昼間原狂騒・二岩 - 8
遅々として進まない開業準備に溜息と眉間の皺が増えていくばかりだったある日、師から仕事を紹介された。
暫く距離を置いていた気まずさもあって最初は断ろうとしたのだが、これは世界の誰よりもお前に相応しい仕事だという師の言葉に、重い腰を上げた。
訪問先の家で待っていたのは、どこにでもいそうな中年の女性だった。
通されたリビングで、思い詰めた表情の婦人が告げる。
うちの子が死んでしまったので、剥製にしてほしいと。
うちの子というのは、婦人の長年可愛がっていた猫だった。
「可哀想だから剥製なんかやめろって皆に言われたんですけど」
可哀想って何だろう。もう死んでいるのに。
無論、口には出さない。
「冷凍しておくなんて異常でしょ、ちゃんと供養してあげるのが自然だからって」
自然って何だろう。
そもそも犬や猫などは人によって家畜化されて久しい、最も自然から離れた位置に隔離された生き物だ。
無論、口には出さない。
「でも、この子がいなくなってしまうのにどうしても耐えられなくて」
ああ、それなら分かる。
親しい相手がいなくなるのは辛い。消えてしまうのは辛い。
唯一最初からの理解者だった、祖父が亡くなった時もそうだった。
だから、引き受けた。
写真と動画もあるだけ見せてもらった。丁寧な飼い主だったのだろう、飼育中につけた観察記録もノート数冊分残っていた。
借り受けたそれらを繰り返し見、読み込みながら、電話で、あるいは直接会って何度も話をした。
この頃にはどういう出来事があったのか。この写真を撮った時にはどういう事を考えていたのか。何が楽しかったか。何が困ったか。何が悲しかったか。この子から何を貰ったのか。
しつこいほど話し合った上で、仕上がりの姿を決めた。
些峰風香。
その手が生み出す剥製は、生と等しき命の匂いを纏う。
生まれ変わった「あの子」を迎えに来た婦人は、言葉では言い表せない程に喜んだ。
涙を流して感謝し、ありがとう、と繰り返し繰り返し述べた。
まるで、あの子がまだそこにいてくれるみたいだ。
充分な治療がしてやれたか気に病んだ。苦しかっただろうに、安らげる環境を用意してやれたか心残りだった。周りから頑張ったよ、あの子は幸せだったよと慰められても、自分を責める気持ちばかりが膨らんでいった。
でも今、この子はこんなにも楽しそうに遊び、安らいでいる。
あの子が死んでしまってから初めて、本当に救われた心地になれた、と。
なんだ、ちゃんと役に立てるんじゃないか。
この涙を見た時に、彼女は本当の意味で折り合いの付け方を学んだといっていい。
これまでの迷いや悩みが、嘘のように消えた。
つまり、技術は存分に振るう。
それでいて、他人から「それはちょっと」という反応が来た事に対しては、自分は自分だからと無視したり、誇りを以て反論したり、ムキになって怒ったりはせず、これは世間一般の感覚では「良くない事」なのだと把握し、決して否定せず話を合わせ、二度と人前では行わないよう心掛ける。
また、極力そういう事態を初めから招かない為に人付き合いや社会常識、接客のマナーを積極的に学ぶ。
そうすれば、社会的な評価も技術的な評価も勝手についてきてくれるのだ。
幸いな事に、ある意味で自分を殺す行為に彼女は全く苦痛を感じなかった。
それよりも、得られる見返りによる満足の方がずっと大きかったのだ。
いける。これならいける。
むしろわたしの腕前で客がこない筈がない。となれば善は急げで、師匠に相談して次の休みにでも物件を見せてもらって――。
膿のように一箇所に溜まり続けていたのは何だったのかと思うほど、風香の思考はスムーズに回り始める。
「そーだ!
旅行中に見たアンティークすっごく素敵だったし、思い切って二段構えのお店にしてみてもいいかも……!」
逸りに逸る気持ち。店の名前はもう決めていた。
薫風。薫る風。風の香り。
わたしの名前であり、わたしの店であり、わたしの居場所の名前だ。




