守りたいもの、守るべきもの - 6
その後も、ぽつぽつと足を止める通行人が現れた。
ほとんどは視線を落とすだけで去っていき、うち半分ほどは無言で商品をざっと眺め、その中の僅かな数人が、商品について尋ねたり風香の説明に耳を傾ける。購入にまで至ったのは小振りな銀のティースプーンを買った一人だけだが、風香に言わせれば充分な手応えだという。
アンティークショップに入ってもらうという段階をクリアしようと日頃から頭を使っている風香にしてみれば、気軽に立ち寄って眺めてもらい、そして話を聞いてもらえるだけでもかなり大きいのだろう。
実は前から店を見掛けて気になっていたという言葉を残していった客も二人いた。その二人は何も買ってはいかなかったが、代わりに、今度近くを通りかかったら寄ると言い残していく。
ああいうので実際に店に来るのは何人くらいいるのかとかがりが問うと、二割いればかなりいいかなあと風香はあっけらかんと言う。なかなかたくましい。このくらいでないと商売などやっていけないのかもしれない。
客足の途切れた合間に、アイスティーを飲みながら風香が言う。
「アーちゃん達も他のお店回ってきたら? わたしがきつねやの方も見ててあげる」
「それだと些峰さん一人が留守番になってしまうのでは?」
「戻ってきたら交代してもらうから平気だよー」
「なるほど」
一人でやっていたのでは、一時的に店を閉めない限り、出店者はせっかく趣向を凝らした他店を見て回れない。そういう意味ではフットワークの軽さに貢献できて、共同でやらせてもらって良かったのかなとかがりは思う。
椅子の下では早速ユウが、早く見物に行きたそうにそわそわと立ったり座ったりを繰り返している。かがりもまた、参加している店はポスターで知っていても、実際にどんな風になっているのかは気になっていた。風香の巧みな営業トークを見た後だけに自分一人になった時が不安ではあるが、ここは提案に甘えて見物してくる事に決める。
リードを手に取り、ユウと共に歩き出す。風香が手を振って見送っていた。
参加店舗スペースは基本、歩行者天国となった通りに沿って一直線に並んでいる。ここに、自店舗で参加している店が加わる。当日配布された地図付きのチラシと見比べれば、端から端までひと通り眺めて回れるだろう。
「うん? あれは……」
歩き始めて間もなく、人だかりと出くわす。
結構な賑わいとはいえ、あんな団子になって固まっている所は周囲にひとつもない。相当な人気商品だとしても、普通は行列になる筈だ。だとしたら、あれは中央にある何かを見物している客に違いない。
果たしてかがりの予想は的中していた。輪に近付くと、運良く今から始まるらしいパフォーマンスのアナウンスが聞こえてくる。かがりはユウを抱き上げて、なるべく他の客の邪魔にならない端から輪の中に入った。
『ペットショップ昼間原ドリーム わんにゃん特設ステージ!』
でかでかと立てられたメルヘンなパネルを見た瞬間、真っ先に思ったのは「引き返そう」であったが、既にかがりの後ろにも人が並び始めており、逃げるタイミングを見失ってしまう。
やむなくかがりは正面を向いた。販売スペースは設置されておらず、わんにゃんなどと謳っている割に動物が見当たらない。可愛らしい犬や猫と触れ合えるイベントという訳でもないらしい。
半月型のステージにはあの店長が立っており、マイクを片手に手慣れた調子で口上を述べている。だいぶ昔に家族で見に行った水族館のショーをかがりは思い出した。
「さあさ寄ってらっしゃい見てらっしゃい!
あっ、立ち止まってくださいましたね! ありがとうございます! あっそちらのお父さんお母さんもありがとうございます!
今日はお集まりくださった皆さんに、頼れる町のペットショップ、昼間原ドリームが日頃のご愛顧への感謝を込めまして、滅多に見られない特別なパフォーマンスをお送りさせて頂こうと思い、こうして場所を拝借致しました!
何回かに分けて開催致しますので、今はちょっと時間がないという方も、また次の時間にお立ち寄り頂けたらと思います! お時間のあるという方は、ぜひぜひ最後までご覧になっていってくださいませ!」
店長が一礼した。
周囲を気にしてか遠慮気味の拍手が、それなりの数あがる。
あの店の存在自体がパフォーマンスだよねと誰かが言ったのが、かがりに聞こえた。やはり皆そういう認識なのだと分かって安心する。あれが普通だったら昼間原市民を違う意味で見詰め直していたところだった。
店長は柔和な笑みを浮かべたまま、意気揚々と演目台の紙を捲り上げる。
そこには楷書体で、こう大きく印刷されていた。
『衝撃の本邦初公開! 最強の軍用チワワによるテロリスト制圧実演大・大公開!
特別ゲスト:チーフ君(特殊部隊出身)、霜走舞(昼間原市役所職員)
※霜走さんはテロリストではありません』
何やってるんだあの人は。
かがりは内心全力で叫ぶ。
「まずはこの日の為に快く協力してくださった、ゲストの霜走さんにご登壇願います! 皆様拍手でお迎えください!
霜走さんは、普段はなんと昼間原市役所の職員さんをやってらっしゃいます。何かのね、手続きの時に見掛けたという方もいらっしゃるのではないですかね?」
観衆をぐるりと見渡しての問い掛けに、数名が曖昧に頷くような仕草を見せる。いちいち役場で見た職員の顔など覚えている人間の方が少ないから、同意を求められても困るだろう。
紹介された舞は幾分緊張した面持ちで簡易ステージに上がった。先程よりやや増えた拍手が、小柄な忍者を迎える。
これはアルバイトに該当するのだろうか。それともプライベートで無償なら特に問題ないのだろうか。それ以外の問題点が多すぎて細かい事はどうでもよくなりつつある。
店長が舞にマイクを向けた。
「いかがでしょう霜走さん、本日の意気込みは!」
「負けません」
何がだ。
うちらしいものを出す、とあの店長は言っていたが――。
ペットショップじゃない、大道芸だこれ。そしてその女はテロリストではなく忍者だ。
一体どういう繋がりなのかこの二人は。まさか忍者と知っていて依頼したとは思えないので、家で犬か猫でも飼っているのかもしれない。そういえば動物を使った忍術や、専門訓練を受けた忍犬、あるいは野鳥と会話をする特殊な言語があるというような話を聞いた事がある。舞がそれらを実践していたとしても、そこまで不思議はない。
「それではいよいよ皆様お待ちかね、もうひとりのゲスト、軍用チワワのチーフ君の登場です!
チーフくんはまだ4歳と少しという若さですが、本国でたーくさんの極秘作戦に参加していた大ベテランなんですよ!
さあチーフ君、はりきってどうぞー!」
ハイテンションなアナウンスと対照的に音もなくステージ上に歩み出てきたチワワに、観衆がうおっと声をあげる。
小型犬はどうしてもちょこまかした動きになるが、明らかに無音を意識した歩様にはそうしたせせこましい印象がまるで無い。なるほど、軍の極秘作戦に従事するなら当然移動法についても叩き込まれている筈だ。
指示されずとも隣に並び、やはりどこか悲しげな丸い眼を観客に向けているチーフを、舞は負けませんよと宣言した通りにキッと眦を吊り上げて見下ろしていた。チワワにライバル意識を持ってどうするのか。ふと腕の中のユウが気になって視線を下げれば、こちらも狐なりに舞と共通するものがある表情でキッとチーフを睨んでいた。
身近にチワワをライバル視する者がふたりいるという現実から、かがりは逃げたくなってくる。
「ではではゲストが揃いましたところで、お互いに挨拶をお願いしますね!」
「本日はよろしくお願い致します」
律儀に頭を下げた舞に、チーフは鳴き返すでもなく一度だけ静かに瞬きをした。
返事がなかった事に、ややムッとした顔になる舞。チワワに腹を立てるなとかがりは思った。どうも見ていてハラハラする。
「えー、本日最初にお目にかけますのは、チーフ君による一対一での対人制圧術です!
なるべく相手の体に傷を付けずに、でも完全に動けないようにするというのはとっても難しいんですよ! それをですね、今からこちらの霜走さんにご協力頂いて実践してみようと思いますっ!
――あ、そうそう皆様。もしかして今の私の話で、警察犬が犯人を捕まえるシーンをご想像されたんじゃないでしょうか? 海外のドラマですとか、警察犬の訓練風景みたいなドキュメンタリーで見た事のある、ガウッと腕に噛み付くやつ!
最初に言っておきましょう……あんなものじゃありません」
ここで意図して溜めを作ると、店長は先を続けた。
「もちろん警察犬は厳しい訓練を潜り抜けたエリートで、訓練士さんも高い技術と蓄積されたノウハウを持っています。ですがチーフ君の習得している技は、それとは根本的に、全くの別物といっていいものなのです!
さあさ皆様もそろそろ痺れを切らしているでしょうし、長ったらしい前置きはこの辺に! 今宵、この場の皆様は歴史の観測者となるッ……!」
今は昼だ。
「はい霜走さんはこちらに立って。チーフ君はこちらに。
どちらも準備はよろしいですかー? いいですねー? ではいきますよー! レディー・ゴー!!」
「あっ、あだだだだだだっ!?」
「うおお、なんだあれ!?」
「犬の動きじゃねェ!」
それまで半笑いでステージを眺めていた観衆達から、大きなどよめきがあがった。
思わず声が出たのはかがりも同じである。店長が号令をかけると同時に、チーフの全身が白く霞む影と化したのだ。
それは残像であった。頼りなくすら映る四肢が地を蹴り、佇む舞の脚を踏み台にして更に高く跳躍。流星の如く白い尾をなびかせ、服の袖に前歯で噛み付くやそこを支点にして空中で体を回転させ、背後に回りこむと同時に口を離して背に取り付き、そのまま大きく開いた両顎を舞の首筋に当てた。
この間、実に二秒。
僅かでも抵抗の意志を示せば、たちまち鋭い牙が肉を食い破り血管に穴を開けるだろう。今の動きを見た後で、所詮はチワワの小さな口だと侮る気になれる人間が果たして何人いるだろうか。
冷たい犬歯がひたりと皮膚に当たる感覚に、舞の頬をつうと一筋の汗が伝う。黙り込む観衆達の間にも緊張感が走った。
そのまま一秒、二秒、三秒が経過し。
「くっ、殺――」
「はいそこまでー!」
危ういところで店長によるストップがかかった。
確かにこれは、あんなものではないという主張に恥じない。警察犬の技術とは全くの別物だ。というか別物過ぎて既に犬を通り越した違う生物になっている。あんなスカイフィッシュみたいな動きをする犬がいて堪るか。
飛翔。あまりにも鮮やかに描かれた攻撃の軌道に、犬とは無縁な筈のそんな単語がかがりに浮かぶ。ユウの時もいつの間にか終わっていたが、それを上回る速度での制圧である。忍者という相手が相手なだけに本気を出したのかもしれない。だとしたら実力を認められたのだから名誉な事だといえた。
セミのように背中にチワワを貼り付けたまま微動だにできずにいる舞の正面に、やたらと響く拍手をしながら店長が歩み出てくる。
「なんという鮮やかな手際! これは驚きました! 皆様も驚いたんじゃないでしょうか!?
これこそが通称CQC、本場仕込みのチワワ・クオリティ・コンバット! 軍用チワワ専用最新式近接戦闘法の真髄です! 皆様、ゲストのお二人に盛大な拍手と歓声を!!」
「うおおおおおお!!!」
「凄かったよー! 思ってたのと全然違ってた!」
「職員さんも頑張ったな! なんか身構えてたけどあれじゃ動けないよなあ!」
「ちょっとー無茶言わないであげてよ。格闘技やってる訳でもないただの役場の職員の女の子があんなの反応できっこないじゃん」
「……い、いやあの自分……あの……うう、うううううう……」
「ありがとうございます! ありがとうございます!
さあさ、まだまだこんなものじゃありませんよ! 次はなんと犬の最大の武器である口を使わず、手さばきと脚さばきと当身だけで人間を昏倒させるというCQCの中でも最大難度を誇る技『アステカの蒼き星』をご覧にいれましょう!
この技こそかの極秘任務『白鯨作戦』において巨大タンカーを占拠する反政府ゲリラ組織を全滅させたという近代の伝説の……」
半信半疑の気配が濃かった開始直後とは打って変わって、割れんばかりの拍手に包まれるステージと、惜しみない歓声を受けながら何故かだんだん泣きそうになっていく舞とを、かがりはそっと後にした。
次の店を目指して通りを歩きながら、かがりが呟く。
「あれがわん成分か……」
「あいつやるよね。悔しいけど今の俺じゃ一歩も二歩も及ばないって認めるしかないよな……」
いまだ興奮冷めやらぬユウが、声に出すのを抑えられないという様子でチーフを賞賛した。
犬があれなら猫は何が出てくるんだと後ろ髪を引かれるのが何か悔しい。
気にはなるが時間には限りがある。かがりは先へ進んだ。




