昼間原狂騒・二岩 - 5
支度を済ませたかがりとユウは、きつねやを出ると徒歩でアンティークス薫風へと向かった。
新装開店初日なのに店はいいのかと風香は気にしていたが、明日以降へ伸ばして万一何かあっては事だ。
出張費用は規定通りの四万円、基本的に追加は無し。
無論、もっと腕利きの者や有名所なら、こんな害虫駆除とさして変わらぬ値段で引き受けたりはしない。単なる現地調査といえど、一桁は違う価格を堂々と請求する筈である。
それは当然の権利であり、また比べて自分の単価が相当低い事も当たり前だとかがりは思っている。高額の料金には、現場で発生した命に関わる事態ですら、家と個の名において収束させるという保証が含まれているからだ。
命を失うだけならかがりにも出来るとしても、死を事態解決への担保に使える自信は一切ない。
じきに店に着く。
本日お休み、とやけに丸っこい文字で書かれたプレートを風香が外し、鍵を開ける。アンティークなら高価な品も扱っているだろうに、シャッターが無くて大丈夫なのかとかがりは思った。
この間は気に留めてもいなかったが、店の外壁を回り込むように二階部分へと続く階段がある。どうやら上が住居になっているようだった。
「店の奥に入るのは初めてですね」
「お店に来るの自体がまだ三回目じゃない? もっと遊びに来てくれていいのに」
一度目はきつねや改装に向けての市内視察時。
二度目は公園騒動の後で諸々の後始末を終えて、舞と一緒に送っていった時だ。
その時は店内には入っていないから、実質これで二度目の訪問という事になる。
爽やかに鈴を鳴らしながら、扉が開いた。まだ若干尻込みしているユウを励まして、かがりは店内に入る。
照明の消えた店内は雰囲気どうこうではなく、単純に暗い。
すぐそこだからと言う風香に従い、うっかり商品にぶつかって床に落とさないよう、慎重に後をついて進む。
言葉通り、さして広くない縦長の店の奥に地味な扉があった。
何も知らなければ従業員用の事務室か休憩室だと思うだろう。
と思っていたら、実際にその為のスペースだという。
扉を開けると小さな机やファイル類、カタログ等が目に飛び込んできた。
部屋としては、アンティークショップ部分どころではなくかなり狭い。
扉を開けてすぐ目の前に見える次の扉の先が、工房に続いているようだ。
火事でも起きたら避難が大変そうだとかがりが思っていると、内心を汲み取ったのか建物脇からも奥に行けるよと風香が言った。そうでないと大型の商品が運び出せないからだという。納得できる話ではあるが、だったらわざわざアンティークショップ内を経由せず、初めからそちらを通って工房へ行けば良かったのではないか。
「お店の中を通ってけば、もしかしたらアーちゃんが何か気に入って買ってくれるかなって思って」
「お祓いをして欲しいのか商品を売りつけたいのかどっちなんです」
「正面から見るより奥行きがあるんだね、この店」
「そうそう、てっきり表のお店だけだと思ってたから、わたしも初めて見た時ビックリした。ここから先だけ奥に突き出したみたいになってるんだよね。元は倉庫とか車庫だったのかな?
お店開くってなった時に、師匠がツテを辿ってくれたんだー。二階で生活もできるしありがたいよね」
つまり、風香は一軒家を丸々借りているという事になる。
いくら腕が良くてもこの若さで潤沢な資金があるとは考え難いので、師匠とやらが契約面でだいぶ頑張って口利きしてくれたのかもしれない。優秀な弟子への愛であろう。
あとはそもそも、昼間原市自体が地方都市に過ぎない為、家賃がそうそう高騰しようがないという悲しい現実がある。
「えへん……じゃあお二人とも、ようこそアトリエ薫風へ!
フッフッフッ……わたし以外の者がこの部屋へ踏み入るのは初めてダ……!」
「あっなんか悪そう! この前テレビでやってた映画にそういう悪役いた!」
「実は師匠とかも入ってるんだけどね」
「入ってるんじゃないですか」
風香が笑ってドアノブを捻った。
カチャリという金属質の音がやけに高く耳に響いたのは、多少なりとも緊張している事の現れか。
まずは何も襲ってくる気配がないのをかがりが確認し、後から入った風香が明かりをつける。かがりはしゃがみ込むと、最後に入ってきたユウからリードを外してやった。
入ってすぐに、奥に佇む剥製の鹿と目が合う。
次いで、鮮明な青と緑に染まった雄の雉とも。
一瞬、生きているのかとギクリとした。それ程までに二匹の、いやさ二体の彫刻の佇まいには生気が溢れていたのだ。山を、田畑を、竹藪を。そこに生きる獣を景色ごと切り取ってきて、室内に置いたかのように。
工房は、アンティークショップ部分よりもスペースに余裕があった。
空調が効いていて、幾分ひんやりした空気が肌に触れる。
獣臭や腐敗臭は一切無く、当然ながら床に血痕が広がっていたり、骨や皮が無造作に散らばっていたりもしない。
剥製の製作現場を見るのはかがりにとって初めてだったが、現物が鎮座していなければ何を作る部屋なのか全く分からなかった。彫刻でも木工でも、それらしい名前を出せば大概の人間は納得するに違いない。それ程までにここは、血の匂いから遠い。
ユウが鹿の足元まで行って、おっかなびっくり脛の匂いを嗅いでいる。
勿論ここまで接近されても、剥製の鹿は逃げたりしない。
しかし仮に跳ねて逃げていったとしても驚かないし、むしろ納得しただろうなとかがりは思った。
成る程、これといって剥製に興味を持たず生きてきたが、確かにこれは凄い。素人目にも完成度の高さが分かる。
「表のお店が休みだから、ほんとなら今日は一日作業する予定だったのになー。
あーん、練りたい構図がいっぱいあったのに……」
「で、動いたという剥製はこちらの?」
「そうそう、この二つね。綺麗でしょ」
「ええ。剥製なんて一度か二度見た事があるかないかの素人感想ですが、毛艶といい眼差しに宿る光の強さといい素晴らしい。ただ立っているだけなのに、今にも駆け出さんとする筋肉の脈動までもが感じ取れるようです」
「あーポーズねー。これ資料用にしたいっていうから、あんまり動きのある格好させられなかったんだ」
「いや充分ですよ」
「そう? わたしとしては雉の両脇を抱えて持ち運ぶ鹿にしたかったのに」
「どういうコンセプトなんですかそれは」
そしてそんな不自然極まるポーズですら、風香が手掛けたならきっと生きているような仕上がりになるのだと理解してしまい、かがりは少し背筋が寒くなった。
この二つを見ただけでも分かる、風香の腕前は尋常ではない。
剥製と聞いて予想してきた、単なる置物の範囲を軽々と超えていた。
資料を写し取る、再現する技術の優劣とはまた別に、その種が生息する空間を作り出す技術を有しているとしか考えられない。
急に黙ったかがりを、風香が不安そうに見ている。
「……やっぱり、こういうのって気持ち悪くなっちゃう?」
「ん? いえ気持ち悪くはないですよ」
「ほんとに? なんか急に黙っちゃったから心配になって」
「本当ですよ。絶景に思わず震えが走って黙り込む時の心境だと考えてもらえれば」
「や……やだなー、それはオオゲサだよ」
と言いながらも、風香は満更でもなさそうにしている。
公園でも言っていた通り、そつなくやっていく為に色々と周囲に気を使ってきたのであろう。
自分は自分だからと開き直る道を選んだ人間と違い、どう振る舞えば最も風当たりを和らげられるかという調和を選んだ人間は、ありのままを曝け出せる相手と出会ってさえ、定期的に立ち止まり、自分が調子に乗ってやり過ぎていないかを確認する。
常に気苦労は付き纏うとしても、これはこれで得られる安心感が大きい賢明な生き方でもあるのだ。
「俺もすごいと思うよ、山で見た鹿より怖いもん。山の鹿も怖いけど」
「怖いってお前、妖怪の狐がただの鹿に怯えるなよ」
「俺には怖かったの。俺だけで一頭やっつけて持ち帰れば絶対褒められると思って挑んだら、鹿のくせに逃げないで向かってくるし死ぬかと思った」
「お前、その鹿は……」
「群れで仕留めたよ、俺以外の連中が。俺は蹴っ飛ばされて痛かったから寝てた」
「だろうな」
かがりとユウからの率直な高評価により、風香の気持ちも持ち直したようだった。
これを雑談を切り上げる頃合いとし、そろそろ頼まれた仕事に取り掛かるべく手始めに鹿の剥製を調べようとして、何気なくかがりの目が部屋の片隅に行く。
全身が固まった。唇からひゅっと息が漏れ、半開きのまま止まる。
視線の先にあったのは、四段式の木製の棚だった。
それ自体には、とりわけ見るべき点はない。
一段目と二段目には、かがりには使用法の不明な作業道具らしき物が整然と、所により雑然と置かれているだけだ。
問題なのは三段目、ちょうど視線と水平にぶつかる段に布を敷いて並べられていた、華やかな色合いの小物たちである。インテリア、という飾られ方ではない。表面の濃い輝きからは、分厚い塗料を乾燥させている最中という印象を受けた。
貝殻だ。
二枚合わせた貝殻の内側に重心を取る為の重しを詰めて閉じ、表面を様々な塗料で彩っている。
塗られているのは色とりどりの絵具を始めとする染料、糊と混ぜた顔料、更にはペンキからラッカーまでと幅広く、そこに雑多な固形物を混ぜ込んで固着させてあった。
金属、石、ガラス、宝石屑、骨、羽根、歯、爪、角……。
中には出っ張りが下に突き出し、香炉の脚のようになっている貝殻もある。
「これは……」
「あ、それ? それは売り物じゃないのよ、貝殻にあれこれくっ付けてペイントした置物。空き時間でちょこちょこ作ったやつだけど結構いいでしょ。お店には置けないから、ハンドメイドオブジェとしてネットオークションに出してみようって考えてて」
「そうじゃない!」
「ひゃっ!?」
「そうじゃない……これは……まさか呪具だと!?」
剥製の脇をすり抜けて、もはや他には目もくれず一直線に棚へと向かうかがりを、ユウも風香もまるで訳が分からないまま見守った。
無断で貝殻のひとつを手に取り、食い入るように見詰めているその背中に、恐る恐る風香が声をかける。
「じゅ、じゅぐ?」
「呪いの道具と書いて呪具。あるいは触媒や道、橋、渡し、門。
もっと単純に武器や道具、仕事道具と呼ぶ者もいますが……って呼び方なんてどうでもいい!
どこでこれを? いや作ったと言ってたか!? どうやってこれを!?」
「あれっ、これってかがりが持ってるのと同じやつじゃない?」
興味を抑えきれず棚に近寄っていったユウが、やや遅れてかがりと同様の反応を示す。
勢い込むかがりに気圧されながらも、風香が聞かれたままを答える。どうって普通に作っただけだよと。
貝殻は海に行った時に早朝の海岸で拾ったり、土産物として売られていたもの。
家に持ち帰ったら表面の汚れを綺麗にして、余分な箇所を削ってトリミングして、好みの形に整えたら色を塗り、金属や石や剥製製作の過程で余った素材などで装飾して――と、これといって特殊でもない作業工程を説明していく風香に、かがりは信じられない思いでいた。
風香が洒落た小物扱いしたそれらはいずれも、かがり達のような者が術に用いる触媒だったのである。




