ってはどうか」

「いいえ。どうか、ここにおいてくださいませ。私はこうして人の命を救う手助けができることに喜びを感じているのです。これからもどうか、お側に。」


アリンが弱音を吐くことはなかった。

憚られたのか、或いは辛いと本当に思わなかったのか。

何れにせよ、脆い存在にしてはだいぶ気丈であることは確かだった。



その娘も人の例に漏れず、いくらか歳を取り、気付けば娘から女になっていた。


すでにその時分には、医術と治癒を司る神に付き従う人間の女の存在は国中に知れ渡っていた。


しかし他の神々には、人間の従者は使い勝手が悪いぞと諭される始末である。


「自分よりも早く死ぬからな。まして異性は強かだぞ。

神の威光をかさにきようと企んでいる者。

あわよくば伴侶になろうと目論む者。

そうして不死性や権力まで得ようとする者。

ああ考えただけで煩わしい。

悪いことは言わぬから、女はすぐにでもつまみ出してしまい給えよ」


なるほど、一理ある。

では女が妙な素振りを見せればすぐにでも、と神々に頷き帰路に着いた。


しかし、女はいつまでも変わらなかった。


我の施しの繋ぎ役をし、治療に同行し、そして病をもらって血を吐く。


血を吐いては我に治癒をしてもらい、そうしてまた施しの繋ぎ役をする。


「また病に罹ったな。もう嫌になっただろう。我が其方の行く先を探してやってもよい。そろそろ暇を乞うてはどうか?」

「いいえ。どうかお側に……」


女の返事は相変わらず、代わり映えのしないものだった。



そうして、また時が経った。


気がつけば女の手には皺が増え、髪は白髪になっていた。


神殿の一角に籠る時間も増えたような気がする。


しかし我が施しに向かう際は、必ずついてきた。


「其方、もう身体に無理があろう。現地で患った其方の病を直ぐに治すことはできても、其方の身体が蝕まれた時間までは返って来ぬ。

悪いことは言わぬ。もうやめておけ」

「いいえ。どうか……」



そんなやり取りをした次の日。

施しに向かう時間になっても、アリンは住まいの一角から出てはこなかった。


住まいに足を向けると、そこには、静かに目を閉じて眠る老女の姿があった。


アリンは気配に気がついたらしく、ゆっくりと目を開き、そして静かに見開いた。


我が足を踏み入れたのは、これが初めてだったからだろう。


「これは…。このような場所へ…申し訳ありません。もう、お出かけになるお時間ですか?」

「…いいや。今日は特にその予定はない」


その顔を見て漸く悟った。

神である我は気がつかなかっただけで、人の子であるアリンの身体には、多くの年月が流れていたのだ。


「最早、身体に力が入らぬのだな」

「…はい」


医神たる我らは特別な存在を作ってはならない。


「申し訳ありません。どうやら私、もう、長くはないようなのです。」

「今日は特に施しの予定もない。休むがいい」


なぜなら、等しく救うべき命に、優先順位が生じてしまうからだ。


「天罰ではないとすれば、これが天の意というものなのですね。」


なぜなら、救いたいと願う命を救えない絶望を味わうべきではないからだ。


「安心しろ。父神が良いようにして下さる。もうじき、楽になる。……」


医術と治癒を司る神として生まれ落ちた時に、父神に教えられた言葉である。


我は今こうして、この場で、この者を見届けねばならないような使命感に駆られている。


それは即ち、医神にあるまじき平等性の欠落を意味していた。

人の子と共に住まううちに、何とまあ、心の弱くなったものだろうか。


「今まで、お世話になりました」

「世話などしておらぬ」

「いいえ……。

私は、一度は死んだ身です。

それを貴方様が、再び、命を授けて下さった。私の生に、意味を与えて下さった。

本当にありがとうございました。」



我にも治せぬものはある。


老衰による死。


老衰は我らが父神、即ち天の意だからだ。


気付けばあの時と同じように、我は再びその胸に手を当てていた。


意味はない。


意味はないが、しかしそこには何かの理由があった。


「どうか、お元気で。」


「ーーさらばだ。其方の生き様、見事だったぞ」


手向けの言葉に、アリンは笑うように目を細め、そして閉じる。


そのままもう、その目が開くことは二度となかった。


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