昼間原狂騒・二岩 - 13
獣の眠りは浅い。
意識が底の底まで沈んでいる時間は、数えれば僅かなものだ。一旦落ちたかと思えば、すぐに浮上する。
夢と現の境をとろとろとまどろんでいたユウは、店側の戸が鳴る音にはっと目覚めた。
「ただいま」
急いで身を起こし、かがりの声がする方へ向かう。
戸を施錠していたかがりが振り向き、よ、と唇の動きだけで帰宅を告げた。
もう店を閉めてしまうのかと聞きかけて、ユウは気付く。
佇むかがりの背後、ガラスの格子戸の向こう側に確認できる外の景色は、既に薄暗くなりつつある。少しだけ昼寝するつもりだったのに、どうやら夕方近くまで熟睡してしまったらしい。朝に言い残していった通り、かがりはこの時間までずっと図書館にこもりきりだったようだ。
手から下げているビニール袋の中身が気になりつつも、ユウはまず出迎えの言葉を送る。
「おかえりなさい。図書館どうだった? 探してた本はあった?」
「ああ、たくさんメモを取ってきた。
とてもじゃないが一日じゃ読み切れなかったから、明日も行ってくる」
「そんなに?」
「一冊一冊メモ取りながらじっくり読んでると、どうしてもな。
閉館ギリギリまで粘ったけどあえなく時間切れだったよ」
かがりは荷物を畳の上に置くと、首をぐるりと回して凝った肩をほぐし、瞼の上から目を揉んだ。
また明日も留守番が決定した事にユウはだいぶがっかりしたが、我儘を言える状況でも立場でもない。
かがりもユウの心境を汲み、慰めるように言った。
「そうつまらなそうにするな、私だって出来れば今日中に読み切ってしまいたかったんだ。適当な課題を今夜考えておくから、明日はそれで勉強しててくれ。これも大切な役目だぞ」
「うん、わかってる。あのね、俺も今日自分でちゃんと復習してたよ。
かがりがやるみたいに正確には計れなかったけど」
「そうか、自主的で感心、感心。
ほら、約束してた留守番土産だ。こいつで夕飯にしよう」
かがりが、ビニール袋の中から弁当を幾つも取り出してみせる。
どれもユウが初めて見る包装の品ばかりで、とても立派だ。
たまたま今日から始まっていた、百貨店の全国駅弁フェスで購入してきたものである。粗食宣言はどこへ行ってしまったのか。とはいえ、ユウとしてもこの御馳走を前にして言行不一致を責める理由は全くない。
涎を垂らさんばかりのユウに、まずは風呂だと告げると、かがりは疲れ切った顔で部屋を出ていった。
「ねえねえ、かがり。読んできた本の話聞かせてよ」
夕飯を食べながら、ユウがかがりにねだった。
かがりは春御膳幕の内、ユウのは鯛めし弁当だ。狐でも食べやすいように、ユウの分は皿に移してある。
日頃「食事の時は食う事に集中しろ」を格言にしているかがりも今日に限っては咎めず、生姜の浅漬けを飲み込むとメモを捲った。湯船に浸かったおかげで疲労はだいぶ抜けていたが、顔付きにはまだ厳しさが残っている。
「ええっとな……実は新しく分かった事はそんなに無かったんだ」
「え、一日かけたのに?」
「そういう言い方はやめろ、私がバカみたいだろ。……別に優秀だとも思ってないが……。
とにかく何年頃に蛭野郎が発生して暴れ回ってただとか、そのせいでどのくらい死者が出ただとか、討伐隊がこの地に集うまでの流れだとか、倒した後にどういう調伏……供養を行ったかだとかは全部書いてあった」
「なーんだ、分かったんじゃん」
「分かったけど、それだけなんだよ。
その辺の骨組みは、前に全然真面目に読んでなかった私でも知ってたんだ。それらを否定するものではなかった。大雑把に覚えてるおとぎ話の原文をちゃんと読みました、みたいな感じと言えばいいかな。間違いなく知識は深まったよ。ただ、じゃあそれで役に立ちそうな新発見に繋がりましたかっていうと、何もない」
かがりはぱっと手を広げた。お手上げだ。
元より秘策のひらめきを期待しての閲覧ではなく、情報整理に役立てばという狙いだったから、目的は充分果たせている。だがそうは言っても、心のどこかで期待していたのは事実だ。呪いを打ち破る一手を、先人達の遺した書物に見出せるのではないかと。
そんなものが残っているなら自分よりずっと優秀な者達がとうに見付けている筈だというのに、もしかしたらと考えていた事が今更ながらかがりは恥ずかしくなってきた。
しかしそれでも、ユウにとっては大いに興味をそそられる話だったようだ。丸い眼が爛々と輝いている。
「それ、それ! 俺そういうのが聞きたい!
一匹の強大な敵を倒す為に続々と部隊が集まってくるなんて、すっごい燃える! んでそれを率いたのがあの公園の英雄なんでしょ? どんな立派でかっこよくて強くて偉くてすごい人間たちだったか書いてあった? 俺の超えるべき目標になりそう?」
「公園の英雄っていうといまや絶滅危惧種のガキ大将みたいだな……。
勇者様御一行の名前やら身分やらも書いてあったよ。サムライみたいな奴が多かったが、弓兵とか騎馬隊率いてた奴とか、術を使いそうな奴もいたぞ。ああ、女もいた」
「へえええ! やっぱ同じヒーローでもちゃんと役割が分かれてるんだな!
こないだ映画で見た! チジョウハハツホーソーってやつ!」
「お前は何の話をしてるんだよ。
まあ今夜はもう他の仕事をする気が起きないから、食べ終わったらゆっくり話してやる。修行も休みだ」
「楽しみ。俺も早く食べちゃお――あれっ?」
「電話だな」
かがりは割り箸を置いた。
発信元の番号を見て、眉をやや寄せる。
蟻巣塚からだった。
「はい、楝です」
「こんばんは、蟻巣塚です。夕食時に失礼。
図書館行ってきた? 確か予定今日あたりだったよねえ」
「はい。館長への連絡をありがとうございます、おかげで手間が省けました」
「どういたしましてだ。
オレも一回読み直そうと思ってるんだけど、なかなか時間が取れなくってな。
で、どうだった? なんかあったかい、手掛かりになりそうなの」
自分は今日だけで何度同じ無力感を味わうんだろうなとこっそり思いながら、かがりは今しがたユウにした話を繰り返す。
「あるかないかで言えば、ありません。
概要が詳細に変わっただけというか……事の経過や関係者についての知識は深まりましたが、肝心の本題の方はまるで切り込めても揺らがせられてもいません」
「まァそりゃそうなるよねー。怪しい箇所あんならとっくに指摘されてるだろーもん。偶然が生んだ奇跡の大発見は夢に終わっちまったか」
「単に私の見識不足から発見に至れなかっただけかもしれません。すみません」
「いやいや、フッチーが謝ってどうすんの。
謝るなら前任者みんなで一緒に頭さげないとね、未熟でごめんなさいって。あ、あともうひとつ。霜走くんから聞いてるらしいけど、公園で改修工事が始まったよ」
「今日見てきました。
それで? 工事という名の封鎖はいつまで続ける予定なんです。
私が言うまでもないでしょうけど、長引けば長引くほど市民は不審がりますよ。あんなとこでずっと何やってんだと。そのうち面白がって侵入するクソガ……学生が出てきて、工事なんて何もしてないのがバレます」
「期間か、期間なー。
解決するまで何年でも全面立入禁止といきたいが、どう考えても無理ヨネー。
あーあ、いっそ手っ取り早く不発弾でも見つかった事にしてえ」
「主従揃って発想が不発弾に行き着くのは何故ですか。それこそ数日で終わらせないといけなくなるでしょう」
「切羽詰まると実力発揮するタイプだからさ、オレ。
特に夏休みの宿題においてその特性を遺憾なく発揮したもんだ」
「嘘ですね。逆に最初の数日で全部片付けようとするタイプですよ、市長は」
「……やれやれ。
ま、ともかくだ。公園に関しては第一次改修完了みたいにして、一定周期で短期間開放してガス抜きする案を検討してる。
できれば永劫に封じときたいがな。特に噴水と花壇のある広場。
だって二度目の異変起きたの公園内だぞ、モロに決戦地の真上だ。しかも祭りの時と違って明確な敵性反応があった。これもう糞ナメクジが関わってんの確定だろ。そんな危ねえ場所に市民入れたくねえよ。本音を言えば昼間原丸ごと封鎖しときたいわ」
冷静な目で場を見定めるべき妖怪との交戦において、推定で物事を決めつけるのは危険だ。
とはいえ、かがりも概ね同意見だった。完全否定するには状況証拠が揃いすぎている。生存説を肯定するのにはいまだ抵抗があるものの、少なくとも蛭の呪い絡みだという結論はかがりの中で固まりつつあった。
欠けているのは、大規模幻術がどういう原理で発生しているか。そしてどういう理由で発生しているかである。
前者に対するひとつの仮定としては、数百年という時を経て発現する呪詛。
時間によって効果が切れる、あるいは起動する術や呪具は存在し、かがりも愛用している。ユウを捕縛する際にも使った。
ならば、そうした仕込みも可能なのかもしれない。
では後者に対する仮定、即ち何故わざわざそんな回りくどい真似をしたのかについては、遥か未来のこの地に住まう人間たちに、要は己を滅した憎き敵の子孫どもに仇なしてやろうという怨恨から。
正直、顔も知らない未来人をそこまで恨めるものかと思ってしまうが、得てして妖怪とはそういう血や家系を呪う思考をしている。




