昼間原狂騒・嚆矢 - 24
ほぼ同時に蟻巣塚の発した「楝!?」という叫びがそれに重なる。
「よー、ただいま! でも我が家に誰もいなくて寂しかったゾ!」
そんな二人を満足気かつ感慨深そうに眺めつつ、男は使い込まれた特大サイズのリュックを二つ、どすんどすんと下に置く。どうやら二人の反応を、再会の感激故のものとでも思っているらしい。おめでたいとしか言いようがない。
ただただ驚く以外の行動が取れないかがりと蟻巣塚、そして光安にやや遅れて、ようやく他の者たちにもこの男が誰であるのかが伝わる。
父さん。楝。
この二つの単語が意味するところはひとつ。
「アーちゃんのお父さん!?」
「生きてたの!?」
「ご存命だったので!?」
風香とユウと舞にとっては、その事実こそが昼間原の異変を上回りかねない特大の衝撃であった。思ってもいなかった言葉をぶつけられ、かがりは束の間再会の驚きも忘れてきょとんと目を瞬く。
「え……生きてるけど。死んだなんて一言も言ってないぞ私は」
「で、ですが! ええぇっと……あ、主殿!」
「いや、オレも死んだと言った覚えはないぞ。つーか、あなたが就活に来た時はもうフッチーの代だったから確か話題にもしてない」
「そもそも父の仏壇も遺影もなかっただろ、うちに」
「あー、そういえば……」
「なかったね……」
「普通に死んだと思ってた……」
「おい何だか知らんが勝手に殺すなよ……せっかく帰ってきたのに切なくなるだろ……」
互いに顔を見合わせて納得し合っている舞たちに、かがりの父だという男は物悲しげに目尻を下げた。どちらかというと、自分の存在と現状に関して実子含む誰もまともな説明をしてくれていなかった事にショックを受けているようでもある。その身内や友人に言わせれば、それこそ「自業自得だ」で切り捨てられるところであろう。
驚きから覚めた光安が、盛り付け終わった木製大皿を運んできながら聞く。
「ナナよぅ。おめぇどこ行ってたんだ今度は」
「マレーとインドネシア諸島の原生林巡り!」
さっと手を伸ばして大皿から堂々と寿司を摘み食いしながら、男は答える。
「ん、うまい! 腕は落ちてないな親父さん。
で、森な。すごかったぞ! まず入るのに一苦労だし入ってからは十苦労だ。もちろん案内人なんていないし泊まる場所もないから、四方から蚊柱が押し寄せる密林の真ん中で結界張ってひたすら耐えて。
放浪中は猛獣よりとにかく虫に殺されると思ったね。虫怖いよ。
ある島じゃ昔の山小屋があるって聞いたから喜んで行ってみたら、壁と扉と屋根が壊れてんの! 建物の要素床だけなの! もう外にいるのと変わらないし、何故か一晩中小屋の周りをひたひた歩き回る質量のない足音がしてるわで怖すぎて眠れなかった。朝になってよくよく小屋を点検してみたら、壁の壊され方とかが明らかに人為的な力の働いたやつだったんだよね」
「……それ、そもそも入ってはいけない類の森だったのでは?」
舞の指摘に、そうかもねと呑気に答える。
どうやら最後にかがりと別れてからは、ずっと海外を巡っていたらしい。それも観光地ではなくあまり人の訪れない秘境めいた場所を。そして蟻巣塚や光安の反応を見る限り、その間どこで何をしているのか全く連絡を寄越さなかった事になる。無論、かがりにもだ。
そう考えると、死んでいると思っていたというユウ達の反応も、あながち全部間違いとも言い切れないのかもしれない。
真っ黒に焼けた肌、伸びに伸びて後ろで括った白髪混じりの髪の傷み具合が、男の語る過酷な野外生活が嘘ではない事を物語っていた。日本人にしては鷲鼻なせいで、やけに雰囲気が出ている。
「ね、ね、アーちゃん。お父さん結構かっこいいじゃん。長髪のしっかり似合う男の人ってあんまりいないんだよ。このお歳でってなると尚更」
「ふっ……やめておきなお嬢さん、俺に惚れると火傷……って良く見たらとんでもない美人ですね。やめなくていいです。私、楝かがりの父の楝七輝と申します。趣味は旅と旅行と冒険と自分探し。現在プライベートではフリーの身。どうぞ末永く宜しくできれば」
「おいこら」
「そんなだから存在抹消されかかるんだよ」
かがりと蟻巣塚から容赦ない罵声が降り注ぐ。
久し振りの再会にしては両者からの言葉は辛辣に過ぎるが、振る舞いを考えれば妥当だった。
叱られてもへらへらと丸眼鏡の奥で笑っている七輝に、こちらの苦労も知らないでとばかりの苦い表情を蟻巣塚が浮かべる。
「なにもかも終わってからひょっこり戻ってきやがって……。
こっちは大変だったんだぞ。マジ大変だった」
「大変? 昼間原で?」
「まぁそう思うよな。もう解決……はしちゃいないけど、一応収まりはしたがよ。なあフッチー」
「ええ、そりゃあもう大変でしたとも。私も誘拐監禁されるという未曾有の体験を」
「ごめんて」
「ふうん? よく分からんが、こうして合流したんだしそのへんの話もゆっくり聞かせておくれ。もちろん飲みながら!」
七輝は靴を脱いで座敷席にあがると、片隅に積まれた座布団を手に、当たり前のように自分の席を確保しにかかる。蟻巣塚が思い切り嫌な顔をしながらも、ウロウロしている七輝の為に体をずらして道を空けた。
普通ならこんな飛び入り参加は歓迎されないだろうが、風香も舞もユウも彗星の如く現れたかがりの父親への興味が先行している為、そこは問題がない。料理にも酒にもスペースにもたっぷりと余裕がある。
結局、蟻巣塚の隣に腰を下ろした七輝は、そうそうこれこれと揉み手をしつつ料理を眺めて、光安から箸と小皿を受け取って、ふと正面を見て。
「あれっ! そういえば狐がいる!?」
「遅いわ!!」
かがりを先頭に、一斉に突っ込みが入る。
いくらユウが場に溶け込んでいたといっても、ずっと視界に入っていたし喋っているところも見ていたのを何故流すのか。
そして分かってはいたが、やはり七輝の目からも狐にしか見えていないらしい。
別段、七輝が優れた使い手という訳ではないのだが、ずっと昼間原市を留守にしていたという点でここにいる者達とは異なる為、その影響が多少なりとも容姿の認識に及ぶ可能性はあるにはあった。が、そもそも完全な部外者かつ実力の次元が違う眩草にさえ見破れなかったという経験をしているので、この件への驚きは薄い。
「俺はユウだよ。よろしくね、かがりの父ちゃん」
「うそぉ妖狐がフレンドリー。服まで着ちゃってて、かがりちゃんどうしたのこれ。ペット?」
「そこはさっき言ってた『大変だった事』の核心に関わってくるので、一言じゃ説明しきれないというか……。この場じゃ話せない機密事項も多いんだよ」
「そういう事です。七輝様は空気を読むといいでしょう」
前触れもなく、にゅっとユウの脇腹から生える蛇。
ぎゃああ出た!とユウが悲鳴をあげる。
存在を知っている蟻巣塚とかがりと舞も反射的にびくっと身を引き、全くの無防備だった風香に至っては、ユウと同じく絶叫して醤油皿をひっくり返しそうになっていた。
騒ぎを聞きつけ、なんだなんだと調理場から覗き込んできた光安が、やはり叫ぶ。
「うおおっ、なんだぁ!?」
「な、なに?なになになに!? ユウちゃんから蛇が生えた!」
どちらも摩訶不思議な生物への耐性は持っているものの、狐から大蛇が生えてきてしかも喋るというハプニングに咄嗟に適応するのは無理だったようだ。
七輝もまた当然声をあげて驚いたが、自分の名前を呼ばれた事と、それが巨大とはいえ紛れもない赤楝蛇である事から、すぐに心当たりに行き着く事ができた。自分の名前を知っている赤楝蛇の化性など、該当するのは一匹しかいない。
「えっ……もしかして君うちの蛇か!? どうしちゃったのそのカッコ!? っていうか喋れたのか!?」
「そのあたりの詳細は追々お嬢様からお聞きください。そして喋れたのです。華厳という名前も頂きました。華厳の滝の生まれだから華厳だそうです。ザンビア出身だからザンビアと呼ぶようなものでどうかと思いますよわたくし」
「なんでザンビアなんだよ……」
さすがの七輝も、人を喰ったような性格のこの蛇を前にしては調子が狂うようだった。継承する前も譲り渡した後もただのブースト用の憑き物だとばかり思ってきた存在に、実は人格があったと知った衝撃も大きい。
かがりと蟻巣塚が視線を交わした。順序は前後してしまったが、蛇の――華厳の登場は予定のうちである。
「あーっと、皆さん、お騒がせしてしまってすいません。今日のお疲れさま会は、元々こいつのお披露目も兼ねていまして。ここにいる皆さんとは今後も付き合いが続くとなると、隠しておくよりバラしてしまった方が早いでしょうからね。華厳、挨拶しろ」
「はい、お嬢様。わたくしは華厳。楝家代々にお仕えしてきました赤楝蛇の妖怪です。こちらにいる狐のようなものが大怪我をした際、治療目的でお嬢様の体から急遽移植されました。寡黙なタチ故に自我すら持たないのではと長年思われてきましたが、割と喋ります。以上、簡単ですが説明終わり」
「うへぇ、本当に喋れたのかよぉ。爺ちゃんそんな事一度も教えてくんなかったのに」
「最後に言葉を交わしたのは七輝様のお父様とですが、幼少時に一度きりですからお忘れだったのでしょう。ですので七輝様のあんな恥ずかしい思い出やこんな恥ずかしい思い出やそんな恥ずかしい思い出も、今でしたら赤裸々に」
「えっ……俺の人生に恥ずかしい思い出なんて皆無なんだけど。捏造された記憶怖い」
「どの口がほざいてるんだお前は」
「うう、脇腹から伸びたのがぐねぐねしながら喋るの気持ち悪い……ねえかがり、これ切り離せないの?」
「駄目だよ。やり方が分からないし、お前の状態を考えると元通りに分離させたらどうなるか分からないんだから」
かがりが即座に却下すると、ユウは萎れた。
あの致命傷を治癒した影響か鱗の面積が更に広がってしまい、より一層、人目につく場所では服が手放せなくなったのもあって、精神的なダメージはそれなりに大きい。
己が身に置き換えて考えてみると気持ちは分かるが、こればかりは仕方がない事である。華厳の意志で姿そのものは現さないようにできるのだから、それで我慢しろと慰めるくらいしかできない。
狐の脇腹から成人女性の手首ほどの太さがある蛇が中途半端に伸びているという、まるでエイリアンに寄生されたようなアンバランスで異様な姿を、光安は腕組みして唸りながら、風香はおそるおそるといった様子で見詰めている。
とはいえ説明自体を飲み込むのは、光安も風香も下地は持っている為に早かった。
「じゃあわたしの事もずっと見てたの……?
ユウちゃん触った時にヘンな感じがしたのは、そのせいもあるのかな。ね、もう一回触ってみてもいい?」
「ところで熱い眼差しで許可を求めつつ既に手を伸ばしているそちらの麗しき方を直ちに人家周辺から隔離してくださいませんかね。このお嬢さん殺人鬼になったら絶対アート系です。クリエイティブ精神をいかんなく発揮して死体で自己表現するタイプです」
「ええー……わたしのコンセプトって大自然と空想との調和だから、人間が入る余地はないと思うけどなぁ」
「お願いだからその路線で会話を成立させないでくれ」
「ううむ、こいつはデンジャラスな匂いのする美女だぜ。俺わかる。粉かけるのは控えろと、いついかなる時も俺の窮地を救ってきた本能と直感が激しく囁いている」
「本能と直感じゃなく社会常識と倫理で避けろや。そんなだから嫁にも愛想尽かされるんだよ」
「奏クンが傷を抉ってくるよかがりちゃん」
「抉った傷に塩かけてやりたいくらいなんだけど私」
かがりは母の事を思う。
最後に会ったのは三年以上前だが、元気にしているだろうか。
その時は、離婚してからだいぶ年月も過ぎたし、もうお互い会わなくてもいいんじゃないかという話をなんとなくして終わった。母に貰った、旅行先の美術館で買ったという絵葉書がどこかにしまってあった筈だ。あとで父にも見せてやろう。
しょんぼりした七輝のコップに蟻巣塚が新しくビールを注いでやり、光安が日本酒を持ってくる。
瓶のラベルに、かがりは見覚えがあった。
あれは父が好んで飲んでいた銘柄だ。よく憶えているなと感心し、まだ店に置いてあった事に少し胸が温かくなる。
「で? おめえナナよ。戻ってきたって事ぁ、当分こっちにいんのかい」
「次の予定が決まるまではそうしようと思ってる。
あ、そういえば家の前がめっちゃ綺麗になっててビックリした。なんか中も店っぽくなってたし、あときつねやって何」
「きつねやは店名だよ。かがりと俺で店を新しくしたんだ、リニューアルだよ! 見てみたらビックリするぞ! フタコブペンギンラクダっていうかわいくておすすめな商品もあるよ」
「フタコブ……? それ結局ペンギンなのラクダなの」
「それは誰にも分かりません。ですが可愛らしくてお勧めなのは本当なのですよ。ねえ皆さん」
容姿を思い浮かべているのか微笑んだ舞が同意を求めるが、華厳含む全員に無視された。
ねっとりしたイカ刺しにわさびを乗せながら、蟻巣塚が七輝に聞く。
「お前あの家に泊まる気なの? 布団とか部屋とかとっくに無いだろ。店の床で寝るのか? もしくは庭」
「ハアァー? 何言っちゃってんですかねこのアリンコは?
布団は毎週お日様に干して、部屋は隅々まで掃除して、ぴっかぴかに整えてあるに決まってるだろ。いつか帰ってくる大切な父の為に……」
「いや布団は出てった翌年の大掃除で捨てたけど。部屋は掃除道具とか、ティッシュとか洗剤みたいな日用品置くのに使ってる。あと店の商品在庫も」
「……………………」
「俺用のトイレ砂も置いてあるよ」
「ユウ殿、とどめを刺してはなりませぬ」
「こいつ家に入れたら掃除道具とティッシュと洗剤と商品在庫とトイレ砂の邪魔になっちまうなあ。追い出すのがいいんじゃない? それか温情で庭」
「そ、そんな事しないよねー……」
「え、うん。まあ」
家に帰ってくる。父が。
別に追い出す気はないが、どうにも離れていた期間が長すぎて現実味に乏しい。旅先の珍しい話が聞けると思ったらしく、意気消沈していたユウも元気を取り戻していた。
やっとあの騒ぎから落ち着いてきた身辺がまたしても慌ただしく動き始める気配に、かがりは軽い目眩を覚える。
が、決して不快ではない。
きつねやの看板を掲げ、何もかも新しくなった店内を見たら父はどう思い、何を語るだろうか。それが今から楽しみだった。寝る場所は――ひとまず雑貨類を部屋から出すのを手伝ってもらってから考えよう。
「そ、そうだそうだ! お土産があるんだ、土産土産!」
風向きの怪しさに怯えた七輝が、威厳回復なのか名誉挽回のつもりなのか、とっておきだと言わんばかりの笑顔で両手を打ち合わせる。
元からほぼ存在していないものは治すのも取り戻すのも難しそうだが、海外土産という言葉に惹かれたユウと舞の興味を引くのには成功した。先程から触る触らないの静かなる攻防を華厳と繰り広げていた風香も、アンティーク品かもしれないと視線を向ける。
注目されてほっとしたのか、床に置いてあったリュックを嬉しそうに持ち上げる父を見て、かがりは不意にとても――嫌な予感がした。
「いいもん取ってきたから見せてやるよ。さっき言ったヤバい山小屋の森で偶然とっ捕まえてな。空港の荷物検査抜けるのに苦労したぜ」
「……取ってきた? おい待て七輝、開けるな――!」
同じく不吉な気配を察知した蟻巣塚が、リュックの紐を解く七輝を制止する。
が、遅かった。
開いたリュックの口に七輝が両手を突っ込む。ずぼっ、と大量の空気が抜けるような音を立てて掴み出したそれを、ほれっとばかりの雑さでテーブルの上に乗せた。
まず、全体にぺたぺたと貼り付けられた赤い符が目に留まる。おそらくこれで空港職員や犬の五感を妨害したのだろう。
否、この場合は全体というよりも全身と呼ぶべきか。
見事にまん丸い輪郭。その球体をくまなく覆う、ふさふさした綿毛のような焦げ茶色の毛並み。頭の左右からは床にまでつくほどの長い耳が垂れ、中央には捻れた立派な角が突き出し、背中には役に立つのかさっぱり不明な小振りの翼。
ボウリングの玉を使って垂れ耳のウサギを作ろうとしている途中で、面倒になってそこらの動物のパーツを適当に付けたような姿のそれは、やたらとつぶらな黒い瞳で一同を見上げるや、齧歯類特有の笑っているような形の口を動かし、白い牙をちらりと覗かせて、
「らびっつ」
鳴いた。
「生きてるー!!?」
綺麗に揃ったかがり達の絶叫が、がま寿司を震わせた。
―――灯玄坂の巣の中で 完―――




