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昼間原狂騒・嚆矢 - 20

「順を追って話すぞ。オレは途中まで直接見聞きしてないから、楝くんに再提出させた報告書からの推測だという前提で聞いてくれ。

自分の実力では群れにいても英雄になれないと考えたその郭公は、とうとう群れを出た。あるいは妖狐としての成人に近付いていたから、巣立ちの時期が近い事も決意を後押ししたのかもしれない。弱いくせに群れから抜けるのを仲間に見咎められなかったのは、抜けるという行動に対応して環境が改変されたからかもしれない……。

……かもしれないばかりだと喋り辛いな。ここからは断定で話すぞ。いいな」


誰も答えなかった。

しかし承諾は空気を通して伝わる。


「途中の複数の町でのごく短い滞在を経て、郭公は昼間原市に辿り着き、楝かがりに出会った。仕事の妨害をして捕まった郭公は、楝かがりの情けと気紛れと狐は殺さない方がいいという現実的な判断によって生かされ、後にきつねやの看板を掲げる楝家に滞在する事になった。

楝かがりがねぐらを提供し、郭公を日々の仕事に連れ回した事で、滞在期間はこれまでになく伸びていった。昼間原という土地が新しい巣なのだと、自動的に判定され勝手に環境改変が始まるのに足る長さに。

しかし、英雄になる夢を捨てきれなかった郭公はぬるま湯生活を続けるのを良しとせず、昼間原市を出る決意をする。よって郭公はこの地を去り、巣の役割も移住先の土地に移って終わる筈だった」


だが、そうはならなかった。

かがりはそれを、誰よりも良く知っている。


「脱走先で人に迷惑かけていざこざ起こされるのを恐れた故郷から派遣された狐が、環境改変に引っ掛かって狂った。元から高い力を持っていた妖狐二匹が、英雄用の敵の枠に当てはめられて暴走した結果、郭公を殺しかけてしまった」

「……それじゃ、あの狐たちが狂ったのに呪いは関係なかったって事ですか?」

「ん、全然無かったかっていうとそれはそれで疑問だけどな……。

弱くても清められないっていうクソしぶとい状態で、何百年も土地にこびりついてるような呪詛だ。絶対変わりようがない環境に絶対実行される環境改変が被さるっていうレアケースすぎる無茶が働いたせいで、一時的に呪いが荒れ狂ってた可能性もあるっちゃある。まあ、今となっては調べようがねえよ。それは郭公が楝かがりと出会って出ていこうとして仲間に殺されかけるその日その瞬間までの、ほんの一週間限定で続いてた状態なんだ」


蟻巣塚は些か辛そうにかがりを見た。

ここからが核心だ。


「郭公は自らの環境改変のせいで致命傷を負った。

さっきも言った通り、こういった現象は郭公という妖怪の生態においてたびたび起きてると本家は踏んでる。今回もその一例として、死んで終わる筈だったんだろう。

だが、楝かがりはこれを助けてしまった。

しかもただ治療したのではなく、自らの従える憑き物を移植して傷を塞ぎ命を維持するというイレギュラー過ぎる方法で。

当然そんな真似をすりゃ治ったよ良かったねじゃ済まない。結果として治療された郭公は楝かがりの従僕となり、傍を離れられなくなり――」


僅かに、蟻巣塚が目を伏せる。


「この時、郭公の巣は昼間原市から楝かがりに移った」


身を切る程の静寂が落ちる。 舞がかがりを見た。相変わらず感心した態度を崩さず、眩草もかがりを見た。

最後に、時間を空けてユウがかがりを見上げる。のろのろと、心をどこかに置いてきたような瞳で。今すぐその前に屈んで、心配するなと言ってやりたいのに、かがりの足も唇も縫い留められたかのように動いてくれない。


「以降の異変は、全て楝かがりを土台に置いて実行されている。

楝かがりの環境としてのカテゴリーは『昼間原市の魔を駆除する者』だ。では巣の価値を高め安定させるにはどうなればいい。そのままだ、昼間原市が楝かがりの活躍できる環境になればいい。

……郭公が行う環境改変の枠組みから、当の郭公が外されちまった。

楝かがりは巣ではあっても土地ではなく、その上で郭公は暮らしていないからこそ生まれたズレだ。加えて異変に対応すべく関係者が動いた為に逐一状況が変化し、びっくりするぐらいその場凌ぎの環境改変は加速度的に進行していく事になる。ちょい話が逸れるが、今日の誘拐はそれを炙り出しに利用させてもらった」


つくづく済まなかったと、また蟻巣塚が謝る。


「楝かがりのカテゴリーが充分に固定された頃、第一の異変が発生した。例の夏祭りだ。

なんで冬に夏祭りだったのかだが、オレはこれには深い意味はないと考えてる。楝かがりの仕事は市内全域の見回りだ。だから市の広範囲に渡る異常事態が起きて楝かがりの需要が高まるっていう、骨組みだけは単純な改変の為に、昼間原市といえばこれっていう代表的な催しが再現されただけだろう。イベントが豊富な都会なら第二弾第三弾と続いたのかもしれんが、そうはならなかった。

ここにオレが絡んできちまったからだ。

オレが巻き込まれたのは、市長という楝かがりの価値を見定める立場だったからだろう。この時点でかっこ……狐くん、オレと会った事すらなかったってのにな。親父さんの方とはもう会ってたんだっけ?」


会っていた。

光安の握る寿司の味を知っていた。尊敬していると瞳を輝かせていた。

ユウにとってはあの時点での数少ない、個体として認識している人間だった筈だ。


「そして異変の翌日、オレは楝家を訪ね、現状とこれからの展望と、あくまで雑談として蛭が生きてる可能性を話した。その中で、こんな話題が出た。はっきり言ってこの事態は楝かがりの手には余る、場合によっては後任が必要になると」


かがりはあの日の会話を思い出す。

昼間原に未曾有の何かが発生しているのは明らかで、手に負えないだろうという蟻巣塚の指摘にも全くの同感だった。雇う側も雇われる側も実力不足と経験不足を理解している中で、ユウだけが純粋にかがりの先行きを案じて庇おうとしてくれたのだ。

その気持ちが嬉しかったのを、かがりは憶えている。


「わかるだろ。巣を良くする為に改変した結果、逆に巣の存続が脅かされてしまったんだ。自動改変機能にしてみりゃこいつはエラーだ。エラーは修正しなくちゃならない。そこで」

「敵性体、ですか……」

「楝かがり専用の敵が出現した。

敵の正体を見破れる狐を従えている楝かがりは、昼間原市にとって必要となる。こうなれば追い出されたりせず、巣は安定する。主体はあくまで楝かがりだ。狐くんじゃない」

「ふざけていますよ。何ですかそれ。一度ならともかく、何度もそんなのが続いたら不自然だと考え…………そうか……考え、られないのですね……」

「考えて実行してないからな。

あとな、直前に昼間原の化け蛭を討伐した英雄の話をして聞かせたんだって? ノヅチが八岩の下から出てきたのも鎧武者だったのも、それが原因だ。仕入れた情報がそのまま改変の方向性に影響したんだよ。もちろんこれも郭公が鎧武者を出そうとして出したんじゃないぞ。勝手に情報が摘み食いされて実行されたのさ」


話をすれば、それによって改変が次々に揺らぐ可能性がある。

だからこそ今日の計画に関して、蟻巣塚は最低限の情報しか他者に与えられなかった。


「ところが物事はうまくいかない。考えてやってないんだから人間サマの事情と噛み合う訳がない。今度は、楝かがりはいらないが正体を見破れる狐くんだけは必要みたいな流れが生まれてしまった。

郭公が自身の為に改変すべき環境は楝かがりという巣であるのに、なんと、どうでもいい郭公の方がクローズアップされている。従属する狐の付加価値を高めても、どうやら巣の価値には繋がらない。なら真の姿云々はここまで。対象は楝かがり単体に絞る。

……こんなふうに改変くんが試行錯誤しながらやってたんなら、だいぶ可愛げがあったんだけどな」


思考せず、ただ実行するだけの機構に説得は通じない。

あれらは、かがりに倒される為の敵だった。

だからこそかがりの結界には毎回引っ掛かり、かがりの手によってのみ死ななければならなかった。

反面、巣に必要のなくなったユウは、敵の真の姿を見破るという設定を打ち切られた。誰よりも強くなりたいと、誰よりも上を目指したいと願っていたのに、それは巣にとって不要な想いだった。


「次、騎兵のヤリモチだ。前回徒歩だったのが馬に乗り始めたのは、何か切っ掛けがあったんじゃないのか」

「……些峰風香の家で仕事をした際に、特別な剥製を見ました。

これに乗ったら、といった会話をした覚えがあります。後日彼女が店を訪ねてきた時に、ええと……悪戯心ででしょうか、その剥製に私が騎乗している小さな置物をプレゼントしてきて」

「そんな……それだけのちょっとした出来事で……?」

「考えてやってねえから、ちょっとしたインプットが容易く結果に影響するのさ。だから情報量の限られててブレ幅の少ない山では安全で、いくらでも色んなもんが入ってくる人間社会だと途端にやばくなるんだ」


一度きりではない。

置物は家に飾っておいたから、ユウが眺める機会はいくらでもあった。あるいはかがりの知らない所でも、誰かが何かに騎乗している光景を思い浮かべる機会があったのかもしれない。

思い浮かべただけだ。空想しただけだ。それを敵性体の姿に反映させようなんて考えた訳ではない。なのに見て知って思っただけで、その影響は出てしまう。


「そうだ。目撃者の記憶が一斉に消えていたのは?」

「町中で楝かがりが妙なのと戦ってる光景が市民に広まったら、楝かがりという巣にとって不利益になるからだ」

「……いやあの、そもそもより多くの人間に価値を認識させる為の明白な敵として街中を暴れ回らされたのでは? なのに記憶消してどうするんです」

「だからな……いいか、順序立てて考えようとするな。その場凌ぎと行きあたりばったりと楝かがり優遇だけ軸に置いて全体を見ろ。

楝かがりって凄い!ぜひ昼間原市にいてもらわなくちゃ!と市民に巣の価値を認めてほしいから暴れる敵を作った。でもそんなのと戦ってる所を見られたら生活に支障が出るから記憶は消すよ。ちゃんとどっちも成り立ってるだろ」


言葉もない。舞は頭を抱えそうになっている。

蟻巣塚は一見冗談めかして伝えているが、托卵の恐ろしさはかがり達に十二分に伝わっていた。

こんなもの、次に何が起きるかほとんど予測不可能ではないか。

順繰りに継ぎ接ぎをしていった結果、どんどん滅茶苦茶な混迷に落ちていっている。そしてこんなもの、前知識がなければおかしいとは思っても正体に行き着けなくて当たり前である。

知識のあった蟻巣塚だからこそ、情報と状況をコントロールする事で、ある程度指向性を持たせて異変を起こす事ができたのだ。


「ここでオレもやっとあいつかと疑い、カタンを呼んで仕掛けに入った。

そして第三の敵性体、弓兵……ユミモチとでも名付けるか。そいつの出現経緯とその後についてはもう説明はいらないと思うが、つまりは意図的に巣を激しく害し追い詰める事によって、こんな外れの土地にも改変を起こさせ決定打と――」

「そんな事はどうでもいいよ」


皆が一斉にユウを見た。


「俺、どうなるの?」

「ユウ……」

「教えてよ。ここまで話したんだから、ちゃんと教えてよ。

俺はどうなるの?」


かがりの前を素通りして、ユウは蟻巣塚の前に立った。

蟻巣塚は珍しく言葉を探している。迷っているようにも見えた。

見兼ねて、部下には過ぎた振る舞いと自覚しつつ舞が口を挟む。


「正体が確定したなら、楝殿の周辺環境を良好に保っておけば沈静化可能なのでは……?」

「甘すぎるわ、現状を考えてみろ。だんだん悪化してきている。

最初の敵性体は、攻撃こそしたが怪我人も死人も出さなかった。二番目も槍を振って走ってただけだ。だが弓の奴はどうだ。とうとうはっきりと、人を狙って飛び道具を撃った。放てばコントロールできない武器を」

「……!」

「状況が悪化して、市の平和維持に必要とされる力が大きくなっていく毎に、敵性体の凶暴性が増していってる。

楝かがりが『昼間原の平和を守る者』のカテゴリーであるからには、巣としての価値と安定性を高めようとすればする程、発生する脅威の度合いは増していく。人を殺してる悪を倒した方が正義の価値は高くなるからな」

「そんな」


今のは誰の声だ。

舞か。ユウか。それともかがり自身か。


「そんなのって」

「それだけじゃない。

狐くんにとって最悪なのは、嗅ぎ付けた本家が来る事だ。

なにせ郭公の確実な観測例が10を切ってる上に、成体はこれまで一度も観測、確保できていない。これと決めた対象に数年単位で密着していても、煙のように消えてしまうばかりだった。捕まえて閉じ込めておいても……ちょっと詳細までは伏せさせてもらう方法を取っても消えてしまったらしい。

でも今回のは、捻れた主従契約を通じて人に縛り付けられるという初のパターンだ。巣立っても留まる可能性は充分にあり、そして留まったなら決して見逃さないだろうさ。

あいつらはオレみたいに話し合いなんて出来ない。問答無用で研究対象にしようとする。協力すれば楝くんはまぁ良好な待遇を受けるだろうが、拒めば強引に、だろうな。この家にかくまってやってもオレ一人で団体から守るのは無理だ」


重々しい吐息が漏れる。


「まったく……鵺といい百舌といい、どうして鳥絡みの名の妖怪ってのは厄ネタが多いのかねえ……」


説明を終えた蟻巣塚は、やりきれないように言った。

かがりが呼び掛けても、ユウの反応はなかった。放心しているように見える。


「解決策があるとしたら狐くんとの契約を解除して、どっかの山の奥深くに放つ事だ。その山の環境を意図的に改変する結果になるから、バレたらいろんなとこから大目玉だろうが、黙ってりゃ分からんて。

問題は、肝心の解除する方法が不明な事だ。

なにせ従属自体が偶然の産物だからな。絡んだ紐どころかミックスジュースみたいになっちまってる。うちの本家は論外として、生体専門にやってる有名所へ極秘裏に依頼すれば解除法は見付かるかもしれんが、それまでの間ずっと環境改変が続く。楝くんに紐付けられてる以上、どこに移動してもだ。自分ちの大事な設備周辺が妙な事になると分かってて引き受けてくれる家は少ないだろう。

……それに、そうやって解除して山に戻す事ができたとしても」


いずれ郭公は巣立つ。

巣立てば、ユウはユウではなくなる。

ただの、意志を持たない子を残して死ぬだけの親鳥となる。

それが元々その生物の正しい一生なのだと納得しようとしても。

この悲しみや苦しみはじきに消え去るのだと、必死に良い方向に考えようとしても。

昼間原市における異変発生は、それで解決できたとしても。

ユウという自我に対する救済には一切なっていない。


「どこかでまた、郭公の雛を産み落とすかもしれないんだ」


それがある限り。

それが人の社会であるかもしれない限り。

それがまた、今回と同じ事態を引き起こしかねない可能性がある限り。

看過は出来ない。

それが、妖から人を守る者の役目でもあるからだ。


「そんなの」


泣き笑いじみた声だった。


「俺、いるだけで駄目じゃん」


ユウは――。

蟻巣塚が話している最中、狼狽えはしても、俺は違う、そんなのじゃないと喚き立てる事は一回もなかった。

ユウなりに一連の異変の流れに疑問はあって、ユウなりに綺麗にまとまる解答を探し続けていた。始まりからずっと、かがりと一緒に同じものを見て、同じものと戦い、同じものに悩み、考えてきたのだ。だから、全てのビーズにこうして紐を通されてしまえば、やはりかがりと同じく納得するしかない。

考えるという行為が可能なだけの知能を持っていたのが、ユウの不幸だった。


「俺……」


大抵の郭公は、こんな真実を知らずに巣立っていく。

托卵された種族によっては知能も動物と変わらないのだから、自己の存在について悩む事もない。悲しみの総量を最小限にするという意味では――眩草の言った選択肢も間違ってはいなかったのかもしれない。

妖怪は、殺した方がいいと。


「お前さんが悪い奴だったなんて思っちゃいねえさ。誰が悪かった訳でもない。だから、ああ、こいつは……」


生まれた事が悪かった。


蟻巣塚が飲み込んだ言葉をかがりは察した。

それは、あまりにも酷だ。


「ユウ、方法を探そう」

「どうやって?」


ユウは幼児のように聞き返してきた。


「どうやって探すのさ。ないって言ってるよ。専門家が」

「やってみなけりゃ分からないだろ。諦めの悪いのがお前の持ち味で……」

「それに周りに迷惑かけなかったとしても、俺、そのうち消えちゃう。きっと近いうちに。かがりが俺を連れて逃げ回ってくれたって、俺はもうかがりの事なんて分からなくなっちゃうんだよ。

クッションで眠れないし、テレビでやってる映画も見られないし、かがりのゴハンもおじいちゃんのお寿司も食べられないし、英雄になりたいって願ってた夢も今までの時間も全部なくなって」


いつしか声は、しゃくりあげるような嗚咽に変わっていた。


「ただ、かがりと、周りを害するだけの存在に――」


物語にあるような大活躍をし、皆から尊敬され、後々まで語り継がれるヒーローになる。

それを夢として生きてきたユウにとって、この結末はどれほど残酷である事か。

ユウのような純粋な、このご時世にバカバカしいと呆れられさえする夢物語の夢を持った経験のないかがりには、それが無残に断たれる苦痛の大きさが想像できなかった。

それも、人々を守るのとは真逆の結果を伴って。


「主殿……しなければならない説明なのは分かりますが、これ以上続けるのはユウ殿が限界です」

「ユウ、一回中断して休もう。今はお前は勿論、私も皆も混乱してる。

休めばいい考えが浮かぶ。出任せじゃないぞ? 人間はそれを繰り返して文明を発展させてきたんだからな。少なくとも、このまま庭で虫に食われながらどうしようああしようと言ってるよりずっとマシだ。

そうだ、それにな。市長が焦って先走っただけで、今の推理は全部ハズレ。お前はやっぱりただの弱い狐なのも否定できない。誰も正体を見破れないってのはそういう事だろ? 証明できないからには希望はまだある。ヤケを起こすのは、私と今後もずっと一緒にいて、その郭公とやらとして巣立つ間際の、最後の最後でいい。

案外、私が死ぬまでそんな日は来ず、なんだ結局間違いだったね、心配しただけ損だったねと笑って解散かもしれないぞ。だから――」

「休む? 俺、もう休めないよ」


あえて明るく振る舞おうとするかがりを、真正面からユウが否定した。

初めて見る姿だった。


「だって、俺が食べて、遊んで、寝てる間にも――」

「ユウ、落ち着け!」

「世界は変わっていくんだ!!」


慟哭が夜を裂いた。


まるで絶叫に呼応するかのように、間近に漆黒の煙が噴き上がる。

蟻巣塚が石柱を蹴って立ち上がり、その場を飛び退いた。

敵性体、と舞が叫ぶ。

郭公に環境改変をコントロールする能力はない筈だ。

だが蟻巣塚の話によれば、取り入れた情報が無意識かつ無作為に改変の傾向に影響する。いつ、どこで、何がを特定できない以上、それは絶対に起きないと断言できる事など何ひとつ存在しない。

煙は捏ね回される粘土のように空中でぐにゃりと膨れ、捻れ、引き伸ばされ、やがて人の形をとる。それは敵性体ノヅチと、そしてつい先程消えたばかりの四体目とそっくりな鎧武者だった。雛形となる新しい情報を仕入れていない以上、基本であるこの姿をとって幻が形作られるという事らしい。

舞が蟻巣塚を守るように、その前に立つ。

眩草は手甲を構えた。指示があれば、即座にその豪腕は眼前の敵を打ち据える。とどめはかがりが刺せばいい。だが、その後はどうする。これが延々と不定期なタイミングで繰り返されるとしたら、それこそ終わりがない。


敵性体が、刀を頭上に構えた。

振り下ろすにしては距離が遠い。あの状態から斬り込んでくるつもりか。

かがりは軽く頭を振って雑念を追い払う。考えるのは後にしろと自分でユウに言ったばかりだ。今は目の前の敵を倒す。後で出てきた敵も倒す。解決するまでそれを繰り返すだけだ。何を難しい事がある。

敵性体が右足を踏み出した。動けば瞬時に距離を詰めてくるだろう。

山のように不動を保つ眩草を除き全員が反射的に下がる中を、たったひとつの小さな影が、全く逆の方向へ飛び出していた。


「なあ、かがり」


自分が何を見ているのか、かがりには分からなかった。

だって、こういった時にどう動くべきかは、今日までずっと教えてきたのだ。

ユウも熱心に聞き入り、学んでいた。いつかかがりとの別れを迎えた後、夢だった英雄になる道へ戻る為に。

だから勝ち目もない敵に闇雲に突っ込んでいくなんて真似は、一番やってはいけないと知っている筈なのに。


ひとりだけ前方へ躍り出たユウが、振り下ろされる刀の真下にいた。

動きは、ひどくゆっくりとして見える。

これはさっきのような動作の遅延じゃない。研ぎ澄まされた感覚が、そう見せているだけの錯覚。

故に、もう間に合わない。


スローモーションの世界で、いつかの語らいをかがりは思い出す。

それはいい加減に飽き飽きしていた、ユウの語る英雄論。


『世界を救った英雄って、その後どうなったか分からないんだ』

『ん? 平和になった世界で民から尊敬されて暮らしたんじゃないのか?』

『んー、そういうのもいいけど、でも……』

『でも?』

『ヒーローや英雄や勇者って、俺が思うに孤独な存在なんだよ。孤高であり孤独! 強すぎる力と高潔な精神を持ってるからこそ、平和になった世界に英雄の居場所はないんだ。その力のせいでまた争いを招いちゃうからな。だから、英雄は最後に消えなくちゃいけない』


そういう悲劇性がまた熱いんだと話を締めるユウに、民衆は身勝手だなと、その時は笑った。


「俺は、世界を救う事はできなかったけど」


全ての音が消失する中、不思議と、振り返ったユウの声だけははっきり聞こえた。


「世界のどこにも居場所がないって所だけは、英雄っぽかったよな――」


ほんの刹那の間に、そこまで話す時間があったのかは疑わしい。

あるいは一瞬重なり合った視線に、かがりの脳が勝手にそんな意味を読み取っただけかもしれない。真偽は永遠に確かめようがなかった。あの時本当にそう喋ったのかと聞くには、まず相手が生きていなくてはならない。

刃が小さな獣を貫き、飛び散る鮮血に視界を赤く焼かれながら、かがりはそんな事をぼんやりと考えていた。


断末魔も、遺言も、別れの言葉もなかった。

短く二度、泳ぐように痙攣すると、ユウは動かなくなった。



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