昼間原狂騒・嚆矢 - 5
昼間原第一ホテルは、都心の高層ビルには到底及ばなくとも、市内の建築物の中では随一の高さを誇っている。
目的のレストランはその最上階にあった。
エレベーターを降りた先の小ホールで舞と合流し、深い臙脂色の絨毯が敷かれたフロア内を進む。
かがりは腕時計を見た。予定通りだ。
入口でスタッフに到着を告げている蟻巣塚の向こう側に、店内の様子が伺える。
テーブルとテーブルの間隔からして町の洋食屋とは違うなという、極めて小市民的な感想が浮かんだ。大窓からは昼間原市をパノラマに一望できる。といっても見えるのは地方都市の小狭い街並みと遠方の山野程度だが、もう少し夜が深まれば、今より幾らか見栄えのする夜景となってディナーに華を添えてくれるだろう。
「さあ行こう、皆さんお腹空いてるでしょ?」
振り返った蟻巣塚に、勿論ですと「くらら」が元気に答える。
些か元気すぎたようで、運悪く近くのテーブルにいた男女が一瞬視線を向けてきた。何なんだ、とでも言いたそうである。まったくもって同感でしかなく、かがりは額を抑えつつ案内人の後について店の奥へ進んだ。後ろを、ちょこちょこと慎重にユウがついてくる。
予約してあるのはフロアの奥の奥。昼間原第一ホテル内で最も高価格帯なこのレストランの中でも、二部屋しかない個室だ。入ってさえしまえば、優雅なディナーを楽しみにきた彼らに騒音公害を振り撒く事もないだろう。
通り過ぎる際にたまたま目に入ったテーブル上では、太いキャンドルの火がゆらゆらと幻想的に揺らめいている。キャンドル、と甚だ馴染みの薄い単語を口内で転がし、かがりは部屋のドアを潜った。
いわゆるVIPルームになるのだろうか。
昼間原市にもそんな代物が存在していた事が、かがりにとってはある意味で今回の異変と同レベルの驚きだった。当然、入るのは初めてになる。感想は――イメージよりも狭いな、であった。ユウではないが、映画の見過ぎだ。
もっとも、少人数で集まるには充分すぎる広さである。今いるのは四人だけとあって、全員が席についてもテーブルはがらんとしていた。
隣席との距離が空きすぎているのも却って落ち着かないものだが、もっと詰めませんか、とは口にしない方がいいんだろうなと、かがりは先程からひょこひょこ顔を出してくる平民根性と戦っていた。ここは効率や倹約とは無縁の空間である。
壁にかかった静物画をぽかんと見上げているユウを手招きして呼び、目の前にずらりと群れているフォークやナイフやスプーンを複雑な顔で見下ろす。
複数本用意する意味はあるのか、これは。
「その都度、料理と一緒に持ってきてもらった方が良かったかい?」
「どっちでも同じですよ」
からかってくる蟻巣塚に、かがりは拗ねたように言った。
かがりと比べれば、舞はずっと落ち着いている。服装もあの胡散臭い人攫いの仮装ではなく、青基調の無地のドレスでシンプルにまとまっていた。これなら間違っても人攫いには見えず、ましてや忍者にも見えない。
一方「くらら」はといえば、興味深そうにフォークやナイフを持ち上げては、きっちり元と違う場所に戻している。あそこまでいくと才能かもしれない。
蟻巣塚が酒を選び、立ち去った給仕がドアを閉めると、部屋に残るのは関係者だけとなった。
かがりは空席となっていた隣の椅子を引き、ユウを抱き上げて乗せる。これにはユウが驚いた。
「俺も座っていいの?」
「ああ、許可は出てる。店のじゃなくて市長のだけどな」
「狐くんは今日の主役のひとりだからね、話がしやすいとこにいてくれないと逆に困っちまう。でも抜け毛は最後に掃除して帰ろうなー」
「う、うん!」
ユウは緊張しつつも喜び、前脚を揃えてテーブルに乗せた。
椅子は蟻巣塚が頼んでおいてくれたものだろうが、食器類は用意されていない。表向きは誰もいない筈の席に料理を運んでもらうのは不自然だから、こればかりは仕方なかった。そこは、食べられそうなものをかがりが分けてやればいい。
と、そこでかがりは違和感を覚えた。
この部屋に、一向に他の人間が入ってこない。
ユウが座った席を除いて、空いている椅子ももう無い。
予定時刻はとうに過ぎている。他のメンバーはまだ来ないのかと、扉の方を気にしながらかがりは考えた。
「市長、残りの方々の到着は遅れているんですか?」
「ん、残りって? ……ああそっか、残りって残りね。
これで全員だよ。応援要員は彼だけ」
何を言っているのか理解が遅れた。
唖然として舞を見る。が、そうなんですよと言いたげな表情は、蟻巣塚の発言を肯定するものでしかなかった。
「だけ……って、まさか一人!? 都市規模の災厄ですよ!?
私はてっきり、こちらの方は交戦時の担当なのだとばかり……」
「わかってるよ、オレなりにいろいろ考えた末の決定だ。そりゃ頭数が多いに越した事はないだろうが、この人数でいけるとオレは踏んでる。さ、それよか本格的に飯と酒が来る前に自己紹介を済ませよう」
「待っていました! 折角じさまがくれたのに、使う機会がたった二回きりでは報われませんからね!」
蟻巣塚たちとは既に名刺交換を済ませているらしく、「くらら」はかがりだけに狙いを定めて言った。やたらと目の力が強い。一人しかいない事に不安を覚えたようなかがりの発言にも、これといって気を悪くした様子はない。
そう言われては、かがりとしてもこの話題を続ける訳にもいかず、たまのプライベートの仕事でしか使う機会のない名刺を差し出し、入れ替わりで刷り立てのピカピカした名刺を受け取った。
まず、中央に大きく印字された名前が目に飛び込んでくる。
『眩草 逆明』
ああ、とかがりは合点がいった。
音と文字とがようやく結び付く。楝も大概だが、これもまた珍しい姓である。名前の方は「さかあき」と読むようだ。こちらもポピュラーな名前ではないとはいえ、姓ほどではあるまい。
しかし、それらを遥かに超える珍しい文字が名前の横には踊っていた。
『カタン単純戦闘員 特一等』
――カタン。
「カタン!?」
「おうよ、カタンだカタン。あのカタン。
すごくね? ビックリしたろ? あとすごいだろ。申し込みから到着まで一ヶ月ちょいのスピード配送だぞ」
「主殿、そんな通販みたいな」
「……カタンって誰? 人間の間では有名なの?」
過剰とも思える周囲の反応に、ついていけていないユウが尋ねる。
かがりは即答した。
「有名だ。我々の間では、とても……有名だ。
家と家の事情に疎い私でも名前を知ってる。戦闘面に特化した、我が国でも最強クラスの壊し屋集団……」
「戦闘民族カタン、とね。
いかがですか? 初めて本物を見たご感想は。有名ではなく悪名だと吐き捨てる、口さがない者たちも多くいるようですが!」
「……それは……その、まあ、強さを追い求めるあまり、だいぶ風変わりな気風を持つとは伺っています」
「明言避けたな意気地なしめ」
「要するにすごい強い変な人って事? 確かに変だったけど」
「ユ、ユウ殿! 主殿も!」
「ははは、山籠りしているから仕事に行けないと断ってくるような団体が変なのは間違いないでしょうね! 正解です!
すごい強いという評価も合ってますよ。先程お話しした通り、敵とやらも着いた昨日のうちに殺して帰るつもりでしたから」
眩草は、うまそうに食前酒を飲み干した。
他の人間はまだグラスに口をつけてもいなければ、始めましょうとも言っていない。
「ところが! なんと打ち合わせが必要だから待ってほしいと!
おかげで退屈死しそうでしたよ」
事前連絡をしていなかったなら当然そうなる結果に対して、眩草は自慢げに困ってみせる。
蟻巣塚が密かにかがりへ目配せしてきた。目が疲れ切っている、ように見える。
「先にお知らせ頂ければ、私も市長と一緒にお迎えにあがりましたのに」
「いえいえ、派遣する話がまとまるなり直行してきましたから出迎えがなくて当然です! こちらのアリスさんも、いきなり役場に現れた僕を見ておおいに驚いていましたからね!」
「蟻巣塚です」
すかさず蟻巣塚が訂正する。
どうやら、眩草からはアリスなる呼ばれ方をしているらしい。クララとアリス。若い巨漢の山伏と役所勤めの中年男に用いるのが許される呼称ではない。そして蟻巣塚本人は、この呼ばれ方をだいぶ歓迎していないようだった。
若干ざまあみろと溜飲を下げつつも、かがりから蟻巣塚へ送られる眼差しは同情的である。
市長というのは多忙な職だ。もしもアポイント無しで来て不在だったらどうするつもりだったのか。この男の性格なら役場の受付で除霊に来たと喚き始め、同じ階で仕事をしていた舞の表情が一気に死にかねない。
(カタン……噂に違わぬというか、それ以上に破天荒と言うか非常識というか……)
心中でかがりは反駁する。
噂といっても、かがりはカタンについて詳しく知る訳ではない。
群を抜いた強者揃いだが、自分の強さ以外に興味がない為関わり辛さも突き抜けているという程度で、詳しく内情を知りたいと考えた事さえない。
しかしこの短時間の接触で、彼らを表すには「変わり者」の一言で足りると判明したのは収穫である。生と死がそこそこ隣り合わせなこの業界に生きる者など、かがり自身含めて一癖二癖あるのが標準のようなものだが、それでも九割の人間は、公の場では弁えた振る舞いを心掛けるというのに。
カタン。
戦闘民族カタン、壊し屋カタンとも畏怖を込めて呼ばれ、また揶揄される団体。過去には定住せず各地を放浪していた時期もあったが、現在では本土の中部地方に居を構えて落ち着いた。
特徴は、強いの一言である。構成員の一人一人が、生涯修行という文句で構成されているような。
己が所属する分野の高みを追い求めるのは、かがりや蟻巣塚のようなドロップアウト組でもない限りどの家、団体も共通しているが、普通はその過程で当たり前のように死人を出したりしない。授業や修行のたびに殺していたのでは、素質ある人間が何人いても足りないからだ。
常識外れの死による脱落選別を潜り抜けた者だけが、晴れてカタンの名を背負える。
素質に恵まれない人間は分相応の役割をこなして暮らすという、どこででも成り立つ生き方がカタンでは許されない。嫌なら出ていく事も可能だが、嫌だと感じた時にはもう死んでいるので脱落者は少ないという正気を疑う噂まである。
このように、この国でも紛れもないトップ集団を走るカタンだが、単に歴史ある名家というのともまた少し違っていた。
他の有名所が代々技能の探求と蓄積に邁進しているのと違い、カタンは個々人がその代で強くなる事しか考えていない。会社というよりは合宿キャンプで、今ある技術と機材のみを用いて己を鍛える。
故に蟻巣塚の生家のような、声そのものを術として用いればと発案、研鑽、独立といった道を辿る者は生まれず、習得した技術を次の世代に繋ぐ事も、一部の幹部を除けば無い。悠長に研究などしていては、日々の行で死ぬからだ。
その為、実力者揃いでありながら、カタンに所属しつつ新たな流派を切り開くのは不可能に近い。
決められたメニューを極度に高度なレベルで実行し自己を苛め抜く、ある意味お役所仕事の究極の形。
外部からの仕事も引き受けているが料金は相当な高額で、しかし利益そのものにはあまり興味がなく、おまけに依頼したからといっていつ来てくれるかは分からない。仕事をしている暇があるなら腕立て伏せの一セットでも増やそうとする思考の人間ばかりでは、契約を取り付けるのも困難になろうというものだった。
それが今、ここに、いる。




