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昼間原狂騒・嚆矢 - 4

日没が近付いてきた。

予定時刻の三十分前到着を見越して、かがりとユウはきつねやからタクシーに乗り込む。

といっても市内の、それも比較的近場の移動である。車に乗ってからは、信号待ちも含めて10分足らずで到着してしまう。

移動中、ユウはずっと窓の外を流れる景色を眺めていた。


資料の入った大型ビジネスバッグを手に、タクシーを降りる。

昼間原第一ホテルを見ての第一感想は「でかいな」であった。

かがりの巡回範囲は市内全域に渡っているが、重点的に見回るべき地域というのは、長年の観測結果によってある程度定まっている。

このホテルが建つ近辺は、比較的澱みや溜まりが少ないエリアだった。

故に足を運ぶ頻度も低ければ、出向いたのに空振りという結果も珍しくなく、どうしても印象は一段薄くなる。

しかも、中に入るとなるとこれが初めてだった。

それはそうだろう。ビジネスの世界に生きている訳でもなく、接待をする立場でもない一介の退魔業であるかがりには、わざわざ由緒ある高級ホテルで食事や宿泊をする必要がない。

よってこれまでは、通りすがりにビルの外観を視界に入れるだけの縁であった。


「古臭いホテルだと思ってたけど、こうやって近くで見ると案外立派なもんだ」


ユウが無言で相槌をうつ。

外壁に黒ずみやひび割れは一切ない。駐車場も七割がた埋まっており、客の入りもまずまずのようだ。

庭木の剪定をしている職人を横目に見ながら、かがりは大きな正面ドアを潜った。


まず目に入ってくるのは、横に長い受付カウンター。数名のフロントスタッフが控えている。

二つ並んだエレベーターの隣には、今日このホテルで行われる会合の場所と時刻がパネルで展示されていた。

温泉宿みたいだなと思いながら、何々社交ダンス会や懇親会と書かれているパネルを、かがりは上から下へ眺めていく。当然ながら自分たちの名前は見当たらない。


ロビーはたっぷりと余裕ある奥行きで、高い天井から降り注ぐ乳白色の照明光が重厚な雰囲気を演出している。やたら豪華なシャンデリアがこれ見よがしに吊られているところが、いかにも古いタイプの高級ホテルという印象だった。

隅には、席数はさほど多くないもののラウンジが設けられており、カウンターで各種ドリンクや軽食を提供している。

もう少し本式の食事をとりたい客は、同じ階のカフェと洋食レストランを利用すればいい。店内からは庭園が鑑賞でき、食事のみの客から家族連れの宿泊客まで幅広い客層に向いている。価格も比較的手頃だ。

が、今回の顔合わせで使うのはここではない。


早すぎる到着を自覚しつつ、あるいは蟻巣塚も既に来ているかもしれないと、かがりは周囲をざっと見渡した。

そして気付く。柔らかい光に照らされたロビー内には、思いのほかカジュアルな服装の人間が多いと。

ドレスコードが常識なレストランとロビーとでは、同じホテル内であっても単純な比較はできないが、ここではかがりのような堅苦しい服装をした人間の方が少数派である。

ううむ、とまるで今から面接にでも赴くかの如きスーツ姿の自分に唸ると、かがりは足元に控えるユウを見た。

絨毯に四肢の爪を突っ張って立つ小さな狐の全身は、いつになく緊張感に満ちている。空気が外より乾燥しているのか、頻りに鼻をすぴすぴと鳴らしていた。

スタッフも客も誰一人注目しないところを見るに、隠形法はしっかりと機能しているようだ。余程派手に騒ぎ立てない限り、見付かる事はあるまい。


そして当然といえば当然ながら、どこにも蟻巣塚たちの姿はなかった。

約束の時間までは約20分。遅くとも10分前には蟻巣塚たちも到着するであろう事を考えると、ラウンジやカフェで一服しながら待つにしては微妙に中途半端な猶予である。予定外の飲食スペースにユウを入れるのもどうかという躊躇もあって、結局かがりはこのままロビーで待機する事に決めた。

それまで休めそうな場所をと探し、壁際にある休憩スペースに目を付ける。

一人掛けのソファが五脚並べられており、前の机で簡単な作業も出来るようになっていた。雑誌や新聞もある。現在利用者は一人しかおらず、ユウもソファの下に伏せていられるから多少は気が楽になるだろう。


あそこにしよう、と独り言を装ってユウを促し、かがりは休憩スペースへ向かう。席は一番端のを選んだ。さすがというべきか、座り心地は上々である。高い背凭れが体のラインにしっとりと吸い付くようだ。

ユウが下に潜るのを確認すると、途中で抜き取ってきた新聞を広げ、目についた記事を流し読みする。朝のニュースでも流れていた政治や事故の情報が、特に代わり映えもせず並んでいた。


「やあ、そちらのお嬢さん!」

「!?」


全く予想していなかった方向から声が飛んできた。

それも、特大の。


誰かといえば、同じ休憩スペースにいた唯一の利用者。かがりとは反対側の端の席に座っていた大柄な男性客が、出し抜けにそう呼びかけてきたのである。

よりによってふっと気を抜いたまさにその一瞬を突いた出来事だった為、かがりは飛び上がらんばかりに驚いた。見開いた目に、特大サイズのビジネススーツに身を包み、朗らかさのお手本のような破顔っぷりを披露中の巨漢が映る。

類稀な胸と胴の厚さ。真っ直ぐに伸びた背筋。組んだ両腕は今にもスーツの生地を押し広げて破ってしまいそうに太い。席へ移動している最中はさして気にも留めなかったが、間近で意識して見ると彫像の如き見事な肉体美だった。

だがそれはそれとして、やはり先客の顔に見覚えはない。

顔立ち云々ではなく、こんなスーツを着込んだ武蔵坊弁慶のような男と会った事があれば、忘れたくても忘れられない筈である。


唖然とするかがりとユウの事など一向に気にせず、男はロビー全体に轟くような声を抑えようともせずに話し続けた。


「ここはなかなか素敵なホテルですね! スタッフの気配りが行き届いているおかげで、じっとしているのが性に合わない僕も割合リラックスできています!」

「は、はあ、そうですね……!? そうなんですか?」

「ええ、特に食事がおいしい! 老舗の座に胡座をかかずいい仕事をしています。和牛のビーフシチューとカサゴの餡掛けが僕のお勧めですよ!」

「……それはそれは……あの、ところでどちら様でしょう?

以前どこかでお会いした事が……?」

「残念ながら以前お会いした事はありませんが、この後でお会いする事にはなっています。いやなに、妖狐を連れているのでそうではないかとピンときたのですよ!」


かがりは盛大に咽そうになった。

辺りを憚らない声は、蟻巣塚とは違った意味で良く通る。

その豊かな声量で、何という事実を場所も空気も読まずに明かしてくれるのだ、この男は。


恵まれた長身。

それに恥じない、鍛え抜かれた完璧な肉体美。

ほとんど坊主頭に近いまで刈り込まれた短髪。好漢を絵に描いたような若々しい精気に満ちた笑顔。

でありながら無駄に大きすぎる声。

欠如した常識。


男性としてのひとつの完成形でありながら一種異様な、まさに目の前にいる男が件の援軍なのだとかがりは知った。

否、嫌でも理解せざるを得なかった、これでは。

当惑を隠せないまま、かがりは素早く視線をロビー内に走らせる。

不安は的中し、近場にいた客の何人かがちらちらと目を向けてきていた。はっきりと顔を顰めている者もいる。現時点ではまだ、場所を弁えず大声で喋る迷惑な客止まりで済んでいるが、このまま続けばスタッフから一言二言あるだろう。

それだけは避けたかった。摘み出されはしないにしても、打ち合わせ直前にして厳重注意はみっともなさ過ぎる。


「お会いできてとても嬉しいです。はじめまして、僕はくら……む、こういう時だと自己紹介はまだ待つべきですかな?」

「……なんでそこには待ったがきくのに他は……い、いえ! ごほん! ええと、お名前くらいでしたらこの場でも問題は」

「いいや! やはりここは先走らずに待つべきでしょう!

でなくては折角このような席を設けてくださった市長さんに申し訳ない! 僕としては、席など設けるまでもなく昨日のうちに殺してしまうつもりだったんですけどね!」

「……………………」


なんなのだ、この男は。

秘匿も隠蔽もへったくれもあったものではない。

実のところ妖怪だの幽霊だのといった話を聞いても真面目に受け取る人間はほぼいないのだが、だとしても普通は「世間から変人だと思われないようにする」という、非常に重要な理由から隠そうと努めるのに。

しかも言った。客やスタッフがそれなりにいるホテルのロビーで殺すと言った、この男。


いつの間にか男は席を立っていた。異様に厚い胸板にずいずいと詰め寄られながら、かがりは混迷極まる現状をどうにか打破する手立てを探る。

というか、この男の仲間は一体何をしているのだ。こんなのを一人で野放しにしておくとは。全員が同類でもない限り、単独で人前に出さないよう誰かが阻止するだろう――と憤りかけ、全員同類である可能性が決して否定できない事に気付いたかがりは軽く絶望した。

待望の救い主が来る筈ではなかったのか。とりあえず会話をしてほしい、会話を。


「と、とにかく一旦ロビーの、いえホテルの外へ出ませんか?」


遂にこの場での沈静化を諦めたかがりは、強引に話を打ち切りにかかろうとする。

ひとつだけはっきりしていたのは、この男を人の多い場所に置き続けては駄目だという事だった。最善ではないが次善。高級ホテルのロビーよりはまだ外の駐車場の方がいい。少なくとも現状より悪化する事はあるまい。

そう決断して立ち上がったかがりの顔が、正面入口の方を向くやぱあっと輝いた。


「あー……なんとなく予感してたけどやっぱりこうなってたかぁ」

「しちょ……!」


かつてこの男を見てここまで嬉しかった事があっただろうか。いや無い。

ロビー内でもいつものフェルトの中折れ帽を被ったまま、困り切っているかがりの元へ、つかつかと蟻巣塚が歩いてくる。

かがりは姿勢を正して待った。助かった、という心底からの安堵が全身から発散されている。

かがり達へ集まっていた注目を見て取り、フロントへ向けた丁寧な一礼で問題ないと伝えてみせると、お待たせ、というように蟻巣塚は片手をあげた。ブランドスーツが仕事着なのだから当然というべきか、三人の中では最も着こなしが様になっている。


「こんばんは眩草さん、本日は宜しくお願い致します」

「いえいえ、時計の秒針を一秒一秒数えながら待ちかねていましたからね。やっと話が進む!」


蟻巣塚はまず男に挨拶をした。

くらら、という聞き慣れない響きがかがりの耳に残る。西洋人には見えないが、ハーフなのだろうか。

結構な長身の蟻巣塚とこうして並んでさえ、男の存在感は圧倒的だった。質量の暴力というフレーズが、かがりの頭に浮かぶ。


挨拶が済むと、次に蟻巣塚はかがりを見た。

その口から飛び出してくる言葉は、男に対してのものよりだいぶ気安い。

市長だと気付いている客もロビー内にはいるだろうに、いつもの如く蟻巣塚に口調を気にする様子はなかった。彼の能力を考えれば、聞かれていても影響はないのだろう。むしろ聞かれた方が影響がないといえる。


「フッチーが一番乗りかい。数字に細かい術師と、暇で暇で仕方ない男が同じホテルにいればまぁ遭遇するよなあ。にしてもいやはや、えらく粧し込んできたじゃないの」

「嫌味ですか。どう見ても中途採用の就活生で悪かったですね」


実際、就活しなければならない状況に近付きつつはあるのが皮肉だった。

狐くんも、と蟻巣塚が足元を見やる。ユウは相変わらず口を噤み、固まっていた。気を緩めて隠形が解けないよう必死なのだ。ただし怒涛の展開に押されたあまり、口が半開きのままになっている。

口締めて口、と蟻巣塚がジェスチャーをすると、慌ててぱくんと閉じた。


「霜走さんは?」

「霜走くんはオレらとは別に向かう事になってる。まさかオレと一緒にホテルに入ってく訳にゃいかないからなぁ」

「道ならぬ恋、というやつですね!」


男が話に乗ってくる。意味が分かって言っているのかまでは不明である。

蟻巣塚は愛想笑いでやり過ごしていた。手慣れた風だが、この境地に至るまでの多大な苦労がかがりにはありありと想像できた。到着からたった一日しか経っていないのに、何がどうしたらこうなるというのだ。

かがりの事前に抱いていたイメージでは、もっとこう、ひと目見るなり身が引き締まるような威厳と風格に溢れる手練れが来て。そして冷静に情報を分析して。かと思えば緊張するこちらを穏やかな口調で諭してくれたりもして。昼間原市の未来は明るくて。

と、そういった展望は遭遇からものの10分で粉々に打ち砕かれてしまっていた。

前途に漂う言い知れない不安を無理やり振り切り、兎にも角にも合流した一同は打ち合わせ会場であるレストランへ向かうべく、エレベーターへと乗り込んでいった。



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