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昼間原狂騒・二岩 - 1

まだ彼女がとても小さかった、ある日の事だ。

祖父が、知人の元から剥製を持ち帰ってきた。

家族は気味悪がっていたが、初めて見る剥製に幼い風香は心惹かれた。

ただの置物が、まるで今にも動き出しそうに生き生きとしていたのだ。


他ならぬその知人が剥製の製作者でもあると聞き、見に行きたいと風香はねだった。

母親に知られれば間違いなく止められただろうが、祖父はこっそりと連れて行ってくれた。可愛い孫にせがまれたのが嬉しかったのだろう。

許可を得て入れてもらった作業場は、風香にとって魔法の国にも等しかった。

手を伸ばせば触れられる近さにいる、本やテレビでしか見た事のない珍しい動物や鳥、魚に、風香は目を輝かせた。


家に帰ってからも、あの美しくも迫力のある光景が忘れられない。

そんなある日、学校帰りの風香は、歩道脇の雑草に半ば埋もれて死んでいる一羽の雀を見付けた。既に蟻がたかり始めていたが、風香は構わずそれを持ち帰り、記憶にある光景を頼りに自らの手で剥製に仕上げた。

心得も道具もない子供が、一体どうやったのかは細かく覚えていない。

腹を割り、綺麗に洗い、糊で固め、代わりの中身を詰め、羽根を整え、ともかくもそれは完成した。

翼を広げて枝に掴まる雀という、単純な構図。

羽根はぼさぼさで艶がなく、嘴は乾いて薄皮が剥がれ、陥没した眼窩には眼とは似ても似つかないビーズが埋め込まれている。

技術面では取るに足らない、言ってしまえば悪趣味な工作に過ぎないものが、しかし不思議と生きているかのようで――。


今だったら、絶対にそんな軽率な真似はしないと断言できる。

だがいかんせん世間の目という固定観念について学ぶ前の子供だった風香は、次に件の剥製師を訪問した際に、初の完成作を得意がって披露した。

この行動が、本来ならそこで終わっている筈だった一過性の戯れを道として繋げる事になる。

妙な生気を漂わせているとはいえ、子供の悪ふざけの域を出ていないそれに、果たして彼は何を見出したのか。何度でも来なさい、道具の使い方も教えてあげると言われ、風香は飛び上がらんばかりに喜んだ。


小さなうちは、休みのたびに祖父に頼んで。

成長してからは、暇を見ては電車を乗り継いで通うようになった。

最初は、他の家族にばれないように。ばれてからは、時に耳を塞いで逃げ、時に正面からやりあって。

うちの娘におかしな事を教え込むなと、家族から抗議がいった事もある。

普通ならそこで、余計なトラブルを嫌がりこれ以上の関わりを断っていたであろう師は、だが風香に来るなとは言わず、かといって家族に真っ向から反論もせず、類稀なる天性の指先を持つ事実のみをただ冷静に伝えた。

この時点で、事実上の弟子入りを果たしたといって良かったのだろう。

とうとうたまに嫌味をこぼすだけで家族が諦めてからは、遠慮のなくなった風香は技の研鑽と発露にますますのめり込んでいった。


動かなくなった心臓。

止まった命が、再び自分の手で動き出す。

霧散した魂を掻き集めて、思い通りに描いた枠に捉えていく。


「気持ち悪い」

「そんなの可哀想」

「女の子がやるような仕事じゃないよ」


母親はたびたびそう言ってきた。風香の通う先を知った級友の中にも、露骨に嫌悪感を示す者はいた。

可哀想、というのは良く分からない。

だって、もう死んでいるのに。

時折そうして首を傾げながらも彼女は学び、腕を磨き、成人してからも工房通いは続いた。


師の元には、風香の他にも数名の兄弟子がいた。

男所帯に紛れ込んでいる場違いな学生の女の子に鬱陶しげな顔をしたり、率直に作品を褒めてくれたり、ろくに会話もしないままいつの間にか辞めていたりと反応は様々だったが、師が睨みをきかせていた事もあって、美しく育っていく彼女に妙なちょっかいだけはかけてこなかったと言っていい。


スタート地点からして異例であったように、風香の熱意と腕前は突出していた。

やがて縦の到達点に達した幹は、自ずと横へ枝を伸ばしていく。


賞も目指さず金もほとんど使わずひたすら腕を磨く中で、彼女は一体の剥製を作り上げた。

それは、現実のその種類の動物には決して出来ない格好をした剥製だった。

骨を削り、関節を捻じ曲げ、皮膚を伸ばし、滑稽ですらある人間めいた姿勢を動物に取らせたのだ。

これに、兄弟子が顔を顰めた。

彼女の作品を褒めてくれていた人達からも、出来がいいのは分かるがやり過ぎじゃないか、という声があがった。生命への冒涜だとまで言う者も出た。


自分では渾身の作だと感じていただけに、芳しくない評判に風香は少なからずショックを受けた。

事実、それの仕上がりは素晴らしかった。些か素晴らしすぎた。

ここまで元の形から歪められているというのに、あろう事かその剥製はいまだ生物らしさを保っていたのである。

削られた骨が、曲げられた関節が、伸ばされ縮められた皮が、初めからそういう在り方であったかのように体を形作っている。

その見事さこそが逆に怖気を招いたのだとは、まだ彼女は気付けなかった。

出来が悪ければくだらない真似をするなと怒られて終いだったのに、なまじ素晴らしかったが為に恐れを生んだ。傑出した作品が醸し出す恐怖を讃える土壌が、生憎と彼女が学んだ工房には根付いていなかった。


様々な形で、命を奪われたものがある。

その奪われた命が、掌中で再び火を灯す。時には現実の在り方すらも超えて。

それは、素晴らしい技ではないかと思ったのに。


だから、彼女はこの時点においては決定的な過ちを犯した。

それをやったら社会においてどういう目が多くを占めるかという客観的な視点を持つ事を忘れて、だったらもっと凄い物を作れば見直してくれる、いやさ見返してやろうと奮起してしまったのだ。


前々から考えていた計画を、風香は実行に移す。

ありとあらゆる生物から体の一部を集めて、ひとつの剥製を作り上げたのである。

それは彼女が過去に作ったどの剥製をも超える出来であり、偽物でありながら本物以上に本物らしかった。寄せ集めて繋ぎ合わせたバラバラのパーツの集合体が、これまた初めからこういう姿で生まれた生物として機能していたのだ。

熊の胸に繋いだ鹿の脚はまさに脚として正しく体重を支え、牛の頭骨に嵌めた鷹の眼は山羊の穏やかさを備えて前方を見据えている。


最高の自信作だった。

これなら顔を顰めていた人達も認めてくれるだろうと信じた。

結果は、言うまでもない。

こういう方向性の剥製がある事は知っている。一定の評価を得ている事も知っている。しかし自分でやりたいとは思わないし、見たいとも思わなかった。

特に、お前が作った物となれば尚更だ、と。


人が、新たな生物を生み出してはならない。


唯一、師だけは純粋に風香の技術を褒めてくれた。

しかし、どうしてこれを皆がああも恐れて遠ざけようとしたのかの本質を理解できる日が来るまでは、お前はもうこういうのを作らん方がいいじゃろうなあ、という但し書き付きで。

それでも、尊敬する師の称賛に風香は慰めを得た。


そしてもうひとつ、大きなおまけがついてくる。この若さで、風香は事実上の免許皆伝となったのだ。

さすがに唖然とする風香に、皮肉でも放逐でもなくもう教えられる事はないと師は告げた。独立するなら破格の家賃で店を持てるようツテを辿ってやるし、客も紹介してやるとまで言ってくれた。

数日悩んだ末、ここ数年間というもの会話が減るばかりだった家族に思い切って相談してみると、本気でやるつもりなら少しだけだが援助するという、思いがけない言葉が返ってきた。

娘が頑張ってるんだものねと微笑む母親の目の周りには、気付かない間にずいぶん皺が増えていた。子供の頃にまで遡る日からの和解に、風香は好き勝手にやらせてもらった事を詫び、感謝し、泣いた。

ひとつの憂いが晴れた。


とはいえ、なにぶん急すぎる話である。

師の愛情と応援は伝わってきても、やはりどこか突き放されたような寂しさは心にこびりつく。自分だけの工房を構えられるのは魅力的であったが、単純にこの若さで店を持つ事への不安も大きい。

沢山の問題がいっぺんに押し寄せて悶々としていた時に、母の勧めで気分転換に出掛けた海外旅行先で彼女はそれと出会った。


ヴォルパーティンガー。


ウサギに角。そして鳥の翼をくっつけた奇妙奇天烈な生物。

あるいは国と地域を変えてジャッカロープとも呼ばれるそれは、なんという事はない、その地方に伝わる伝説上の生物を模して作られた剥製であった。

土産物だけあって完成度はお世辞にも高いとは言えなかったが、その発想に、その存在に風香は心打たれた。

幻想の中にあった生き物を、人の手で作る事によって幻想から引きずり出し現実とする。

剥製作りの専門家や芸術家の作品どころか、土産物という誰でも手に取って持ち帰れる気軽な形で、彼女が描こうとした世界と同じ世界はとっくに世界中の人々によって描かれていたのだ。


自分周辺のあまりに狭すぎる範囲だけを見て悩んでいた馬鹿馬鹿しさに、風香は笑った。

笑って、笑って、笑って、そしてここで技術面に関してのみの開き直りを得る。

なあんだ、やっぱりみんなやりたいんじゃないこういうの、と。

それはまだ、調和を目指す精神からは遠かった。



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