守りたいもの、守るべきもの - 5
そうこうしているうちにイベント開始時刻を迎え、結局、かがりのたっての希望により商品名からKを消して販売は開始された。
各所に設置されたスピーカーから、昼間原うるおいマルシェの開始を告げる放送が音割れしながら流れる。歩行者天国に溢れていた人々が動き出した。周囲の店舗も一斉に看板を表に向け、商品にかかっていたカバーを取り去って呼び込みを始めている。
かがり達も急いで支度を始めた。ユウは通行人の邪魔にならない程度に道に乗り出し、尻尾をぱたぱたと振りながら、寄っていってくださいという感情を精一杯に表現したのであろう甘えた鳴き声を発している。
そんなユウによる呼び込みの効果もあったのか、始まっていきなり一個売れた。
便箋でもアンティークでもない。例の不思議オブジェである。
一番最初に食い付かれたのがこれかと、始まっていきなり暗澹たる思いになるかがりだった。とはいえ自分だと分かって買われている訳ではないから、民芸品風の小物が売れただけだと考えると気分も幾らか上向きになる。
「この、一番店長さんに似ているのをください」
「おい待て」
迷いのない瞳で並んだオブジェのうち一個を指差している客に、思わずかがりも接客を忘れた。
にこやかに応対している風香に、お前もお前で今の発言を受け流して売るんじゃないと言おうとして、ふと、高校生くらいのその客の顔に見覚えがある事に気付く。
「あれ、君は……前からたまに店に来てた子じゃないのか?」
「はい、たまに。これに参加するってポスターで見たんで来ました」
「えーすごい、わざわざ狙って訪ねてきてくれるお客さんって稀なんですよー。高校生なんですかぁ?」
「はい、昼高の……」
さっそく営業用の口調に切り替えている風香は、実にこなれている。
その間に、かがりはもう一度客の顔を確かめた。いつもの制服姿ではないから違和感はあるが、やはりあの高校生で間違いない。
もっともリニューアルする前から店内にまで入ってくる事はあまりなく、大抵はかがりが庭掃除などをしている所に立ち寄って、軽く立ち話をして帰っていく程度だった。
部活帰りの寄り道にしても高校生ならもっと面白い場所があるだろうと呆れつつ、暇潰しがてら適当に雑談に応じていたのだが。
「店が新しくなってからも一回来てくれたのかな……?
あの時は茶碗を買っていったっけ。新しく仕入れたばかりの桐箱に入ってたやつを」
「お茶碗が好きなの? 高校生なのに渋いですねぇ」
「茶碗は好きでもないですけど、店で売ってた茶碗を買ったって事は実質店長さんと夫婦茶碗になりますよね。そう考えたら6000円は安いかなって」
「ならないし今からでも回収に応じてもらえるだろうか?」
かなり真剣に頼むかがりに、駄目ですと高校生は答えた。
風香が一転して深刻そうな顔で耳打ちしてくる。
「大変アーちゃん、これまずいよ」
「ああ、かなりまずい。まさかこうくるとは……」
「この手のお客さん、うまく言い包めればこの場の商品全部売れるよ!」
「そっちの意味のまずいなのか!?」
まずいはまずいでも歓声の方のまずいだった。
こちらはこちらで高校生相手にどういう阿漕な商売をしようとしているのか、予想外にも程がある購入動機を聞かされても、落ち着き払っている上に逆に取り込もうとしている始末である。
冷静に考えればこの高校生とて、他人の連れている動物を剥製にしようとする女にまずい奴呼ばわりされたくはあるまい。
「別にストーカーしたりしないですから安心してください。
店長さんの事は好きですけど、付き合いたいとかじゃなくて、なんだろ、かっこいいからファンみたいな」
「わかる。なんかマニア受けしそうな顔してるよねアーちゃん」
「おまえら」
本人を前にして言いたい放題である。風香もすっかり飾った口調が取れている。
つまりは好きな漫画に出てくるキャラクターのグッズを買うような感覚だったらしい。かがりにはなかなか理解できない代物だ。
一悶着の末、高校生は最初に選んだオブジェを買って帰った。1200円だから、概念上の夫婦茶碗と違って学生の懐を大きく痛める事もあるまい。風香によるラッピングを施されて持ち帰られるオブジェに、かがりは自分の弟だか妹だかが人身売買されているような気持ちになってきた。
せめて大切にしてあげてほしい。変な意味ではなくて。
「アーちゃんグッズ……いけるかも」
「行くな止まれ」
「結構ああいうふらっと寄ってくお客さん多いんでしょ? アーちゃんのお店って。絶対みんな居心地の良さを感じてるんだよ。その『何となく寄りたくなる』を補強してあげれば、もう勝ったも同然だって!」
「簡単に言ってくれますね……だいたい強めた結果ああいうのが押し寄せるようになったら、勝ちじゃなくて敗北――」
「……あのう、すいません……」
「ああ、はいはい!」
声をかけられて、かがりは慌てて注意を戻した。
きつねや側のスペース前に一人の中年男性が立ち、ずらりと並んだフタコブペンギンラクダのぬいぐるみを眺めている。
髪に白いものが混ざり始めている、特筆すべき点の見当たらない会社員風の男だ。表情には、かがりと風香のどちらに話しかけたらいいのか迷っている様子がある。おまけにテーブルの下から「おすすめだよ、かわいいよ」と無言の圧力をかけてきている一匹の狐の存在に尚更困惑しているようだった。
かがりはかがりで、まさかいきなりこれが売れるのかと困惑しつつ、それでも応対しようと精一杯の笑顔で男に向き合う。
「こちらをお求めで……す……」
か、とは続かなかった。
はじめは気付かなかった、男の腕に抱えられている市松人形と思いきり目が合ってしまった為に。
不自然に途切れたかがりの声に、どうしたのかと覗き込んできた風香が、わあ、と目を丸くした。
「………………」
「こちらのぬいぐるみは、売り物ですよね? ずいぶん面白い形をしてますね」
「え。あ、はあ……売ってます、が……」
「……? どうしました?」
「いやあの、それ……」
かがりは思わず、先程から視線が釘付けになっている、男の左腕に抱かれた市松人形を指さしてしまった。やってしまってから、こういうのはあえて言及しないのがマナーだったんじゃないかと思うが、後の祭りである。
しかし男は特に気分を損ねるでもなく、指摘されて初めて気付いたとでもいうように左腕の市松人形を見た。
「ああこれですか。やァ、そりゃ気になりますよね。
ある日の真夜中に物音がしたので見に行ってみたら、玄関前に立てて置かれていたんですよ、これ。誰かが捨てていったのかなと思い、とりあえず明日警察に届けようと拾って家にあげたんですが……」
いや拾うなよ怖いだろ。
というか立てて置かれていたんじゃなくて歩いてきたんじゃないのかそれ。
たまたま近くにいて話を聞いてしまった人々が、一斉に一歩後退る。
いい年をした男性が人形を持ち歩いている事に気恥ずかしさを感じているように男は語っているが、問題はそこじゃないとその場の誰もが思った。
「ところがねぇ……次の日になったら、どこにしまっちゃったのか全然見付からないんですよ。昨日確かにここに置いたのに、夜中だったから寝ぼけてたのかなァと思いながら家中探して、それでも見付からなくて。
結局その日は諦めて、でも忘れた頃になったらふっと押入れの中で見付かったりするんですよ。それで、よし今度こそ警察に持っていこうと居間に出しておくと、またどこかになくなっちゃってるんです。
居間に出したつもりで他の場所にしまっちゃったんですかねェ……実際、また暫くしたら私の寝室で見付かりましたし。いやァ、年は取りたくないものです」
しんみりと呟く男に、たぶんそれ加齢のせいじゃなくてその人形のせいですとは誰も言い出せなかった。
見れば、人形の衣服は古さを感じるのに、刈り揃えられた黒髪だけがやたらと艶々している。きっと丁寧に手入れをしているのだろう、とかがり含むその場のギャラリー全員は自分に言い聞かせた。
かがりが見た感じ妖怪の類ではないようだが、それだけに尚更危険なものを感じる。
「そのうちに、だんだん自分の一部みたいに思えてきましてね……。
うっかりすると、たまに持ち歩いてるのを忘れるくらいです」
乗っ取られかけてるからそれ、とはやはり誰も言えなかった。
言い出しにくいというより、言った時に市松人形に何をされるかが怖すぎて言えない。
「今では家族みたいなものです。はは、おじさんがこんな事言ってたら気持ち悪いかもしれませんが。
それでですね、愛着も湧いてきましたし、この子に友達を探してあげたくなってきて。そうしたらまさにいい感じのぬいぐるみが売ってるじゃないですか」
「はあ……でも女の子の友達として買うなら、もうちょっとスタンダードにかわいいぬいぐるみの方がいいのでは……」
「いえいえ、ぜひこれで。
前を通ろうとした時に、これがいい!ってこの子に言われたような気がしたんですよ」
「実際言ったんじゃないですかね」
いつの間にか呼び方がこれからこの子に変わっているのが不安感を掻き立てる。
皆が注目する中、その男は、購入したフタコブペンギンラクダのぬいぐるみを右腕に抱えて帰っていった。
両腕に人形を抱えたおかげで、後ろ姿に心なしか安定感が増したように感じる。
「アンティークにはドールもあってファンも多いけど、すごい風格だったねあの子」
あえて迫力と言わないところが、風香のプロとしての挟持なのかもしれない。




