昼間原狂騒・二岩 - 11
昼間原市立図書館。
面白みも特徴もないそのままの名前の施設は、市役所から数百メートルも離れていない先にあった。三階建てで横に広い、昼間原市においてはかなり立派な部類のビルである。
登録すれば誰でも気軽に貸し出し利用が可能で、閲覧だけなら本人確認もいらない。新刊も比較的入りやすく、調べ物をしたい学生から読書好きの会社員まで、幅広い層に利用されていた。
ビルを前にして、かがりはバッグの中に封書があるのを再度確認する。
速達の印が押されたそれは、かがりの申請に対する図書館長からの返信であり、例の部屋への入室許可証でもあった。今時わざわざ郵送とは何ともアナログだが、確実ではある。それに利用者が極めて限られているので、手間や時間は問題にならない。
かがりが、あの部屋に入るのは二回目だ。
一回目は後を継ぐ前、まだ子供だった頃に父に連れられて。
それきり一度も読んではおらず、調べ物があって図書館を訪れた時も、読もうとさえ思わなかった。というか最初の時も父が簡単に説明してくれるのを聞いていただけで、自分ではろくすっぽ目を通していなかったと記憶している。
別段、不真面目だと叱られはしなかった。概要を知っておけばいいのだと言われた。事実、歴史など知らなくても仕事をこなすのに何も困らなかった。
しかしこうなってしまった今、どんなに小さなものでも情報が欲しい。
あの小部屋には、まだ呪いの影響範囲が不明だった頃から、先人達が幾度も挑み、試みてきた戦いの記録が詰まっている。彼らが抱いていた危機感や恐怖の大きさは、黙々と流れ作業をこなすだけとなってしまったここ数代の担当とは比較にならなかった筈だ。
となれば観察に当たっての着眼点も観測精度も、現代とはまるで別物になる。
自分如きに今更新しい発見ができるとは考えていなかったが、混乱するばかりの現状を整理する栞になってくれる事をかがりは期待した。
二階フロアを素通りし、図書館長の滞在する三階へ向かう。
講演や講習会で何かと多忙の身らしいが、あらかじめ時間を指定してあるから不在という事はない。
直に顔を合わせるのは、店を継いだ時以来となる。
かがりは幾分緊張しながら、静まり返ったドアをそっと叩いた。すぐに返事がある。
「……失礼します」
「はい、こんにちは。それともまだおはようかしら? お久しぶりねぇ」
「どうも……ご無沙汰しております。今日はお時間を割いて頂いてありがとうございます」
「あらやだ、いいのよそんなの気にしなくて。まあまあそれにしても大きくなっちゃって!」
「いやそこまで変わってないと思いますけど」
子供の頃以来というならともかく。
冗談だったらしく、図書館長は口に手を当ててほほほと笑った。
昼間原市立図書館、現図書館長。辻門冴絵。
痩せているせいもあって、鶴のような印象を受ける女性である。
もう定年を迎えていてもおかしくない年齢の筈だが、退く気配は一向に窺えないらしい。
これには単純に仕事ができるという理由の他に、今回のかがりの目的である秘蔵書の件も少なからず絡んでいた。
彼女の後任となればそれらの管理も任される訳であって、古い書物を取り扱う技術だけでなく、昼間原市が抱える奇想天外な事情を明かされても動じない精神力と、口外しない自制心が求められる。
となれば慎重になるのも当然といえた。おそらく今は数年というスパンで候補を絞り込んでいる最中なのだろう。
かがりを招き入れると、はきはきした歯切れの良い口調で冴絵は言った。
「お話は市長さんからざっくり聞いてるわ。ざっくりね。
やだもうとんでもない事になっちゃったわねえ。アタシもじき平和に退職できそうって時に……」
「まったくです。おかげで人生設計が台無しですよ」
「……そうよね、一番大変なのは楝さんのとこよねぇ……。
こんな時にお父さんがいたら、って思ってしまうのだけれど」
「いやあ……もし父がいても状況が最悪なのはたいして変わらなかったと思いますよ。一人じゃないぶん、心情的にはだいぶマシだったのは間違いないでしょうが」
かがりは静かに苦笑する。
事情は蟻巣塚から説明済みだったようで、突然の許可申請理由を問い質される事はなかった。
そして、冴絵の言う一番大変な人というのも、かがりではなくおそらく蟻巣塚である。いつどこで幻術が発生するか不明な現状、巻き込まれる可能性は昼間原市民の誰もが平等に持っており、巻き込まれたなら戦う力のある蟻巣塚やかがりは市民の前に立ち盾にならねばならない。
死ぬリスクという点では、前線にいるかがりとさしたる違いはないのだ。
蟻巣塚の場合はそれに加えて、本業と政治的な立ち回りまで求められるのだから。
「さ、それじゃどうぞこちらへ」
冴絵が骨の浮き出た手で手招きした。
件の部屋は、なんと図書館長室からしか入れない。デスクの奥にある扉がそれだ。
鍵を取り出しながら、感じ入ったように冴絵は言う。
「こうして改めて見るとすごいわよね、これ。まさにシークレット・ルームって感じ」
「館内の構造を知ってる職員からはだいぶ怪しまれそうですよね……」
「うっふふ、そうね。はいこれ鍵束とカードキー。
アタシは今日一日ここから離れないから、ごゆっくりどうぞ」
つまり、利用中の門番も兼ねているという訳だ。
外部から第三者が侵入するのを防ぐのと同時に、本やコピーを持ち出されるのを食い止める役目もある。
もっとも極小の機器で手軽に写真が撮れるようになってしまった現在、本気で流出させようと思えば防ぐ手立ては無いに等しい。だからこそ信用を裏切れないともいえた。かがりもこの日に備えて、手帳サイズのメモ帳を二冊持参してきている。
許可証を提示し、不要な荷物を冴絵に預けると、一枚目の扉を金属鍵で、二枚目の扉をカードキーで開け、かがりは中に入った。頭上から静かにレンズを向けてくる監視カメラの存在を意識する。
(こんな……だったかな)
昔の記憶よりも、部屋は更に小さくなったように感じた。
自分が成長したからだとすぐ気付き、当惑していた足を前に進める。照明をつけるのと同時に、手を離した扉が背後で閉まった。
狭く殺風景な部屋に窓はない。書架ふたつと、事務机。そして椅子だけがある。
数百年の記録と言っても、要点をまとめればこんなものだ。小部屋ひとつにすっぽりと収まってしまう。
書架には、光を遮る為か暗幕がかかっている。横に開くと、下から鍵のかかったガラス戸が現れた。冴絵から預かった鍵束を使い、戸を開ける。束になった古い書物の匂いを、微かに鼻に感じた。
どこから始めようか迷い、結局は順番に読んでいく事にする。
資料は年代順、種別ごとに棚に貼ったラベルで分類されており、探すのには困らない。
その前にまず、部屋に常備してある医療現場用の使い捨て手袋と、マスクを装着する。資料は古い物が多数を占めるので、直接触れるのは勿論、呼吸に含まれる水分を吐きかけるのも避ける為であった。室温は、空調のおかげで寒いくらいに保たれている。ここ数日でめっきり春めいてきた外とは対照的だ。
最も端にあった一冊と、その隣の一冊を慎重に抜き取り、かがりは机に向かった。
やはり何はなくとも、当時の記録から読むべきだろう。
大蛭が斃れて間もなく記された資料なので、限りなくリアルタイムに近い。
原文のままでは文字の判読からしてちんぷんかんぷんだが、読めずに困ったのはかがりだけではなかったらしく、幸いにも過去何度かその時代の現代文に訳す事が試みられている。隣に置いてあったのがそれだ。
大蛭の出現が確認され始めた年、地域。被害の規模。具体的な死者数。駆除の失敗。
そうした記録が二度続いた後に、とうとう討伐隊が組まれた事に資料は触れていた。
何々の国、誰々というように、大将格であろう者たちの所属と名前が並ぶ。
そのうち幾つかの名は、うろ覚えながらかがりの記憶にもあった。昼間原八岩公園の岩に刻まれている勇士の名前である。
改めて見ると、多種多様な身分と肩書きに驚かされる。中には明らかに女と思しき名も混ざっていた。術者であろうか、医師であろうか。
それら名簿のような項目が終わると、次はいきなり戦の記録に続いていた。
翻訳された箇所と読み比べながら、かがりはページを追っていく。
〇〇日、〇〇に向け発つ。
〇〇日、〇〇にて〇〇と合流。〇〇が挙兵。
同日〇〇に布陣。行軍用道の工事開始。同日夕、〇〇隊、〇〇と合流。
交戦開始からの記録は箇条書きと呼べるほどシンプルだ。
リアルタイムに近いとはいえ後追いで書いた内容であり、加えてこの時はまだ後々まで残る呪いの事は分かっていなかったのだから、扱いとしてはこんなものなのかもしれない。
だとすると当時の人間はどれ程しょっちゅう化物と交戦していたのか、という遠い目をしたくなる話になるが。
〇〇日、戦闘開始より〇〇日目。死者〇〇。〇〇隊、〇〇隊、蛭に追われ潰走。
〇〇日、蛭を滅す。
記録は突然終わっていた。
直前まで追い詰められていたかのような記述なのに、呆気ない締め括られ方である。
かがりの微かに残る記憶によれば、この後で蛭に荒らされた土地の調査が行われ、型通りの鎮魂が施され、無事に片付いたという結論が出て終了。晴れて討伐成功となった筈だ。読み返してみたら事実その通りだった。
呪いの影響が明らかになってくるのは、もう暫く年数が経過してからである。
丁度、蛭が荒らした土地に人の手が入り、逃げ出していた民も戻ってようやく復興が始まった頃合いであった。実に厭らしいタイミングで判明してくれるものである。当時の人々もさぞ慌てた事だろう。
もっとも、どうもあちこち様子がおかしいという事で調べてみた結果、おそらく蛭の残した呪いだろうと結論付けられた程度の、言い方は変だが「穏やかな呪い」だったのも当時から変わっていない。
その辺りの記載は、別の資料にある。
討伐より翌年、慰霊祭。
翌々年、同じく慰霊祭。
これらに関しては執り行われた記録のみだ。
慰霊祭とやらの内容も、こうした事例における当時のスタンダード、ありふれた様式に則って行われたと思われる。
この時にはまだ呪いの観測が成されておらず、離散していた民が戻るなどして人が増えてきた事で異常が目に留まり出したのだろう、と訳文の横に注釈がつけてあった。かがりは紙面に向かって頷く。
第一次(零次)調伏開始。
いよいよだ。
一次でありながら零時とされているのは、この段階ではまだ土地全体の浄化のような大規模儀式に踏み込んでいないからである。
妖の目撃例が特に多い地域数箇所への祠の設置、霊木を燻した煙と塩を用いての燻蒸、祈祷などといった、言ってしまえば過去二年の慰霊祭にひと手間ふた手間を追加した程度に留まっている。
この試みは、当然無駄に終わった。
まるで状況に改善が見られなかったのだ。
だがそれでもまだ「思ったよりしつこいぞ、さすがは大蛭」程度の認識だったに違いない。この段階では目立った被害は発生していないのだから、楽観視するのもやむなしといえた。
事実、次の調伏が組まれるまでには、そこから更に二年の歳月を要している。
しかし待っただけあって、実質的な第一次となるその調伏隊は、前回とはがらっと変わって本式の顔ぶれとなった。
西方より高僧を招き、大蛭討伐に参加した勇士の家系から選抜した巫女たちも加わった。更に儀式後、三名の術者が土地に居残り、継続的な浄化と際限なく湧き出る妖への対処及び監視を続けたのである。
言うなればかがりが就いている職の初代であり、大先輩に当たる。
しかし、仕事に臨む姿勢が今とは比較にならない程真剣だった事を思うと、気軽に先輩と呼ぶのはおこがましいものがあった。
不出来な後輩で申し訳ない、とかがりは心の中で詫びる。
定期的に人員を入れ替え、経過観察と継続治療は続いた。そして数年後しに出された結論はといえば。
『なんら有効性を認めず』
やれ、これで解決だろうと胸を撫で下ろしていた者たちは、その報告に今度こそ頭を抱えた。
うわばみの吐く毒すら清流に変えてみせると豪語した粒揃いである。実力は疑いようがない。しつこいとは思っていたが、まさかこうまで根深いとは誰も予想していなかったのだ。時間経過による減衰もまるで見られない。
落胆する地元民に、ただし、と観察任務に就いていた者たちは付け足した。
消えてはいないが、悪化してもいない、と。
そう、初めはこの先何が起きるのか、際限なく湧き出る妖は何の先駆けなのかと恐々としつつ任務に当たっていたプロ達も、複数人が数年単位で腰を据えてかかりきりで実地調査を行えば、次第に実態が浮き彫りになってくる。
確かにしょっちゅう弱すぎる妖は発生するが、それ以上の災いが起きる訳でもない。
だからまあ住むのに支障はないよと、こういう事であった。
通常見かけるのより濃い溜まりや通り道や辻は、あちこちにある。どれほど清めても除去できない点は恐るべきというより他ない。
しかし、ではその濃い溜まりが何を呼ぶのかというと、悪さをする子猫とさして変わらない、吹けば飛ぶような小妖が定期的に誕生するだけ。今後十年、二十年、百年と見ていった時の安全までは保証できないが、引き続き人員を常駐させてこれらの妖を駆除しつつ、何かあった時には即報告できるようにしておけば、ひとまず大丈夫なのではないか――。
これを聞かされた時のお偉方の心境を想像して、かがりは一人の部屋でくすりと笑いをこぼす。
二度目の大規模調伏には、ここから更に十年を要した。
前回あそこまでやって駄目だったのだ。その次がおいそれと準備できる訳がない。また、肝心の呪いの方も相変わらずの低空飛行。時代故のその他の不幸や不運や災害の方が、ずっと激しい始末。
これも計画が延びに延びた理由のひとつだろう。
もういいんじゃないか無駄金使わなくても、という空気が民衆の間にも出来上がっていきつつあったのは想像に難くない。
だが民はそれで良くても上はそうはいかないのだ。自分の治めている土地を呪われたままにしているなどと広まっては沽券に関わる。
そんな停滞しきった空気を打ち破らんと行われた調伏は、驚くべきものだった。
昼間原全域の表層を削り、他所から新しい土を持ち込んだのである。
ありえないと今なら思うだろう。当時でもそう思われたようだった。
さすがに森林や田畑にまでは完全に手が回らなかったらしいが、それらを除くほぼ全域の土をそっくり入れ替えたのだ。
こと霊的な面において、土というのは水と並び非常に大きな意味を持つ。
大蛭は土と水の化性、大地より生まれ出たる妖である。よって死に際に遺した呪詛もまた土に染み付いているのではと考え、人の手が入っていない領地との間を往復させ、数年を費やして交換しきったのである。
入れ替えが新たな異変を生む可能性は。また入れ替えられた側が被る影響は。
そうした諸々の弊害を一切合切無視した、暴挙に近い手だった。追い詰められた破れかぶれの心境が目に浮かぶようである。
まあ、そこまで頑張っても結果は同じだったのだが。
呪いは変わらなかった。
本当に、何ひとつ変わらなかった。
消えも弱まりもせず、強まる事も広がる事もない平行線のまま。
ここに至って遂に上も匙を投げた。土地の清浄化を諦め、対策要員の常駐を正式決定した。
これ以降、大規模な調伏は行われていない。
歴史的な理由も大きかった。時代が進み集落が発展を遂げる程、土地全体を巻き込んでの調伏などやり難くなる。隣国との戦。あるいは海を隔てての大戦。まじないだのお祓いだのどころではない時代の流れもあって、すっかりタイミングを逃したままになってしまったのである。
「ならば今回が、いよいよ三度目となるかもしれない訳か」
かがりは封鎖されていた公園入口を思った。
他ならぬ化け蛭の斃れた決戦地。調伏を行うなら、あそこが中心となるのは間違いない。
一旦休憩し、ずっと下を向いていたせいで凝った首を揉みほぐす。
ついでにメモを見返し、見落としがないかを確かめた。皮膚の脂がついた手袋は捨て、新しいものと取り替える。
読み終えた資料を書架に戻しながら、かがりは腕時計を確認した。
午前11時30分。歴史に追い付くには、まだまだ時間が足りない。




