守りたいもの、守るべきもの - 3
どうしたものか結局はっきりした答えを出せないまま、午後は市内に出た。
これといった当てもなく、目的もなく。かがりの歩調に合わせて、リードを弛ませながらユウものんびりと歩く。
あの後シャワーを浴びて仮眠をとったおかげで、頭の中にかかっていた疲労という霧も晴れている。そのおかげか、午前中よりも気持ちが前向きになっている自分をかがりは意識していた。
思えば、こうして頭を空っぽにして街をぶらつくのも久しぶりに思える。
かがりは反省した。誰かに対しての申し訳なさというよりも、そこまで余裕をなくしていた己にである。
最初の異変が起きてからは、大蛭がまだ生きているかもしれないという可能性を告げられ、昼も夜もその事が頭を離れなかった。早く後任を呼んでくれ、自分では対処できないと散々口にしながら、いざ事が起きれば見て見ぬ振りはできない事は、かがり自身が良く知っている。
逃げ出せるほど無責任になりきれないからこその、常に伸し掛かるプレッシャーに負け、肝心の守りたいと願った昼間原市の風景が見えなくなっていた。
何の為に踏み留まっているのかを再確認する為にも、風香の誘いに乗ってイベントに参加するべきかもしれない。
そう考えながら歩くかがりの足取りは、普段あまり向かわない方角を向いている。
この先にあるのは昔ながらの中華料理屋が一件、小さな花屋と釣具屋がそれぞれ一件程度で、あとは住宅。毎夜の巡回は別として、かがりの生活とは無縁な建物が多い。
唯一縁がありそうな店となるとペットショップだが、この店にはいろいろと問題がある。
といっても動物の管理が悪いだの、店員に専門知識が乏しいだのといった意味での問題ではない。むしろ逆である。生体管理は徹底しており、飼育に関する知識も豊富。餌や飼育用品の品揃えも痒い所に手が届くと聞く。
では何が問題なのかというと、販売されている生体である。
際立って巨大な店舗でもないというのに、一体どこから連れてきたと問い詰めたくなるような珍種を、さも当然の如く取り扱っている。おまけに市内のペット事情に妙に詳しく、直接話した事がないにも関わらず、かがりの家にユウがいる事も知っていた。
散歩中に見掛けたといえばそれまでだが、動物絡みでは得体の知れないところのある店主なだけに、固有の情報網を持っていると言われても驚かない。
よって品揃えが豊富なのを知りながら、これまでかがりはユウの服や首輪は全部ホームセンター等のペットコーナーで買い揃えてきた。
しかし折角こうして今一度、自分の守ろうとしている昼間原市を見詰め直してみようという気になっているのだ。なんとなく避けていた店に立ち寄ってみるというのも、その一環と呼べる。
「……うん、そうだな。
怪しい店だと勝手に思い込んで食わず嫌いを続けるのは良くない。思い切って入ってみるか」
などと独り言を呟きながら件のペットショップ前に差し掛かると、ちょうど店長らしき男が店の前の敷地で洗っているところだった。
ポニーを。
かがりは無言で踵を返した。
その前方に、靴底から煙をあげつつ素早く店長が滑り込む。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃってないので」
横を突破して逃亡を試みるかがりを、卓越したフットワークで進路を塞ぎながら店長が押し止める。同時に、どうするのこれという表情で見上げていたユウに向かって、恐ろしく素早く懐から取り出した干し肉を振ってみせた。
たちまちユウの瞳が輝き、敷地内への誘導を試みる店長にフラフラと付いていこうとしている。汚い。
というか、他人の家の動物を餌で釣ろうとするなと。
元々寄ってみる気でいただけに、こうなるとかがりとしても強引には逃げ辛く、渋々ながら引き返してポニーの待つ店の前に戻った。
最近塗り直したらしき看板には「ペットショップ昼間原ドリーム」と書いてある。
思えば、まともに店名を意識したのはこれが初めてかもしれない。「あそこのペットショップ」と言えば、昼間原市民ならだいたい「ああ……」という微妙な反応と共に伝わるからだ。
ただし、評判通り店舗や敷地は実に清潔である。
周囲に不快な臭気が漂っている事もなく、自動ドアから覗ける店内は明るく開放的で、商品は几帳面に整理整頓されている。子供でも家族連れでも入りやすい店構えといえるだろう。来店していきなり遭遇するのが洗車中ならぬ洗馬中のポニーである事を除けば。
どうするというのだ、これは。飼うのか。誰が。
「お客さん、何度かいらしてますよね。
ぜひ中を見ていってくださいよ、遠慮なさらず! いい子いますよ!」
「別に遠慮しているから避けてた訳じゃないんですが」
キャバクラか何かかここは。しかも全員やたらと毛深そうな。
鼻先を寄せてくるクリクリした眼のぶち柄ポニーから距離を取りつつ、かがりは思った。おそらく親愛の情を示してきているのだろうが、つい最近あった出来事のせいでどうも馬には良い印象がない。
ニンジンをあげてみませんかという店長の勧めを丁重に断っていると、不意に足元から低い唸り声が聞こえてきた。見れば、ポニーの影に隠れて目立たずにいたが、ユウに向かって牙を剥き、姿勢を低くして狙いを定めているチワワが一匹いる。
売り物――ではないようだ。というより、リードに繋がっていない。
何の制限もない状態で、乗用車数台分はある店舗前の敷地内を歩いている。
もし道路に飛び出したら危ないし、それ以前に客の連れている動物に対して唸る犬を放しておくのはどうなのか。
さりげなくリードを引いてユウを下がらせながら、かがりは言う。
「あの、繋いでおいた方がいいですよその犬。
こいつから噛み付いたりはしませんが、体が小さいですから、ちょっと押し返しただけで怪我をさせてしまうかも」
「ははは、その心配はいりません。
彼は極秘ルートで入手した、特殊部隊で訓練を受け合格率一割を切る最難関のテストを全項目トップで卒業してみせた軍用チワワです。
この若さで既に五つの作戦に参加し、特に某国における要人救出作戦……通称『砂漠の林檎作戦』では、敵拠点の急襲からテロリスト三名を無力化するという非常に高い功績を挙げ表彰を受けました」
「その特殊部隊は本当に実在してるんですかね」
「名前はチーフです。チーフ、お客さんにご挨拶を。
……それにしてもチーフから唸るとは珍しいですね」
店長が言うと、チーフは一旦吠えるのをやめてすっと姿勢を正した。
軍用というのが事実かどうかはともかく、喧伝するだけあって佇まいには風格と、多くの戦場を見てきた者の哀しみがある。チワワなりにだが。
自分に向かって敬礼する歴戦の軍人の姿を、かがりは見た気がした。たぶん気のせいだ。
しかし静かになったのも束の間、チーフはすぐにまたユウに向かって唸り始め、店長が諭してもやめようとしない。かがりはかがりで犬が激しく警戒している理由に心当たりがありすぎる為、躾が行き届いていないと怒る訳にもいかなかった。
むしろ行き届きすぎているから唸っているのだろう、妖怪に。
一方ユウはといえば、おとなしくかがりの横に待機しているとはいえ、さすがに自分よりずっと小さなチワワにやられっぱなしなのはプライドがあるのか、ごく控えめに唸り返している。傍目には完全に一触即発である。狐とチワワがぶつかったのでは、誰もがこの頭の丸い小型犬を襲う悲劇を想像するだろうが、それでも店長に焦りはない。
「チーフは特殊技能CQCを習得していますから、そうそうそこらの人間や動物に遅れは取りませんよ」
「シーキューシー?」
「チワワ・クオリティ・コンバットです」
チワワクオリティの時点で弱そうである。
それ以前に、自分の犬の勝ち負けよりも相手の動物に怪我をさせる事を心配してほしいものだった。
かがりがふと下を見ると、ユウが喉元をチーフに押さえ込まれてひっくり返っている。
弱い。そして強い。
鮮やかな手並みに、軍用チワワというのもあながち嘘ではないのではと、かがりは血迷いかけた。本当だったとしたら、どうやって入手したのかが謎だ。欲しいといえば人魚でも河童でも仕入れてくるのではないだろうか、この店長。
チーフに頼んでユウを放してもらってから、かがりは改めて周囲を見る。
店先には洗われているポニーを除いて動物は一切展示されておらず、置かれているのは装飾用の植木と新商品宣伝用の看板、飼育用品や動物の入荷を告げる手書きのボード程度だ。
それらに混ざって、昼間原うるおいマルシェの告知ポスターが目立つ位置に貼ってあった。かがりの手元にあったチラシとは違い、こちらは単にイベントの開催日時と内容が記されたものである。
ポスターを眺めているかがりに気付いた店長が言った。
「当店も参加するんですよ」
「馬刺しですか」
ポニーを見ながら、割と真剣にかがりは聞いた。
「はっはっは、まさか!
肉質も肉量もポニーはあまり食肉に向いていないですね。馬刺しにしたいなら農耕馬の方がいいですよ」
「普通に答えないでくださいよ。そこはかとなく悲しい瞳になってますよポニーが」
「馬は人の言葉のニュアンスを察しますからねえ。歴史の長い家畜は格が違います。ま、そこは当店らしいものを出すという事で……」
若い店長は秘密めいた笑みを浮かべた。
ペットショップらしいものと聞くと、生体販売が真っ先に候補にあがる。昔の縁日ではカラーひよこなどが人気を集め、それらが姿を消した今でも金魚すくいといえば祭りの花形だ。
「まさか動物を?
今はいろいろやかましい連中が多いから、出店で動物を売るのは避けた方がいいのでは……」
「ああ違います違います、生体は販売しませんよ。
じゃあ何かって? そこは当日を楽しみに待って頂ければ」
などと一人問答をしつつ、店長がポニーの太短い首に手を置く。
「いーい馬でしょう。先日も通り掛かった美女が見惚れていましてね。いやあ目の保養でした。あんまり絵になったんでうっかり声をかけそびれてしまいましたよ」
「美女?」
「ええ。こう、肩ぐらいまでの髪の、こんな半田舎には珍しい垢抜けた感じの。
芸能人かと思いましたよ。それがウットリした眼差しでこの子を……いやあ、あんな逸材を今まで見逃していたとは一生の不覚……」
しみじみと記憶を振り返っている店長を余所に、かがりは遠い目をしていた。
間違いなく風香である。
ポニーに見惚れていたのは確かだろうが、見惚れていた理由はこの店長が想像しているものとは絶対違う。
脳内で馬刺しにされかけるわ剥製にされかけるわで受難続きのポニーの鼻面を、いい飼い主に巡り合うようにと、かがりは撫でた。まあ何とかやってるよとでも答えるように、ポニーが厚い唇をひくひく動かす。
ここまで立ち話をしておきながらそのまま去るのも悪いので、以前にも勧められたプレミアム狐フードを一袋購入して帰った。
プレミアム以前に狐フードって何だと、かがりは首を傾げる。
専用の餌が発売されるほど狐のペット需要があるのかと思い調べてみたが、それらしい商品は全く見付からない。しかもパッケージを良く見たらメーカー品ではないようで、商品説明も手書きだった。
本当に大丈夫なのだろうか、あの店。
中身はいわゆるドッグフードやキャットフードそっくりである。匂いが濃い。味はユウ曰く「表面はカリッとしていて中はサクッと歯が通り、軽い口当たりながらまったりと広がるコクがある」だそうだ。ここまで参考にならないグルメレポートも珍しい。
かがりも食べてみなよと熱心に勧めてくるのを全力で辞退しながら、かがりはこの時にはもうイベントへの参加を決めていた。




