昼間原狂騒・二岩 - 18
考え得る中で最悪の展開だった。
そんな周囲の喧騒など、まるで意に介さず騎馬武者は立っている。
大柄な肉体を濃い青と黒の甲冑で包み、顔には面を当てている為に表情は確認できない。槍の穂先は正確にかがり達へ向いている。クラクションに混ざり、どこかで軽い拍手があがるのが聞こえた。路上パフォーマンスか何かだと呑気に考えている通行人がいるらしい。
一方かがり達にしてみれば、追い込むつもりで来た道を塞がれ、逆に横幅の狭い袋小路に追い込まれた形になってしまった。それでも騎兵の立つ位置は二車線の道路の中央。すぐさま打って出れば散開できない位置ではない。
広い場所の方が安全に戦える。
自分たちの無事だけを考え、周囲の犠牲を厭わないのならば。
(論外だ、こっちに誘き寄せる)
かがりは即断した。
判断は一瞬。そして同じ判断を下した蟻巣塚が叫ぶのも一瞬だった。
「声よ戻れ!!」
途端に、騎兵の背後の空気が炸裂した。
まるで真後ろから分厚い壁を叩き付けられたかのように、騎兵が前方へと吹き飛ぶ。
蟻巣塚が修めた技のひとつ、指定位置からの声の逆流。
蟻巣塚へ向かって戻る音の塊に殴り飛ばされた騎兵は、たたらを踏みながらも体勢を立て直そうとする。
そこは丁度、先程かがりがばら撒いたばかりの呪符の上だった。
「縛!」
すかさず、かがりが呪を解き放つ。
蹄を撃たれた馬が、僅かに片方の前脚を持ち上げた。動きが止まる。
「サザンカ!」
「は!」
間髪入れず、普段まず呼ばない名を蟻巣塚が呼ぶ。
そこには強い意図が込められている。忍者としてどうにかしろ、だ。
舞は迅速に反応した。振りかぶるや、騎兵の向こう側へ複数の煙幕をばら撒いたのである。
たちまちおびただしい白煙が噴き上がる。それも数を撒いただけあって、濃さと厚みが公園の時の比ではない。かがり達の立つ道と県道との境目は、もうもうと立ち込める煙の壁に遮られてしまった。
その中へ姿を晦ます事も出来ただろう。だが騎兵はそうせず、煙に押されるかのように前方へ一歩進む。三人と一匹の存在などまるで意に介さないかのように、堂々と。
馬一頭分高くなった位置から武装した人間に見下ろされるのは、並の人間なら腰を抜かしそうな程の威圧感を生んだ。あの日に地面を大きく削り取っていった敵性体ノヅチの一撃を思い出し、かがりの全身に汗が吹き出す。
上から突いてくるか、下から掬い上げてくるか。槍を持つ相手と戦った経験などないから、間合いの取り方が分からない。
佇む騎兵を飲み込むかのように、白煙はじわりじわりと膨れ上がってくる。
「あんな真似もできたんですか?」
「できるよ」
「どうして公園で使わなかったんです」
「だから離れすぎると効かねえんだってオレのは。あとホントあっという間でびっきゅりしてたからな!」
「精一杯かわいく表現しようとしても無駄です。心底気持ち悪いんでやめてください。ユウ、あいつはどう見える」
「う、うん! えっとね、なんか飾りつけたでっかい馬に鎧着て槍持った人間が乗ってる! 左前足の位置は電柱から北北西寄りに3…メートル! 大きさは市長のおじさんぐらい! 光ってる場所はないよ!」
かがりの問う意味を正確に把握していたユウもまた、今求められている情報を簡潔に伝えた。
蟻巣塚から見た敵の姿が異形ではなく、普通の――おかしな表現だが、普通の騎馬武者だった事は道中で聞かされている。ユウの仕事は、それが真の姿かどうかを看破る事だ。ならば急ぎ必要なのは、容姿と大きさ。
結果やはり、かがりや蟻巣塚の見ている姿とユウの見ている姿には、ほぼ差がないと思って良いようだった。
前回あった弱点らしき光る箇所も、今回は消えている。
その間にも煙幕はますます濃くなり、嵩を増している。時間はかけられない。
何せ昼の街中なのだ。じきに火事として通報され、煙に気付いた付近住民も騒ぎ出す。そうなればますます人が押し寄せてしまい、戦う事も追い払う事も困難になっていく。
蟻巣塚の口から、金属質の笛の音が細く漏れ始めた。
興味を引かれながらも、かがりの手には呪具がある。
道幅の狭さは不利であるのと同時に、機動力に優れる敵を補足しやすい有利を生む。
再度の足止め、通じるか。
「――――!」
蟻巣塚が放つ。
普段の低いガラガラ声とは似ても似つかない、耳を刺す金切り声を。
符を投げた訳ではない。斧を振った訳でもない。ただ叫んだだけで蹄の真下のアスファルトが一直線に抉られ、騎兵が姿勢を崩す。
これが蟻巣塚の強みだった。武器が声である為、本人がその場を動く必要がなく、基本的に前動作も要らない。かつ声の届く範囲なら力の起点もある程度任意に調整でき、軌道を読みにくい。直接の目視も不可能だ。自由に声を出せる状態を保てている限り、彼は非常に強固な防衛圏を築く事ができる。
敵の構えが乱れた。
その背に、壁を駆け上がり、大きく跳躍した舞が躍りかかる。
甲冑の隙間を縫い、武者の喉元へ刃が吸い込まれるように入った。
残る片手で掴んだ物を、武者の胴体に、そして馬の鞍に続けざまに叩き付ける。
貼り付ききらなかった一個が、馬上からこぼれ落ちて跳ねて止まった。
アスファルトの黒に映える、鮮やかな染色。
風香の作った貝殻の呪具であった。結局貰って持ち帰っていたのを、今日の視察に合わせて携帯していたのである。
馬上から素早く飛び退いた舞を追って、無造作に――ごく無造作に、首に苦無を刺したままの武者が槍を振るった。
「ぐあっ!?」
舞が吹き飛ぶ。
当たったのは穂先ではなく柄で、咄嗟に腕を交差させて防いだのもあって致命傷には至らなかったとはいえ、まともに食らった舞の小柄な体は、紙切れのように弾き飛ばされる。
痺れる痛みに顔を顰めながらも、舞は空中で身を捻り、受け身を取って地面を転がった。幸い骨は折れていない。体を起こし、印を結ぶ。前触れもなく苦無が爆ぜ、武者の頭部が大きく傾いだ。
「霜走流忍法――屠法・風薙!!」
貝殻が砕けた。極限まで圧縮された空気の刃が放たれ、武者を、馬の体を襲う。
擬似的な鎌鼬を発生させるこの術は、近距離なら鉄柱だろうと切断する。その為に舞は危険を冒して敵の懐に飛び込み、業腹ながら自前の苦無よりも格段に上質な貝殻を触媒に術を行使したのだ。
倒せれば良し。倒せなくとも馬さえ始末できれば、機動力を大幅に削ぐ事ができる。
「沈め」
蟻巣塚が呟いた。
上から下へ、不可視の猛烈な圧力が騎兵にかかる。
上下あるいは左右といった直線は、声を働かせる経路として最もイメージしやすく、そのぶん発動も迅速となる。
馬の脚で弱い箇所は蹄と踵、そして脛だ。全身甲冑の男を支えている状態で真上から押し潰されれば、疑似鎌鼬で切り刻まれ、かつ不安定な体勢にある脚はどうなるか。
太い脚が、ぐしゃりと不自然に曲がる。
まるで蛙のように四肢を広げた格好で、馬が縦に潰れた。
心の中で皆が快哉を叫ぶ。まずは一歩。戦力半減とはいかなくとも、敵を引きずり下ろすのには成功したのだと。
だが、希望は直後に打ち砕かれる。
ぐずぐずに壊された筈の脚で、馬は平然と立ち上がってみせた。
脚にも胴体にも、傷ひとつ付いていない。
それは武者も同じで、喉元での爆発などなかったかのように槍を持ち直している。
舞が絶句していた。あれは誰から見ても間違いなく確実に決まった最高の一手だった。蟻巣塚のサポートも完璧なタイミングだったと言っていいだろう。なのに、これでは。
「おめえは……何だい?」
無駄と知りつつ蟻巣塚が問いかける。
武者は黙して語らず、朱塗りの面の向こうから静かに全員を見下ろしていた。
馬が、首を前に突き出す。
「来るよ!」
獣が駆け出す予備動作に、ユウが逸早く警戒を促した。
ここでは逃げ場が限られる。避けたとしても、敵は道幅一杯にまで届く程の長槍を持っている。一旦あの巨体が突っ込んでくれば、轢き殺されるか槍で突かれるかの二択なのは明らかだった。
主殿と舞が叫ぶ。目には迷いがあった。蟻巣塚一人なら逃がせそうだが、それをやるとかがり達には手が及ばなくなる。忍者、いやさ目的の為に情を捨てる忍であるには、舞はあまりに人がましかった。
一時退却を告げるか、蟻巣塚は迷う。
ここで総崩れになれば二度と追い付けまい。だが命には代えられない。
目下の状況で許されたほんの刹那、迷いに支配されて――目の前に飛び出した人影に、即座にそれを捨てた。
かがりの背だった。
三人の中では最も正統な、昼間原の妖怪を始末する責務を持つ者が、騎兵の前に立ちはだかる。
それは敵を倒す為であり、二人を守る為であり、二人が逃げる時間を稼ぐ為でもあった。蟻巣塚と舞なら、かがりが轢き潰されている間に、建物の影に身を隠すくらいはできる。
蟻巣塚はニヤリと笑った。前方を直視したまま大きく口を開け、一斉退避を告げる筈だった声を直ちに違うものに変える。
「行けやフッチー!!」
号令それ自体が術であった。
背後から吹き飛ばしたのとは逆方向、真正面からの力が騎兵を打ち据える。
叩き付けられる音の壁に、突進の初速が僅かに鈍った。
厚い空気の壁を突破するべく、馬が前肢を持ち上げる。
踏み直した蹄が、まさにその真下にかがりが投じたばかりの貝殻を潰した。
バーナーのように炎が立ち昇り、脛から胸、首までを黄金色に包み込む。
あれほど何をされても物ともしなかった馬が、初めて動揺を露わにした。
猛火に包まれた前脚を高々と上げ、二本脚で立ち上がる。
棒立ちとなった後肢に、疾風のように腹の下を潜り抜けたユウが食らい付いた。
馬が、噴煙のようないななきをあげる。
肉食獣の牙による一撃が、捕食される側としての根源的な恐怖を呼び覚ましたのか。
脛に取り付いた異物を引き剥がそうと、振り払おうと、馬は前肢を支点に激しく後ろ足を蹴り上げ続ける。それは同時に、馬が一切の移動を止め、その注意が後方に向き続けている事を意味した。
再度仕掛けるならば、今。
危険は危険だ。武者は馬を落ち着かせようと手綱を引いているものの、残る片手に握る槍がいつ自分に向くか分かったものではない。
だがそれでも、ユウが作り出したこの貴重な隙をむざむざと捨てる訳にはいかなかった。
もしもあのまま騎兵が突っ込んできたとしても、体の小さいユウなら道の端に張り付いていれば避けられた。にも関わらず、ユウは敵を倒す為に、効く保証のない捨て身の足止めに打って出たのだ。自分だけ逃げるのに納得できない事と、敵に向かっていける事とは別問題だというのに。
判断は一寸。
絶好の勝機に、かがりはとっておきを投じた。
それは単なる一枚の呪符であり、新しく導入したうちのひとつ。
あのカタログに「これで倒せない奴はいません!」というふざけた宣伝文句が、更にふざけた事に作成者の顔写真付きで載せられていた物。
ただし、値段は全くふざけていなかった。否、別の意味でふざけていた。
給料の三ヶ月分をつぎ込んでもまだ足りないそれを、かがりは私費で購入していたのである。婚約指輪じゃあるまいしと、さすがに振込みながら笑うしかなかったのをつい先程の出来事のように思い出す。しかもこちらは使い捨てだ。
だが、ああ、考えてみれば婚約指輪や結婚指輪も使い捨てに終わる場合が人生にはままあるのか。
妙にゆっくり流れる時間の中で、かがりはまた笑った。
使用法はごく単純だ。もう効果は記されているから、念じて、ただ放ればいい。
絞れば穿ち、散らせば焼く。手順さえ正しく踏めば子供でも家ひとつ消し飛ばせるが故の、責任という二文字を含めてのその価格であった。
薄い紙切れ一枚が風を切って飛翔し、がら空きの馬の胸部にへばり付く。
離れろと、ユウに向かってかがりが叫ぶ。自らも顔を庇いながら、口を離したユウが大きく飛び退くのを見た。
べご。
例えるなら、巨大なハンマーを全力で生肉の塊に振り下ろしたような鈍く太い音。
離れた皮膚に伝わる振動は空砲にも似ていた。
凝集された力が叩いたのは、僅か数十センチに過ぎない範囲。
馬の胸が大きく抉れていた。巻き込まれた武者の片足も太腿まで吹き飛ばされている。より呪符に近かった左前肢の付け根は、ほとんど皮一枚で繋がっている状態だった。踏み留まろうとして、力を失い膝から崩れる。
首と胸とに穿たれた大穴、ちょうど深いポケットのように窪んだそこへ、かがりは残っていた貝殻全部を投げ込んだ。
「散!」
ぶつかるや爆ぜる。
千切れた馬の首が宙を舞った。
最上級の触媒を介して体内で炸裂した術の余波が、上にいた武者の腹をも貫く。
がくりと、馬上の武者が前のめりになった。長槍を持つ腕があがりかけ、そのまま落ちる。手を離れた槍は地面で一度跳ね、消滅した。
どうと、首から上を失った馬が横倒しになる。四肢が幾度か弱々しくもがき、完全に動きを止めた。主人もまた最後まで素顔を晒す事なく、指先から細かな塵となって消えていく。
騒ぎの大きさに比べ、ひどく静かで呆気ない幕切れだった。




