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昼間原の女 - 5

明くる朝は、盛大な破壊音で幕を開けた。

ピピピピ、ピピピピと見た目同様のチープな電子音で起床時間を告げていた目覚まし時計を、布団から這い出してきた女が振り下ろした拳の一撃で叩き壊したのである。


「しょっちゅう壊すんだ。だから安いのを買い溜めしてある」


唖然としている狐に、下手をすれば昨晩よりも不機嫌そうに女が教えてくれた。

声は獣の唸りのように低く、据わった目付きからは生気が欠けている。

どうやら女は相当朝に弱く、かつ、その弱さは刹那的な暴力という形で発散される傾向にあるらしい。

壊すと分かっているなら置いておかなればいいのにと狐は思ったが、何かしらの刺激が無ければ延々寝続けてしまうのだと、そんな狐の内心を読んだかのように女が言う。


「なんだその目は。

……言っておくけど私が弱いのは起きるまでの間だけで、目が覚めてしまえば後は早いんだ」


成る程、哀れな目覚まし時計ひとつを犠牲にして、確かに起床直後より瞳に光は戻ってきている。

口は災いの元という鉄則に珍しく従って、狐はそれ以上の追求を避けた。

女は黙々と目覚まし時計だったものを片付けると、てきぱきと布団をたたみ、服を着替える。

顔を洗い、化粧を済ませ、髪を整えている女からは既に怠惰な雰囲気など綺麗さっぱり消えており、覚醒するまでが地獄という言葉は嘘ではなかったのだと証明していた。


徐々に気持ちが落ち着いてくると、この家に関する様々な疑問へ関心が向いてくる。

別の部屋はあるのだろうか。他に住んでいる人間はいるのだろうか。

囚われの身で迂闊に好奇心を発揮するのは危険なのだが、狐が質問するより先に女は身支度を終えて、他ならぬその別の部屋へと姿を消していた。

間もなくそちらから漂ってきたいい匂いにより、狐は女が別室へ行った理由を知る。


狐が全く考えてもいなかった事に、女は彼の分の食事も用意してくれていた。

状況が状況だけにあまり食欲は湧かないものの、折角の女の心遣いを無駄にしてはならないと思い、狐は礼を言ってから口をつける。

炙った干物を箸でほぐして炊いた米に混ぜたもので、皮からは香ばしい脂の匂いが立ち昇っている。ここが檻の中でかつ手足を縛られてさえいなければ、さぞかし御馳走だっただろう。


「体は?」

「え?」

「体はまだ痛むか?」


深皿で提供された水を狐が舐めていると、同じく朝食をとっていた女が箸を置いてそう聞いてきた。

女の献立は干物に味噌汁と緑茶が追加されている程度で、狐が食べているものとほとんど違わない。


「痛くない」

「他におかしな所は?」

「大丈夫だと思うよ、ケガもしてないし」

「怪我に限らず、普段と比べて違和感のある所はないか? どんなに小さな変化でもいい」


女は、妙に食い下がってくる。

最初はてっきり心配してくれているのかと狐は思ったが、どうもそれとは違うように感じた。

何もないと重ねて狐が否定すると、ようやく女は納得したのか黙る。

静まり返った室内に、あるかなしかの食事の音だけが響く。

繰り返し異常を尋ねられた理由も説明してもらえず、狐にはまた居心地の悪さが戻ってきた。


程なくして、座卓の上の食器も空になる。


「ごちそうさまでした」

「ああ」


女は素っ気なく答えると片付けに移った。

狐は少しだけ期待したが、皿と水が退けられると再び檻の入り口は閉じられてしまう。

縛られたままの手足では他にやれる事もないので、狐はごろりと横になった。

膨らんだ腹に眠気を刺激されながら、自分はこれからどうなるのかと考える。

出会った時の刺々しい気配は、すっかり女から消えていた。

それどころか食事まで与えるなど、拘束を除けば狐への待遇は一貫して親切であるとさえ言える。

とはいえ世の中には最後の晩餐という言葉もある為、完全に気を緩めるには至らない。

落ち着かない時間を狐が過ごしていると、女が戻ってきた。口元からは、微かにハッカの香りが漂っている。

緊張しているかと聞かれたので、うんと狐は答えた。強がっても仕方がない。

女の視線は、狐の手足を拘束する幅広の紐に向けられている。


「痛めつけたくてお前を縛ったままにしてあるんじゃない。

昨日の夜も言ったろ? 解けないと。

その拘束具は、時間厳守の制約を加える事で強度を上げている。

定めた時間になればあっさり解けるし、逆にそれまでは解きたくても解けないという融通が効かない代物なんだ」

「なんでそんな不便なのを使ってるの?」

「手持ちがそれしかなかった。まぁ、他があってもそれを使ったけどな。

狐を相手に舐めてかかるなんて自殺行為だ。破られた場合の次の手まで考えていたんだぞ」

「俺そんな強くないよ……」

「ああ、一晩見ていてさすがに分かった。騙りじゃなく本当に弱いんだなお前。

狐の基準で弱いどころか、他の妖怪と比べても弱い」


女の指摘は容赦なかったが、事実であるだけに反論のしようがなかった。

狐の群れでは全く通用しないからこそ、妖への対抗手段を持たない人間の街を目指したのである。


「だからお前をどうするかは、そいつが緩む前に決める」

「………………」


狐は前肢を縛った紐を見た。

女の言葉によれば、この拘束が解けるのは今日だ。

命綱を握られている相手から具体的に制限時間に触れられ、否が応でも狐に緊張が走る。

銀混じりの体毛が小波立つのを、真向かいに座る女も見た事だろう。


「殺しはしないよ。

狐は結束が強い、群れで生きてる奴を下手に殺さない方がいいんだ」


怯える狐を見兼ねてか、女が言った。

それは一定の効果があった。しかし今ひとつ浮かない様子の狐に、女は怪訝そうになる。

命の保証が為されたのだから、大喜びとまではいかなくとも、安堵して然るべきではないのかと。


「どうした?」

「ん……俺、自分の命が助かるかどうかの決定も、結局仲間頼りなんだなって思ってた。俺を見て、こいつは殺せない、殺しちゃいけないって判断されてる訳じゃないんだ」

「それは否定しない。でも人間だってそんなもんだぞ?

気に食わない奴を殴らないのは、負けそうだからというより殴ったら捕まるからだ。社会ってのは個人の腕っぷしの強さを基準に動いてないんだよ」

「そうかなあ……」


理屈は分かっても、心から納得するのは狐には難しかった。

敵の手に落ちて尚、一目も二目も置かれるような存在。

仲間の報復が怖いだのといったみみっちい理由ではなく、存在そのものの放つ輝きが、命を奪おうとする手を止める。

真の英雄とはそういうものだと狐は信じており、またいつか自分もそうなる日を夢見てきたのだ。


「夜になったら逃がしてやる」

「!」

「私はちょっと外に出てくるから、それまでは我慢してろ。……漏らすなよ」

「も、漏らさないよ!」


いくら不出来な狐であっても、妖であるからして代謝の調節くらいは出来る。

こればかりは名誉の為に弁明しようとする狐を無視して、女はさっさと荷物を手にどこかへ出かけていった。

家を出る間際、思い出したように戻ってきて、檻に新しい水を入れるとテレビをつける。

狐は寝転がったまま、それを眺めて留守中の時間を過ごした。



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