昼間原狂騒・嚆矢 - 23
がま寿司。
昼間原市内に複数ある、個人経営の寿司屋のうちでも古株のひとつ。
カウンターメインの小さな店でありながら気取らずに利用できる、いわゆる近所のお寿司屋さんとして、厳しい生存競争に晒される飲食業界においても安定して生き残り続けていた。
もっとも店主である光安は「トシもトシだし客が来なくなったら閉めるだけさぁ」などと嘯いてみせるのだが、鮮度良く質高しの二拍子揃ったネタ、休日でも清潔に磨き上げられた店内などが、彼の職人としての誇りとこだわりを物語る。
そんな店の前には今日、普段は基本的にランチしか提供していない昼間だというのに「本日貸し切り」の札が下げられていた。夜に備えての前もっての告知かと思いきや、店内からは確かに歓談する声が聞こえている。
また一人その扉と暖簾を潜り、カウンターの奥で包丁を握っている店主に軽く会釈をした。
「こんにちは、今日はお世話になります」
「おう、もう他のは全員来てっぞ」
光安がくしゃりと破顔し、奥を指し示す。
開け放たれた襖の向こうに集っていた面々が、話すのをやめて振り向いた。
蟻巣塚とかがり、そしてユウ。それに、些峰風香。
自分が最後の一人になってしまった事もあって、舞は少々焦りつつ掘りごたつのある奥座席へ向かう。約束の集合時間に遅れた訳ではないのだが、あとは自分が来れば始められたという状況に直面すると人はそこそこ焦るものなのだ。
ぺこぺこ頭を下げながら靴を脱ぎ、小上がり座敷へあがる舞に、蟻巣塚が体をずらして道を開けた。テーブルには既にオードブルが配膳されており、汗を掻いたビール瓶は開栓の瞬間を今か今かと待ち侘びている。
「遅れましてすみません。休みなので、つい午前の鍛錬に気合が入りすぎてしまったのですよ」
「別に遅れていませんよ。我々がちょっと早かっただけで」
「ていうか市長のおじさんと一緒に来なかったの?」
「休日にプライベートで貸し切り寿司屋に同伴してたとかスキャンダルな匂いしかしないでしょーが。かといってそういった関係ではございません、直属の部下で忍者なんですなんて釈明したらスキャンダル以上に終わるわオレが」
「つっても『あなたたまに市長と喋ってる事ない?』ぐらいの噂にはなっててもおかしくねぇけどな、そろそろ。どんなに巧く隠そうとしたってどっかしらで漏れてるもんだ、そういうのはよ」
「マジかい傷が浅いうちにクビにしよ」
「やめてえ!」
調理場の方からすかさず光安が茶々を入れ、応じる蟻巣塚に笑い声が響く。
襖が開け放たれているので、どちらからの声も店内に良く通った。
四人がけのテーブルを二つ並べれば一杯になってしまう程度に狭いがま寿司の座敷席だが、八人座れる席を人間四人に狐一匹で使っているとあって窮屈さはない。むしろ開放された襖のおかげで、店全体がひとつの部屋のように感じられるくらいだ。
そして、広く感じる理由はもうひとつある。
この場に同席していれば間違いなく圧迫感と暑苦しさが二段階、いや三段階は増していたであろう、此度の騒動における功労者の姿がどこにも見当たらない。
「眩草さんは……やはり来られませんか」
「声はかけてみたんだけどな」
店内に、眩草の姿はなかった。
無論、今回の席を設けるに当たり蟻巣塚が連絡を試みたのだが、カタンからは「謝礼なら代金はもう受け取っている」の一点張り。眩草の意志を確認してくれたのかどうかさえ分からなかったという。
もっとも別れ際にいずれお礼の席をと告げた蟻巣塚に対し「お構いなく! 打ち上げに出る程深く関わっていませんから」とビジネスライクに笑っていたのを思えば、仮に直接話せていたところで同じだったのかもしれない。
あっさりしていますねと舞が言った。どことなく物足りなさそうでもある。
いたらいたでうるさいし行動が読めないしその割に実力も知識もこちらより遥かに上だしで、扱いに困る男なのは確かだが、間違いなく賑やかにはなっただろうから、そう思う舞の気持ちはかがりにも理解できた。加えてあの健啖ぶりだ、さぞ光安も腕の振るい甲斐が増した事だろう。
駅での見送りの時、また何かあれば呼ぶだけ呼んでみてくださいと言ってくれたが、もう同規模のトラブルは二度とごめんだというのが全員の正直な感想である。
今頃は日本を発ってヒマラヤにでも籠もっているのかもしれない眩草の無事を、かがりは祈った。文字通りに、死なないようにと。
「来れんもんはしょうがあるめぇよ。そいつの分も楽しむこった」
「そうするよ、今日は期待してるぜ親父さん。あのレストランもかなり良かったけど、やっぱり気楽にやるならこっちなんだよなあ」
「そうですね。ヒレ肉のパイ包みは最高でありましたが、やはり自分のような庶民派忍者には肩が凝ってしまって……」
「状況も状況でしたからね、あの時は。食事は心配事も面倒事も抜きで楽しくやれとは良く言ったもんです」
「俺は楽しかったけどなあ……作戦、本格始動!って感じで」
眩草の話が出た事で、束の間、思い出談義に花が咲く。
そう、思い出を語れるというのは幸運だ。
出席者の顔ぶれを眺めながら、しみじみかがりは思う。
「もうひと月たつのか、早いもんだ」
あの事件から一ヶ月。
事後処理や報告にかかりきりになっているうちに、飛ぶように月日は過ぎた。
それらもようやく落ち着いた頃合いを見計らって蟻巣塚が都合をつけ、約一ヶ月後というひとつの節目となる今日を、がま寿司全面協力のもと事件解決を祝う慰労会としたのである。費用は、全額蟻巣塚の奢りだ。
とはいえ、事後処理の全てが終わった訳ではない。
特に市立図書館へ提出する今回のレポートは、歴代の記録の中でも蛭討伐と並ぶ際立って特異なものとなる事だろう。厳密には化け蛭の呪いとは無関係なのだが、昼間原市の歴史を語る上で今回の事件は欠かせなくなってしまった。目にした時の冴絵の反応が楽しみだ。きっと目を丸くするに違いない。
(みんな無事で、良かった。本当に)
なんとなく摘み食いしてしまった貝の内臓が、心情を反映してほろ苦い。
作戦とはいえ最後はとんでもない目に遭ったものの、幸いトラウマとして引き摺る事もなく、力尽くで拉致監禁された衝撃や恐怖もほぼ忘れられていた。単純に性格に左右される問題でもないらしいから、本当に運が良かったのだろう。
万全を期すなら騙して実行するしかなかったのは理解も納得もしているが、それでもまだ少しばかり腹立たしくはある。
かがりがじろりと睨むと、会話の流れから意図を察した蟻巣塚がすまなかったと謝ってくる。彼が、謝罪に関して茶化したりなあなあで済ませようとした事は一度もなかった。だからこそ苦渋の決断だったというのが分かるし、かがりとしても強く責めようという気は起きずにいる。
軽くなら、事件以来何度か責めさせてもらっているが。反応が面白いので。
「狐くんの調子はどうだい?」
「俺は元気でやってるよ。……元気って言っていいのか分かんないけどさ」
「市内でも、その後目立った異変は観測されていない。といっても、まだたったの一ヶ月だから油断は禁物ね。このまま半年、一年と何も起こらない事を願おうや。
……しっかしまぁ思えばつくづく変な事件だった。解決したからこうやって酒なんか飲みながら話のタネにしてられるが、最悪このメンツ揃わなかったからな」
「私は私で見当違いの推理ばっかりしてましたし……生贄発言の記憶を全員から消したい」
「迫真のドヤ顔だったなあれ。いまだに忘れられんわ」
「忘れて今すぐ」
「そういえば蛭の復活云々は結局なんだったんです? 呪いは関係してたんですか? してなかったんですか?」
「んー、直接は関係してなかったんじゃないかね。今頃ひどい冤罪だと怒ってるかもなあ。まあ死んでるんだが。そうだとしてもあれはただの雑談だからノーカン無罪。さ、そろそろ乾杯といこう!」
蟻巣塚がぱんと両膝を叩いたのと同時に、タイミング良く豪勢な舟盛りが運ばれてくる。まだオードブルにも手を付けていないうちから、テーブルを酒と料理で埋め尽くす勢いだった。
舞が素早くビールの栓を開け、機敏な動作で各席のグラスに注いでいく。かがりはありがとうと言い、蟻巣塚は苦笑しつつ大人しくそれを受けた。
さあ、乾杯だ。
ここからは難しい話は抜きである。
蟻巣塚がグラスを掲げ、かがりが、舞がそれに続こうと各々のグラスを手に取った。
「あのー、ところで」
乾杯、と今にも揃ってあがりそうだった声と、グラスを持ち上げる手が止まる。
おずおずと待ったをかけてきたのは、全員揃って会話が始まってから割と置き去りになっていた風香だった。
集まる視線に、肩を縮こめる。
「あ、邪魔しちゃってすみません……。
でもこれって何の集まりなの? というかさっきから聞いた事ない単語ばっかりで、わたしここにいて問題ないの? 舞ちゃんはいいとして、来てみたら市長さんが普通に待ってて正直ビビリ中なんですけどぉ……」
「おおっと、そうだった。迂闊迂闊」
「え、お伝えしていなかったのですか?」
「始まったら言えばいいと思ってな」
確かに、かがり達と比較すると風香がこのメンバーに混ざっているのはやや不自然だ。満足な説明もないままでは、どうして自分がと疑問に思うのは当然である。
昼間原市の大規模異変が解決した事に関しては、あの後でかがりから聞かされていた。しかし詳細までは、まだ調査中だからと伏せられていたのだ。だから、眩草や生贄といった耳慣れない単語がおそらく事件に関連するものなのだろうという推測はできても、あくまで被害者の域を出ず、解決には直接関わっていない風香からすると、ただの蚊帳の外である。
予定を空けてもらう際、かがりからはちょっとしたお祝いの打ち上げですとしか伝えていなかったのだ。
「事件解決から一ヶ月で区切りがいいので、いわゆるお疲れさま会的なのと、私が市長に誘拐されて監禁された事についての何度目かのお詫びです」
「え……市長が成人女性を誘拐……自宅に監禁……夜な夜な……」
「やめなさいね。ほんとやめなさいねほんと。詳しくは話せないけど深い事情があったんですってほんと」
「冗談です。言い触らそうなんて思ってませんよ、こっちが逆に名誉毀損で訴えられそうですし。帰り、お土産に大トロの詰め合わせいいですか」
「いなり寿司の詰め合わせも!」
「はいはいどうぞお好きなだけ」
蟻巣塚がやけくそ気味に言った。
実際、寿司をたかられる程度なら詫びとしては安いものだろう。
とはいえ自宅の修繕費用を考えたら、総合では結構な額になっている筈である。故にああせざるを得なかった理由を理解しており、正式に謝罪も受けているかがりにしてみれば慰謝料を請求する気など一切なく、最後の掠り傷が完治するまでの医療費全額負担と、きつねやの店舗部分にエアコンを設置してもらったのと、実は前からちょっと欲しいなと思っていた桐箪笥とついでに春向けのコートと靴を何足か買ってもらったくらいである。
こうして見直すとだいぶ貰いっぱなしになっている気もする。さすがにそろそろ打ち止めにした方がいいかもしれない。
「些峰風香さんでしたね。昼間原市でアンティークショップと剥製店を経営してらっしゃる。まず先だって昼間原市の異変に巻き込まれてしまった件に関して、行政の長として市民を守れなかった事をお詫びします。
それで、その事件が解決したという話はもう楝くんから聞いていますね?」
「あ、は、はい! アーちゃ……楝さんから伺っておりますぅ」
「オーケー。で、話したいのはその事件におけるあなたの果たした働きと今後についてだ。この機会にちゃんと正式にオレから通達しとこうと思ってな」
「今後の……も、もしかして頭に電極を刺して洗脳労働を!?」
「違うっつーの」
どういう説明をしたんだと、蟻巣塚がかがりを睨む。
誤解だとかがりは言いたかった。
「あの事件では敵性体……あなたが襲われたような怪物との交戦が何度か行われました。その際に楝くんと霜走くんが、あなたの作製した呪具を使用しています。あの敵は……ちょっと複雑な事情持ちなんで純粋に効いた効かないの判定は保留にするとして、それ抜きでも非常に高品質なのは私もこの目で確認しています。
――んで、楝くんが表沙汰にしない方がいいと勧めたらしいが、オレもまったくもって同感だ。本格的にこの道に入りたいというなら止められないけど、趣味の品レベルで作るのもなるべく避けた方がいいと思う」
「それってやっぱり、アー……ふちさんが言ってたみたいに、面倒な事になるかもしれないからですか?」
「なる。絶対なる。断言するけど術師なんて特にクソだぞクソ。九割クソしかいねーぞ」
「うわあ……」
「そこまで言わなくても……」
「で、だ。オレはあなたの技術に対し、市としても個人としても一切干渉しないとここに約束する。つまり裏で情報売り飛ばされて、悪い奴に嗅ぎつけられて何かされるのでは、みたいな心配はしなくていい。むしろ隠してやる。
今日はそれを長であるオレから直々に誓い、伝える為にアウェー感承知で来てもらった。嘘はつかない。信じる信じないは任せるから、頭の片隅にでも置いておいてくれ」
「は、はい。ご親切なお気遣いありがとうございますぅ……」
緊張したのか、口調が商売用に戻っていた。
何を似合わねえ真面目な話してんだいと、光安が放置されたままのグラスを指差す。すぐに飲むのがビールに対する礼儀だとでも言いたそうである。
それもそうだ。この話はこれでおしまいだ。
「うっし、それじゃあ改めて――」
「乾杯!」
「かんぱーい!」
キン、とグラス同士を重ねる涼し気な音色。
ユウの分は酒ではなく、皿に注がれたノンアルコール飲料である。乾杯の気分を味わいたいというユウの希望によるものだった。
飲もうと思えば酒も飲めるのだろうが、妖怪と酒は相性がいいようで悪いというのは定説なのである。正確には、倒すのに酒を利用して酔わせるのは昔も今も有効という意味で。
一気に最初のグラスを空けた蟻巣塚が、早くもふわふわした目になって、皿を舐めているユウを見た。そこまで酒に弱い訳ではないので、緊張が抜けた効果だろう。
「狐くんはやっぱり狐に見えるまんまか。
化けの皮が剥がれて郭公本来の姿に……そんなもんがあれば、の話だが、自我のある状態で郭公本来の姿に戻ったなら、とんでもない大スクープだったんだがなあ」
「あ、そうか。成長しないから巣立つ事もなければ記憶もそのままなんですね」
「ふふ、研究者として血が沸き立ちますか?
どうするユウ、協力してやるか?」
「俺は見世物じゃないからやーだよっ」
「なになに、ユウちゃんに何かあったの?」
炙りサーモンを箸で摘んでいた風香が、耳聡く尋ねる。
風香を信用していない訳ではないが、ユウの正体についてはこの事件の鍵中の鍵である為、教える事はできない。よって、ユウが原因で異変が起きていたというのではなく、異変が解決する過程でユウの正体が判明したと濁して伝えるのが限界である。
「おほん……実はですね、ユウは……」
「うんうん」
「狐ではなかったのです」
「……狐でしょ?」
「どう見ても狐だけどそうじゃないんです」
「どう見ても狐なら狐なんじゃ……」
「なんといったらいいか……狐に見えているだけで狐ではなかったのです」
「うん?……あ、昔話みたいに化けてるって意味?」
「まあ、ニュアンスとしてはそんな感じで」
「ふーん……あ、でもいつだったか公園で触った時さ、なんだか手触りが独特っていうか狐っぽくないなって感じはあったんだよね。てっきり妖怪だからだと思ってたんだけど、あれもそのせいだったのかなぁ」
そういえばそんな事を言っていたような気もすると、かがりは敵性体ノヅチ襲撃時の記憶を掘り返した。
しかしだとすると、風香は触っただけで無意識にユウの正体を看破していた事になり、その手指の冴えたるやますますもって驚くべきとしか言えない。
そしてそれほど法外に鋭い感覚を持つ風香でさえ、いやこれは狐とは決定的に異なる存在だという結論には辿り着けずに、おかしいのは妖怪だからだ、妖怪の狐なのだと流させてしまった郭公の能力こそ、更に恐ろしい。成る程、こんなもの普通ではいくら社会に紛れ込んでいても気付けない筈である。
惜しいよなぁ、と小声で蟻巣塚が呟く。つい口に出たという風だった。
先程の研究者気質ではないが、風香の天性の素質に直面すると、どうしてもそういう感想は消しきれないらしい。
実際、業界から見れば多大な損失なのだろう。
かがりも同じ思いが全く無いとはいえない為、しまったと頭を掻いている蟻巣塚をあまり責める気にはなれなかった。
話題のユウはというと、風香にユウちゃんはユウちゃんだよねえと顎の下を撫でられてご満悦である。最初はあんなに怯えていたのに、今ではすっかり慣れたようだ。
素早く鯛に箸を伸ばしながら、舞が思い出したように尋ねる。
「そういえば主殿、ご自宅の修繕はどこまで進んでおられるのです?」
「ああそうそう、気になってたんですよ。冷静に考えたらあれ、庭も建物もだいぶ派手に破壊されてましたけど、大丈夫でしたか?」
「大丈夫な訳ないでしょ。見てもらったら、最悪あのへん一回全部壊して部分的に建て直しになるかもだって」
「ええ……こう、うまい具合に木材積んだり重ねたりで何とかならないので?」
「粘土細工じゃねーんだぞ。壊れた理由を業者に説明するのも一苦労だし尚更疲れる。部屋数はあるから寝泊まりには困らないけど、どんどん気候があったかくなってるせいで壊れた場所から虫が入ってくるんだよ。梅雨までには何とかしたい……」
「切実」
「中年男の悲哀が」
「地下室も焦げたままだし」
「だそうですよ楝殿」
「途中から私よりむしろ霜走さんと眩草さんの方が大暴れしてませんでしたか。檻が半融解したの絶対そっちのせいでしょう」
「任務とはいえあんな汚れ仕事させた霜走くんが怒るのはまぁ分かる。暴れるのもまぁ分かる。でも別に怒ってもいなかった眩草さんが大暴れしたのはほんと分かんない」
「まあ眩草さんですから……」
「っていうか、建物はともかく庭が半壊したのってクララのにーちゃんが暴れたからじゃなかったっけ? オレも見てたけど、でかい石灯籠抱えてぶん殴ったりぶん投げたりしてたよね?」
「石灯籠で殴るって改めて考えなくても無茶苦茶だな。ぶち抜かれた生垣は生垣で、家とは別に業者呼ばなくちゃならねーし」
「あの夜出前に来た人も、うっかり庭を見てしまってビックリしておりましたね。居眠り運転のトラックが突っ込んできたという主殿渾身の作り話も、即座に嘘でしょと見破られていましたし」
「見破られて当たり前でしょうそんなの」
「うるせーなー、おっちゃんは正直者だから咄嗟にいい嘘が思い付かなかったんだよ」
「なんか面白そうな人がいたんだねー。くららさん? わたしも会ってみたかったな」
「……相性がいいような悪いような……」
「大蚯蚓剥製にしそう」
「ほへ? みみず?」
その時、不意にガラガラと不躾な音を立てて戸が開いた。
会話が中断され、音に釣られて全員の視線が入口を向く。
貸し切りの札を下げておいても構わずに扉を開けてくる、入ってくる客というのは、実のところ稀にいる。ただし、それにしたって普通は扉をそっと開けて中の様子を伺う程度であり、ここまで堂々とやって来る人間となると、常識知らずか、文字を読めないか、読めても理解できる頭がないかであって、いずれにせよろくなものではない。
大きな円形をした木製皿に寿司を盛り付けていた光安が、入口に向かって声を張り上げる。
「あァすいやせん! 表にも札ぁ下げときましたが、今日は夜まで丸一日貸し切りになってまして――ん、んん?」
光安の声が途中で止まった。
あろう事かその客は、貸し切りだと言われているにも関わらず、暖簾を軽く手で払うとそのまま入ってきてしまったのである。
それだけなら、特にどうという事もなかっただろう。この日頃は気のいい老人を怒らせるとどうなるかについての噂は、がま寿司の常連客の間ではまことしやかに囁かれている。貸し切りなど知った事か自分は客だぞと言わんばかりの態度を取れば、この愚か者が光安の洗礼を受ける様を、かがり達は間近で存分に鑑賞できていた筈である。
だが実際に起きたのは痛快な活劇ではなく、戸惑ったような沈黙だった。
代わって店内に響き渡ったのは、光安の制止などどこ吹く風で入店してきた、その男の声。
「ビンゴだ! 電話かけても出ないし帰っても鍵かかってるし、じゃあこっちかと思って来てみたら大当たり! やっぱ俺のカンってめっちゃ当たるわ。ほとんどこれ頼みで生きてきただけある、うん! すごいぞ俺!」
どことなく、つい最近世話になったばかりのカタンを思わせる、自分の言いたい事だけわっと一通り吐き出す喋り方で、男は無遠慮に店内をずんずん進んでいく。
呆気に取られる光安の前を堂々と通り過ぎる間際に「おひさ!」と状況が状況なら爽やかだったのであろう挨拶をした。
「しかもなんだよー、奏ちゃんまでいるじゃないか!
その気難しげな四角い顔、懐かしいなあ。賑やかで嬉しいねえ」
絶句している一同を目指して、着古した探検家のような服装の中年男がずんずん奥座敷に迫ってくる。
ユウと舞は、いきなりの図々しい闖入者に困惑して何も反応できずにいた。男の顔も声も、まるで記憶に無い。ふたりに比べて妙な客の扱いにずっと慣れている為、辛うじて呪縛の外側にいた風香が、知り合い?と一同を眺めながら尋ねる。
その一言で、金縛りが解けた。
「と――」
静まり返っていた店内に、完全に裏返ったかがりの絶叫が響き渡る。
「父さぁん!?」




