昼間原狂騒・嚆矢 - 2
「それで、場所と時間だけどね」
本題が始まった。かがりはメモを手に取る。
打ち合わせを行う場所として選ばれたのは、昼間原第一ホテル。
洒落た名称が飛び交うこのご時世にあって古臭い名前だが、会食の席としての使用に応えられる各種レストランを備え、また結婚式場としても利用されるなど、昼間原市では随一と言っていい高級ホテルである。
貴賓扱いにするなら会場はあそこくらいしかないだろうなと思っていた為、かがりもこの選択には納得した。高いレストランに入るとなると、それなりに身なりも整えていかなければならないだろう。
少し驚いたのは、ユウも連れてくるようにと言われた事だ。
思わず「いいんですか」と聞き返してしまったかがりだったが、敵性体ノヅチを打ち破る鍵となったのだから、説明の為に同席させるのはむしろ当然といえる。隠形を使わせれば、ホテル内の移動にも問題はない。
かがりはちらとユウを見た。ユウは目配せの意味が分からず首を傾げている。
もう助っ人が到着しているという最初の話題の衝撃が大きすぎて、スピーカーモードにするのを忘れていたようだ。
「どっちかっつーと表立って面倒なのは、身を隠せる狐くんよりフッチーの方よね。一応ちゃんとした場所だから、ちゃんとした格好をしてきてくれ」
「ええ、それは勿論」
「相手がちゃんとしてなくても大目に見てくれ」
「それは……はい」
戸惑いながらの承諾の後、かがりは聞き直した。
「わざわざ念を押すという事は、ちゃんとした場所でさえちゃんとしていない懸念のある相手なんですか? 事前に連絡がなかった事といい……こう……思慮や常識が……」
「市長室で会った時は見苦しいカッコはしてなかったけどな。ただ動きが読めないんだこれが。レストランに完全武装の戦闘モードで現れてもオレはあんまり驚かない」
「……一体どこに依頼したんです?」
「そいつは会ってみてのお楽しみってやつにしといてくれ。絶対びっくりするぞ」
「びっくりというか不安というか。まぁそう言うなら市長を信じます」
「ありがとう。期待を裏切らない事だけは保証するよ」
笑い、それから思い出したように蟻巣塚が付け足した。
「そうそう、こいつは雑談なんだけどね。
どっかの寿司屋の親父さんには明日っから騒がしくなるかもって伝えて、暫く店閉じて旅行でもしてきたらどうかって勧めた」
「………………」
「遊び回る年でもねぇし店やっとくわって結局断られたんだけどね。変に頑固な爺さんだからあんま期待してなかったとはいえ、ヒトの親切心をなんだと思ってるのやらだよ」
「……どうしてそれを私に話すんですかね」
「さあてねぇ。所詮は雑談だしぃ、雑談に深い意味なんてないしぃ。
それだけ。んじゃまた明日ね」
露骨にとぼけた態度を取ると、蟻巣塚は電話を切る。
話が済んでからも、かがりは少しの間ぼんやりしていた。怒涛の展開を凌ぎきった反動が襲ってきたのと、雑談と称して蟻巣塚が置いていったプレゼントのせいで。
いよいよ計画が始まる日を前に、古くから親しい付き合いがある相手に旅行へ行くよう勧めた。
その「雑談」に含まれる意味が察せないかがりではない。
親切心といえば親切心なのだろうが、心の負担が増すのもまた確かである。
「どうするの?」
ユウが尋ねた。
こちらには蟻巣塚の腹芸は通じていなかったようで、その無垢さに何となくかがりは安心する。
聞かなかった振りをするか、最大限に活用させてもらうか。
少考の後、かがりは蟻巣塚からのプレゼントについては一旦保留にした。
まずは、早めに解決しておかなければならない問題の方から取り掛かる。
かがりは再び携帯電話を手に取った。
「どうしたの? 明日の確認かな?」
電話に出た風香は驚いているようだった。
解散したばかりの相手から連絡があれば、普通はそう考える。
せめてかがりは正直に、伝えられる範囲の事情は全て伝える事にした。
昼間原市に起きている例の異変を解決する為の助っ人が今日到着して、明日打ち合わせになる連絡がたった今入った事。市と市民を守る為の非常に重要な打ち合わせになるから、手落ちなどないよう念入りな最終確認が必要な事。
そういった諸々を説明し、最後に、率直に謝罪の意を伝えた。
「わかった、そういう事情ならそっちを優先して。
こっちの事は気にしなくて平気だよ。アーちゃんの欠席もわたしから伝えておくね」
風香は快諾してくれた。
せめて準備は手伝わせてほしいとかがりが申し出ると、肝心の打ち合わせに間に合うのか心配しながらも承諾してくれる。
「そのうちやる打ち上げでは奢らせてください。埋め合わせになるとは思ってませんが……」
「気に病みすぎ!
あ、もちろん打ち上げは割り勘だよ。だってアーちゃん半分は参加したでしょ?」
切り返してくる風香に、かがりの方が苦笑してしまう。
大人の対応に感謝しつつ、急な欠席を最後にもう一度詫びて、かがりは電話を切った。
ふう、と再度の溜息が漏れる。
現金なもので、連絡を終えたかがりの心はだいぶ軽くなっていた。
明日になれば援軍が来る。否、もう来ている。待ちに待った、本当に待ち望んでいた助っ人だ。たとえ自分の進退がかかっていようと、死と隣り合わせの状態が解決するのに勝る結果はない。
気が早すぎる解放感を味わっているのは、ユウの目にも明らかだったのだろう。ぐっと良くなったかがりの顔色を、良かったねと祝福する。
あれほどイベントの成功を喜び、明日も頑張ると張り切っていたのだから、内心がっかりしていない訳はない。だが同時に退っ引きならない現状についても理解しており、かつ自分もホテルでの打ち合わせに行けるという興奮が、マイナス面をすっかり打ち消していた。
そういう意味では、かがりよりも幾らか純粋にこの急展開を楽しんでいるといえる。
「さあて! そうと決まれば今夜はゆっくりしてられないぞ。
資料の準備に服の準備に……あったかなフォーマル。スーツならこの前クリーニングに出したばかりだけど、いっそ午前中に一着買ってしまうのもアリか。
今夜中にお前も風呂に入れるから覚悟しておけ。なにせ高級ホテルだ、汚れは許されない」
「げぇー!?」
ユウが悲鳴をあげる。
静かに一日を終えようとしていた筈のきつねやは、早くも明日という日を歩み始めているようだった。




