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昼間原狂騒・嚆矢 - 10

蟻巣塚はそう告げた。

かがりは一瞬、意味を飲み込めず沈黙する。足元ではユウが小首を傾げていた。

岩の下から現れたのは騎兵だった。

しかし名前の持ち主は弓兵だった。

蟻巣塚のもたらした情報に、かがりは軽く混乱する。

不可解そうにユウが尋ねた。


「……それってつまり、岩にあった名前と全然関係ない奴が出てきたって事?」

「弓を巧く使ったって乏しい記述に残ってただけで、馬に乗ってなかった訳じゃないとは思うけどね。おサムライなら乗馬の訓練ぐらいするだろうし、弓と槍と両方の達人だった可能性もある。

あと敵性体ノヅチが出た岩の人。こっちは武家だって事の他には何も分からなかったよ。だからまあ鎧武者ではあるかな」

「でも……だったら何で……」


かがりが唸る。

個々の岩と出現する敵性体との間には、強い結び付きがあると誰もが思っていた。岩は勇士を讃えたものであり、その岩の下から現れた敵性体は、鎧武者や騎兵といった古い戦士の姿をしていた。だからこそ記念碑ではなく生贄なのではという発想にも繋がったのだ。

それが無関係だったかもしれないとなると、では、何故敵はあそこで騎兵の姿などをとって出てきた?

あるいは、どこかでほくそ笑んでいるかもしれない黒幕は、何故、岩の名前とまるで無関係な兵種の幻術を発生させたのか?


「要所要所で結び付いたと思ったら、次には離れてくんだよね。見るべき場所を間違えてるんかな、オレら」

「………………」

「主殿、予約が取れました。席はあるそうです」


やって来た舞が会話に割り込んだ。

一人だけ離れた場所で電話をしていると思っていたが、どうやら皆で昼食をとれる店を探してくれていたらしい。

わざわざ全員で店まで行くのが、かがりには意外だった。

賓客扱いである眩草はともかく、自分たちは買ってきた弁当あたりで充分だと思っていたし、その眩草にしても格式ばった場での食事にこだわりがありそうな性格には見えない。それに服も靴も、予約が必要な店に入っていくには少々汚れている。眩草に至っては少々どころの汚れっぷりではない。

かがりの懸念を拭うように、昨日みたいな堅苦しいお店じゃないですよと舞が言った。蟻巣塚がパンパンと手を叩き、注目を促す。


「よおし、午前の部はここで一旦きっぱり中断!

各自いろいろ考えたい事もあると思うけど、それもきっぱり中止!

頭を切り替えておいしい飯を食べよう。続きはそれからね」

「ごはん? 俺もまた行っていいの?」

「オーケーよ。隠形は切らさないようにするのを注意と、あと足の裏は拭こうな。オレたちは……オレとフッチーと霜走くんはちょっと泥を払えばまぁいけるか。眩草さんは着替えの方は……」

「もちろん持っていません!」

「うん、聞くまでもありませんでしたね。

霜走くん、申し訳ないけどタクシー呼ぶ前にひとっ走り上下買ってきてもらえないかい。合うサイズが売ってる事を祈ろう」

「御意!であります。幸い近場に作業着を取り扱う店があった筈です」

「お手数をおかけします! 持ってきて頂けたら迅速にその場で着替えるとしましょう!」

「いや、その場じゃなくてあそこのレストハウスで着替えてください」


蟻巣塚はもはや完全に眩草の扱いを掴んだようだった。

さすがは海千山千が集う市政のトップである、とかがりは前向きに考える事にする。

方針も決まり、一同はグラウンドへ下りると並んでぞろぞろと歩き始めた。

ここからならグラウンドを縦断して駐車場へ向かい、外へ抜けるのが早い。作業に使った道具は、駐車場の隅にまとめて置いておけばいいだろう。封鎖されている今はどうせ誰も利用者がいない。


「結局、午前中は成果なしの空振りか」

「だーからー、なんで市長のおじさんはそういう言い方するのさ!」

「あ、悪い悪い。勿論なんにも見付からなかったのも大事な成果だぜ。無しってのは間違いだな」

「まったくもう……俺、おじさんの事はすごい人だってソンケーしてるんだからさ、あ、もちろんかがりより下だけど。だからもうちょっと『気を使う』っての心掛けてよ。かがりもあんまり意地悪されたら怒った方がいいぞ!」

「お前な、これ以上私の肩身を狭くさせるのはやめんかアホが。気持ちは嬉しいが。気持ちは嬉しいが」

「楝殿がさりげなくリピートしております主殿。ユウ殿を嗜めたのとは裏腹に割とムカついておるものと推測されます」

「ごめんて。

でもさあ、せっかく最強と名高きカタンがいるんだし、生贄説がハズレならせめて敵さんが出てきてくれりゃ、さくっと狩って意気揚々と帰れたのにって思わん?

だってカタンだぜ? 純粋に見てみたくない? きっとオレやフッチーがぼけっと瞬きしてる間に片付いてるぞ。うわ楽」

「他力本願にも程があるような……でも確かに、こうなると首級のひとつも欲しかったですね。もし現れていれば、これで三体目。岩は八個ですから、残存戦力は着実に削げます。まあ、岩が八個だからといって敵が八体で終わってくれる保証もないんですが……」

「そうですか」


眩草が言った。

淡々とした声に、陽気な響きは欠片もなく。


「どうやら叶えられそうですよ、その願い」


……?


昼休憩に切り替わりつつあった頭には、言葉の意味が浸透するのに幾らか時間を要した。

カタンという圧倒的な暴力が味方側だからこそ出来る、敵の出現を願うかのような無責任な盛り上がりの中で、当の眩草だけが一同と異なる方向へ顔を向けていた。髭の剃り跡の残る口元が、これまでとはまるで異質な猛々しい笑みに吊り上がっている。

ひどく獰猛な笑顔だった。下唇に刻まれた傷跡が、筋肉の引き攣りに引っ張られてくっと開いている。


一体、急にどうしたのか。


共通の疑問を誰かが口にするよりも早く、眩草の目線を追って振り返ったかがり達は見た。つい先程まで皆で話をしていた、グラウンド周辺を囲う盛土の上に佇む人影を。

閉鎖を無視して入ってきた市民ではない。そも市民は武装しておらず、人に対して今まさに放たれんとする大弓を構えてもいない。

中肉中背の全身から立ち上る藍色の瘴気が、かがり達を見据える人物の輪郭や顔立ちを曖昧にぼやけさせている。しかし、その黒い人影が何らかの甲冑めいた防具を身に着けているのは、ごつごつと角張ったシルエットから見て取れた。


「弓ですと!? 噂をすれば影じゃないんですよ!?」

「馬鹿な、言った矢先に……!」

「ははは! でも見えるからには現実ですね! 幻であっても目に映っている間は現実!」


弓持ちの敵性体。

では、まさか、あれが駒場登二郎なのか?

だが、岩に刻まれた名前と出現する敵性体との間に関連性はないと話したばかりだ。

確実に言えるのは、今の今まで駒場の兵種についての話をしていて、立ち去ろうとした矢先に敵性体が現れて、それが弓を構えてこちらへ放つ寸前にあるという事実だけである。

かがりは言い知れぬ気持ちの悪さに見舞われていた。

弓兵だったと言った直後に弓。出れば良かったと言った直後に出てくる。タイミングが噛み合いすぎているのもあるが、すぐにもうひとつの理由にも気付く。


岩がない。


過去の敵性体二体はいずれも、誰かが見ている前で岩の下から出現した。なのに今回は、振り返ったら既に現れていた。そこが決定的に違う。

真下を掘り返し、破壊して内部を確かめた駒場登二郎の岩自体は、このグラウンドの近くにある。また、さして離れていない位置にも他に二つの岩がある。だが、この敵性体がそれらのどれかから現れてここまでやって来たのか、いきなりグラウンドの上に現れたのかが判断できないのだ。


「距離――高さから約70メートル以上!!」


間を置かずユウが叫ぶ。

それはかがりの目測とほぼ一致していた。訓練の成果は出たが喜んでいる暇はない。いかに和弓が強力とはいえ、この距離を、それも動く対象を射抜くとなると相当の手練れでも困難だろうが、敵は人間の姿をしているだけで人間ではないのだ。走って逃げようがジグザグに動こうが、確実に当ててくるという確信があった。

およそ70メートル。全力で駆けても瞬時には詰められない距離である。

最短距離の直線で向かっていけば格好の的となってしまう。散開すれば時間は稼げるだろうが、いずれは各個撃破される。

何より恐れなければならないのは、敵が再びあの日の騎兵のように市内へ逃げ込む事であった。騎兵ほどの機動力はないにせよ、飛距離のある飛び道具を持っているという時点で最悪である。ビルの屋上にでも登られてしまっては、眼下で動く生命全てが的と化す。

なんとしてでも、ここで仕留めてしまわねばならない。

弓なら刀や槍よりも近接戦闘には不向きだ。間合いを詰められさえすれば、先の二体よりも有利に戦える。


敵の狙いを引きつける為、舞が大きく横へ飛ぶ。

蟻巣塚が声を放とうと開けかけた口を、すぐさま閉じる。この距離ではまともに届かず効果は見込めない。ユウはカッと両眼を見開き、耳を立てて、敵の挙動を一瞬でも見逃すまいとしている。

ほとんど反射的に、かがりも行動を決めていた。

舞と逆方向に動いて敵の注意を分散させ、各自の被弾リスクを減らしつつ接近、足止めの後に撃破。奇策ではないが、オーソドックスなだけに全員が即座に対応できる強みがある。


――そうだ、眩草はどこに。


カタンの存在を思い出した時には、新たな敵性体は引き絞った矢を放っていた。腕を下げたままの棒立ちで、いまだ真正面にいた眩草に対して。

矢の速度というのは恐ろしく速い。常人であれば、飛来する矢に目視で対処するなど不可能に近い。距離が離れる程に矢を当てるのは急激に困難になっていくが、動きもせず、人並み外れて大きな眩草の体はいい的であった。

噴煙の如き瘴気を放つ矢が、空を裂いて眩草に迫る。着弾まで数秒もなく、狙って回避するにはあまりに短い時間。


パァン!


認識したのは、耳を叩く炸裂音の方が先だった。

次いで、手甲を纏った右腕で無造作に中空を薙ぎ払っていた眩草の姿。

あっと目を見張った時には、眩草は地を蹴っていた。動くと同時に敵との距離は半分にまで縮まっている。

巨躯から単純にイメージされる鈍重さとは掛け離れた軽さで、眩草は地上を疾駆――否、飛翔する。続く第二射を、蚊でも追い払うように左手で払い除けながら。

敵の得物は銃ではない、弓だ。僅か数秒で正確無比な二射というのは、人間業ではない速さである。

だがそれをあしらう眩草もまた、人の成し得る動きをしていなかった。


おかしい、とかがりは思う。


カタンの強さは聞いている。過酷な行をこなし習得した技術は、同業者にあってさえ雲の上のものだとも。しかし個人の強さ弱さとは別に、真正面から矢を弾く眩草にまるで反動がないのはどういう事だ。

攻撃を受ければ、並の人間ならよろめくか倒れる。中堅でも身のこなしがぶれる。限りなく最小に近く受け流せる達人とて、ごく僅かな停滞はどうしたって生じるものだ。この一撃を、己の身を顧みず死と引き換えに与えようとでも思っているのでない限りは。


だが眩草の動きには、そうした不可避の揺らぎがなかった。

肘までを覆う嵩張った手甲を両腕に嵌めていながら、その走りは羽の如く風の如く、地の上を滑るよう。それはまるで、敵の攻撃を弾いているというよりも、当たるそばから吸い込まれているかのように――。


その時、かがりは思い出した。

眩草から最初に聞かされた、手甲にまつわる話を。

神代の遺物だという真偽不明なエピソードを持つ手甲は、装着者を大地と同質であると見做すのだと。

人力にしては異様な速度で削れていった土。およそ人では有り得ない挙動。大地の加護などという神話でしか耳にできない代物が、本当にあの手甲の持ち主に顕れるのであれば、当然その効果は「走る」という最も地面に近い行為にも及ぶのではないか。


(……まさか。地上にいる限り、地の気脈に携わるあらゆる行為にブーストを受けている!?)


弓兵を取り逃がし、騎兵の二の舞となるのを憂慮する暇すら、実際のかがり達にはなかった。

誰が信じただろう。不意をうち、あの距離を取って出現しながら、敵の方にこそ逃げる隙が与えられなかったなどと。


弓を構える人影を目撃し、最初の行動を各自が起こしてから数秒。

まだ初動すら完了していない中で、眩草だけが行動を終えていた。

頭上で組んだ両手が、敵性体の脳天に振り下ろされる。密着状態からの餅付きでもするかのような一撃が、敵性体を鎧ごと縦に叩き潰していた。

振り被った刹那がら空きになった胸部を、敵性体が放った三本目の矢に射抜かれながら。


眩草の背が、柘榴のように爆ぜ割れた。

血飛沫が細かい肉と混ざった煙となって舞う。


「………………」

「………………」

「………………」

「……っ」


舞が小さく呻いた他は、誰一人声も出せない。

眩草が撃たれた事よりも、撃たれるまでに描いた異常な軌道に心を奪われて。

駆け出して――といっていいのかどうか分からないが、あの移動法は――から敵を倒すまで、眩草は一言も発しなかった。短い掛け声や気合い、果てはかがり達に注意や警戒を促す一言さえも。

それを以て、不誠実だと彼を非難はできまい。

雇用側に危害が及ぶより早く殺してしまえば、警告の必要性はなくなるからだ。


無言で迫り、無言で殺した。


出たら殺しますと、一種滑稽にさえ聞こえる宣言をしていた通りに。

広いグラウンド内に、ぱん、という空砲に似た破裂音がたった一度響き、余韻を残して消える。それで終わった。

戦いは派手なものだが、殺しとは静かなもの。

ここにいた誰もが、そんな言葉の意味を再認識させられる。


「おしまいですね! さあ、次の敵はどこですかアリスさん!」


胸に大穴を開けたまま、こちらはこちらで当然のように眩草が歩いて戻ってくる。どう見ても即死なのに、不思議と、この男ならそれでも立っている姿の方が自然に思えた。

絶句するかがり達の目の前で、乾いた砂地に掘った穴がたちまち崩れて埋まってしまうかのように、周囲の組織がさらさらと流れ込んで傷を塞いでいく。肉が臓器へ転じ、骨を形成し、新たな肉を作り、皮膚で覆い、そして崩れた箇所もまた内側から盛り上がって修復される。

撃たれてから戻ってくるまで、とうとう眩草は一度もよろめきさえしなかった。



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