昼間原狂騒・二岩 - 7
今しがたまでの危機感のなさとは正反対の切羽詰まった声にユウが飛び上がり、かがりは呪具発見時とは違う意味で肝を冷やす。
貝殻が並べられていた棚と向かい側の、殊更照明が当たりにくそうな位置に、作業道具に紛れてひっそりとそれはあった。
カバーで下まですっぽり覆われている為、てっきり大掛かりな工具の類かとかがりは思っていたのだが、よくよく見れば布を押し上げている輪郭が明らかに動物のそれである。意識して更に視線を下げれば、木製の台座を踏み締めている四肢の先端が確認できた。ユウの低い視点からは、最初からこちらが目に入っていた筈だ。
態度が一変したのは気になるものの、仕事を引き受けたからには駄目と言われてはいそうですかと引き下がる訳にはいかない。
しかも怪奇現象が起きたのは剥製なのだ。
風香の身の安全の為であると言い聞かせて調べる許可をもらおうとするも、何故か歯切れが悪い。
「ううー……どうしても見せなきゃいけないかな?」
「異変が起きたのはこの部屋ですから、原則として室内にあるものは全て調べないと。それとも何か見せられない理由でも?」
「理由というか……理由……なのかなあ……うーん……」
「……まさか狩猟や輸入が法で禁止されている種類の剥製じゃないでしょうね」
「ねえかがり……俺気付いちゃったんだけど、やっぱり公園で子供を探してたのって……」
「ち、違うってばー! 材料は全部合法だよ、合法!」
「全部……?」
「うっ……ああんもうっ。わかった、見せる!
……でもあんまり引かないでね……」
半ば覚悟を決めた、もう半ばは諦めた顔で風香はそれに近付くと、一息にファスナーを外してカバーを剥ぎ取った。隠されていた中身が露わになる。案の定かなりの大きさの剥製なのだが――どうも何かがおかしい。
四足歩行の獣なのは分かる。動きが付けられているだけあって醸し出される生命感も先の二体を遥かに凌ぐ、実に見事な出来栄えだ。毛の一筋一筋をそよがせる山野の風、高く立ち上がった耳に届いている清流のせせらぎ、蹄から漂う踏み潰した青草の匂いまでもが、今にも工房内に再現されるかのようである。
訝しげに目を細めるかがりの傍らで、ユウが歓声をあげた。
「すっごい強そう! かがり、これ何ていう動物?」
「これは……いやこれは何だ?」
国内国外問わず知る限りの動物を思い浮かべてみても、該当する種類はない。単に知らないだけとも言えようが、それだけでは拭い切れない違和感がこの剥製にはある。全体としては調和しているのに、脚や尾や胴、眼や爪や鼻を順に見ていくと、まるでバラバラのパーツを寄せ集めたような――。
そう感じた次の瞬間に、かがりは電撃の如く理解していた。
まるで、ではない。そのままだ。
この剥製は、様々な獣や鳥、果ては爬虫類や魚や昆虫に至るまでの体の一部を繋ぎ合わせて作られているのだ。
明白な作り物なのにも関わらず理解が一瞬遅れた訳は、偽物らしさが極めて薄いからである。
複数の種類を混ぜ合わせたような動物は、現実にも存在する。有名なカモノハシやオカピなどがそれである。
だがいくら荒唐無稽な組み合わせであろうと、実際に生きて動いている姿を見れば、作り物ではないか、不自然ではないかという先入観は消え、ああこれはこういう生き物なのだなという納得がスッと降ってくる。それは、各々のちくはぐなパーツをまとめて貫きひとつの形にまとめる、生命という芯が通っているからだ。
この作り物にも、信じられない事にそれが宿っていた。
ただの鹿やただの雉と、なんら変わらぬ生命の芯が。
幾ら考えても該当する種類が思い出せないのも道理だ、初めからこの生物はこの世に存在していないのだから。
人の手によるキメラ。
なるほど全部の材料とはこういう意味かと、かがりは合点がいく。同時に披露するのに消極的だった理由にも。
ただの剥製ならまだしも、これには苦手意識を覚える人間もいそうである。
「胸の部分は猪……いや、もしかして熊ですかこの粗さは」
「あ、正解! 北の方からちょっとね。
でも猪も入ってるよ。角は鹿のと牛のを加工して使ってて、蹄は馬のとカミツキガメの甲羅を削り出したやつ」
「カミツキガメ……?」
「うん。尻尾は特大のアオダイショウを固定した上から、雉と山鳥と和鶏の羽根を活けてある。擦れて毛が薄くなっている皮膚は、細切れにして加工したカミキリムシの甲殻で硬さと肥厚した感じを表現してるの」
造形のベースとなっているのは大型の四足獣。
それも肉食獣というよりは草食獣を思わせる。あえて無理に近いものを探すならカモシカだろうか。
大きく前方へ迫り出した角は攻撃的で、呼吸するように開かれた口元からは犬歯まで覗いている。にも関わらず伏せがちの瞳は穏やかで優しげで、大柄な体躯と腹から長く垂れ下がった豊かな毛が、この人工の獣に深い聡明さと威厳を与えていた。
霧深い山中で遭遇したら、冗談抜きで神だと錯覚するかもしれない程の。
話についていけずきょとんとしているユウに、作り物だとかがりが教えてやると大層驚いていた。完全に自分の知らない不思議生物だと信じ込んでいたらしい。
野生の獣のくせに節穴にも程があるとは、この完成度の前では強くは言えなかった。
「でっかいなー……かがりが乗れるんじゃない、これ?」
「乗れはするだろうが重さで壊れるぞ多分。というかなんで乗せようとするんだよ」
「この前テレビで、馬の背中に乗ってる牧場の猫が出てたんだ」
「私は猫と同じか……」
首を振るかがりを余所に、ユウは口を半開きにしたまま、剥製の足元をぐるぐる動き回っては何度も立ち止まって見上げていた。余程感動したらしい。かと思いきやいそいそと剥製の真横に立ち、そっくり同じポーズを決めてみせる。
「どう?」
「なんだその得意気な顔は」
「俺も強そうに見えるかな?」
「弱そう」
「可愛い」
かがりと風香が交互に言うと、ユウは無言で戻ってきた。
入れ違いで風香が剥製の元へ向かい、感慨深げにその尖った角を撫でる。
「これねー、わたしが独り立ちする切っ掛けになった作品なんだよね。
だから持ってきちゃった。部屋には置き場所がないからここに置いてるの。保管するにもいいしね」
「ああなるほど、これ程の作品を完成させられるなら、師としても独立してやっていけると判断するでしょうね」
「おっとー、そういう風に受け取ってくれるんだ」
「? 他に何か?」
「ううん、何でも。えへへー」
やけに嬉しそうにニコニコしていた風香が、重大な事実に気付いたように表情を変える。
「あ、待ってアーちゃん!
話戻すけど、それじゃ私の作った剥製が動いたのも、その『じゅぐ』ってのになっちゃってたから?」
「そうではないと思います。
私の見立てでは、ここの剥製は傑作ではあっても呪具ではありません。
それに呪具だったとしても、呪具とはあくまで道具でしかなく、使用者を介さず勝手に動き出したりはしません。だから動いたのには別の理由がある……遅くなってしまいましたが、それを今から探ります。ユウ、お前も手伝え」
「えっ俺!?」
「情けない声を出すな。
見事に敵の弱点を暴き、行動を以て私に伝えてみせたあの勇気はどうした」
「そうそう、ユウちゃんカッコよかったよー! やればできるって!」
「そ、そうかな? よし! 俺が見付けるよ!」
尻尾をぴんと持ち上げてふごふごと床を嗅ぎ回り始めたユウを見て、風香が小声で囁く。
「ちょろいね、ユウちゃん……」
「言わないでやってくれ、称賛に飢えているんだ。
さて私は……」
かがりは、ずっと手に持ったままだった貝殻にちらと視線を落とした。
隣で明らかな期待の目をしている風香に、そっと嘆息する。
「使ってみてほしいんですね?」
「うん!」
「……あまり気は進みませんが、まあこれだけ安定してるなら暴走はしないかな……」
「わあい」
かがりは仕事道具を入れてきた鞄を端に避け、床に貝殻を置く。
呪は既に刻まれている。後は唱え、放つだけだ。
「散」
貝殻を中心に、ふわりと方形に力が広がるのを感じる。
優しい放出だった。使っていて気分がいい道具など初めてである。
「静」
散開していくばかりだった力が停止する。
囲いは、工房のおよそ半分を正方形に満たしていた。
形の歪みや長さの差異がまるで無い。
「縛!」
ぱぁんとかがりが両手を打ち合わせるや、天井から太短い塊が立て続けにぼたぼたと落下してきた。目の前に落ちてこられたユウが、はんぎゃあ!と叫んでひっくり返る。風香はこうした存在を視認できない為、ぽかんと突っ立っているだけだ。
かがりは床に目をやった。切る前の蓮根に似た四体の妖が、力に当てられたせいで弱々しく蠢いている。
炙り出しは無事成功した。保護色で天井に同化していたようだが、範囲で叩かれてしまっては隠形も無意味だ。かがりが指を向けた先で真っ二つに割れている貝殻を見て、風香が目を丸くした。
「何したの?」
「殺虫剤です」
「殺虫剤!?」
驚く風香に笑みを返し、かがりは床の妖を手早く捕まえていく。
我に返ったユウが急いで参加してくる。
ただでさえ低位なのに加えて力に打たれ弱っている妖は、簡単に素手で捕まえる事ができた。
間もなく、四匹の妖が一箇所に集められる。ますます蓮根売り場である。
「全部捕まえました」
「……ほんとにいるの? なんにも見えないよ」
「俺も一匹とった! 見て見て、フウカ!」
「だから見えないんだってばー」
「んー……」
かがりは少考の後、まあいいかと苦笑すると、隅に避けておいた鞄に向かった。
中から取り出したのは、束になった紐である。
主に捕縛に使う物だが、もうひとつ、かがり達のような人間にとってはさして意味のない応用法がある。
ちょっとした悪戯心から、かがりはまず妖の一匹を自分の体で風香から隠しつつ掴み上げた。それから胴体の中央を、ぐるりと紐で一巻き。弱っていた妖は、それでとうとう完全に動かなくなってしまった。
括りを作ったら、あとは指でなぞりながら特定の呪言を唱えるだけ。たったこれだけで手順は完了する。
はいどうぞ、と振り返りざまに、かがりは両手で掴んだ妖を思い切り前に突き出す。
刹那、深まる沈黙。
次いで、案の定としか言いようがない絶叫。
「コッ怖い! なにそれキモい!? どこから出てきたの!?」
「うーむ、反応が新鮮だ」
山の主のような剥製を作り上げた風香が、蓮根めいた小さな塊に怯えて逃げているのが微笑ましい。
大丈夫ですからとかがりが保証すると、ようやくこわごわと戻ってきて距離を保ちながら眺め回す。足元ではユウがお座りをして、それ俺の捕まえたやつと胸を張っていたが、そちらに気付く余裕まではないようだ。
「変なのー……これがポルターガイストの原因……?」
「でしょうねえ。衰弱した獣と勘違いしてとり憑いたものの、衰弱どころか剥製だったのでまともに動かせなかったって寸法です。でも四匹がかりだろうと物に憑けるだけ、この街の妖の中では力のある方ですよ。早めに対処できて良かった。それとも四匹で一体の妖なのかな」
「四匹いたんだ……っていうかそこに四匹もいるんだ……」
「全部見ます?」
「他の三匹はどんな姿してるの?」
「同じですね」
「同じだね」
「じゃあとりあえずいいや……でも、どうしてうちに入り込んじゃったんだろ? わたしを脅かそうとしたとか?」
「それは、おそらくアレのせいです」
かがりは、ラックに整然と並んだ貝殻を指さした。
「外に出るドアを開けっ放しにした事がありませんでしたか? こいつらが出やすい夜中に」
「あったあった。この時期、夜の冷たい空気吸うと頭がすっきりするんだよね」
「その時にドアの隙間から滑り込んだんでしょうね。
で、戻ってきた些峰さんが扉を閉じてしまったので出られなくなった。
といっても普通なら再び扉が開いた時に逃げていくんですが、生憎ふらりと入った部屋にはアレがあった」
「……ジュグの貝殻?
だけど、あれって使おうとしなきゃ効き目がないただの物だってかがり言わなかったっけ?」
「ただの物だよ、その知識がある我々から見ればね。
でも、まともな思考すらできない低位の妖からすればどうだろう。
ましてやあれ程の逸品となれば、何かされるという本能的な恐怖を覚えて竦んでもおかしくない。我々だって置いてあるだけの銃は怖くないが、銃を構えた奴が常に銃口を自分に向けてると思い込んだら、恐怖で動けんしな」
かがりは掴んでいた妖を、棚に並んでいる貝殻の方へ向けた。
ぐったりしていた妖が、その瞬間だけ怯えるように身を固くするのが若干の哀れを誘う。これなら簡単な魔除けとしての効果も見込めそうだ。
「えっ、じゃあこれって、怖いから剥製の隠れ蓑を使って逃げようとしてただけ!?」
「そうなりますかね。実際のところはこいつらに聞いてみないと分かりませんが」
「ふーん、そう思うと可哀想な事しちゃったかなあ……」
「同情する必要は一切ありません。市民の安全を守る為の、単なる駆除対象ですから」
実際同情していてはきりがないのだ。こんな事をもう何度繰り返してきたか分からない。感覚としてはネズミやシロアリ、蜂の駆除と全く同じである。
かがりが淡々と言うので、風香も納得したようだった。
「……と、これが今回の異変に関しての私の推測になります。
念の為にもう一度、他に隠れている奴がいないか探して終わりにしましょう。何かご質問は?」
「ううん大丈夫、安心した!
でもさ、こういう生き物が本当にいるって知らなかったら、あれは気のせいだったで強引に納得するか、気持ち悪くなって引っ越すか、お寺や神社にお祓いお願いしに行ってたのかなあ……。
それが目の前で妖怪退治だもん、縁って不思議だよね」
「そうですね。新しく紡がれた縁の先に、幸も不幸もそれぞれ等しく生まれると言います。今回は、どうやら良い結果を出せたようで安心しました。では、こちらの四匹は私の方で処分して――」
「あっ、待って!」
途端に、風香の目が蓮根もどきを捉えて妖しく光る。
恐怖とは対局に位置する熱のこもった眼光に、かがりは何だかとても嫌な予感がした。
刃が差し込まれるや、それは動きを止めた。
断末魔の叫びをあげる事も痙攣する事もなく、太短い全身は瞬く間に溶けてしまう。
かがりによって刀身に呪言を描かれたナイフは、素人である風香の手にあってさえ確かな効果を発揮した。
「あーん、なんで!?」
「だから無理だって言ってるでしょう」
これで二匹目である。
剥製にするしない以前に、殺すのとほぼ同時に崩れて消えてしまうのだ。
元より、生きている状態でさえ存在が不明瞭なごく低位の妖が、死んだ後も姿を保っていられる筈がない。妖怪で剥製を作りたいなら、それこそユウのように最初から肉の器を備えている種類を手に入れなければならないだろう。
もっとも、そちらは尚更勧められない。まず入手するのが極めて困難な上に、最悪本当に祟られる。
消滅前に薄皮一枚現世に留め置いて固定する技術でも身につければ、あるいは低位妖怪を剥製にする道も拓けるかもしれないが……。
この工房を見た後では、風香ならいつかは辿り着きそうに思えてしまうのが恐ろしいところである。
その風香はといえば、懲りずに三匹目に手を伸ばしていた。
先の二匹から、また刃を刺す位置を変えている。
鳥獣でも魚でも絞める為の急所は複数あるから、場所替え自体は妥当といえる。
問題は、そもそもこれの首や心臓はどこなのかという事だ。握り潰すか踏み潰して殺すだけの対象の急所を探しても無意味なので、かがりも知らない。
結果はやはり同じで、都合三本目の紐だけが床に残った。とうとう残り一度きりとなったチャンスを前に、風香が嘆く。
「また溶けちゃった……これじゃ一発で絞めるとか、材料をいい状態に保っておくとか以前の問題だよー。
あっそうだ、冷やしながらやれば溶けるの遅くならないかな? それともいっそ完全に凍らせて……ううんダメダメ、それはダメよわたし! この十三の殺法は獲物を苦しませぬ為に授けるぞよって師匠が言ってたもん!」
「えぐいよう、こわいよう」
「教育に悪いなこれは。あまり見るなユウ、お前は知らなくていい世界だった」
結局その後、四匹全て潰してしまった風香を慰めて、かがりとユウは店を後にした。もともと殺すつもりだったからそれは構わないが、今後あの家に迷い込む妖が出ないよう一応祈っておく。
これで四万円。専業としては駆け出しに毛が生えた程度の代金で、だいぶ安い。
とはいえ、かがりにとっては経費を差し引いても副収入として充分な額だ。
夕飯は奮発してがま寿司に頼もうかと考えながら、隣家の生け垣を通り過ぎる。
「あらあ、どこ行ってたの。今日から新しくなるんでしょ?」
「あっ」
きつねやの前には、よく灯玄坂で犬を散歩させている老婦人が立っていた。
帰ってくるのを待っていたらしい。意外と人は世間の動向を見ているものだと認識を改めつつ、かがりは早足で入口へと向かった。




