昼間原狂騒・嚆矢 - 6
「今日も町は賑やかだったみたいですね。僕もお祭りは大好きです!」
生ける修羅とは思えないほど陽気に、眩草は言った。
かがりは風香の事を思う。昼間原うるおいマルシェ二日目も、早い店はそろそろ撤収し始める時刻だ。
窓越しに広がる夜空は、分刻みで濃さを増していっている。
「では皆さん、自己紹介も終わりましたし仕事の話に移りましょう!
それで? このまだら模様の妖狐を殺せばいいのですかな?」
「ひとまず拳をお納めください、眩草さん。
順に話を進めていきましょう。気の利いたディナーを楽しみながらね」
やんわりと蟻巣塚が話を逸らし、眩草は素直にテーブル上に乗り出しかけた身を引っ込めた。両者の間で呼吸が出来上がってきている印象を受ける。
いきなり矛先を向けられたユウは、驚いたり怖がるよりもぽかんとしていた。正しい反応である。
(……でも……どうしてカタンなんだ……?)
眩草が正真正銘のカタンなのであれば、戦力としては申し分なさすぎる。文句のつけようがない。
しかし、かがりの中には新たな疑問が生まれつつあった。
というのも、てっきり蟻巣塚は昼間原に起きている異変の元凶を突き止められ、かつ交渉次第ではかがりの後任に就ける人材を探しているものだと思っていたからである。
なのに、蟻巣塚が交渉していたのはカタンだった。
カタンは言うなれば一発屋で、ずっとその地に留め置ける存在ではない。
目の前に出現している敵を討伐する仕事には最上級の力を発揮しても、環境の調査や継続的な観測となるとそうでもない。というより、はっきりと畑違いである。
つまりは今、昼間原で求められている能力からは微妙にずれている。
かがりが目をやると、そうなんですよと言いたそうな表情を舞が返してきた。どうやら同じ疑問を抱いていたらしい。蟻巣塚がその辺りを考えずに招くとは思えないのだが――。
「失礼致します」
ここでノックがあった。
蟻巣塚が返事をして、初めてドアが開く。
一礼して入ってきた給仕が、各席のグラスに酒を注いでいった。かがりは飲みつけないワインである。眩草は即座にこれもうまそうに飲み干した。他の人間はまだ食前酒にも手を付けていないというのに。
赤いソースのかかった野菜と肉のような何か、そしてテリーヌのようなものが小さく盛り付けられた皿も置かれる。たぶん前菜だなとかがりは見当をつけた。味の方はうまいのかまずいのか想像もつかない。
給仕が去るのを待ち、話が再開される。
「ま、仕事ではありますが命を預け合う間柄です。
料理と酒も届いたところで、これより簡単な親睦会を兼ねた現状報告会を始めさせて頂きます。気取らずに済むよう個室を取りましたので、どうぞご自由に召し上がりながら、あまり堅苦しくならずお願い致しますね。コースの他に、そちらのメニューからアラカルトも頼めます。ご希望がありましたら遠慮無くどうぞ」
蟻巣塚がグラスを掲げ、略式の乾杯の音頭を取った。
かがりがぎこちなく、舞がそれよりは自然な動作で後に続く。
慣れない服装のせいで、動くたびに袖が突っ張ってならない。
眩草は最初の皿をぱぱっと手際よく片付け、自分で瓶から注いだワインを口にしていた。自由である。
かがりは自分の皿から、適当に食べられそうなものを選んでユウに分けてやった。取り分け用の皿はなかったので、手に乗せて与える。開始早々どこもかしこもテーブルマナーもへったくれもあったものではない。
「んじゃフッチー、やろっか」
「軽いですね!? いえ異存はありませんけれど」
「あーそうだ皆様、盗聴器の類が室内に仕込まれていないのは調べ済みですんで念の為。まあ盗聴されたからといってそこまで困る話もしないですがね。
それと店の人間には必ずノックして入ってくるよう伝えてあるから、狐くんも安心して食べてね」
「ユウ、その時だけは食ってないで身を隠せよ。できるよな?
あと酒だけは絶対に絶対に飲むんじゃないぞ」
「むぐむ……んぐっ! ん、うん、わかった。
この厚揚げみたいなのうまいぞ、かがり」
待遇に不満はないらしく、ユウは上機嫌で承諾した。
厚揚げではないと思うが、かといって何なのかはかがりにも分からないので、これについては何も言えない。本日のコース内容と書かれた紙を見てみても、鶏肉が使われている以外余計に分からなくなっただけだった。
「それで市長、どこから話を始めればよろしいでしょう?」
持参した大型ビジネスバッグから人数分の資料を取り出しながら、かがりは尋ねる。
「最初っから全部やってちょうだい」
「最初というと……昼間原まつりの幻からでいいですか?」
「うんにゃ、昼間原の呪いについての説明からだ。あと狐くんとの出会いもね。元からここに住んでたオレらはいいとして、この妖狐はどっから来たんだってなっちゃうし」
「わかりました、では資料をお配りします。こちら霜走さんの分です」
「ありがとうございます。何だかまた厚くなったような……」
「なるべくまとめているんですけどね……こちらは市長と眩草さんに。どうぞ」
「どーもね」
「ありがとうございます! いやあ、状況説明から入る現場とは新鮮ですね!」
舞と蟻巣塚が、そして嬉しそうに眩草がファイルを受け取る。
嫌味で言っている訳ではなさそうだ。人懐っこいチベタンマスティフにでも例えるべきか。
「……それでは、最初にここ昼間原市が長年置かれてきた状況と、そうなるに至った原因、昼間原の大蛭伝承についてご説明します。市長からお話しがありました通り、各自どうぞお食事を続けながらお聞きください」
かくしてかがりによる報告が始まった。皆がファイルを一斉に開く。
本件を頭から振り返るのはこれで何度目か。しかし何度目であろうとまともな手掛かりひとつ掴めていないとあっては、ゼロに等しい。
それでも今夜、明日以降の方針だけは確実に決定するだろう。自然、かがりの腹にも力が入った。
暫くはレポートを読み上げる声だけが室内に流れ、ページを繰る乾いた音がそれに重なる。途中、料理の運ばれてくる小休止を二度挟み、報告は締めに近付いていった。
「むぐ……このパイ包みのお肉おいしいですね。自分、こんなの今まで食べた事ないですよ!」
「牛フィレだね。うん、ソースもいい味出してるわ。ムダに古くて高いだけの店じゃないのがいいやね、ここは。端っこのライムクリーム付けてもうまいぞ」
「しかし、大事な話の最中なのに呑気に食事してていいんですかね……こらユウ、皿を舐めるな」
「いいのいいの、せっかく高い金払ってるんだから冷める前に食っちまわないと。ふう、ワインのチョイスもいい塩梅だ……っと、それでですね皆様、食べながらで結構ですので耳をこちらに。
楝くんによるここまでの報告によれば、敵の正体に関する可能性は大きくみっつ。
ひとつは、化け蛭が実は生きていて、復活した可能性。
次は、生贄として捧げられた昼間原の勇士たちの可能性。
最後は、この二つに該当しない第三者の可能性。
なお動機や目的は除外しました。あくまで敵として成り立つ可能性があるのは誰か、という話です」
「じさまから聞かされましたよ!
バトルオブ昼間原、その時に出現した蛭ですね。うん、いや逆かな?」
「そうですね。蛭との大戦にちなんで昼間原と名付けられたようです。それまでの地名は坂畝でした。坂と畝。田舎まんまですな」
「よくないなあ、ネーミングの縁起が悪いですよ。
その点僕の名前を見てください! クララですよ、実にかわいい。ねえアリスさん」
「蟻巣塚です」
眩草はワインをぐっと飲み干した。これで何杯目になるのか、そろそろ二本目のボトルも空になる。
縁起が悪い云々を語るなら、そもそも眩草というのが毒草の名前なのだが。
「敵候補が絞られたところで、次は疑問点に移っていきましょう。
……といっても率直に申し上げまして、本件が丸ごと疑問の塊と呼んで然るべき状態ですので、ひとつずつ挙げていったのではキリがありません。
長い間平穏に昼間原を蝕んでいた呪いが、何故急に活性化したのか?
初めの大規模な幻術は、何故昼間原まつりそのものだったのか?
大規模ではあれど無害だった幻術が、何故攻撃性を帯び始めたのか?
敵性体ノヅチの正体を、何故その妖狐だけが見破れたのか?
なのに三度目の異変で発生した敵性体は、何故全員の目に共通する姿で映ったのか?
……などなどなど。多すぎて頭痛がしてくるねこりゃ。
ですんで、まずは出発点を順に潰してくとこからスタートしようと考えております」
「出発点、でありますか?」
「そう、出発点だ霜走くん。幹が減ればそのぶん枝も減る。
差し当たっては最も手っ取り早く、かつ唯一、具体的に取り掛かれる作業――」
集まる注目の中、蟻巣塚はファイル後半のとあるページをぴしゃりと手の甲で叩いた。
「昼間原八岩下の掘削を明日から始める計画です」
長いようで、終わってみれば瞬く間の数時間だった。
すっかり人の消えたロビーを歩いていると、まだまだ話しておくべき事、相談しておくべき不安があった気が際限なくしてくる。
しかし、とにかく終わったのだ。数ヶ月に及ぶ停滞は破られ、遂に解決へ向けての一歩は踏み出された。
全ては明日。次に陽が昇れば、事態は大きく動き出す。
ここ数ヶ月かがりを悩ませ続けた澱が、綺麗さっぱり除去されるかもしれないのだ。
そう思うと、軽く一杯に留めておいた酒の酔いが全身に深く心地良く回ってくるように思える。
祝杯をあげるにはまだまだ早い。
「それでは皆さん、また明日! お元気で!
そうそう、この町のリンゴジュースと蜂蜜は絶品ですよ。ぜひゴクッといってみてください!」
他ならぬこの町の住民たちに得意気にそう教えると、眩草は自分の泊まるスイートルームへ引き返していった。エレベーター内に彼の姿が消えた途端、ロビー内の気温が体感数度下がったような気分になり、かがりと蟻巣塚と舞は互いの顔を見合わせて力無く笑う。
蟻巣塚はいつも通りだとして、舞が自分と同種の安堵を得ているのをかがりは感じ取っていた。
ここ数ヶ月間、自分以上に日夜市内を駆け回っていたのはおそらく舞だろう。
蟻巣塚には蟻巣塚の立場でしか背負えない苦労が多くあり、常に前線にいたかがりとて命を張りっぱなしだったには違いない。それでも細々した雑務まで含めた多方面の忙しさでは、このくのいちが一番だったのは想像に難くなかった。
本人は、それでこそ忍者の本懐であると満足そうに頷くのかもしれないが。
「市長」
「何だい」
「ありがとうございます、昼間原八岩の話。根拠もない思い付きに過ぎない話を、約束通り真剣に検討してくれて」
「思い付きっていえば現時点じゃ全部思い付きなんだよねえ。そんな有り難がらんでいいよ。ぶっちゃけ一番可能性が薄いから最初に潰しときたかっただけだし」
「主殿、そこはもうちょっと楝殿を立てるような言い方をですね」
「けど、万一掘り当てれば大金星の大躍進だ。薄くても労力を割くに足る価値はあると判断したから、やると決めた。その決定の価値は、元々掘る予定だったのとは別にある。
誇っていいぞ。前のあなたなら思い付いてたかどうかも怪しいからな」
蟻巣塚はかがりを見て、茶化さずに言った。
かがりが頭を掻く。
またそうやってかがりを侮る、と抗議するかのように、ユウが蟻巣塚の革靴を前脚でぺしぺしと叩いた。
「ホントに歩いて帰るの? だいぶ遅いよ?」
「ええ、風に当たりたい気分なので」
蟻巣塚が呼んでくれようとしたタクシーを、かがりは断った。車ならともかく徒歩となると家まで結構な距離があるが、今は街を見ながらゆっくり帰りたかったのだ。
そう告げたかがりを、おセンチだなと蟻巣塚がからかう。
二人に見送られてホテルを出たかがりは、ユウと共に真っ暗な夜道を歩く。
春を迎えたとはいえ、夜になると空気はひんやりしていた。かがりは立ち止まると、踵の高い靴を脱ぎ、大型ビジネスバッグから取り出したスニーカーに履き替える。絶対に足が痛くなると用心して持参した靴だったが、正解だ。かがりは自分の判断を褒め称えた。
ちなみに蟻巣塚と舞は、念の為に時間を置いて別々にホテルを出る事になっているらしい。舞が人前に姿を現さないならこうした面倒はなかったが、さすがに高級レストランの個室に無断侵入する訳にはいかなかったのだろう。
職場が同じ独身同士というのも大変だと、他人事のようにかがりは思った。
「……そろそろ平気だよね?」
「ああ」
「ふぃー!」
頃合いを見て、ユウが隠形を解く。夜も更けたおかげで人通りがほぼ途絶え、リードを付けていなくても目立たない。
歩道を照らす街灯、夜風を受けてさわさわと揺らめく街路樹の黒々したシルエットが、いつになく強くかがりの目に染みる。
「いよいよだ。やっと、だ」
万感を込めて、かがりは呟く。
数ヶ月間耐え続けてきた心労と抱え続けてきた疑問への、具体的なゴールが形作られ始めた。渡した資料三冊ぶん軽くなった大型ビジネスバッグを、子供がするようにぐるぐる振り回す。
腕も肩も、そして背中も軽い。
「これで全部片付くのかな?」
「そうだな、うまくすれば私はお役御免になれる。
……おいおい、そんな顔をするな。この件に関しては、の話さ。異変が解決しても、まだまだ仕事は残っているよ」
かがりは、絶大な自信に裏打ちされた眩草の顔を思い浮かべる。
噂どころではなく破天荒で破滅的ではあったが、自分如きでは影すら踏めない天の高みにいる超一流。
カタンが来たからには、敵は倒される。
どうして一見この問題には不向きなカタンを選んだのかという疑問の答えは結局得られないままだったが、少なくとも蟻巣塚はそう確信しているようだった。
明るい心境を反映した足取りは自然と早まり、やがて幼い日から何度も上り下りした灯玄坂が見えてくる。
家に帰って、無事に終わったと風香に一報を入れて、風呂に入ってぐっすり寝て、そうすればもう明日だ。
「忙しくなるぞ」
別れ際の蟻巣塚の呟きが、灯玄坂を下っていくかがりの中にいつまでも残っていた。




