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昼間原狂騒・一岩 - 15

先手を打ち、舞が駆ける。

満足な段取りを組めなくとも、決定された方針に従い動くのに不都合はない。

横に跳躍し、敵の移動直線上から大きく逃れながら、続けざまに苦無を三本放つ。疾走しながらの投擲にも関わらず、狙いは正確だった。苦無は三本とも人魂の違った箇所に命中し、その全てが弾かれ、あるいは当たったにも関わらず逸れた。


すかさず舞が叫ぶ。


「ユウ殿、場所を!」


かがりからやや離れた後方で硬直していたユウが、びくりと震えた。名指しで呼びかけられなければ、緊張のあまり事前に言われた内容すら忘れていただろう。

ユウが声を張り上げる。子供のような甲高い吠え声は、混乱が支配する戦場によく通った。


「う、腕とその横! 一本は全然違う!」

「どちらの腕ですか!」

「え、み、右の……」

「右腕のどの辺りに――!」


ふたりの応酬を聞きながら、駄目か、とかがりは歯噛みした。

腕というのはどちらの腕か。横というのは右側か左側か。一本というのは最後の一本で良いのか。違うというなら方向と距離は。何よりも弱点と思わしき光っていたという箇所はまだあるのか、ないのか。

経験から、ある程度は柔軟な対処のできる舞やかがりと違い、容赦ない殺し合いの場に放り込まれたユウは完全に混乱している。一旦こうなれば、どんな綿密な打ち合わせをしていようと頭が真っ白になってしまう。

というより、銃さえ持たない素人が銃弾飛び交う激戦地帯に連れ出されれば、こうなって当たり前だった。ぶっつけ本番で的確に必要な情報を提供できる素人は、稀に生まれる天才だけである。

ユウが昼間原市で見てきたのは、虫かごの中の蝶を摘んで潰すが如き、作業。

殺しではなく作業である。それも、常にかがりという付き添いあってのもの。

戦いが長引けば少しずつ慣れてくるかもしれないが、今はまだ無理だ。そしてユウが慣れる程この戦いが長引けば、疲労からかがり達の生存確率が減っていく。


攻撃と声によって、敵の狙いは舞に向きつつあった。


「こっちだ! ゴミ野郎が!」


そこにかがりが割り込んだ。

かがりを見て、舞が敵から距離を取ろうと飛び退る。

囮の方へ注意を引き付けるのは、多くの場合そう難しくはない。敵が余程慎重でない限り、より鬱陶しい動きをする方を最初に排除しようとする。

手元に苦無はなく、飛ばせる符もなく。されど原始の時代より続く、手頃で最適な飛び道具は地面にいくらでも転がっている。

走りがけに拾っておいた石を、かがりは投げた。走りながらの為狙いは怪しく、当たろうと効果は見込めない。それでも小煩い新手が、逃げていく奴よりも近距離に現れたという事実を敵に与える事はできる。


人魂が長い体をくねらせる。軌道が変わった。

突っ込んでくる。

速い。

しかしあれが宙に浮く物体ではなく、地上を駆けてくる二本脚の人型なのだとすれば。


かがりは両腕を広げた。

右手に持つ符を右に、左手に持つ符を左に。

地面の離れた二箇所に、かがりは符を叩き付けた。符は土に貼り付いたように動かなくなる。

左右の符から符を繋ぐように、屈み込んだかがりの右脚が大きく半月型の弧を描く。靴底で土が削られる。その時にはもう、かがりの左手には砂の詰まった小瓶があった。

指が蓋を弾き、内部の砂が符と符とを繋ぐ線上にばら撒かれる。


左右に符による柱を築き、中央に線と砂による網を張る。


張り網による捕獲トラップである。

これで突撃を止められるなら、止められないまでも動作を鈍らせられれば、そこを舞が叩ける。まるで効き目がなければ……近距離から回避しきれるよう祈るばかりだ。


ギュウッ――。


全く避けようともせず、人魂がかがりの張った罠に正面から突っ込んだ。

人型であれど知性はないらしい。あるいは幻術にそこまで複雑な思考を持たせるのは難しいのか。一瞬頭を掠めた正体不明の違和感を、かがりは即座に忘れた。

足止めに成功したからだ。

馬鹿正直に突っ込んできた人魂の動きが、鈍るどころか完全に停止したのである。


(捕らえた!!)


予想以上の成果が、かがりを興奮させる。まさかこんなもので捕まえられるとは思っていなかったのだ。案外、耐久性に乏しいのかもしれない。いずれにせよ絶好の好機、仕留めるなら今しかない。

身構えるかがりの耳に、空を裂き裂帛の気合いが届く。


「霜走流忍法――」


(言うのか、それを!?)


「屠法・土繰!!」


それも詠唱の一部であったのか、動く術のない敵を、周囲の地面が間欠泉のように吹き上がって飲み込んだ。

降り掛かる土煙と爆風から顔を庇いながら、かがりは周囲に視線を走らせる。

視界の端に、舞が最初に投げた苦無が転がっているのが見えた。

道具無しでどうやって術を発動させたのかと思ったかがりも、全て理解する。

あれらは命中点から人体構造を推測する為の物差しであるのと同時に、落下先でそのまま使える触媒でもあった。刀身に巻かれた符も、土を繰るというその術用のものだろう。舞は防がれても外しても意味がある物を投げていたのだ。

無論、砕かれたり千切られたりした場合に備え、どれかひとつでも残っていれば機能するように。

更に三つ全てが残っていれば、術の威力はより増大する。


あるんじゃないか、苦無以外。そんな事をかがりは思う。

隠密は味方にも最後まで手の内を明かしきらないという訳か。なるほど、忍者らしい。

敵の身体構造が把握できないなら、全て吹き飛ばしてしまえばいい。敵が停止している今なら最大威力をぶつけられる。

舞の機転に、かがりは内心舌を巻いた。肩書きの怪しさはともかく、実力と踏んだ場数では彼女の方がずっと上だろう。あとはこれが決定打になってくれればと、祈るような気持ちで前方を見据える。


土煙の消えた後には――。


湿った日陰の土をぱらぱらと零れ落としながら、何も変わらぬ姿の人魂がぼんやりと宙に浮かんでいた。


「ッ……」


かがりも舞も言葉を失う。

あってほしくなかった絶望が場に訪れた。効いてない、とユウが悲痛な声をあげる。

では、ユウから見ても無傷なのだろう。苦い思いがかがりの胸を満たす。そう容易くいくと思ってはいなかったが、あの威力の術を直撃させて効かないとなると、かなり厳しい。舞にとっても間違いなく奥の手だった筈だ。

鎧武者というからには甲冑を身に着けているにせよ、全身を瞬時に飲み込んで炸裂したのなら、ユウの言っていた弱点めいた箇所も巻き込んでいる筈だというのに、何故。


人魂の眼球が、どろりと動いた。垂れ下がっていた尾が跳ね上がる。

足止めが効かなくなったのだ。先程の舞の範囲攻撃で、かがりの張った符も砂も消し飛んでしまっている。あの局面で最大威力の一撃を放つ選択に間違いはなかったが、結果として敵に再び自由を許してしまった。同じ手順で罠にかけようとして、果たして今度は上手くいくものか。

舞が牽制を兼ねて投げた苦無が、虚しく黒い体に吸い込まれ、逸れて落ちていく。

苦無も、術も、当たってはいる。なのに舞の技量を嘲笑うかのように、どれもがまるで効いていないのだ。


一方で、ユウは焦燥感に苛まれていた。

一度目の苦無の投擲。そして今しがたの二度目の苦無。

当たった場所、掠めた場所、外れた場所を言葉で表現する事はできる。

だが、どれも拙い。どれも正確ではない。

手持ちのカードが限られる状況では何よりも求められる、具体的な指示が出来ていない。


(俺がもっとうまく伝えられれば)


(もっと知ってる言葉が多ければ)


(もっと力があれば)


そうすれば、かがりを助けられるのに。

どうすればいい。考えるんだ。考えろ。伝達手段などよりもっと単純に、目の前に敵がいる時どうしろとかがりは言っていた?

初めてまともな敵に、狩るべき獲物がすぐそこに現れた時に、かがりは何と言っていたのだ?


――そら、お前が持つ武器は何だ。


「……!」


ユウは瞳に決意を宿すと、一直線に舞のいる場所を目指した。

かがりは再度距離を取って敵の注意を引きにかかっているせいで、ユウの動きに気付いていない。

時間はあまりない。走ってくるユウに気付いて引き続き身体部位の割り出し開始を告げようとした舞は、急ブレーキをかけた小さな狐が口にした頼みを聞いて、目を見張った。


「おい、こっちだゴミ野郎!」


敵が再び動き始めるのと同時に、かがりも自ら囮役に戻っていた。

効かなかったものは仕方ない。注意を引いて、逃げて、逃げて、試して、次の攻撃の機会を窺い続けるしかない。尾による真上からの単調な振り下ろしを回避し、スライディングのように地面を滑りながら、ふと気付いた。

舞とユウがいない。

観察しやすい位置を確保しているのかと訝しんだかがりのまさに真横を、小さな影がざっと駆け抜けていく。土を蹴り、地を這う風のように、かがりが逃げてきたばかりの敵を真っ直ぐに目指して。


ユウだった。


「バカッ、何やってる下がれっ!!」


かがりの目は、ユウが口に咥えているものを捉えていた。

舞の苦無だ。

一体何を考えているのか、そんなやり方で斬り付けられる訳がないだろう。死ぬだけだ。


背後でかがりの制止の声がする。

構わずに、ユウは走った。

敵を目前に、口を開ける。

零れ落ちた苦無が、地面で跳ねた。

ユウは逃げ出そうとする足を踏ん張り、間近の敵を見上げる。

あんなにも速かった敵が、今はひどく緩慢な動作で、輝く刀を頭上に構えるのが分かる。だが攻撃という動作は、対象の死の始まりであるのと同時に、終わるまで次に移れない自身の隙でもあるのだ。


「やって!」


ユウの声に重なるように、舞の詠唱が響く。


「微法・土繰!!」


真下で大地が弾けた。

先程そっくりに、しかしそれよりは遥かに弱く。

小石が、砂が、吹き上げられてユウに当たる。痛みはあるが声をあげる程ではない。

地面の爆発に乗って、小さな狐の体が舞い上がった。

仁王立ちする敵の頭上すら超える程に、高く、高く。

大地のくびきから解き放たれたかのように、ユウの体は軽々と宙を舞う。

全身が軽かった。

妖とて、物の怪とて自然界の法則には縛られる。むしろ自然から生じたものであるからこそ、彼らの在り方は摂理に従う。

それが今は不思議と、体にまったく重さを感じない。

意識はこの上なく冴えている。足場ひとつ無い中空に投げ出されながら、嘘のように思い通りに全身が動く。

澄み渡った視界の中央に、眩く光輝く箇所があった。

ずっと見えていた、ずっと伝えたかったそこへ向けて身を撚る。首を下げる。

まるで初めからそうあるべきものだったかのように、空の狐は狙い定めた獲物へ向かい吸い込まれるように落ちていった。


「ユウーッ!!」


ユウが、敵に食らいついていた。

人魂が身を捩り、尾を振り回している。今のところ無事とはいえ、いつあれがユウに当たるか分かったものではない。

空中を右に左に激しく揺さぶられながらも、ユウは決して口を離そうとしなかった。

やっとふたりの狙いが分かり、なんて無茶をするんだとかがりは呆れる。

力を加減したあの術を使ってユウを吹き飛ばし、弱点に食らいつかせる。

言葉の説明では足りないなら、直にその場所を指せばいい。

これ以上なく分かりやすく、これ以上なく危険で無茶苦茶で不確実なやり方だった。狙い通りに跳べるとも限らず、跳べたとて狙う箇所に噛み付けるとは限らず、どんなに加減しても爆風で負傷する危険もある。蛇と半融合している事での身体面強化に賭けたのかもしれないが、あれはもう傷を塞ぐ役くらいしか果たせていないと教えた筈だ。

それに、噛み付いてみせたからといって弱点候補が絞り込めた訳ではない。

噛み付いた所の前方なのか、右側なのか、左側なのか。それとも噛んだ箇所は支えで、本命は前肢や後肢で示す位置なのか。あるいは自分ごと貫けというのも、こうした際の常套手段だ。ユウがこれらのうちどれを選択したのか、かがりには知る術がない。


どれだ。

どこだ。

いっそ倒すのを放棄して救出にのみ向かうか。

迷うかがりの目が、輝く双眸を捉えた。

激しく空中を振り回されながらも、ユウがかがりを見ていた。ふたつの眼が、必死にかがりへと向けられていた。

かがりは小さく息を呑んだ。

それは理屈ではなかったのかもしれない。全ては気のせい、思い込みによる錯覚に過ぎなかったのかもしれない。だが確かに、一秒にすら満たない視線と視線の交錯が、必要なもの全てをかがりに伝えていたのだ。


ここを狙え、と。


目は口ほどに物を言う、というが。

かがりは苦笑した。嘘のようにマイナスの感情が消え、煮え滾りそうな闘志が浮かんでくる。


――あんなに小さな動物が命を張ったんだ、大人として正体不明の相手に突っ込んで殴るくらいはやらなきゃな。


地を蹴り走る。

敵の尾は鋭く速いが、かがりにもひとつ分かっていた事があった。

今のところ敵の攻撃は全て尾から放たれており、そして土に刻まれる傷跡は尾の先端の軌道に極めて忠実だ。つまり尾を避けたが実際の斬撃はやや左にあったというような、視認とのずれは一度も起きていない。

ならば尾さえ避ければ、懐に飛び込める筈だ。飛び込むだけなら。

その後は――。


かがりは笑った。

なに、後の事など知ったこっちゃない。


かがりは駆けた。

尾が来る。

避ける。

それだけだ、残りは大股の一歩で事足りる。

あんなに警戒していたのが嘘なくらい、やってみれば実に呆気ない。

右腕を振り被った。足に、腹に、拳に最大限の力がこもる。余った符と紐もついでに握った。適材適所もクソもあるか、こうなれば手持ち全部をくれてやる。


(悪いな、ユウ。お前が期待してるような、ヒーローっぽい必殺技や奇跡なんて私にはないんだ――!)


ユウの視線の先。

齧り付いた口吻のすぐ前を、かがりは全力で殴り付けた。

反射的にユウが目を閉じる。


命中した。


手応えはほぼ無い。巨大な寒天の塊を殴ったようだ。

そんな何とも頼りないたった一発の打撃が、あれほど激しく暴れ回っていた敵の動きをぴたりと止めた。

黒い人魂が消える。

ぱん、とまさに風船が破裂するように、四方へ風が弾けた。

ユウが吹き飛ばされ、地面でバウンドする。間近で食らったかがりも風圧に負けて仰け反った。

だが、それだけだ。

強烈な最後っ屁ではあったが、それだけだ。空気の詰まった袋が割れただけ。

火傷をする事も、毒を浴びせられる事も、皮膚が切り刻まれる事もなかった。


勝った。


急速に周囲の音が蘇っていく。

景色が霞んでいくのと共に、雪崩を打って音という音が耳に、肌に流れ込んでくる。

風の音。草の音。人いきれ。グラウンドの歓声と、グラウンドを隔てた向こう側にある道路からの交通音さえも。


終わった。どうにか終わった。誰も死なずに終わってくれた。


短時間で精根尽き果てて、服が汚れるのも気にせず気にできず、地面によろよろ座り込んだかがりの懐に、走ってきたユウが手加減せずに飛び込む。鳩尾を直撃され、ぐえ、と蛙のような声が漏れた。


「すごいや! やっぱりかがりはヒーローだよ!」

「はは……どうにかこうにか、だな。それと無茶しすぎたアホが」


背を撫でる手で、そのまま頭をごちんと殴った。ぴぃ、とユウが鳴く。

走ってくる舞と風香の無事な姿に心から安堵しながら、二度とゴメンだこんなの、とかがりは吐き捨てた。






幻術が完全に解けたのを確認し、外部への連絡を済ませた後で、花壇の広場まで戻ってみた。

路上販売用のテーブルも、商品も、脱いでいった服も全てそのまま。抉られたタイルも何事もなかったかのように復元されている。争いの形跡など何処にも見当たらない遊歩道に、舞の投げた苦無と煙幕弾がぽつんと転がっていた。

予想していた光景ではあったが、全員無言で顔を見合わせる。

自分たちはきっと楽しいのであろう奇声をあげながら、兄弟と思われる幼い子供が、肩を竦めるかがり達の隣を駆け抜けていった。



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