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昼間原狂騒・二岩 - 12

ひとりきりの部屋では、静寂を一段階重く感じる。

テレビから垂れ流される音。表の通りを時折行き過ぎていく排気音。

人工音と環境音は常にどこかで鳴っているのに、それら全てを押し退けて無音の世界が顔を覗かせてくる。

見上げる天井が、いつになく遠い。


「あーあ」


留守を任されていたユウは、畳の上に寝そべったままつまらなさそうにぼやいた。

声に混ざって欠伸が出る。もう何度目になるだろうか。今日は夕方まで退屈が続くと分かっているせいで、好きな昼寝にも今ひとつ没頭できずにいる。

群れにいた頃はこうした空き時間全てを英雄になる為の研鑽に当てていたが、家の中で下手に暴れれば物を壊してしまう。

ユウはぐっと両手両足を伸ばし、背を反らしながら、畳の上をごろごろと転がる。

かがりがつけていってくれたテレビにも、早々に飽きてしまった。

それは、番組内容が変わり映えしないからではない。

どうにもテレビがつまらないのも、体を動かさずにできる修業をする気になれないのも、ひとりきりだからだ。


かがりがいてくれれば、番組の感想を伝えられる。それなら毎日見ているニュースでもドラマの再放送でも楽しい。

かがりが一言二言声をかけてくれれば、実になった試しのない修行にだって集中できる。


否、それよりも、本音を言えばやはり図書館へ一緒に行きたかった。

門外不出だという書物に目を通してみたかった。関係者の一員として数えられたかった。

読んで、考えて、意見を述べて、それが鍵になってこの事件を解決できたとしたら――それこそ街を救った英雄だ。


ユウは、かがりが開いたままにしていってくれた本たちに目をやる。

昼間原の歴史でも何でもない、この事件を解く鍵とも一切無縁な、グルメ雑誌、映画雑誌、週刊誌。

群れでの教育のおかげで、ユウは人間の文字が読める。内容も全部とはいかないが理解できる。できない所はかがりに聞けば教えてくれる。

だから、これらを読むのも楽しいのだ。間違いなく楽しいのだが――どうしても、蚊帳の外に置かれている物足りなさがある。

仰向けにごろんと寝転がり、ユウは暫し動きを止めた。

天地のひっくり返った世界で、もう何代目になるか不明な目覚まし時計の秒針が、かち、かち、かちとリズムを刻む。


「俺も人間に化けられたらなー」


ユウは呟いた。

そうすれば、動物だからという理由で門前払いを食らう必要もなくなる。店だろうと図書館だろうと、かがりと並んで正面ドアから堂々と入っていけたのに。


人間に化ける。

狐と聞けば老若男女誰もが思い浮かべる、この国において広く認知されている概念であり、事実それは妖狐という妖が備える特異性でもある。

己の姿を大きさ含めて全く別の存在に変え、かつ長時間維持するには妖であっても一定水準を超える力が要るが、狐や狸や猫は、これら化ける、化かすという技術と生来の相性が非常に良い。

それはユウのいた小規模な群れでも同じで、変身は隠形と並んで若駒の初歩的な習得技能に挙げられている程だ。才能のある個体ともなれば、ほんの幼いうちから倒木や岩に化け、不意に声をあげて同年代の子供たちを驚かせる悪戯を仕掛ける。


では、才能のない個体はどうなるか。その具体例がまさしくここにいた。

何度教わっても練習しても、ほとんど身に付かなかったのだ。

無論、狐にも得手不得手はある。変身というひとつの分野に限っても、才能の差は僅かに、如実に、そして残酷に現れる。

だが、ユウのそれは極めつけであった。

人間を主とする、他生物の視線の認識外に己を置く初歩的な隠形法は辛うじて習得できたものの、継続して姿を変え続けるなど、とても不可能だった。ここまでくると最早、才能がないという括りに当て嵌めていいのかすら迷うと、面と向かって告げられた事まである。

本当に、よくこれで見放されなかったものだ。

無才に加えて無謀。それでいて高望み。

迷惑ばかりかけていたというのに、追放されるどころか常に周りが世話を焼いてくれたのだから。

弱者を見捨てない方針の群れだったから良かったものの、他所の群れならどうなっていたか改めて考えて、ユウは少し怖くなった。奇しくも昼間原に来てからも似た環境になっているのだから、たまに思い出して自省しなければと、仰向けのまま顔を引き締める。


ただしそれはそれとして、もしもの自分を夢見るのはやめられない。

ユウは仰向けからぐるりと半回転し、うつ伏せの姿勢になる。

厳粛さを意識した緩慢な動作で腕を一本ずつ引いていき、上半身を起こす。

深く吸い、深く吐く。すう、と、獣らしからぬ深呼吸。

大地と接触こそしていないが、肢端から骨を、肉を通り、毛の一筋一筋に至るまでを満たす精気の流れを強くイメージする。

全身くまなく行き渡ったと感じたのならば、あとは好きな形の殻を思い描くだけだ。


「ふん!」


昔話でたびたび描かれるように、頭に葉っぱを乗せる必要はない。

思い、描く。ただそれだけで、生まれ持った四肢で草原を駆けるに等しく外殻を変えるのが狐だ。

たちまち大腿部の肉が盛り上がり、関節は接続を変え、直立に適した形状へと歪んでいく。背は立つ為の強さを備え、指は物を掴むのに適した柔軟さを得る。突き出た口吻は引っ込み、三角形の耳はみるみる縮み、入れ違いで顔の両脇に小さな貝殻型の耳翼が生えてくる。

ぴんと張った髭も、ふさふさした尻尾も、全身を覆う灰銀混じりの体毛も消え、その下からつるりとした人の肌が姿を現す。


現す――筈だったのだ、が。


凛としたお座り姿勢のまま一秒、二秒、そして十秒と待ち、そろそろじゃないかなとユウは首を回して自分の体を確かめた。

当然ながらそこにあったのは狐の肉体で、視点や視界に変化もなければ、獣とは比較にならないほど自在に動く手足もない。


「ちぇーっ、こういうのって変身できる流れなんじゃないのかよ!」


遺憾ながら、そう都合良くはいかないらしい。

隣に並び立ちたいと願う相手ができた事で心の在り方が変わり、眠っていた潜在能力が解放されて……といけば万々歳だったのだが、そもそもユウは群れにいた時から真剣でなかった日など一度もない。

確かに、新しくかがりという要素は加わった。昼間原市を守るという具体的な活動目的も定めた。

しかしそれによってユウの修行姿勢に違いが生じたかというと、全くそんな事はない。

今も昔も、ユウは真剣だった。一切の弛みなく真剣にやってきて、その上で駄目だったのである。

結論として、余計に救いようがない現実だけが残った。

まず第一に、狐なら変身するのにいちいち精気の流れなど意識する必要さえないのだ。ユウを指導する際に、群れの狐が最初戸惑った理由もここにある。瞬きの仕方を系統立てて説明しろと言われたら、誰でも困るだろう。

結構な困難を伴う変身を、耳を動かし尻尾を振り、息をするのと等しい気楽さで行ってみせる。それが狐という妖怪なのだ。


「ダメかあ」


再び、ユウはへにゃりと情けなく座り込んだ。

同じ事を散々繰り返してきて分かりきっていた結果とはいえ、落胆する。

が、落ち込むのは自分らしくないと即座に立ち直った。

人間には化けられなくとも、自分には敵の正体を看破るという重要な役割が与えられているのだ。そちらを磨けば良い。

前の戦いでは、初めてという事もあって狼狽するばかりだった反省から、次からはより正確に敵の姿や弱点の位置などを伝えられるよう、ユウは練習を欠かさないようにしている。床に広がる様々なジャンルの本も、娯楽であると同時に実はその一環だ。敵の姿を言葉で表現する際、咄嗟に適した比喩を持ち出す為には、幅広い知識が必要となる。


かがりが帰ってくるまでの間に、昨晩の復習をしておこうとユウは決めた。

寝床代わりの檻の横に置いてあるプラスチック製のカゴから、口を使って器用に定規を抜き取る。これは最大50センチまで計れる定規らしい。二本を横に並べると丁度1メートルになる。

定規は長さの違う物が何本かと、他に巻き尺もあった。

これらを組み合わせて物と物との距離を計測し、おおよその長さを反射的に答えられるようになるのが目標だ。

家の中で、時には夜の庭に出て、かがりが二つの物体を指し示し、ユウが間髪置かずに二者間の距離を答える。その後で答え合わせを行うという流れだった。更には観察する位置を幾つも変え、角度や遠近の違いが生む誤差についても学ぶ。

かがりに手伝ってもらっての、毎晩の日課としての特訓。

当然ながら群れでは数字で表現する距離とは無縁だった為、最初は四苦八苦したが、慣れてくるとクイズのようで楽しい。妖怪としての能力の低いユウでも成果を出せるのも励みになった。


机左側面中央とタンス右底面端。2メートル40センチ。この位置からは右側。角度は45度の上。

今月号の映画雑誌と台所入口。3メートル20センチ。雑誌を手前と見れば背後、ほぼ正面。


そうやって、ユウは室内の物という物を次々に調べていく。

勿論かがりとやっている時のように、最初に頭の中でざっと数字を出してからだ。

反復学習こそが大切だと、かがりは言っていた。こんなものは人間でもそうそう正確に答えられないと聞かされていた事もあり、近い数字が出ると気分がいい。

次のターゲットを探していたユウの眼に、先日風香の持ってきた奇っ怪な置物が映った。どこに飾っても周囲から浮く光景しか想像できなかったそれは、結局かがりが愛用している文机の隅にひっそりと置かれている。

ユウは口を使って定規を文机の上に乗せると、前足で少しずつ慎重に位置をずらして狙いを合わせた。


「……15センチ!」


同じ机に置かれている、オンボロのノートパソコンとの距離である。

くすくす笑うユウを、省略しすぎて尚更得体の知れなくなった合成動物と、それに跨ったかがりのような何かがじっと見ていた。パソコンでの作業中、何気なく画面から目を離した拍子に視線が合ってしまい、嫌そうな顔をしているかがりをユウは何度か見ている。


「あ、人間に化けるんじゃなくて、俺がでっかくなるのでもいいな。

全然違う姿に変身するより、姿形はそのままで大きさだけ変える方が簡単だって聞いたし。そうすればコレみたいに、俺の背中にかがりが乗ってさ。こう、ちょこまか動き回る敵をシュバッ!シュバッ!と颯爽とやっつけるんだ。絶対かっこいいぞ! あと口から火を吐いたりもして! んで尻尾を振ると天から青白い雷が……!」


人に噂されるヒーローという初志はどこへ行ったのか。

成人女性を背に乗せて駆け回れるサイズとなれば、小型の馬くらいの体格は最低でも必要になる。こんなものが街中を駆け回っていれば、日中だろうが真夜中だろうが噂レベルでは済まない。ましてや火だの雷だの。

――といっても、だ。簡単なのはあくまで変身と比較しての話であって、ユウに可能かといえば無理なので、所詮はこれも他愛ない空想のひとつでしかない。


そうしてひと通り室内の物を調べ終えると、再びユウは暇になった。

この頃には昼近くになっていたから、かがりが用意していってくれた軽食を食べる。

群れにいた時の食事は一日一度きりという事も珍しくなく、妖怪であるユウは食事を摂る意義自体がそもそも薄いのだが、ここに来てからはかがりが律儀に三食とも用意していた為、すっかり習慣付けられてしまっていた。

皿に乗っているのは茹でただけの白身魚と朝の残りの白飯が、ほんの一握り。

なんでも近頃は贅沢が過ぎたからと、暫く粗食でいくらしい。表情を引き締めて宣言していったかがりを、ユウは思い出した。三食きっちり食べている時点でそれは粗食なのかという疑問はあるものの、ユウにはこれでも充分である。

保存もきくし時間がない時に便利だからと、ドッグフードを求めて一度あのペットショップを訪ねてみた事もあったそうだが、かがりを見た瞬間に「狐の専用フードですね」と満面の笑みで接近してきたので、思わず後退って逃げてきてしまったらしい。

本当に何なのか、あの店は。


小腹が満たされると、今度は眠気が押し寄せてきた。

集中力を発揮して頭を使ったからだろう。

それに本来、肉食獣はエネルギー消費を抑える為に、無駄に動き回らず一日の大半を隠れているか寝て過ごすものだ。妖怪であり、自然の理から一歩分だけ距離を置いたユウの肉体にも、そうした生活リズムは刻まれている。

こういう時には、本能に逆らわないのが一番だ。

ユウは前足でリモコンのスイッチを押してテレビを消すと、柔らかくてお気に入りな座布団の上にごろりと体を丸めて横になった。






土の匂い。豊かに茂った草木の囁き。遮る屋根のない空に瞬く光。

意識が最も深い底まで落ちてしまえば、町中にいる時にも山にいる時にも違いはない。

夢と呼ぶのであろう暗黒の只中で、ユウの魂は懐かしい故郷を漂っていた。

現実ではないからか、思い出せる事はほとんどない。

目に映る景色はどこか作り物めいていて、共に暮らしてきた仲間たちの全身は塗り潰したようにのっぺりしている。

それでも不思議と憶えているのは、顔も知らない両親と。

微かに耳の奥にこびりついている、声。


――ォウ。




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