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昼間原狂騒・嚆矢 - 13

がらんとしたグラウンドに、春の陽光が燦々と降り注ぐ。

太陽は、その日最も高い位置にあった。


「何を……何を言っているんです、市長」


思えば、訳の分からない事だらけだった。

唐突に始まっては唐突に消えた夏祭りの幻。昼間原八岩公園を包んだ幻術と最初の敵性体の発生。続く市内への逃走劇。昼間原市の監視役兼掃除人としてこの件に関わらざるを得なくなってから、明白に掴めていた事実など何ひとつ無かったと言っていい。

だが、かがりは今日この瞬間ほどそれを強く感じた事はなかった。

口内に微かな血の味が広がる。組み伏せられた拍子に少し切ったらしい。喉の奥からの出血ではない事を、かがりは願った。うつ伏せに抑え込まれた状態で肺をやられたら命に関わってくる。

後ろ手に捻り上げられた両腕は動かそうとすると激しい痛みが走り、折るのを覚悟で強引に体を跳ね上げようにも、両の足首が舞によって踏みつけられている。

体格と体重ならかがりの方が有利だが、相手もプロだ。単純な筋力比べに持ち込めないよう的確に関節を封じにきている。力尽くで跳ね除けられないとなれば、あとは情と理に訴えて自主的に解放してもらえるよう促すしかないが、舞が蟻巣塚の命令で動いていると考えると、放してくれる可能性は薄い。

直前に、蟻巣塚は「サザンカ」と呼んだ。それはつまり、忍として行動しろという厳命である。


ユウも同じく捕まっている。

手足はぐったりと垂れ下がり、意識があるかも分からず、元より戦力としては期待できない。

眩草は――駄目だ。現状では蟻巣塚に雇われており、その意向に従っている。理屈が通じない人間ではないだろうが、逆に納得する理由を提示できなければ契約以上の仕事はするまい。


せめて市街地であれば、派手に騒いで人目を引けたかもしれない。

しかしここは封鎖された広い公園内だ。肺が空になるまで怒鳴り続けても、助けは来ないだろう。だからかがりには、現状がいかに理不尽で理屈に合わないものかを蟻巣塚に訴え続けるより手がなかった。

かがりの知る蟻巣塚もまた、理屈の通じない人間ではない。いや、誰よりも理屈と理性の人の筈だ。だからこそ何を血迷ってこんな判断をしたのかは不明だが、落ち着いて説得すれば解放してもらえるとかがりは信じていた。

そんなかがりを嘲笑うかのように、蟻巣塚の声は冷え切っている。


「だから全部お前がやったんだろって言ってる。この期に及んですっとぼけんな。つっても認めるわきゃねーけどな。オレだって同じ立場なら認めない。認めたら終わる」

「やっていませんよ! こんな大規模な幻術が私みたいな凡人に扱える訳ないでしょう!」

「じゃあカタンにさえ解除できなかった幻術が、お前にはできた理由は何? 今回に限った話じゃない。報告書を見る限り、証言を聞く限り、前も、その前もそうだ。お前の攻撃だけが敵に届いてる。ダメージの大小ならまだ言い訳できたが、効くか効かないか、倒せるか倒せないかで綺麗に線引きされてる理由は何だよ」

「……それは……」


かがりは口籠る。

それはかがりにとっても疑問のひとつだった。

敵性体ノヅチ。敵性体ヤリモチ。そして今回の弓兵。

いずれのケースにおいても、敵への決定打となったのはかがりの攻撃だった。否、とどめの一撃だけではない。どの敵性体も、かがりの張った罠や繰り出した攻撃にばかり、不自然に引っ掛かっていた。

かがりの成果が大きすぎる事について、二度までなら偶然が続いたか、連携が巧く噛み合った結果で済ませられようが、三度続けて、しかもカタンでさえ倒せなかった相手にとなると、これはおかしいと疑問視される事自体はかがりにも分かる。

だがまさかそこから、かがりが一連の事件の犯人だなどという結論に行き着くなど誰が想像するものか。


想像さえしていなかったのだから、問われて答えられなかったのは当然だ。

が、置かれている状況を考えれば、一瞬でも言葉に詰まってはならなかったのだ。

たとえどんな内容であれ、反論を続けなければならなかった。

沈黙は逃げ道を探していると見られるから。


答えられないかがりに、蟻巣塚はしてやったりとばかりに口を歪めて笑う。

侮蔑を顕にした態度に、かがりの頭がカッと熱くなった。

口籠ったのは正解を見付けられなかったからであって、図星だったからではない。誰も解答を知らない問題を突き付けられて、返事ができないからお前が犯人だなどと、そんなふざけた理屈が成り立つものか。それこそ悪魔の証明に他ならない。


「答えられんか。答えられんよなあ? だったらそりゃお前の手で作られた、お前にしか解除できない幻だからだろ」

「バカげているにも程がある!! 理屈として破綻してますよ!

敵性体の行動が不自然なのは認めます。私の攻撃しか効いていないのも、カタンの後とあっては間違いない。ですがそれらの事実と、私が犯人だという暴論とは決して結び付きません!

そもそも私にはこんな事をする理由がない!! 犯人だと言い張るなら動機を教えてください!! 市長、話を!!」

「霜走くん、そのまま駐車場まで運んでくれ。オレは車を動かしてくる」

「はい」

「霜走さん!!」


かがりは首を捻り、何とか背後の舞に訴えようとする。

だが、両手首に素早く紐状のものが掛けられるのを感じ取り顔色を失くした。道具で拘束されてしまっては、逃げ出す余地は完全に消滅する。

説得による解放をまだ諦めていなかった事が、こうなると仇になった。負傷を恐れず腕と脚を動かし抵抗を続けていれば、こうも易易と縛り上げられはしなかっただろう。

手首が済むと、次は足首。縛られたばかりの両手ごと背中を強く踏み付けられ、息が詰まる。膝裏を踏む靴が離れた隙をつこうにも、子供のように数度跳ね上げただけで終わった。

素人が相手ならまだしも、相手は舞だ。忍者という肩書きが一見ふざけたものに感じられようと、仕込まれた技術は殺しの為のもの。

作業が終わるまで、とうとう舞はかがりの顔を一度も見ようとしなかった。


「体を起こしますから、暴れないように。痛むだけで無駄です」

「ぐ……」


四肢を縛られたまま、襟首と上着を掴まれて一息に起こされる。

紐は、おそらく舞がカタシロと呼ぶ呪具の一種だ。肌に当たる感触は柔らかくとも、力任せに千切れるようなものではない。加えて、両手の指を祈る形に組まれた上で手から手首までを広く縛られており、印を結ぶ事もできなくなっていた。蛇が残っていればと一瞬かがりは思ったが、いたとしてもこれではどうにもならなかったろう。

その体勢のまま、舞の背に凭れるように担がれて運ばれる。

グラウンドを横切った先の駐車場では、蟻巣塚が既にワゴン車を待機させていた。近場の別の駐車場に待機させておいたのか、あるいは最初からここにあったのかは定かではないが、どちらにせよ思い付いてすぐに用意できるものではない。


(手回しが良すぎる……まさか最初から……)


まさかも何も、蟻巣塚の呼びかけに舞が即座に対応したのを考えれば火を見るより明らかだ。眩草はともかく、少なくともこの二人は、最初からこうなる可能性を想定して今日の仕事に臨んでいた事になる。

昨日の打ち合わせの時も。明日から頑張ろうと誓って別れた時も。今朝、この公園で顔を合わせた時も。

全て全て、彼らはこうすると決めていて黙って笑っていた。

そして彼らの読みに反して何も起きなければ――素知らぬ顔で仲良く昼食をとるつもりだったのだろう。

頭の奥が熱く煮えたぎる。裏切られたという思いだった。

勝手に信頼や友情を期待して、勝手に仲間意識を抱いていたといえばそれまでだ。しかし一連の事件の発生初期には、間違いなく二人はかがりと同じ位置に立って同じ敵を睨んでいた筈なのだ。こんなあやふやな理屈で、どうしたらそれをこうも軽々しく裏切れるというのか。


ワゴン車の後部座席に、為す術なくかがりは押し込まれた。

車外では、ユウをぶら下げたままの眩草に蟻巣塚が声をかけているのが見える。


「ユウっ!!」


危険を忘れ、身を乗り出しながらかがりは叫ぶ。

このままユウが殺されると思ったのだ。

だがそうはならず、ユウを掴んだまま眩草も車に乗り込んでくる。気を失ったユウの手足を舞が手早く縛っていくのを、かがりは為す術なく見守るしかなかった。

やがて運転席に蟻巣塚が座り、ドアが閉じる。


滑るように車が走り出す。


エンジンの低い振動が、シートを通して体に伝わる。

窓には濃いスモークがかかっており、外の景色は若干不明瞭だ。

とはいえ、子供の頃から徒歩で歩き回ってきた街である。見えていようが見えていまいが、右折左折や直進距離、信号待ちのタイミングで、どこの通りをどう進んでいるのかはおおよそ推測が可能だった。

こんな状態でありながら律儀にシートベルトを着けられている自分を、かがりはひどく間抜けに感じる。

が、これは一種の拘束具の役割も果たしていた。

逃げようにも、まずシートベルトを外してからではなくてはまともに動けない。挟まれるその一動作が、車内という空間では致命的な遅延となる。


「ん……」


走り出して間もなく、ユウが目覚めた。

身を捩ろうとし、動かせない四肢にびくりと首を起こし、真っ先にかがりを探そうとする。その姿に、不覚にもかがりは泣きそうになった。初めて味方が現れた気がしたのだ。

後部座席の下に置かれたユウは、舞の足で胴体を踏み付けにされたまま、かがりを見上げて叫ぶ。


「かがり!」

「……大丈夫だ、怪我はしていない」


ユウをこれ以上のパニックに陥らせないよう、極力落ち着いた声を意識してかがりは言う。

怪我がない、というのは本当だった。

擦り傷はあちこちに負っているが、あれほど強引に抑え込まれていながら大きな負傷は一切ない。舞の力加減の賜物といっていいだろう。かといって感謝する気には全くなれないが。

ユウが僅かに安堵したのを見届けてから、かがりはサイドウインドウの外へ目をやる。後部座席は三人がけではなく、手足を縛られた状態のかがりも窓際の席に座らされていた。

外の風景には馴染みがある。車はまだ市内にいた。

ならば、とすぐ脇の窓を通して通行人や対向車に助けを求めようにも、スモークが外部からの視認性を邪魔している。すれ違った程度の人間が、車内の異常事態を認識するのは難しいだろう。

それに元々、昼間原市はひっきりなしに歩道を市民が行き交うような賑わった都市ではない。限られたチャンスの中で、拘束されているかがりの姿にスモーク越しに気付き、かつ通報までしてくれる人間がいるかとなると、絶望的だと言わざるを得なかった。

猿轡は噛まされていないから、一か八かで喚き散らしてみるかと一瞬かがりは考えたものの、断念する。走り出した時から気になっていたが、車内が静か過ぎるのだ。おそらく徹底した静音なり防音加工が施されており、口を塞がれるまでの数秒間全力で叫んだとて、外にまともに届く事はあるまい。


「なあ、なんでこんな事してるんだよ!

降ろしてよ! かがりを放せっ!」


舞の靴の下で体を捩りながら、ユウが高い声で怒鳴った。

有事に備えて服も首輪も着けずにいた為、剥き出しの毛と鱗が土に汚れて、ひどく痛々しい。


「あんま手荒な真似はしたくねえから、政治屋らしく言葉で縛っとくぜ。政治屋と違うのは、オレは言った事は守るって所だ。

楝かがり、下手に騒いだら妖狐を痛め付ける。

そして狐くん、下手に騒いだら楝かがりを痛め付ける。

殺しはしない。傷付けもしない。ただ痛いだけだ。やるのはオレじゃなくてプロの忍だがな」

「……拷問を受けるのにも慣らされますが、拷問にかけるのにも慣らされます。どうか賢明なご判断を、お二方」


舞が言う。冷静な口調に嘘はなく思えた。

かがりが溜息をつく。ユウは悔しそうに舞の顔を睨んで、口を噤んだ。

今暴れなければ逃げるチャンスがなくなるのは分かっているのに、互いを思いやる気持ちが行動を縛ってしまっている。

まさしく蟻巣塚の目論見通りといえた。


「僕らは拷問は不得手ですね!

むしろ自分を拷問にかけすぎて死ぬ奴が頻発しているとも言えます!」


空気や雰囲気というものを一切読まず、それまで黙っていた眩草がいきなり話に入ってくる。

この中では、彼が一番何を考えているのか分からない。

初めからこの計画を説明されていたのか、それとも突発的な事態に訳が分からないまま対応しているのか。聞けば教えてくれそうではあるが、教えてくれなさそうでもある。

一見、場当たり的に喋っているようでありながら、その実、頭が空っぽな訳ではないと既にかがりは知っていた。だから事情を知らされた上での行動なら口を噤むかはぐらかすだろうし、何も知らなかったとしても、現状が今の雇い主の意向である以上、かがりの救助要請に対しては沈黙に徹する可能性が高い。そういう判断のできる頭を持つ人間なのだ、この、力任せに全てを解決しそうな男は。


「……こんな事をしても無意味です。私からどんな真相が出てくるのを期待してるか知りませんが、知らないものは話しようがない。昨日の報告書には書ける事を全て書きました。あれ以上の説明はできませんよ」


現状を悪化させる危険を承知で、それでもかがりは話しかけた。

騒ぎ立てる気はないが、かといって言わせるままにしておく気もない。

かがりには、まだ蟻巣塚と舞が血迷っているという思いがある。二人とも、何の理由もなしにこんな真似をする人間ではない。今回はその理由に、何をどう間違ったのか自分が引っ掛かってしまっているだけだ。


「みんなそう言うんだ。最初はな」

「それは隠し事がある人間だけに適用される理屈です」

「じゃあ適用されるだろ。あとな、どうもさっきから勘違いしてるみたいだが……」


シート越しに、蟻巣塚が告げる。


「オレは、別にお前から納得いく説明が出てくる事を期待しちゃいない」


かがりは初めて、心底からぞっとした。

それはつまり、何を話そうがこの後蟻巣塚たちがやろうとしている事には影響しないという意味だ。

今更ながらかがりは、誤解さえ解ければ解放されるという見込みがあまりにも甘かった事と、初動における判断の誤りを自覚した。四肢が折れようが喉を潰されようが、抑え込まれた時に全力で暴れておくべきだったのだ。

いまや両手両脚を縛られ、車内の狭いシートに押し込められ、野外にいるより身動きが取れない。奇跡的に動けたとしても、シートベルトを外してロックを解除してドアを開けるまでに容易く捕まるだろう。舞だけではなく眩草も動く。到底逃げられない。


信号待ちを終え、再び車体が滑り出す。

窓の外を流れていく景色が、次第にあまり馴染みのないものに変わっていった。

かがりが日常的に市内をパトロールしているといっても、頻繁に足を運ぶエリアとそうではないエリアとで差は出る。

この辺りは昼間原市でも郊外に当たる。市街地を離れるにつれ商店は激減し、代わって一戸建ての住宅や田畑が目につき出した。開けていく視界に、増えていく緑。まるで出てきたばかりの昼間原八岩公園内に戻っていくかのようだ。せめて移動経路を記憶しておこうという試みも、このまま市外に出られてしまっては怪しくなる。

そんなかがりの内心を読んだかのように、蟻巣塚が言った。


「どこへ向かってるかって思ってるだろ?」

「………………」

「そう睨むな。別に隠す気はないし教えてやるよ、オレの家」


ウインカーを出し、ハンドルが右に切られる。

かがり達の運命を乗せた車は、ますます遠く市の中心から離れていこうとしていた。



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