昼間原狂騒・嚆矢 - 19
高く、短く連続で囀る声が、どこかから聞こえる。
あれは竹藪に住まう雉だろうか。それとも、何か全く別の生物なのだろうか。
「え、俺?」
少ししてから、やっと自分に言われているのだと分かったユウが聞き返した。言葉の意味を掴みかねすぎて、蟻巣塚に対する不信も怒りも束の間消え、ただきょとんとしている。
「カッコウというとあれですか、ホーホケキョと鳴く」
「それはウグイスです」
「ははは、そうでした! しかしどちらも鳥である事には変わりないでしょう? これはどう見ても狐でしかありませんね!」
「カタンに所属できる程の実力者から見てもそうなのですか。
……まあ、そうなのでしょうね。単純に強ければ見破れるというものではない。この者たちには、これしかないのですから」
ふうむ、と眩草が小首を傾げた。
その目はユウを捉えているが、これといって今までと違った対象を観察しているようには見えない。眩草にとってのユウは、最初からずっと「早めに処分した方がいい妖狐」のままだ。
困惑したユウが、物問いたげにかがりを仰ぎ見る。
「市長、ユウが困っています。あと私も困っている。ご自分だけで納得なさらず説明を」
「勿論だ、順を追って全て話す。ただし覚悟はしておけよ」
覚悟とは何の覚悟なのか、蟻巣塚はあえて口にしなかった。
また、本当に聞きたいかという確認もしなかった。
という事は、この先はどうあってもかがりが聞かなければならない話なのだろう。
「……異変の始まりは、冬の某月某日に昼間原市の一区画を突然包んだ、大規模な幻だった。様式は『夏祭り』だ。ここ昼間原市で毎年夏に行われる昼間原まつりが、屋台や客も含めてほぼそのまま再現された。幻は数時間で自然消滅。人的被害は無し。この段階では、誰がこんな突拍子もない真似をしでかしたのかは想像もつかなかった。
とはいえ、町中で規模のでかい幻術を維持するのがどれ程の困難を伴う超高等技術かを、我々は知ってる。だから犯人は並大抵の実力者じゃない。あるいは死んだ筈の蛭が復活したのか――みたいな事を、雑談程度に話した。その後の連続した敵性体の出現は、皆さん報告書で読んだ通りだ」
蟻巣塚は喋りながらかがりの脇をすり抜け、横倒しになった石灯籠に腰を下ろした。
「明確に違和感を覚えたのは、オレも直接参加した騎兵型の敵性体、ヤリモチとの一戦を終えた後だ。霜走くんやオレの攻撃がロクに通ってないってのに、楝くんのだけやけに効きがいい。しかもこれ、今回に限った話じゃなくてひとつ前の敵性体ノヅチの時からそうなんだ。
オレらが何やっても平然としてるくせに、楝くんが仕掛けた結界には引っかかるし、楝くんが攻撃すれば傷付くし、挙句に死ぬ。そう思って騎兵の行動を振り返れば、ドンパチやってる最中は気付けなかった妙な点が次から次へと浮かび上がってくる。
公園に出現するやオレには目もくれず逃げ出したくせに、楝くんと合流して追跡を始めたらあっさり向こうからやって来た。闇雲に市内を走り回るだけで市民には怪我ひとつ負わせなかったくせに、オレたちと戦ってからは死ぬまでそこにい続けた。――まるで、楝くんに倒されたがってるみたいに」
そうだ。それはかがりも不思議に思っていた事だ。
だから一連の事件はお前が企てたのだろうと告げられ、攫われて監禁されたのだが、蟻巣塚がそんなこじつけを全く信じていなかったのは、ここまでの話を聞いただけでも明白だった。
「それで報告書を頭から読み直して、明らかにおかしいと確信した。
何もかもが楝かがりにとって都合が良すぎる。
だがどんなに不自然だろうと、まだ偶然や幸運で片付ける余地は残っている。だから疑惑を解答へ変える為に、それまで進めていた援軍や後任の話を全部白紙にしてまでカタンを呼んだ。一切の言い訳を潰す為に、こいつに倒せず楝かがりに倒せるなら、もう偶然が絡む問題じゃないと断言できる程の絶対強者が必要だった。
結果は、ご覧の通りだ。今の奴に至っては呪具さえ要らなかった。『殺す』という楝かがりの行動に反応して消滅した。要はダメージどうこうの問題じゃない。誰が攻撃しているかだ。いや、誰に攻撃させたいかだ」
話に付いていけている者、いけていない者、誰一人言葉を発しない。
夜の闇に、蟻巣塚の明瞭な声だけが流れていった。
照明ひとつない庭が、人々の顔に濃い陰影をつけている。
「言い換えれば、オレにはヤリモチとの一戦を終えた時点で異変の根幹に関しての目星がついていた。隠していたのは謝る。しかしなるべく隠しておかなければならなかったんだ。迂闊に言葉にして聞かせると影響が出る可能性があったからな。
これについては眩草さんにも申し訳なかった。呼んでおきながら、説明を極力控えなければならなかったのですからね。説明はしないけど指示には従ってくれなんて言われたら、普通は怒るか断りますよ」
「ははは! カタンは通常、説明を必要としません! なぜなら既にそこにいるものを殺すだけだからです! 元から要らない説明なのですから、されなくても同じ事ですよ!」
どこまでも無茶な道理を口にする眩草に、深い感謝と敬意を込めて蟻巣塚は一礼すると、話を戻した。
「地下室で聞かせた通り、オレのとこの本家は生体専門でな。
狭い分野に特化してる団体ってのは、どこでも技術なり知識なりでひとつやふたつは秘蔵っ子を抱き込んでるもんだ。うちの本家にも幾つかあったが、そのうちひとつがとある妖怪に関しての追跡調査だった」
集中する視線。
「な、なんだよ……! 何言ってるの?」
話を理解してというより凝視される本能的な怯えから、ユウが後退った。
反射的に前に進み出ようとする舞を、蟻巣塚が止める。
「やめなさい。逃げたところで主である楝くんがここにいるんじゃ、どのみち従僕は遠くへは行けない。……その契約から全てが狂ったんだけどな」
「……話してください」
かがりはユウを呼んだ。
しかし、何かに怯えたようにユウは近寄ってこようとしない。
「何もかもが、楝かがりにとって都合が良すぎる。
じゃあ楝くんにとって都合良く事が運んで、得をする奴は誰か?
そりゃ当然楝くん本人が一番だ。でもな、そんな危ない橋を渡るまでもなく、ここでの生活は安定してる。となるとじゃあ二番目は誰だ? いや、そもそもそれは本当に得するとかしないとかの勘定の上で行われた事なのか? 楝かがりの価値を持ち上げまくるという結果の後ろには誰の意志が、どういった力が介在している? 何百年も緩く呪われてきた平和な土地で、急にそんな力が働くようになった切っ掛けは何だ?」
その先を口にする間際、蟻巣塚の瞳が痛ましげに細くなった。
「話は――」
――この昼間原市に、一匹の狐が来たところから。
「とある山に、一匹の狐が産み落とされたところから始まる」
嗚呼。
そこからなのか。
そこから、もう始まっていたのか。
蟻巣塚の言葉により、かがりの中に一度も見た事のないユウの故郷の光景が描き出されていく。
「生まれながらにして高い霊格を持つ妖狐でありながら、その狐はえらく無力だった。
どんな生物の種にも不出来な個体というのは生まれるものだが、基本、そうした個体は淘汰か処分されるのが習わしだ。何故なら厳しい環境で出来損ないの一匹にかまけていたら、群れ全体に危険が及ぶ可能性があるからな。
ところが不思議と、その妖狐は生きるのに不自由しなかった。
無力なくせに無鉄砲という、半野生の集団には最も適さない性格の個体を、その群れは許容した。バカをやらかしてもフォローしてくれたし、何度失敗に終わっても妖狐としての能力を磨くのに付き合ってくれた。
明らかなお荷物の世話をみんなが焼いてくれたのは、それが許されるだけの余裕がある環境だったからだ。実り豊かな山は、英雄志願の狐の無鉄砲さを『しょうがないなあ』で済ませられる懐の広さを生んでいた。これらは楝くんの新しい報告書にあった、山にいた頃の狐くんの立ち位置の記載から推し量れる」
そうだ。ユウから聞いた、ユウが昼間原市へやって来る前の生活の話だ。弱者を見捨てない群れであった事は、この己が実力を顧みない夢見がちの狐にとって幸運だった。
「ところでだ。
皆はカッコウという鳥の名前を聞いて、真っ先に何を思い浮かべる?」
それは。
他と聞き間違えようのない、あの特徴的な鳴き声と。
「托卵だ」
かがりは生まれて始めて、他者の話に絶望を覚えた。
「この妖怪はな、他種族の群れに、その種族と瓜二つに擬態した雛を産み落とす。雛は成長し、やがて成体となって巣立つと郭公へ変容し、ペアを見付けてまた同じ事を繰り返す。そうやって、ただ世代を繋ぐだけの妖怪だ。火を吐いたり水を操ったりみたいな、妖怪らしい摩訶不思議な力は全く使えない。まぁ『だけ』ったって、世のほとんどの生き物はそうなんだけどさ。
この擬態は非常に強力かつ完璧で、見破るどころか疑う事さえできないし、雛自身も自分をその種族だと思い込んで育つ。現に今だって、こんな話を聞かされてる最中だってのに、その狐くんのやたら独創的な毛の色について、そういう色の狐なんだという考えから脱却できなくなってるだろ? オレだってそうだ。郭公の擬態は、単に姿形を似せて終わるようなもんじゃない。見る側の意識をそっくり固定しちまうんだ。
たぶんな、今のオレらの前にいるのは狐とは似ても似つかない生き物なんだよ。説明されても、観察しても、触っても、殺して解剖しても、本人含めて狐にしか見えなくなってるだけだ」
かがりの視界に、ユウの被毛が映り込む。
暗闇にも映える山吹色に、散りばめたような灰銀の混ざった、珍しい色の狐。
珍しい。確かに珍しいが、まあ――。
そんな事もあるだろう。
「本家が郭公と名付けたこの妖怪が、カッコウの妖怪なのかは分からない。というか、鳥なのかさえ分からない。なにせ本当の姿を誰も見られないんだからな。存在を認知しずっと追っかけてたうちでさえそうなんだ。郭公という名前も托卵という能力も、鳥のカッコウに似ている点になぞらえてそう呼んでいるに過ぎない。
自然界でもままあるこの習性は、それ単体ならまあ、珍しいとはいえ特筆すべき価値はあまりなかった。ところがな、この托卵に絡み、擬態と並んで郭公が持つもうひとつの能力がある。これこそが見破る事のできない擬態を見破る蟻の一穴となった」
「それは……何なのでしょう?」
「環境を変えちまうんだ」
問う舞に、蟻巣塚が答えた。
環境。それは即ち昼間原の。
「産み落とされた土地の……つまり巣の環境をな、徐々にあるいは一気に、丸ごと作り変えちまうんだよ。
郭公が意識してやる訳じゃない。そもそも当人は自分を妖怪だなんて思ってないんだから出来る訳がない。勝手に発動するんだ。ただそこにいるだけで、托卵された種族が暮らす土地は最適な環境へと改変される。あたかも、実際のカッコウの雛を、我が子だと思い込んだ別種の母鳥が育てるように。
恐るべき力だ。仔が成長して巣立つ為のセーフティネットが、災害に等しい効果を発揮する」
全員が、固唾を飲んで聞き入っていた。
特別な力を使う訳でもなしに、その種族だと思い込んで暮らしながら、周囲の環境を変容させていく生物。それが真実なら途轍もない脅威だという戦慄を、だが否定したのは続く蟻巣塚の言葉だった。
「ただ、これも実のところ大きな問題にはならないんだ」
「……え。ならないので?」
「ならないよ。
考えてもみなさい。山奥でひっそり暮らしてるなんかの集団がいたとして、その山の環境がちょっとやそっと変わったくらいでオレら気付くか? まずそんな大勢行かないだろ山に。
言い方は悪いが、ブレ幅の少ない原始的な社会ルールで運営されてるコミュニティに托卵された郭公は、別段問題も起こさない。それだけ周囲の自然に溶け込んだ暮らしをしてるって事だから、改変されても自然現象の範囲に収まるんだ。
ここで終わってれば、誰も郭公の存在に気付きさえしなかっただろう。
ところが――たまたま雛が人間の生活圏に産み落とされてしまうと、そこそこおかしな事になる」
「それでもそこそこなんですか。それ以前にたまたま産み落とすものなんですか? 意識して選ぶのではなく?」
「ああ、無作為だ。というより成体の郭公は群れに雛を産み落として死ぬか消えるかだけの存在に成り果て、まともな自我さえ持ってないんじゃないかと本家は結論付けていた。
だから、きつめの環境かつ弱い種族に托卵された郭公なんかは、普通に襲われたり病気したりで死んでるんだと思うよ。誰にも見破れない擬態ができるのと環境を変えちまうのは凄いが、本人は別に強くもなけりゃ特殊能力も持ってないんだからな。
預けられて、育って、巣立って繁殖するだけの妖怪なのさこいつらは」
残酷な事実が、蟻巣塚によって次々と明かされていく。
どうしてそんな妖怪が存在しているのかという疑問は成立しない。先程蟻巣塚が言ったように、子を成し、その子が育ち、番を見付けてまた子を成すというのは、生物の基本サイクルだからである。
哺乳類から昆虫まで、多種多様な生態は命を次代に繋ぐ為のもの。
郭公と名付けられた妖怪は、その手段が擬態と托卵であったに過ぎない。
「で、托卵の中でも特例といえる人間のコミュニティに産み落とされた場合だがな、基本そいつにとって暮らしやすくなる。やる事なす事やけに運のいい奴とか、なんか知らんが何でもうまくいく奴とか、おいしい思いばっかしてる奴とかいるだろ。ああいうのをもうちょい強めた環境が周囲に構築される。雛も自分を人間だと思い込んでるから、周りも本人もあいつはやたらツイてる、俺は恵まれてるくらいに思う程度で終わる。
そうやって子供時代を過ごして、成人に近くなった頃にいきなり失踪する訳だ。まあ……周りは心配するし悲しむだろうな」
「それは……親しい人たちは辛いでしょうね」
「飛んでった本人は覚えちゃいないがな。まるでかぐや姫だ。
でも、そううまくいかない場合もある。特に人の密集する都市部であればある程、その傾向が強い。
人の社会ってやつは複雑な要素が絡まり合い過ぎている。山奥の小川が増水しました、木の実がいっぱい取れましたじゃ済まない。あちらを立てればこちらが立たず。一方の環境を都合良く改変したせいで、もう一方にいきなり歪みが生じたりする。
例えばな、住んでる家の前の交通量が多くてうるさいからって、家の前の道路を通過する車が完全なゼロになったら異常事態だろ? 本家が郭公の特定に至った経緯もまさにこういうのだ」
「あ……」
思わずかがりは声を漏らしていた。
昼間原まつりの幻が発生していた最中、かがり達は車道を歩いていたにも関わらず事故には遭わなかった。疑問のひとつとして記憶していたが、もしもあれが、実際に自動車やバイクが一切通過していかなかったからなのだとしたら。
あの日のあの数時間、あの車道を走る筈だった全ての車に、たまたま他の用事ができて別の道を通った、たまたま故障が発生した、体調が悪くなった、なんとなく通りたくなくなったといった偶然が発生したというのか。昼間原市に入った途端に。そして祭りの範囲内に巻き込まれた市民たちは、幻の中にいたが故に目の前の異常を異常として知覚できなかった。
馬鹿げているとしか言えない。街の一角を包む大規模な幻術どころの話ではない。幻や誤魔化しではなく、限られた領域内とはいえ現実に世界の在り方を変えてしまっている事になる。
(だが、そうか――)
それが、出来るというのか。
戦う力も優れた才能も持たず、ただそこにいるだけで自覚もコントロールも無いまま自分の育つ世界を作り変える。
何も出来ない為これ以上なく無害で、だがこれ以上ない脅威ともなり得る妖怪。
しかしならば何故、昼間原市の異変は加速度的に危険な方向へと向かっていったのだろう。敵性体と名付けたあれらが定期的に現れては暴れ回る土地など、どう考えても暮らしやすいの真逆である。
「分類するなら、今回のは元々前者だった。
山中の閉じた妖怪コミュニティに産み落とされた郭公の雛は、山を巣とし、大きな混乱も撒き散らさずいずれ巣立つ筈だった。
ところが、ここにふたつの偶然が重なってしまった。
ひとつめはその郭公の得た自我が、英雄志願なんていう今どき妖怪でも流行らない夢を持っていた事。もうひとつは――」
蟻巣塚が、先程から一切の反応をなくしているユウを見る。
心底言いたくなさそうに顔を顰め、それでも言った。
「夢が高じたのと迫る巣立ちの時期が重なったせいで、その郭公の雛は生まれた地を離れて人の都市に来てしまった。英雄願望が本来の巣立ちを少しばかり早めた結果、環境改変能力を持ったままの郭公が外部へ放たれてしまった。
それでも、この段階ではまだ大丈夫だったんだ。
よりによってその都市が大昔に死んだ蛭の呪いに蝕まれていて、呪いにより生まれる妖を駆除する祓い屋が常駐なんかしていなければ、今年はやけにネズミが多いな、過ごしやすい気候だな、でも市内で起きる事故や事件が例年より多くないか?くらいで済んでただろう。暮らしやすく、それでいて誰かの役に立ちたいという願望を満たす――」
ああ、とかがりは溜息をつく。舞の溜息がそれに重なった。
眩草はほうほうといちいち相槌を打ちながら感心している。
脆く頼りなく今にも崩れそうなものの、ようやく最初から最後まで一本の橋が渡された気がした。




