昼間原狂騒・嚆矢 - 14
蟻巣塚の自宅は、昼間原市の外れも外れにあった。
赤茶けた煉瓦と植え込みで作られた生垣を抜け、ワゴン車が広い庭に滑り込み、停まる。次第に落ち始めている太陽が、車内から降りてきた蟻巣塚たちを明るく照らした。
ここまで来ると商店どころか人家そのものが激減しており、家の周辺には一面の田畑や竹藪が広がっている。畑まで含めて蟻巣塚の土地なのか、軽く100メートルは離れた隣家の所有地なのかまでは定かではない。
ぽつぽつと建てられた住宅と送電線程度しか、人工物の見当たらない土地。
一軒家を構えるなら地価の安さから最適だろうが、そのぶん通勤通学や買い物、通院といった日常生活での利便性においては劣る。ここはそんな場所だった。ひとつ言えるのは、騒いで助けを求めるのは一層難しくなったという事である。
半ば舞に引き摺られながら、かがりも車を降ろされた。
蟻巣塚が自分の家と呼んだ建物が目に入る。
和風の家だった。平屋建ての建物は、ざっと眺めた横幅だけで、かがりの家を数軒分並べてまだ余る。一人で生活するには大きすぎるが、地方行政の長の住居と考えればそう無理のない規模だった。
庭も広々と取られており、石灯籠が立つ小さな池の側には松や椿が植えられている。庭木も生垣も伸び放題という事はなく、よく整えられていた。定期的に業者の手が入っているのだろう。できれば今来て欲しいものだがと、かがりは見上げる空の青さを呪った。
「どうぞ。少々散らかっておりますが」
蟻巣塚が玄関扉の鍵を開け、おどけた口調で促す。
公園の時と同じく、舞がかがりを背負うようにして建物の中へ運ぶ。抵抗らしい抵抗はできなかった。こうなるのを見越して、舞がユウを眩草に預けていたからである。騒げばどうなるかという暗黙の脅しだった。何も起こらない可能性はあるが、賭けてみる気にはなれない。
掴まれる際に唯一自由な首を捻って噛み付こうとしていたユウも、舞が無言でかがりの首に手をかけると静かになる。互いが互いへの人質になってしまっている状況に、かがりは吐き気を覚えた。
よしんば自由に叫べる状況にあったとしても、家の敷地は広く、かつ外周を囲む煉瓦と植え込みの垣根に視界を遮断されており、隣家までの距離も遠い。おまけに唯一遮蔽物のない門と玄関との間に眩草が立ち、その巨体で外からの視線を塞いでいる。仮に通りすがる者がいたとしても、まとまった来客がいるな程度にしか思うまい。第三者による救助は、期待できなかった。
最後に眩草が玄関を跨ぎ、戸の鍵は再び閉じられる。
ガラガラと鳴るどうという事のない日常音が、かがりには引かれてくるギロチン台の車輪の音に聞こえた。
「やーれやれだ、やっと人目に気を使わなくて良くなったわ」
「……こっちの扱いにも気を使ってほしいものですね」
屋内なら多少の大声を出しても痛めつけられないと判断し、かがりが毒づく。
出迎えの者の姿はなく、生活の匂いはあるが人の気配は感じられない。当たり前とはいえ、独身という話は嘘ではなかったようだ。この家に一人だと掃除が大変だろうなと、場違いな感想がかがりに浮かぶ。さすがに口に出す気にはなれなかったが。
「ご立派なお住まいですね!
炊事洗濯もご自分でなさっているのですか? 市長という多忙な身でありながら実に感心です! クッキングアリスさんとお呼びしても?」
「蟻巣塚です。食事は外食がほとんどで、掃除などは決まった日にハウスクリーニングに来てもらっています。入ってほしくない場所は自分で片付けていますけどね」
かがりは溜息をついた。
玄関から真っ直ぐに伸びる廊下を通って奥へ進み、突き当りを右に。更にその先を道なりに右へ曲がる。やはり個人の邸宅としては、かなりの広さだ。
そこでかがりは、平屋建ての家では通常存在しない筈のものを見た。
階段である。ただし、上ではなく下へと続いている。
「地下室……!」
「その通り。カビたりしてないから呼吸器やられる心配はいらないよ。換気や水回りもちゃんと整備してあるしね」
どこまでも茶化しながら、蟻巣塚が指に引っ掛けた鍵をくるくると回してみせた。
これ以下はないと思っていた最悪の状況が秒刻みで更新されていく現実に、もはや怒りも沸かない。全力で暴れれば舞を巻き込んで落下するくらいの事は出来るかもしれないが、成功したとしてその後どうなるという話だ。
ほとんど抵抗らしい抵抗も出来ないまま、かがりとユウは地下室に連れ込まれた。
扉が開くと、溜まっていた空気が流れ出してきてかがりの頬を撫でる。
換気扇の低い唸りが耳に届く。蟻巣塚の言う通り空調は効いているらしく、おかしな匂いがしたり、蒸し暑かったりする事もない。パチリと何かの割れるような高い音がした。蟻巣塚が壁のスイッチを押したのだ。真っ暗だった空間に、ぱっと光が灯る。
薄暗くはない。むしろ明るすぎる程照明の行き届いた室内の光景が、そっと床に座らされたかがりの目に入る。
仕切りがない一室のせいか、小規模な講堂くらいの広さがあった。
目につくのは、各所に設置された植木鉢や水槽だ。台の上に整然と並べられているものもあれば、床に直接置かれているものもある。片隅には屋内用のガラス温室まであり、その中にもやはり水槽が置かれている。脇には複数の睡蓮鉢があった。他に幾つか布を掛けられているものがあり、それらの中身は見えない。
一見すれば巨大な温室かペットショップのような印象を受けるが、奇妙な事に、大小様々な容器にはどれも中身が入っていなかった。まるで家だけを残して、住人がそっくりそのまま夜逃げしてしまったかのようだ。
(そうだ、ユウは――)
背後に向かって首を捻ると、床に転がされたユウと目が合った。
悲しげな顔をしているユウを撫でてやる事はできない。代わりに、大丈夫だと頷いてやった。
「ここは……何の部屋なんです」
拷問部屋にでも連れ込まれるのかと思いきや、際立って異常な光景ではない。
だが、おかしい事はおかしい。この部屋からは、日頃利用されている形跡が感じられないのだ。
蟻巣塚は、特に隠す訳でもなく答えた。
「オレの生家はもともと全然違う事やってた本家から独立したって話は、だいぶ前に聞かせたろ。
といっても、分かれたからといって本家との交流を完全に断ってた訳じゃないんだよ。季節の変わり目の挨拶程度だが、ぼちぼち付き合いはあった。理由は、万一あっちに何かあって断絶した時に合流を可能にする為だ。
要は受け皿だな。縁もゆかりもない所に吸収されるよりか、まだ縁者にくれてやった方が心情的にはマシってやつさ。変なところでプライドあるからな、オレらみたいな家系ってよ」
空っぽの水槽群を面倒臭そうに眺め回しながら、蟻巣塚の説明は続く。
この地下室もその一環として家を新築する際に追加された部屋で、表向きは趣味のオーディオルームの騒音対策になっているのだと、喉を擦りながら皮肉げに笑う。
短距離走の練習に使えるくらい離れた隣家との距離を考えれば、一体何の騒音対策を講じる必要があるというのか。この辺りは昼間原市でも特に外れに位置しており、周囲にあるものといえば林や竹藪、田畑に山。オーディオなど最大音量で鳴らし続けてもそうそう苦情はくるまい。
「うちの家系は元々、生体を得意としてた。
声の方の声帯じゃなくて生物の方の生体だ。生き物係さ。
おかげでオレも実家をおん出る前は、声を使った術の他に生物の基礎的な扱いも教え込まれた。この地下室は、本来ならそういった触媒に用いる類の生き物を管理する飼育場だ。新しい住処に長男として最低限の体裁を整える事が、オレが家を抜けて昼間原市で市長に就く為の条件だった。
……といっても生家には弟が残ってるから、今後もオレにお呼びがかかる事はまずないだろう。結果として無駄なスペース食いの物置きと化してたんだが、まァまさかこんな形で役に立つとはねえ」
どうりで換気や空調、そして照明や水回りまでもが整えられている筈だと、かがりは合点がいった。動植物を飼育するなら、それらは必要不可欠となる。触媒用の育成法でも基礎は変わらない。
「で、ほらさ、飼育っていえばね、こういうのもある訳よ」
水槽や鉢の間を横切って部屋の最も奥まで行くと、蟻巣塚はそこにあったものに掛かっていたカバーを剥ぎ取った。カバー越しに見えた形状は四角く、かなりの幅があり、衣装箪笥を幾つも横に並べたように見える。
少し前に、風香の家でも同じやり取りがあった。
あの時カバーの下から出てきたのは奇妙なキメラ剥製だったが、飼育場だというこの部屋では――。
「じゃじゃーん」
推測は当たって欲しくない時に限って百発百中となる。
黄色いビニールカバーの下から現れたのは、巨大な檻であった。
部屋の中央のスペースを、おいしょ、と蟻巣塚が押してくる。車輪が付いていないのでなかなか前に進まなかったが、眩草が助けに入ってからは竹細工のように軽々と移動を終えた。
大型犬どころか猛獣でも収容できそうな檻が、かがりの目の前で大口を開けている。材質は色合いからすると鉄ではなくステンレスと思われた。ずっと放置されていたせいか、若干端が錆びかけている。
「はっきり言って中型犬がギリギリで、それよりでかい獣って触媒には向いてないんだよね。コストかかるし手間かかるし危ないし。儀式で使うならまだしも触媒にするもんじゃない」
「専門知識を惜しげもなく披露して頂いてどうも。……まさか入れる気じゃないでしょうね」
「霜走くん、持ち物取り上げちゃって」
「失礼します」
「っ!」
舞は屈むと、かがりの腰からウエストポーチを外し、更にポケットの中などを探っては呪符や呪具を取り出していく。最後の命綱でもあった全ての仕事道具を奪われ、これでかがりはまともな抵抗手段を完全に失ってしまった事になる。
探し忘れがないのを確認すると、舞はかがりの体を抱え、有無を言わさず檻の中へ入れた。かがりは腰から下をばたつかせて入口に引っ掛けようと試みたが、手足を縛られたままでは所詮儚い抵抗に過ぎない。
ユウが、暴れるかがりを見て悲痛な声をあげている。
硬いステンレスの床に投げ出されたかがりの背後で、重い扉が閉じ、二箇所に鍵が掛けられる音が響いた。
かがりは不自由な体勢から身を捩り、扉の方を向こうとする。
四方を囲う檻のせいで視覚的な圧迫感は凄まじいが、広さはある為さほど困難な動作ではない。
「何を企んでいるんだ!! ここから出せ!!」
かがりは怒鳴る。
蟻巣塚に舞、眩草。そしてユウ。
檻越しに見える世界は、今までとは別のもののように感じた。
「オレが考えてるのは、いつだって市と市民の安全な暮らしと自分自身の平和な生活だよ」
「ぬけぬけと……!」
「あなたもそうだったんだぜ? フッチー」
最早これまでなのかと。
蟻巣塚や舞を信じたいという気持ちが。揺らぎ、今にも消えようとしていた信頼の残り火が、ふと留まった。
激情という炎に、ほんの僅かに涼風が吹き込む。
「……車の中で」
舞に話しかけようとしていた蟻巣塚が、かがりの静かな呟き声に振り向く。
「ずっと、車の中で考えていました。
あなたはこんな思い違いをするほど馬鹿じゃない。なのに暴論を押し通すからには、必ず目的がある筈だと。蟻巣塚市長。あなたは私を一連の事件の犯人に仕立て上げて、一体何をしたいんです」
「映画の見すぎ」
どこかで聞いたような台詞を使い、蟻巣塚は一笑に付した。
「とっ捕まえた理由なら再三聞かせてやったろ。
誰の攻撃もまともに効かなかった奴を、三度続けてお前だけが倒せてる。こんな都合のいい話はない。相方に攻撃させたり苦戦してみたりその都度演出に工夫はしてたみたいだが、カタンまで利用したのは欲張りすぎたな。
オレや霜走くんだけならまだ騙せた。二流三流に殺せなかった獲物を別の二流三流が殺す、それも三度続けてってのもまぁ普通に起こり得るだろうさ。だがここにカタンが絡んでくるなら、三度目は絶対にあっちゃいけなかったんだ」
「……自分で言っていておかしいと思わないんですか。もしも私が本当に首謀者なら、それこそカタンの時だけは繰り返さないようにする筈……」
「そしてお互い主張する事は同じ。平行線だな、無駄な時間だと思わんのかね?」
蟻巣塚が檻に近付き、靴先で小突くように角を蹴り上げた。
びいんと檻が揺れ、細かな振動が床を震わせる。
ユウが叫んだ。手足さえ自由なら、すぐにでも檻に駆け寄っていただろう。
「やめてあげてよ!
かがり怖がってるよ! こんなのひどいよ!」
届かないと分かっていながら、目一杯に体を伸ばして蟻巣塚に食らいつこうとするユウ。
舞が素早くその首を掴んで持ち上げた。宙ぶらりんの体勢で、それでもユウは全身をばたつかせて暴れる。
「お前っ!! お前が悪い奴だったんだな!!
絶対に許さないからな!!」
ユウは涎を撒き散らしながら、がちがちと牙を噛み鳴らす。
首根っこを掴まれたままでは苦しいだろうに、怒りが苦痛を忘れさせていた。
危険な兆候だった。狂乱にまで至る憎悪は時に持ち主の命を奪う。
「理由なんてどうでもいいんだ!! お前はただかがりを捕まえたいだけなんだ!! だいたい、かがりが都合良く敵を倒せてるっていうなら、お前だって同じ事ができるじゃないかっ!!」
「オレが?」
「そうだっ!!
お祭りの時、お前はあの幻の中にいたよな。俺たちと同じく偶然巻き込まれたって言ってたけど、本当はお前が発生させたからあそこにいたんじゃないのかよ!
幻が消えた時だってそうだ! 勝手に消えたってのは嘘で、あの叫びで術を消したんだ!」
「へえへえ、なるほどね。昼間原まつりの幻はそれで消せそうだな。で、次は? 敵性体ノヅチが出た時、オレは公園にゃいなかったんだがねえ」
「ああ、お前はいなかった。でもマイがいた」
ユウは暴れるのをやめ、自分を掴む舞に金色の眼を向ける。
舞は無言だったが、僅かに表情が揺らいだ。
「マイも――そいつもお前の仲間だ。
グルだったならお前がいた事を隠すし、こっそり連絡だって取れた筈だ。お前たちが幻術を使おうとしてたところに、偶然かがりと俺とフウカが来た。そして巻き込まれた。この時にかがりを犯人に仕立て上げようって思い付いたのかもしれない」
「祭りの方はまぁいいとして、こっちはだいぶ苦しい推理じゃないかい? 真の姿だの弱点だのはどこ行ったよ」
「知るかよ、苦しいのはそっちの言い分も同じだろ。
こないだの馬に乗ってた奴もそうだ。あれはお前が公園にいる時に現れた。公園は封鎖されてて、お前以外は工事の人しかいなかったんだから、発生させるのはもっと簡単だった筈だ。あとは適当に町を走り回らせて、かがりが来たら倒させればいい」
「ふんふん……ケダモノにしちゃ頑張って考えたもんだが残念、ひとつ致命的な欠けがある。
オレにはそんな事をする理由も、そんな力もないよ」
明らかに嘲笑の意図を込めて、蟻巣塚はかがりが口にしたのと全く同じ弁明を使った。
ユウは真っ赤に充血した両眼で、がちがちと歯を噛み鳴らす。
それはかがりが初めて見る、猛り狂う野生の獣そのものの表情だった。
だが所詮は、猛った野生の獣の域を出はしない。
その怒りは、この空間においては無力でしかない。
「それよりはまだ、お前がやったって方が納得がいくな、狐くんよ。
実は今まで真の力を隠してました、自分が一連の事件の犯人ですって事にして、楝かがりを庇って罪を引っ被ってみるかい?」
「ふざけんな!! 俺に、俺にそんな大きな力が本当にあれば――」
やめろとかがりは思った。
その先は口にしてはいけない。
魂に縛られる妖であるならば。
「真っ先に、お前らを殺してる!!」
血を吐くような無念と怨嗟の声だった。
「ユウ!!」
かがりが一喝する。
はっとユウは耳を立て、自らの言葉に狼狽するかのように口を閉じては開くと、がくりと項垂れた。
「ごめん、ごめん……かがり……」
今にも泣き出しそうな声に、先程までの気勢は微塵もない。
そこにあったのは暴発した激情への驚きと、形にしてしまった言葉への、深い深い後悔。
呪詛をぶつけた事を悔やんでいるのではない。
この小さな、無鉄砲な、身の程知らずな狐は、ずっと抱いてきた夢と信念とを裏切ってしまったのだ。
「俺……ここまで人間を……誰かを殺してやりたいって思ったの初めてだ……」
「ユウ……一度落ち着け。滅多な事を口にするもんじゃない。お前は……」
「俺は……弱いものを守る英雄になりたかったのに」
英雄が人間を殺してはならない。
数え切れない殺戮の果てに英雄と讃えられる者がいようとも、ユウが目指していたのはそうした在り方ではなかった。
「弱いってのは悲しいねェ。
まあ、まともな妖狐だったとしてもカタンがいるんじゃ話にならなかっただろうがな。それこそ九尾でも連れてくりゃ別だろうが」
「伝説の九尾の狐ですか! 一度会ってみたいですねえ、うふっ!」
会うがそのまま殺すになりそうな男は、空気がまとめて抜けるような笑い方をした。
「……どうかしてるよ、どいつもこいつも……」
「はいはい話が進まないからその辺にしときなさいね。あと、今後オレに襲いかかろうとすれば霜走くんが問答無用で狐くんを殺すよ」
相変わらず困ったように眉を下げた舞だが、いつになく冷え冷えとした眼光にユウは身震いした。激昂が冷めると恐怖がぶり返してくる。
「それとも今言ったみたいに狐くんがオレら全員返り討ちにして、颯爽と楝くんを救出して脱出してみせるかい? 英雄だの勇者だのになるのが夢なんだろ。やるならうってつけの状況じゃねえか? 攫われた囚われのお姫様を助けるのはいつだって勇者の役割、定番だ」
それが不可能な事を承知で、蟻巣塚は残酷な提案をした。
「でもま、実際には何もできやしない。
最初に会った日にオレが仕込んだ符にも気付かない。戦う力もない。化けられもしない。何メートル何十センチでえすと、距離を測るのが関の山」
ぐいと顔を近付け、一句一句言い聞かせるように区切って告げる。
「お前には何もできない」
項垂れたユウから、蟻巣塚が顔を離す。
沈黙が落ちた。
「ユウには手を出さないでください。そいつは……」
「くそ弱いな。普通、妖狐がこんなに追い込まれりゃ幻術なり狐火なりのひとつも使ってみせるもんなんだが。はは、お姫様を助けるどころかお姫様に命乞いしてもらう立場の勇者かい」
嘲るのも飽きたように、ふと蟻巣塚が真顔に戻った。
「つっても報告書によりゃ生まれた山とは一応まだ繋がりが残ってるらしいし、そんな狐はなるべく殺したくないからな。これだから群れで生きてる社会性持ちの生き物ってのは厄介なんだ。個へ加えた危害が全体への危害にすり替わる。
コトが片付いたら自由にしてやっから、そしたら山に戻るなり他の街でまた英雄目指すなり好きにしろ」
「自由にって、かがりに何するつもりなんだよ! 片付いたらってなんだよ!」
他者に従属させられている妖怪が自由になる事の意味を悟り、ユウが再び騒ぎ始める。蟻巣塚はそれを無視し、行くぞと舞を促すと檻に背を向けた。
蟻巣塚が、ユウを掴んだ舞が。それでは失礼しますと威勢良く頭を下げた眩草が、順に部屋を出ていく。
地上への扉が固く閉じられるまで、ユウはかがりの名を叫び続けていた。




