昼間原狂騒・嚆矢 - 1
第一回昼間原うるおいマルシェの一日目が、無事に終わった。
帰宅したかがりは、兎にも角にも両脚を畳の上に投げ出し、ユウと互いの健闘を称え合う。
きつねや開店以来と言っていい客入りで、大量の客を捌く機会に縁がなかったかがりは目の回る思いだったが、こうして終わってみれば何もかもが新鮮で楽しかった。
儲けとしてはともかく、期待していた以上に商品も売れ、きつねやの名前を知ってくれた人も多少増えた。「綺麗ね」「上品ですね」程度とはいえ、買ったその場で便箋の感想をくれた客がいたのも存外に嬉しく、初日を終えてみれば、今回の便箋を新しく商品ラインナップに加えてもいいかもしれないという気にまでなっている。
今は商品開発などしている場合ではなくとも、いずれこの事件が無事に解決したら。
本格的に春を迎え、日没時間は目に見えて延びつつあるとはいえ、かがり達が帰宅した頃にはすっかり外は暗くなっている。
終わった、といってもそれはかがり達の店がの話であって、昼間原うるおいマルシェ自体はまだ続いていた。
そのほとんどが飲食店である。
こと飲食店においては、昼よりも夜が本番という所も多い。酒を提供するなら尚更だ。
なのに、仕事帰りに立ち寄る客が増え始める時間帯に「もう終わりました」では、何の為に出店したのか分からない。
昼飲みエリアが順当に夜飲みエリアに変わった、という訳である。
勿論かがり達のような店も最後まで居残っていて構わないのだが、いかんせん客層が昼と夜とでは微妙に異なってくる。実際、日が落ちかけるのと同時に、店の前で立ち止まる客の数ががくんと減り始めた。
ファミリー層が消えるのと入れ違いに、酔った勢いで買っていく客も増えるらしいのだが、それはねえ、と風香は苦笑混じりに言う。
こういうのは自分の店のタイプを把握し、客層が入れ替わる境目を見極めて切り上げるのが、疲れない為に重要らしい。勉強になりますと頷きながら、同じく片付けに移っている周囲の店に挨拶をして、かがり達は撤収した。
イベントは明日もある。
残った商品は一旦アンティークス薫風まで運び、風香が預かってくれる事になっていた。意外にもというべきか職業を考えたら当然というべきか、風香は車の運転ができる。
台車を借りて、近場に設けられた臨時駐車場まで行き、搬入時にも使ったワゴン車に再梱包した商品を積み込んでいく。
「アーちゃんは運転しないの?
バイクだけでも免許持ってると便利だよ。バイクならそんなにスペース無くても置けるし」
「なんかそれ聞いちゃいけない話題らしいよ」
「あー……」
「その哀れむような目をやめろ二人とも」
かがりは問答無用でこの話題を打ち切った。
ちなみに運搬向きの車を所有していない店の為に、商工会側で無料の運搬サービスも行っていたらしい。とにかく人数を集めなければ良いスタートは切れないという信念がひしひしと感じられる。
今日一日の思い出を振り返りながら、ユウがくちくなった腹を抱えてごろんと横になった。昼に食べた寿司。帰り際に食べた冷たい麺。毎回おこぼれに与ったユウは、すっかり満腹になっている。
「ふぃー、ほんっと忙しかったなぁ!」
いかにも大儀そうだったが、眼は散々走り回った後の子犬のようにきらきらと輝いていた。
「でも面白かった! 面白かった! みんな俺の事見てたぞ!」
「そりゃ見るだろ狐がいれば。触っても大丈夫ですって毎回説明するの面倒だったんだぞ、こっちは。
……でも、まぁ、そうだな。なら暇な方が良かったかっていうと、そんな事はないな……」
嬉しい誤算というやつである。
今日の繁盛を語る上で忘れてはならないのが、いい意味でのユウの客寄せパンダっぷりだった。
店先で愛想を振りまく狐の物珍しさに釣られて通行人が立ち止まり、そこへすかさずかがりと風香が声を掛けるというパターンで、呼び込みに多大な貢献をしたのである。
見た目の可愛らしい動物はそれだけで強い。
「何人かに名前も覚えてもらったし、良かったな。……良かったのか?」
「悪い気分じゃないね。
あんまり有名になるとヒーロー業に支障が出るかもしれないのが悩みどころだけど」
「うわあ図に乗ってる。
ま、そこは噂のヒーローから市民に広く愛されるヒーローって方向性に切り替えていけばいいんじゃないか? 元々そっち寄りがお前の目標だったんだろ?」
ユウをからかうかがりだったが、現実にそんな日が来る事は決してあるまい。
妖怪の存在は、どうあっても隠されるべきものというのが共通認識だ。
ユウは灰銀混じりの毛色を除けば野生の狐と変わらない姿をしているから、喋らない事で誤魔化せているが、それにも限界はあり、いずれ必ずボロは出てくる。
例えば、寿命だ。
この先10年程度ならまだしも、20年、30年となると、そんなに長生きする狐はいないと誰でも気付く。そうなれば、ユウも公の場には姿を現し難くなる。
外出時には隠形を使い続けるか、あるいは容姿を変える手段を会得しない限り、生活は次第に窮屈になっていくだろう。
もっとも今は、そんなに長くかがりがこの街に滞在し続けられるかが怪しくなりつつある最中なのだが。
後任が来てもすぐに追い出したりしないという蟻巣塚の保証に嘘はないと信じているものの、それと新しい仕事にありつけるかとはまた別の問題である。最悪まったく違う仕事を探さなければならないかもしれず、同種の仕事を紹介してくれるにしても、他の街での話かもしれない。
そうした将来を見据えるという意味でも、今日の販売イベントに参加したのはいい経験になったと思う。
そんな事を考えながら何気なく携帯電話を見て、かがりは目を細めた。
蟻巣塚から着信が入っている。それも、メールで。
イベント中は携帯電話を見ずにいたので、今の今まで気付かなかった。電話ならすぐに出たというのに。
急いでかけると、数コールで蟻巣塚が出た。
「おっ、かけてくれたか。こんばんは」
「こんばんは。……じゃなくて、どうしてメールで?
連絡なら電話で構いませんのに」
「いやな、今日商工会のイベントに出るって言ってたじゃん。せっかく楽しくやってるところに水差しちゃ悪いと思ってさ」
「はあ……お気遣いありがとうございます。急ぎじゃないならいいんですけど」
「そそ、いいんだいいんだ。こっちもちょい前にやっと話がついたとこだから、この時間で丁度いいタイミングだったよ。
……それにしてもな、イベント参加なぁ。よくそんな余裕があったな」
咎めているのではなく、いい傾向だと褒めるように蟻巣塚は小声で笑った。
「それで用件というのは?」
「待望の助っ人くんが今日来たんだ。さっきホテルに案内してきたぜ」
「思いっきり緊急ですよ!! 要緊急連絡事項!! 何やってるんですか!!」
突然声を荒げたかがりに、うとうとしていたユウがびくっと顔を起こした。
耳元で大声を出すなと、蟻巣塚が声を顰めて言う。
かがりは自分の反応が過剰だとは思わなかった。それ程までに蟻巣塚の伝えてきた内容はどうかしていたからである。
連絡の遅れ以前に、そもそも何故いきなり本人到着から始まっているのか。普通、こういうのはあらかじめ打ち合わせをして日取りを決めておくものではないのか。
信じると先程思ったのはどこへやら、意図的に交渉の進行状況を隠していたのではないかとさえ疑うかがりに、それは違うと蟻巣塚が否定してくる。
「こっちも知らなかったんだよ、今日来るって」
「いや意味が分かりません」
「そのまんまの意味。急に電話があって、駅に着きましたからそっちに行きますって言われた。そっから今日の公務予定全部キャンセルしたり、ホテルのスイートに捩じ込んでもらったりで大わらわよ」
「……………………」
「な、オレ悪くないでしょ?」
「……怒鳴ったのはお詫びします。相変わらず意味不明なのは変わりませんけど」
続けて蟻巣塚から、そういった経緯により急遽、明日の夜にホテルで打ち合わせを行いたい旨が伝えられる。
助っ人が決まっただけでなく、連絡もなしにもう到着しているという話はだいぶ衝撃だったものの、次第にかがりの中には深い安堵と喜びが広がっていく。
来たのだ、遂に。
異変解決への確実な一手となるかもしれない、自分などとは違う正真正銘の実力者たちが。
昼間原うるおいマルシェ初参加、初成功の喜びに続けての大きな喜び。
こんな喜びを二度も味わえるとは、まったく今日は実に良い日になってくれたものである。
明日すぐに会うという蟻巣塚の申し出にも異論はない。
しかし。
現実を思い出して、かがりの顔が若干曇る。
そう、昼間原うるおいマルシェは明日も開催される。
打ち合わせは夜だから、昼の間だけ参加してからでも時間的には間に合うだろうが、市と市民の運命を左右しかねない重大な会合であるからには、日中を資料の見直しなどに費やすべきではないのか。
否、費やすべきだ。最後の最後まで見落としや書き漏らしがないかを確認しておくのは常識である。
だがそれでは、明日も宜しくと言って別れたばかりの風香との約束を反故にする事になってしまう。
人命とイベント。比較していい対象ではないといっても、あれほど尽力してくれただけに気が咎めるのだ。
念の為、蟻巣塚にも伝えるだけは伝えてみた。
そういえば二日間あったなと、案の定、微妙な反応が返ってくる。
「こっちは夜だし夕方からでも間に合うっちゃ間に合うが、バタバタするからあんまり勧められないね。どうしても参加したいなら午前中だけとかがいいよ。それはそれで中途半端になっちゃうけどさ」
「そうですよね……」
「プレゼン自体はいつでも出来るようにしてあるよね? 念の為」
「それは勿論」
イベントは欠席しろと言いたいに決まっているが、蟻巣塚は人の心の機微が読めない人間ではない。だからなのか、一応は参加できる方法を提案してはくれた。
もっとも、かがりがそれを選ぶと思ってはおるまい。かがり自身とてそうだ。
断るしかないでしょうねとかがりが言うと、蟻巣塚は明らかにホッとしたように、そうだなと答えた。フォローなのか、差し障りない範囲なら事情を教えてもいいと付け足してくれる。
風香の名前は、公園の事件に巻き込まれた者として、そして騎兵との一戦において使われた貝殻の呪具の製作者として、蟻巣塚の耳にも入っている。だからこそ、こうした融通も利かせられるのだろう。
加えて言えば、差し障りのない範囲でという前置きは、かがりの裁量を信用してくれているという意味でもある。
最大限の配慮をしてくれた蟻巣塚に、かがりは感謝を伝えた。




