表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/86

昼間原狂騒・嚆矢 - 18

轟音と爆風。

おそらくユウのものであろう高い悲鳴があがる。

かがりは咄嗟に顔を庇う。

蟻巣塚と舞は素早く数歩下がり、破裂した壁と向かい合う位置を取った。


「……出やがったか」


粉塵の先がろくに見えもしないうちから、蟻巣塚は呟いていた。

壁に開いた大穴の向こう側に、立つ人影がある。

木材と石膏と繊維混じりの砕けた壁をずしゃりと踏み、前方へと歩み出たのは黒い甲冑姿の男。ぼんやりした輪郭。やや曲がった背。全身を包むごつごつと角張った鎧兜。手には抜き身の刀。


それは、敵性体であった。

姿形は少しずつ異なれど、共通する特徴を備えたあの存在が、蟻巣塚の家の壁を破壊して現れたのだ。


「人家も大概まばらな、もはや野山に近い、暴れるのも騙すのも意味の薄いこの土地にまで現れたか。

同じ範囲を幻術にかけたとして、中心部なら100人巻き込めるところをこちらなら10人行くかどうか。どんなに暴れようと、建物が壊れるよりも畑と草木が燃えるだけ。だったら、市の外れに引っ掛かってるようなここをわざわざ惑わせる意味がどこにある」

「主殿!」


舞が警戒を促す。

二人の注意は今、完全にかがり達から逸れていた。逃げるなら絶好の好機だろう。図らずも敵性体が足止め役となっており、いくらあの二人でも迂闊にこちらに構ってはいられない。逃げた場合は二人を見捨てる事になるが、このような目に遭わされてまで心を痛める義理はない筈だ。

それに、まだ眩草がいる。あの男がいる限り、戦力としてはかがりなどいてもいなくても同じである。


――そうだ、眩草はどこに?


かがりが思うと同時に、正面の襖をぶち破って眩草が突っ込んできた。

鼈甲色の手甲が、今まさに蟻巣塚たちに躍りかからんとしていた敵性体に撃ち込まれる。

一瞬、人の上半身が半分の薄さになったかのように錯覚した。

バットで殴った野球ボールのような勢いで、武装した成人大の体が吹き飛ぶ。

敵性体はかがりの真横の襖を直撃し、そのまま襖もガラス戸もまとめて突き破ると庭に墜落した。大きく地面で跳ね、半ばまで転がって止まる。

敵は――逃げない。死んでもいない。

地面に腕をついて起き上がった敵性体の体は、大きくひしゃげていた。

特に拳の直撃を受けた首から肩、胸にかけては体内で爆発が起きたかのように大穴が空き、周辺部位が四方へ爆ぜている。

立ち枯れ、半ばから折れた樹木を思わせる姿となって尚、黒々とした影は起き上がろうとする。

頭上遠くに輝く月が、夜空と庭とを蒼く照らしていた。


全員が固唾を飲んで見守る前で、ほとんど千切れ飛んでいた体が元の形状を取り戻していく。

鎧武者と言われて多くの者が大雑把に思い浮かべるであろう、鎧に刀、角のような前立を取り付けた兜。

敵性体は初めて見る姿をしていた。が、かがりはどことなく既視感を覚える。

逃げるタイミングを見失ってしまっていたユウが、喘ぐように呟く。


「あいつ……最初に公園に出た奴そっくりだ……」

「ああ、あんな姿してたのかい。まぁそりゃそうだな。昼以降これといって兵種の話題になってないんだから、ざっくりした武将イメージになるか」


反応されて、ユウが驚いたように蟻巣塚を見上げる。

いつでも逃げられる状態のかがりとユウを制止さえせず、あまつさえ平然と話に応じてみせるとは。

そうか、とかがりは納得する。これは一番最初に昼間原八岩公園に現れた敵性体、ノヅチと名付けられた個体に似ているのだ。あの黒い風船の本当の姿はユウにしか見えずじまいだったが、そう言われれば体が覚えていたのも納得できる。


「はっははは! 効かないですねえ!

それならこれはどうかな?」


眩草が縁側から飛んだ。

巨体に似合わぬ羽のような軽さで跳躍した眩草は、何故か敵性体を無視して、庭に置かれていた石灯籠の前に降り立つ。

まさか。

誰もが予想し、そして否定した通りの事を眩草はやった。

手甲を嵌めた両手で、石灯籠の柱を掴む。ぐん、と逞しい下肢に力が漲った。


「ぬふうん!」


クレーンがなければ移動できない石灯籠を、眩草はあっさりと素手で引き抜く。公園で岩を抱え上げる姿を目撃していなければ仰天していただろう。

棍棒でも槍でもない、もはや鈍器としか称しようがないそれを竹刀でも扱うかのように中段に構えたまま、眩草は地を蹴った。走ったのだ。何百キロあるのかも分からない石灯籠の柱から上を両手で掴んで。


「せええいっ!」


刀を構えようとしていた敵性体の腕ごと、横薙ぎに薙ぎ払う。

堪らず、敵性体は地上をバウンドしながら転がっていった。直に殴った時よりも威力が落ちて見えるのはどういう事なのか。

眩草は尚もそれを追い、今度は石灯籠を軽々と上段に構える。


「フゥーッ、ハァーッ!!」


這いつくばる敵性体を、袈裟懸けに殴り飛ばした。

形容しがたい圧搾音がし、眩草の力に負けた石灯籠がとうとう中央から折れて砕けた。人間の頭くらいはある石片が、ごろごろと飛び散って庭を転がる。


「脆いですね! でも大丈夫、あっちにもう一個あります!」

「おいおい……」


嬉々として対の石灯籠に走っていく眩草に、蟻巣塚が呆れ声を漏らす。何が大丈夫なのかは全く分からない。おそらく言っている眩草も分かっていない。


「ま……始まったら一通り自由にやってくれっつったのはオレだから文句言えないけどよ」


視線が投げやりに眩草を離れ、かがりの方を向いた。


「本当にすまなかった。腹立たしく悲しく、何より怖かっただろう。でも、もうひと踏ん張りだ」


かがりが息を呑む。

ユウはかがりと蟻巣塚と庭との間で視線を行ったり来たりさせており、急転直下の事態にどう動いていいか分からなくなっているようだ。


「ぬうん!」


その間にも、庭では一方的な蹂躙劇が繰り広げられていた。

今度は片腕で石灯籠を担いできた眩草は、立ち上がりかけている敵性体を見るや、駆け寄って真っ直ぐに突き込んだ。即席の破城鎚をまともに食らった敵性体が仰向けに倒れ、その膝と腿を眩草の靴底がまとめて踏みつける。音を立てて、膝の関節が逆のくの字型に曲がった。踏み付けの反動で上半身が跳ね上がる。

眩草が大上段に石灯籠を構えた。頭上にほぼ垂直に石灯籠が立ち上がる。その手は、柱部分の底に近い箇所を掴んでいる。


「おりゃああああああ!!」


振り下ろしはしなかった。

眩草はそのまま、いまだ塞がり切らずに空いている上半身の大穴目掛けて、柱を垂直に打ち込んだのである。ずどん、と大砲を撃ったかのような太い轟音が響く。衝撃で敵性体の全身が膨れ上がるように震えた。

否、事実膨れ上がってはいたのだろう。その証拠に、地を這う風圧すら錯覚する一撃が加えられたのにも関わらず、もう敵性体の体は跳ね飛ばされなかった。


固定されていたから。


石灯籠が、人体に縦に突き刺さっていた。

最初の打撃により炸裂した首から肩、胸にかけての傷口へ垂直に打ち込まれた石灯籠は、勢いのあまりそのまま腹を抜けて下肢へと貫通し、地面まで抜けていた。限界まで強引に押し広げられた人体は、裂けなかった箇所は極度に薄くなって風船のように膨れ上がり、奇妙な被膜となって柱を覆っている。

この世の光景とは思えなかった。

かがり達が最初に見た敵性体は、黒い風船に似た姿をしてはいた。だがそれは本当の姿が見破れなかったからであって、上から下へ垂直に石柱を通したからではない。まるで工事現場の杭打ちだった。もっとも、あれは機械を用いて行うが。


「いかがでしょうアリスさん、今度は僕の両手を自由にしたままの状態で捕まえてみせました!」

「…………どうも」

「でも効いていませんね! ええ、これはもう倒せないのでも死なないのでもなく根本的に効いていないのです! それとこっちのは壊れませんでしたから、いい石灯籠です。大切にしてあげてください! その点最初のはダメですね! 見てください、粉々になっている!」


最初の石灯籠をぼろくそに貶しながら、捕獲という行為を根本的に勘違いしている眩草が戻ってきた。とはいえ効いていないというのは正しく、あの状態から全身をめりめりと引き裂くように捻りながらの再生が始まっている。

蟻巣塚は呆れたように感心したように小さく首を振ると、立ち尽くしていたかがりを見た。目の前の光景に圧倒されるばかりだったかがりが、目が合って我に返る。

ユウが再びかがりを庇って前に立ち、姿勢を低くして唸った。


「楝くん、とどめをお願い」

「……なに?」

「あのまんまじゃキリがないから倒してくれ。知ってるだろう、敵性体はあなたじゃないと倒せない。体も気持ちもしんどい状態だろうが頼む」

「ふざけるなっ!! かがりにあんな事しておいて何が倒してくれだっ!!」

「……待て、ユウ。その事ならさっき謝っていた」

「かがり!? あんなので許すのかよ!?

いきなり捕まえて、話も聞かずに檻なんかに閉じ込めて、酷い事ばっか言って、ごめんで済むような事じゃないだろっ!!」

「だからだ。こいつらには是が非でも理由を説明してもらわなくちゃならない。その為にはあれが生きたままだと邪魔なんだよ」


自分の体を引き千切りながら元に戻りつつある敵性体を見て、かがりは言った。

すまなかったと詫びてきた蟻巣塚。直後の、励ますような発言。そして、いつでも逃亡を試みられるかがりとユウを誰一人牽制さえしない不自然さは、明らかに示し合わせてのものである。

謝罪するというなら、あのような言語道断な暴挙を企てた首謀者として先に詳細を吐き出させねばならない。しかし肝心の説明するという行為が、今のままの状態では難しい。


「……そうかも……だけどさ、そんな事したら……」


息巻くのこそやめたものの、ユウは全く気が進まない様子だった。

倒したら、またかがりが因縁をつけられるのではないかと不安がっているらしい。ユウにしてみれば、それよりは復活した敵性体を囮にして逃げた方がと余程勧めたいところだろう。思っていても口にしないのは、ひとえに英雄らしくない行為だという矜持故にだった。

そんなユウを褒めるように安心させるように一度頷いてみせると、かがりは蟻巣塚に向き直る。


「やります。取り上げた道具を返してください」

「いや……道具はなしだ」

「は?」

「何言ってるんだよ!?」

「最初のヤツを倒した時は素手だったんだろ? 取り立てて驚く事でもないさ。それにな、たぶん、いらないよ道具」


たぶんと言いながら、蟻巣塚にははっきりした確信があるように見えた。

確かに素手ではあったが、一応呪具は握っていたのだが――。

かがりは考える。あまり時間はない。


「必要な事なんですね?」

「オレはそう思ってる」

「いいでしょう。やられたら迅速な手当てを望みますよ」

「ああ。やられたら、な」


もう、この場でこれ以上尋ねる気はなかった。

長く息を吐き出しながら、かがりは串刺しから抜け出しかかっている敵性体の元へ向かう。護衛のつもりか、後ろをユウがついてくる。世界から取り残されたような心境の中、その小さな後詰めが頼もしい。

見据える敵性体は、人体の七割ほどを修復しかかっていた。今までの再生速度と比べて遅いのは、それだけ眩草による損壊の程度が甚大だったのを証明している。

そして考えてみればこれは、ダメージは深くとも決して消滅はさせない範囲に留めているという事でもあった。公園では消し飛ばすや即座に無傷で復活してしまったからこその、あえて消滅させない策であろうが、眩草があの大雑把に見える攻撃でどうやってその調整をしているのかはまるで不明である。


蠢く黒い人影の前にかがりは立つ。

間近まで来ると、さすがに緊張で背筋がざわついた。

全生物における共通した弱点のひとつ、頭部を狙い、拳を構える。

あと二歩踏み込んで、殴れば当たる。それは同時に、敵性体が握る刀の間合いに入る事でもあった。

かがり、と背後からか細い声がする。

危ないからやめろと言いたかったのであろうユウの声を号令として、かがりは勢い良く踏み込んだ。

即座に敵性体が反応する。掲げた刃が月光を受けて閃く。この距離だ、たとえ打撃が命中しようと斬られるのは避けられない。相打ちに持ち込むのも充分可能だというのに、振り下ろされる片腕の動きはやけに遅く――。


(ああ)


これとそっくりの光景を、かがりは前に見た。

舞とユウが捨て身で作った隙をつき、敵性体ノヅチへ殴りかかっていった時だ。

ユウを討たんと頭上に刀を構える動作も、拳を敵にめり込ませる瞬間も、あんなに俊敏だった敵の動きを不思議と緩慢に感じた。極度の緊張と興奮が一時的に脳を活性化させたからだろうと、深く考える事もなかったが。

もしも、もしもだ。

本当に、ただ遅かっただけだったのだとしたら。


ああ、そうか。

そうなのか。

相変わらず何ひとつ分からないままだけれど、そうだったのか。


漠然とした納得に包まれながら、武器も符も持たない素手の一撃を繰り出す。

顔面を打たれた敵性体は大きく仰け反り、どくんと全身を一度波打たせるや、内側から目も眩むばかりの強烈な光を放ち、消える。

刀は、かがりに届く半ばにさえ達していなかった。






これよりも少し時は遡る。

同蟻巣塚邸。太陽がまだ空に輝いていた時分。


かがりを幽閉した地下室を退去すると、蟻巣塚たちは地下室への階段から最も近い部屋に入った。

襖の向こう側には、12畳ばかりの間取りがある和室が広がっている。

奥には床の間と掛け軸、花の活けられていない壺。中央にケヤキの座卓が置かれた室内はすっきりと広く、一見すると旅館のようでもあった。隅に積まれた座布団や、見やすい位置にある大型テレビなどから、格式張らない来客のもてなしの場として使われているのだろう。片側は裏庭に面しているとあって、採光も良い。

ただし縁側には鍵付きのガラス戸が設けられている為、仮に部屋を出られても即座に屋外へ逃亡するのは難しくなっている。

仕事を終えて休憩を取りに来た――という訳ではなかった。

蟻巣塚は舞や眩草に座布団を勧めるでもなく、二人もまた座卓の方へ向かうでもなく立ったままでいる。


「狐くんはとりあえずここでいいかね。

座布団ぐらいは敷いてやるよ。その姿勢で畳に直じゃ痛むだろ」


ユウは黙っている。

蟻巣塚が持ってきた座布団の上に舞が乗せようとすると、ユウは身を捻って抵抗の意志を示した。


「いらんの?」

「かがりはもっと痛い」


やむを得ず舞が畳に直接置くと暴れなくはなったが、その眼はずっと蟻巣塚を睨んでいる。


「かがりが可哀想だ。

あんな場所で。畳なんかよりもっと固い床で。縛られて。一人にされて。ずっと町のみんなを守ろうと頑張ってきたのに、あんまりだよ。なんであんな事ができるんだよ」

「まあ死にたくなるわな。おっと唸るな唸るな。

なにも狐くんまで閉じ込める気はないんだ。騒いだり暴れたりしないなら紐だって外してやってもいい。でも大人しく待ってまぁすなんて約束しちゃくれないだろ?」

「当たり前だっ!!」

「だからさ。紐は外せないけど檻に入れるまではしないよって事。ああ、噛み切ろうとか引き千切ろうなんて考えるなよ? 無駄だからね。そいつはそんなにヤワな作りじゃないし、決められた時間になるまでは決して解けない。余計な真似して手間かけさせてくれるなよ」

「ぐ……」


ユウが、悔しそうに手足を縛る紐へ目をやった。

体を曲げれば、辛うじて鼻先は届く。時間をかけ、犬歯を使って少しずつ繊維を解していく事も可能かもしれない。だが、自由になるまで放っておいてはくれないだろう。ましてや呪具では。

憎悪を顕にするユウをひとつ鼻で笑うと、蟻巣塚は踵を返した。


「どこに行くんだよ!

俺を置いてくな! かがりの所に戻せ!」

「んじゃね。時々霜走くんが様子見にくるからさ」

「うるさいっ!! 戻ってこいよお前らっ、かがりに何かしたら――」


ぴしゃりと襖が閉じた。

微かな音はまだ襖の向こうから伝わってくるが、意味を成す言葉としては聞き取れない。

蟻巣塚は振り返り、後について廊下に出ていた舞と眩草に目配せをした。ワックスで光る板張りの廊下を歩き、ユウを置き去りにした和室とは正反対の位置にある部屋へ向かう。途中にあった二部屋の横を通過し、やがてありふれた木製の扉が一同を出迎えた。

この建物は外観こそ純和風だが、内部まで全て和室という訳ではない。

扉を開けると、庭から日の差し込むリビングが広がっていた。つくづく、一人で生活するには広すぎる家である。

ここで蟻巣塚は、初めて眩草と舞にソファにかけるよう勧めた。

そう言われても舞は相変わらず立ったままでいるが、眩草は何の遠慮もなく、嬉しそうにどさりとソファに巨体を沈める。当然ながら公園からそのまま直行した為、着替えている暇などなく、作業着はどこもかしこも泥まみれのままだ。挙句、こちらも装着しっぱなしだった手甲に付着した汚れを手で払い始めたので、さすがに蟻巣塚も止めた。


「……ひとまずこれで一段落と。結構な仕事ぶりだったよ霜走くん、ご苦労さま。しっかし本当に忍者だったんだな。折れって言えば折ってたっしょアレ」

「折っていましたよ、忍者ですので。気分は最悪になっていたでしょうけれども。いたでしょうというか最悪といえば今も最悪な気分です」

「たりめーだ。あれに喜び感じるような性的倒錯者はうちの職場には要りません。あ、監視カメラのスイッチ入ってるよね? オーケー。早まるタイプじゃないと思うけど、一応な。念の為、一、二時間置きくらいに様子も見に行け。あとまあ……もし必要そうなら下にもお手洗いあるから……」

「いちいち言われなくてもそのくらい気に留めてますから気持ち悪い事情を気にするのはやめて頂きたい気持ち悪い。あとお手洗いという言い方が更に気持ち悪いです」

「あんまボロクソに言われるとおっちゃんでも傷付くから」


ルームチェストを開けてタオルを探している蟻巣塚に、眩草がひとり陽気に声をかけた。


「なかなか激動の半日でした!

発掘作業から戦闘へ移行したかと思いきや成人女性を誘拐監禁し、あまつさえ監視カメラで四六時中生態を覗き見するだなんて! カタンにおいても全く縁がない種類の犯罪です! 殺す事はあっても攫う事はありませんからね、我々は!」

「いやカタン関係なく普通は一生縁がないですよ」


引き出しの底から出てきた、いつ貰ったか忘れた粗品のバスタオルのビニール袋を破りながら、蟻巣塚が言う。


「眩草さんもありがとうございました。念の為に詳細はお伝えしないままでしたが、こちらの思った通りに動いてくださってほっとしています」

「明日もしも私が指示するような事があったら、どんな緊急事態が発生してもその通りに行動してくださいと、打ち合わせの後でわざわざ部屋まで訪ねてきて頭を下げられていましたからね。深々と、ええ深々と!

しかしその『念の為に』という言葉、僕が良心から指示に反してフッチーさんを庇うのを防ぐというニュアンスではありませんね? もしかして中身を教えてくれないという行為自体の方に掛かっていますか?」


どこまでも鋭い男だ。

濡れタオルの準備と紅茶用の湯を沸かす為、リビングと地続きのキッチンへ向かっていた蟻巣塚は舌を巻いた。


「申し訳ないですが、そのままもう少しお付き合い頂きます。

眩草さん、今のうちに家の中と庭と、ついでに家周囲の地形を見て構造を把握しておいてください。そうですな、どの方位からでも即時対応できるように」

「何か来るんですかな?」


真新しい紅茶の缶を棚から取り出しながら、蟻巣塚は躊躇わずに言い切った。


「来ます」






支えを失った石灯籠が、どさりと横倒しになる。

立ち尽くす足に、地面が揺れる微かな振動を感じた。

予想通りに、あるいは予定通りに敵性体を殺したばかりの自分の手を、かがりは見る。素手で倒したのは敵性体ノヅチに続いてだが、あの時には仮にも複数の呪具を握っていた。今回はそれもない。

かがりは胸中で呟く。誓って、自分はこれの発生に関わっていないと。

しかし、関わっていなくとも関わりがあるのは間違いない。

とどめを刺すのが常に自分であった事。それどころか自分の張った罠にばかりかかる事。騎兵、敵性体ヤリモチを倒した頃からうっすらと頭の中にはあった疑問だ。蟻巣塚が不審に感じたのも理解できる。

それでも、本当に心当たりはない。街の一角を丸ごと包むような幻を作る技術は、自分にはないのだ。


「倒したな。当然か。

倒される為の存在なら、そりゃ素手でも死ぬだろうさ」

「……市長……」


振り向けば、蟻巣塚と舞、そして眩草が集まっている。

ユウは三人を警戒しているものの、かがりが蟻巣塚の予告通りに敵性体を倒すところを見ているので困惑もしていた。

今更逃げようという気は湧いてこない。ここへ連れてこられるまでに繰り返した弁明を、かがりはもう一度口にする。


「敵性体と私との間に、何らかの関連性があるのは認めます。

いや、こうなっては認めるしかない。カタンに倒せない相手を、私が素手で殴って殺せる訳がありません。……でも、信じてください。私は本当に何も」

「うん、分かっているよ。人道を外れた手荒な真似をして申し訳なかった」


蟻巣塚は静かに頷き、再び詫びた。

そこに先程までの嘲りや悪意は微塵もない。自らの過ちに気付いたというよりは、ようやく馬鹿げた真似をやめられるという安堵した様子だった。

今までの徹底して冷淡な表情はどこへやら、隣に立つ舞はべそをかいている。


「業者が来れないって、そんな訳ないがな。

公園に置かせた機器は定期的に移動させてたんだし、向こうさんだっていつ予定が入ってもいいようにしてくれてた。そうじゃなくても、市内中探せばどうにか当日来てくれる会社のひとつぐらい見付かるよ。

だから、わざと呼ばなかった。こうなるのが分かってて巻き込めないからね。危険って意味でも、目撃者を極力減らすって意味でも」

「自分は……口裏合わせを命じられておりました。どんなに無理があろうと、呼べないで押し通せと。……すみません楝殿、こんな事になってしまって……すみませんっ……! 此度の自分は最初から今まで嘘まみれでする。ううう……」

「全て分かっていたのですか。なぜ……」


驚きは然程大きくなかった。

蟻巣塚や舞の態度は、限度を超えてあまりにもおかしかったからだ。スケープゴートを仕立て上げて何事かを企てているのかもしれないとも思ったが、全部出鱈目だったという方がずっと説得力がある。

が、不可解さは残る。

昼からの無茶苦茶な誘拐監禁劇が、陰謀でなければ、かがりの犯行を疑って行われた訳でもないのは伝わったものの、ではどうしてという動機の部分がすとんと欠落している。

大丈夫、ちゃんと話すよと、かがりに聞かれる前に蟻巣塚が言った。


「化け蛭も呪いも生贄話も、ゼロじゃないけど事の本質にはあんまり関係ないんだ。今回カタンを招いたのはね、土地の観察と敵の探索っていうどう考えても不向きな仕事をお願いしたくてじゃない。こいつに倒せない奴はいないぞってぐらい桁違いの実力者でも倒せない敵を、楝かがりが倒すのを確認するのが目的だった。

どんな恐るべき使い手よりも楝かがりの方が上なのだと、故に昼間原市にとって価値があるのだと示せる環境を作ってやる為だった。正確には、示せる環境をとある者に作らせる為だ」


蟻巣塚奏詞という男には確信があった。

彼は前例を知っていたからだ。

少しずつ積み重なっていた齟齬は、敵性体ヤリモチとの一戦を終えるや閾値を超え、ひと飛びに九割の像を結んだ。

だから欲しかったのは、あとひと押し。偶然という言葉を完全否定するに足る、絶対的な力への優勢。

それはこうして得られた。得られたからには、解は導かれねばならない。

ここに、式は完成を見る。


「そうだろう。妖怪、郭公」


下ろした視線の先には、ユウがいた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ