昼間原狂騒・二岩 - 20
戦いを終えたかがりは、呼吸を整えていた。
膝に両手をついて倒れ込む上半身を支える事で、どうにか立っていられる。
無事に生き延びられた、人的被害を出さなかった深い安堵に全身を包まれながらも、胸のざわめきが消えない。
これは肉体の疲労が原因ではない。はっきりと心理的要因によるものだ。
戦っている最中から、ひとつの予感があった。閃きがあった。直感があった。
記憶の海を漂う一枚一枚の絵が、細い糸で繋ぎ合わされていく。
前回の黒い人魂、あれはユウによれば鎧武者だった。そして今回現れたのは騎兵。馬に跨った武将。
そのどちらも、昼間原八岩の真下から現れている。
ただの記念碑に過ぎない、昼間原八岩の。
かがりは深く息を吸うと、後始末も何もかもを放り出して駆け出した。
どこ行くんだよ!というユウの叫びに、そこにいろと怒鳴り返して後も見ずに走る。
何度か通行人とぶつかりかけたのにも構わず、来た道を全力疾走して戻っていく。目指すは、昼間原市立図書館。
ほとんど体当たりするように両手で出入り口の扉を押し開け、一直線に図書館長室を目指す。
「あ、あら!? もう戻ってきたの? 大丈夫だった?
ちょっと前に消防車のサイレンが鳴ってるの聞こえたから、もしかしてと思って心配してたのよ」
息せき切って飛び込んできたかがりに、冴絵は面食らった。
永遠にも思える時間を戦っていたようで、実時間にしてみれば移動を含めて一時間程度に過ぎない。待機していた側からすれば、やけに早いという感想が出るのは自然な事だった。
「すみません、すぐにそこの部屋に入れてほしいんです!」
「……わかったわ。今開けるわね」
髪は乱れ、顔には汗。服はあちこち汚れているにも関わらず、深くは聞かず冴絵は許可してくれた。
舞い戻った小部屋で、かがりは昨日一番最初に手に取った資料を棚から出す。
読んだ時に、小さく引っ掛かるものがあった。
他ならぬ化け蛭との決戦経過だ。
直前まで戦況が不利であったかのような記述なのに、どうしてあっさりと勝利しているのか。
勝った前後の記述が、なぜ不自然に途切れているのか。
後の調伏において勇士の家系から人を招いているが、どうせ呼ぶなら蛭と相対できる実力を誇る本人を呼べばいいではないか。
昨日は、戦闘と浄化とでは得意とする分野が違っていたのだろうと読み流していたが、だからといって一人も呼ばないという事があるだろうか。
極端すぎる。
そして何よりも、この後だ。
最大の功労者たちにしては、あまりにもふっつりと、彼らに関する記述が途切れている。
資料とはそういうものなのかもしれない。以後は浄化に焦点が移ったのだから、そちらを重点的に記すのは当然だといえばそれまでだ。
しかし。
「まさか、まさか――」
想像力は最悪の方向にばかり膨らみ続け、そして輪郭を得た。
暫くして小部屋から出てきたかがりに、冴絵が心配そうに声をかける。
図書館長室に飛び込んできた時よりずっと落ち着いてはいるものの、種類の違う焦燥を全身に滲ませていた。手袋とマスクを外すのを忘れている事を指摘すると、着けていた事すら忘れていたように呆然と立ち尽くす。
「本はもういいの? ……それより大丈夫? すごく顔色が悪いわよ」
「……はい、突然飛び込んできて失礼しました。
それとお願いがあります。ここの閲覧許可、明日まで延長して頂けませんか。できれば明後日まで。無理を言っているのは承知しています」
「え、ええ。それは構わないけれど。
アタシもこっちでする仕事があるから大丈夫よ。ハンコ押すわね」
「本当にいろいろ申し訳ありません。何があったのかは、話せる時が来たら……」
「ストップ、詳細は聞かないでおくわ。それが必要な話なら市長が教えてくれるでしょうし、知らない方がいい話ならアタシの耳には入ってこないでしょう。この件はそういうものとして納得するわ」
「……ありがとうございます」
「いいえいいえ、御礼なんていらないわ。
この年齢になるとね、呪いとは関係なく、身の回りのこと万事そうやって接するのが穏やかに生きるコツだって分かってくるのよ」
ふふふと笑う冴絵に深く頭を下げて、かがりは図書館長室を後にした。
建物の外に出ると、ユウが待っている。そこにいろと告げた筈だが、追い掛けてきたようだ。あんな別れ方では心配するのも無理はなかったから、憤りはない。
そういえばリードの事を失念していた。抱き上げて戻ろうとしゃがんだかがりに、ユウが周囲を確認してから小声で囁く。
「……かがり、大丈夫? 追っかけてきちゃったけどまずかったかな、ごめんね」
「ふ……同じような事を言うんだな皆。ああ平気だ、こっちこそ置き去りにして悪かった」
「それはいいよ。ただいきなり走ってっちゃったからビックリしてさ」
「用は済んだ、市長のところへ戻ろう。まだいるといいんだが」
いなければ警察犬役をしてもらうと冗談めかして言い、かがりはユウを抱えて立ち上がる。
離れてから一時間弱は過ぎていたが、幸い蟻巣塚はその場に残っていた。舞の姿はどこにも見えない。他に被害が出ていないか調査に向かっているのだろう。
「市長」
「お、おおどこ行ってた。帰ったのかと思ったぞ」
「帰りゃしませんよこの状況で。それより少しお話があります。……思い付きの雑談に過ぎませんが」
いつかの蟻巣塚を真似て、かがりは言う。
初めは怪訝そうに目を瞬いていた蟻巣塚も、かがりの表情にただならぬ切迫した雰囲気を見て取り、小さく首肯すると近くにあった横道へ親指を向けた。雑談といっても明日の天気や株価の話題ではない。人目は避ける必要がある。
二人と一匹が入り込んだ窮屈な路地は、完全に建物の影になっているせいで日中から薄暗く、まるで掃除のされていない壁には、年数を経た埃が蜘蛛の巣のように連なってへばり付いていた。
通りから投げ込まれたのか、あるいは上の窓から捨てられたのか、足元にはゴミが散らばっている。やたらと白いビニール袋が多い。
スーツが汚れるのを気にして嫌そうに周囲を一瞥してから、それで?と蟻巣塚が顎をしゃくる。ユウも興味津々でかがりを見上げていた。性質の異なるふたつの視線を意識しながら、かがりは舌で唇を湿らせる。
「話というのは、昼間原八岩の事です。
前回と今回の件とを鑑みて、もはや岩から敵性体が発生したのは偶然とは考えられません。そして発生源となった岩に刻まれていた名前及びその容姿から、敵性体と勇士との間には深い関連性があると思われます。
真っ先に思い付くのは、墓です。記念碑というのは建前で、真実は墓。墓石の下から出てきたのは……ちょっと専門家としては恥ずかしい言い方ですが、幽霊。
しかし、だとしたら何故生国も死期も異なる者達の墓が一箇所に集められているのか、そして国を救った彼らが何故化けて出たうえに危害を加えてくるのかという新たな疑問が生まれます。
その疑問に対して私の出した仮説は……『墓だったらまだ良かった』
市長――そもそも、勇士と呼ばれている彼らは本当に大蛭を倒したのでしょうか?」
「……そこに疑問を持つ理由は?」
「斃され方がおかしいのです。直前まで明らかに蛭が優勢だったのが、唐突に負けている。
故人への非礼をお許しください。このままでは勝てないと悟った討伐隊側は、彼らを生贄として立てたのではないですか」
このまま戦い続けたのでは負ける。
そしてこれ程の規模の討伐隊を組んだのだから、ここで負ければ立て直しは不可能に近くなる。
だからこそ、肉を切らせて骨を断つしかなかった。
願い通りに蛭は死に、生贄の件は伏せられ、意図的に記録から抹消され、物語は時系列と意味を前後させ作り変えられた。生贄の式を打つに当たっての要石。あるいは鎮魂用だったかもしれない岩は、彼らの働きを讃える記念碑であるとされた。
地元有力者への感謝から設置されたと偽る前から、既に真相は偽られていたのだ。
あれらはただの置物ではない。人の身を模して立てられた八つの柱だ。
高い霊性を備えた人の身を直に触媒として用いて、大妖を滅する程の力を生む起死回生の秘策。
英雄は、一夜にして道具となった。
志願によるものか、説得によるものか、裏切りによるものか――出現した敵性体を考えると、そこに光は感じ取れない。
一人目は鎧武者。二人目は騎馬を駆る武将。
それぞれの岩に刻まれていた名は、真下に据えられた彼らのものなのではないか。
いや、岩の下ですらない可能性がある。あの岩――割ってみる事はできないのか。
「生贄なあ……そんな話全く残ってねえぞ」
蟻巣塚が、無造作に髭の剃り跡を掻きながら沈黙を破る。
反応は芳しくない。だが聞き流しているとも言い難い。
「あくまで思い付きです。記録には残っておらず、父から聞いた事もありません。具体的な根拠なんて無い。現状では、懸命に戦い、土地と民を守ってくれた先人への侮辱でしかありません。
ですが試行錯誤なんて、いつだって適当で無責任な思い付きから始まると市長も仰っていました。
よって調査隊が到着した際には、真っ先に調べるべきは岩の下……もしくは岩の中であると提言します。もしも……もしも必要だったのが、蛭の遺した呪詛への調伏ではなく、怒れる死者への供養なのだとしたら……」
問題は一気に単純になる。対処法の様式が異なるのだ。
生贄が志願や同意からではなく騙したか強いたのだとしたら、それを不名誉と考えて明かすのを憚ったのだとしたら、調伏に来た側は蛭の仕業と思っているのだから正しい手を打てない。
そして世代が交代するにつれて、いずれは少数のみが知っていた真実も本当に消えていく。
手技は異なれど結局は力を以て力を鎮めている訳だから、たとえ選択した方法が見当違いであろうと、技術そのものが必要水準を超えていれば、まるで効かないという事にはならない。
素手で殴るか棒で殴るか、ナイフで斬るか銃で撃つかの違いだ。
だが、僅かなズレは間違いなく生じる。
殴り続ければ死ぬ。斬っても死ぬ。銃で撃っても死ぬ。
しかし死ぬまでにかかる時間には差異があり、程度によっては生き延びる。
その綻びが、高い霊的素養を備えた人間八人分の怨恨を今日まで永らえさせたのだとしたら。
事実を知らされないまま見当違いのお祓いをしていたから清め切れなかったという、馬鹿馬鹿しいにも程がある話になってしまう。
固唾を呑んで成り行きを見守っていたユウが、弱々しい声で言った。
「かがり……生贄って……アレだよね。捧げたりする……」
「そうだ。そうだが勘違いするなよ、やっていたと判明したんじゃないからな。たくさんある可能性のひとつでしかないんだ。いや、今の段階だと可能性と呼ぶのも恥ずかしいくらい材料がない」
怖がっているユウをそれ以上怯えさせまいと、かがりは重ねて根拠の薄さを伝えた。
事実、自分で否定してしまえるほど材料がない。だからこそ、あの岩を調べなければ何も始まらないと思っている。
蟻巣塚は腕組みをし、斜め上に両目を向けたまま、薄く唇を開いてじっと固まっている。考え込んでいるのか呆けているのか判断しかねる姿だった。
が、じきにその目がかがりの方を向く。
「あなたの意見、確かに聞き届けた。
マジで根拠ゼロだし場当たり的な思いつき感ハンパないが、確認前に間違いだと断じる奴はこの職だと早死にする。助っ人が来たらオレから必ず伝えると約束しよう。どっちみち、いっぺんあの岩の下は掘らなきゃと思ってたんだ」
「ありがとうございます……」
「いいって事よこのぐらい、今日も大金星だったしな。
さて、そろそろオレも戻らにゃならない。ったくこの後の仕事を考えると頭が痛いぜ……」
かがりとユウにそれぞれ一回ずつ手を振ると、蟻巣塚は携帯電話で話す振りをしながら表通りに戻っていった。蟻巣塚の事だから内心どうなのかまでは不明だが、どちらかといえば生贄よりも今後の尻拭いに意識が行っているように感じる。
一方かがりは、戦闘終了以来初めて一息つけた。
咄嗟の閃きに押し流されるまま、何の根拠もない与太話を蟻巣塚に得々と語ってしまった少し前の自分に対し、遅ればせながら激しい羞恥心と、ひょっとしたらこれが事態をひっくり返すかもしれないという興奮とが同時に襲ってくる。
いずれにせよ、この話はひとまずこれで終わりだ。蟻巣塚の承認も取れたからには、あとは調べればはっきりする事である。
そして、それはそれとして、別の謎は解決していない。
敵の正体が何であれ、またもやかがりの攻撃だけが効いて、舞や蟻巣塚のは効かなかった事だ。
敵性体ノヅチとの交戦時は、ピンポイントで弱点を破壊したからという理由が成り立つ。
ところが今回の敵性体は、誰から見ても姿が同じだった。だから、攻撃が命中した箇所でダメージに差が出たのではない。いくら購入した呪符が宣伝文句通りの効果を発揮してくれたのだとしても、差が開きすぎている。
それに、そもそも何故今回は急に敵の姿が共通して分かるようになったのか。
それだけ敵の力が増しているという事だろうか。
そして生贄説がよしんば正解だったとしても、じゃあ最初の夏祭りは何なのだという話になってしまう。
規模は徐々に縮小していき、攻撃性と姿の明瞭さは対照的に増すばかりでいる。
「どうなっている? わからない事だらけだ、何もかもが」
いまだ路地に立ち尽くしたまま、かがりがぽつんと呟いた。
疲れ切った声と目だった。
す、と最後のひと口を飲み終える。
淑女を気取ってティーカップを上品に受け皿へ戻すと、風香は満足気に空になった食器を見た。
「はー、おいしかった。外で食べて正解だったなぁ」
わざわざテーブルと椅子を運ぶ一手間を掛けただけの見返りはあった。
毎回こんな事をする気にはなれないが、たまになら日常の食事を一段階味わい深くしてくれる。
ただのハム卵サンドで、お手軽に貴族気分だ。
通行人が興味を引かれて立ち止まり、声をかけやすくなる隙を生むというメリットも発見した。簡単な立ち話をかわせたおかげで、潜在的にアンティークに興味を持っている層はこの街にも多いと分かったのも素晴らしい。
そして案の定「ものすごく高そう」という先入観こそが、なかなか手を出すまでには至らない最大の障壁だという事も。
これは今後の販売戦略を洗練させていく上で大きな価値がある。
「あれ、そういえばサイレン鳴り止んでる。
何だったんだろ、火事かな。事故かな。……ん? そもそも何かあったっけ?」
風香は一度首を捻るとそれきりすぐに忘れて、さあ片付け片付けと席を立った。




