昼間原狂騒・一岩 - 4
十字交差点を曲がり、その先へ。
日暮れとあって、信号機の赤や青がより鮮やかに目に映る。
進むほど人の数は増していき、それにつれて、はっきりとした当惑がかがりに広がっていった。
「なんだ……?」
「いっぱいいるね」
周りを意識して、ごく小声でユウが囁いた。こうも人が多くては、じきに喋る事はできなくなる。
数メートル間隔で固まって歩いている人々を、ユウは物珍しげにきょろきょろと眺めた。
この時間帯にしては、妙に賑やかだ。衰退しつつある地方都市の昼間原では、日中でもあまり見ない光景である。
そう、それこそ本当に、祭りを目指しているかのように。
まさか全員が祭り囃子の練習風景を見物しに行く訳ではあるまい。
それとも今年から冬にも祭りをやる事にしたのかと、かがりは歩きながら考える。
しかしそんな告知は街のどこにも見当たらなかったし、やるにしてもこんな中途半端な時期をわざわざ選ぶものだろうか。新設するなら春か秋の行楽シーズンの方が、ずっと盛り上がって実入りもいい筈だ。
それに今日はめぼしい通りをくまなく歩いていたのに、どこも祭りの支度などしていなかった。夏祭り――昼間原まつりは三日間に渡って行われる為、準備もそれなりに大掛かりになる。
疑問を感じながらも、現場に着けば分かるだろうと人の流れに混ざって祭り囃子の聞こえてくる方へ向かうが、一向にそれらしい光景は見えてこない。最初に聞いた音の近さからすれば、そろそろ到着しても良い頃なのに。
まさか実際の祭りと同じく、山車で移動しながら演奏している訳でもあるまいし。
歩き続けるかがり達の前に、唐突にその瞬間は訪れた。
視界の前方に、赤や黄色で彩られた出店が次々に姿を現したのだ。
たこ焼き、ヨーヨー、かき氷、焼きそば、くじ、金魚すくい、じゃがバタ、りんご飴、綿菓子、ベビーカステラ……。
お馴染みの文字に、お馴染みの匂い。原色の旗や暖簾を強烈に発光する電球が照らし、その一種悪趣味なまでの派手さを、もっとやれとばかりに篠笛と太鼓の音色が強弱をつけて煽り立てる。
誰もが自然と童心に帰り、駆け回りたくならずにいられないような、安っぽく俗っぽい――だからこそ尊い光と音の饗宴。
「な……本当にやってただと……?」
お祭りだあ、と眼を輝かせてユウが歓声をあげる。
かがりに思い切りリードを引かれて我に返り、慌てて数回短く鳴いて誤魔化す。
幸い周囲の喧騒に紛れたらしく、気に留める通行人は誰もいなかった。
それ程に凄い人混みだ。
どこまでも出店の続く二車線の県道に車は一台も走っておらず、代わって圧倒される数の、いやさ量の人、人、人。
立ち止まって周囲を確認しようにも、あまりの混雑で満足に叶わない。押されるように、飲み込まれるように、足は前へと進む。適度に間隔を空けて歩いていた人々は、いつしかぶつからずに歩くのが困難なまでに密集した人波となっている。
そう、まさしく夏の昼間原まつりのように。
思いがけぬイベントとの遭遇に浮かれ、頭を左右に忙しく動かしながら、ぴょこぴょこと小刻みに跳ねて進むユウ。踊るような歩様からは、興奮と感動を言葉にして伝えたいのを懸命に堪えているのが伝わってくる。
一方で、かがりはそこまで呑気ではいられなかった。
フライドポテトに串焼き、揚げパスタ。様々な食べ物を手に出店の並ぶ歩行者天国を行き交う人々は、かがりも子供の頃から毎年夏になると欠かさず目にしている、昼間原まつりの光景そのものではある。
ただ一点、今が冬であるという事を除いて。
いまだ、身を切るような寒気が残る。
そんな夜の通りを、半纏を着た役員が、浴衣姿の女がそぞろ歩く。
それはいい。祭りとなれば雰囲気を優先し、夏だろうと冬だろうととにかく浴衣という人間がいてもおかしくはない。
だがこれはどうだ。歩行者の多数を、ノースリーブや半袖といった軽装が占めている。長くてもせいぜい七分袖で、しかもそれ一枚のみ。上にもう一枚羽織っている者などほとんど見掛けない。
その格好で彼らは談笑し、出店に並び、祭りを楽しんでいる。寒さなど微塵も感じさせずに。
かがりが仕事時に着る軽装とは訳が違う。あれは荒事になった場合に備え、防寒性を多少犠牲にして動きやすさを重視したものだ。
だが、これはそうではなかった。時期的に着るのが普通だから着ているという、何ら気負わぬ選択の結果として彼らは薄着でいる。
ぞっとした。
かがりの背を、正体不明の悪寒が走り抜けていく。
長く伸びる笛の音が、撫でるように耳元を掠めた。
この国の人間なら一度は耳にした事のある、陽気で、されど不思議と物哀しい祭り囃子はまだ聞こえ続けている。
否、ずっと聴こえ続けている。
歩いても歩いても音の発信源が一向に近付いてこないどころか、遠ざかってもいかない。
曲は常に一定の調子で、一定の音量で、かがり達に届き続けている。
「出るぞ」
「えっ」
「走るぞ! ここから逃げる!」
夜空にぼうっと浮かぶ紅白の提灯。くどい程に明るい出店。人の群れ。
何ひとつ変わった点はない。夏祭りの光景として見れば、どこを切り取っても絵になる。違和感などあろう筈がない。
夏の昼間原まつりと何ひとつ変わらないという事が既におかしいのだ。
かがりは振り返り、そして息を呑んだ。
通りを挟んだ出店が続いていた。
視界の、ずっと彼方まで。
「な……なに、これ……?」
ようやくユウも異常を悟った。
来た道がない。消えている。道はあるのだが、祭りの賑やかな通りと完全に入れ替わってしまっている。
リードを握るかがりの手に、力がこもった。人混みの隙間を縫うように、時には乱暴に押し退けながら急ぎ足で引き返す。
だが行けども行けども、混雑は途切れない。人も、出店も、そして祭り囃子も、尽きては始めに戻り、また繰り返す。
「くっ……!」
かがりは手の甲に犬歯を立てると、躊躇わず皮膚を小さく噛み切った。
痛みが走り、血が玉となってぷくりと盛り上がる。しかし周辺の光景に変化は見られない。
苦痛を以て破却可能なタイプの幻ではないようだ。
試す前から半ば分かりきった事であった。街の一角を丸ごと再現してみせる幻が、こんな初歩的な手段で破れる筈はない。
「路地に入るぞ! 横から抜ける!」
ユウの返事を待たず、かがりはリードを強く引きながら建物と建物の隙間に駆け込んだ。
片方は小さな塗装工場、もう片方は薬局。このまま数件の家屋を突っ切っていけば、隣の県道に抜けられる。
しかし無駄だった。路地を出た先には、全く同じ祭りの風景が広がっている。来た道を戻っても、やはり同じだろう。
かがりは諦め悪く、もう一回同じ手順を繰り返してみる。脇道から他の道路を目指すのも、異なる箇所から三度試してみた。
こうした試みは、全てが無駄に終わる。
自分たちが完全にこの幻に囚われてしまったのを、かがりは認めるしかなかった。
両脚から力が抜けかけ、咄嗟に建物の壁に凭れて倒れるのを防ぐ。
息を整えながら、落ち着け、と繰り返し自分に言い聞かせる。
(ユウがいるんだ、私が動揺して怖がらせてどうする)
まずは、手持ちの材料の整理だ。
師である父から教わった、不測の事態に直面した際の心得を、まさか昼間原で頼る日が来るとは思っていなかったそれを、かがりは遠い記憶から引っ張り出す。
この幻の夏祭りが開かれている通りを、一本の直線だと仮定するのなら。
直線は前後左右でそれぞれ繋がるように構成されている。よって直進すれば幻の限界に達した時点で最後尾へ逆戻り、同じく右に逃げようとすれば左へ、左に逃げれば右側へ戻ってしまうループが続く。
こうした延々と一定範囲を彷徨わせるタイプの術というのは、そう珍しくない。異常なのは規模だ。
幻術は単純なら単純なほど成功させやすく、逆に範囲や環境が複雑なほど破られる要因は多くなる。単に目撃者から声を掛けられただけで解けてしまうような、脆いものが大半だ。それなりに規模の大きな夏祭りを、よりによって街中に丸ごと再現してみせるなど聞いた事さえない。
というより、現代では不可能に近い大技だろう。
幻術を張る範囲の住民、通行人、車道を走る自動車やバイクといった異物が多過ぎて、術を守る手立てが無い為である。
そもそも一体、どの時点から幻だったのか。
並ぶ出店を目撃した地点からか。歩道に人が増え始めたあたりからか。あるいは祭り囃子を聞いてしまった時点でか。
まず何よりも気になるのは、こんな真似をする理由は何だ。街を幻で包むメリットが何もない。
真っ先にかがりの頭に浮かんだのは、ユウを始末しに来た兄弟狐だった。
あの狐たちよりも強い力を持つ、更に上位の狐が乗り込んできたのだとしたら有り得るかもしれない。
だが、処罰の件は既に決着がついた筈である。
一族との交渉が決裂し、やはりユウを始末するという結論が出されたのだとしても、ここまでやる必要性が見出だせない。わざわざ祭りの幻で誘き寄せるまでもなく、手練れの狐を数頭派遣すれば済む話だ。
かがりは路地の壁に寄り掛かったまま、賑わう通りを見る。
自分たちの他に、異常事態に騒いでいるらしき人間は見当たらなかった。
まだ気付いていないだけなのか、幻に深く落とし込まれて気付く事すらできない状態なのか、あるいはこの人混み自体が幻なのかも、かがりには判断できない。多くが夏の装いである事を考えると、全て幻の可能性が最も高かった。途方もなさすぎて、それこそが最も信じられない。
話しかけて確かめようにも、相手はこれ程の幻を展開してみせる怪物である。
通行人なり店主なりからの返事すら再現されてしまったら、もはや区別のしようがなかった。
見知った顔でもいれば共通の知識に関する問答を通して矛盾点を突き、術を破る切っ掛けにできそうだが、ざっと見た限りでは誰も知り合いはいない。
かがりは、とうとう意識して抑えていた溜息をつく。
手持ちの材料を整理した結果、どうにもならないという事だけは理解できた。
能力も知識も、圧倒的に不足している。
状況を把握し、問題点を列挙し、自分の手には負えないと判断したなら、次は第三者に助力を仰ぐべきだが、現状で相談できそうなのはよりによって自分よりも非力な狐一匹。
それでも念の為、かがりはユウに確認してみた。
狐や狸といった在野の妖怪は、人では及びもつかない幻の専門家だ。生まれ持った感覚で綻びを発見した可能性もある。
だが案の定というべきか、ユウは分からないと首を振るばかりだった。
「……これ以上、闇雲に歩き続けても体力を消耗するだけだな。
よし、座って休憩してからもう一度突破口を探そう。お前も散歩中には見なかった建物とか、そこだけ色の違う地面とか、何でもいいから気付いたら教えて……ユウ? どうした、ユウ」
「ごめん、かがり」
少し前から置いていかれ気味になっていたユウが、悄然と呟く。
「俺が、お祭り見てみたいなんて言ったから」
やけに静かだと思っていたら、こんな事態に巻き込まれてしまったのは自分のせいだと悩んでいたようだ。
混乱しているのも焦っているのもかがりとて同じなのに、ユウのあまりの落ち込みように、不思議と後ろ向きな気持ちは消えていく。明らかに自分より弱りきっている存在が間近にいると、人の心は一時的に強度を増すらしい。
「あのまま帰ってても、うちが無事だった保証はどこにもない。
このふざけた夏祭りに店ごと飲み込まれてた可能性だってある。そのくらい規格外の異常事態なんだ、これは。むしろ私が解決しなきゃいけない仕事だから丁度良かったよ、気にするな」
そう笑って言ってみたものの、肝心の抜け出す手掛かりは掴めないままだ。
自分一人だけなら逃げる手段はあるかもしれないが、ユウを助けられるか。
そして、ここにいる全員が同じく巻き込まれた昼間原市民だったとしたらどうする。数は。安否確認は。救助手段は。
考えれば考えるほど、遠ざかっていた焦りがじわじわとぶり返してくる。
加えて一日や二日ならまだしも、幽閉が長く続けば餓死する可能性まである。実際のところ幻術で一番怖いのはこれであった。たとえ目の前に現実の食べ物があったとしても、惑わされている側には食べ物の存在を認識できない。
「じゃ、捜索再開といこう」
「……うん」
「ほらほら、顔を上げろ。いつもの元気はどうした。英雄がこの程度でへこたれるんじゃないよ」
「――うん。俺も何か見付けられないか頑張ってみるよ!」
「その意気だ。どっちが先に見付けるか競争だぞ」
ユウを励ましながら、かがりは再び祭りの喧騒に満たされた通りを進む。
歩き回れば体力を消耗してしまう。しかし、所定の時間もしくは回数走破するのが解除条件となっている幻術も存在している。あるいは決められた手順で歩くという条件の術。あるいは、鍵となる呪符や祭具といった触媒を発見し破壊する事が条件な術。
考え得る可能性は幾つもあるが、ひとまず最も手っ取り早く実行できそうなのが触媒、即ち術の要の破壊だった。
電柱の影やバス停のベンチの裏側、一見ごく普通の店、しかし現実の昼間原には存在していない店など、どこかに見慣れぬ物が仕掛けられていないかを探す。
日課の延長だと思えば、多少は気が紛れる。心が折れてしまっては相手の思う壺だから、これは重要だ。空振りに終わったなら終わったで、横線を引いて次の手段に移る事ができる。
こうした方針を、かがりは逐一ユウに話して聞かせながら歩いた。
同時に言葉を用いたおおっぴらな会話もこの時点で許可する。人目を憚らず、気になる事があればすぐに言えと。人目があるだのないだのを取り沙汰するのは、無事にここを抜け出せてからだ。それよりストレスを溜め込ませる方がまずい。
やるべき仕事があると教え、分担して任せてやれば、この小さな狐の不安も和らぐだろう。
忙しくさせて余計な事を考える暇をなくす。自身も追い詰められているかがりにしてやれるのは、これが精一杯だった。
「そうだな……あそこにある信用金庫をスタート地点にしよう。
建物も駐車場も大きくて分かりやすいからな。
あそこから真っ直ぐ進みながら、最初に左側の歩道周りを探す。一周して戻ってきたら、次は道路を渡って右に――」
「……ありゃ? おいフッチー!
そこにいるのフッチーか? フッチーだよな?」
そうと決めた、矢先に。
全方針を根底から覆すような、むしろ叩き壊したとしか言いようのないガラガラ声が、かがり達の立つ歩道の真向かいにある薬局から響いてきた。
驚いて振り返り、そこでかがりは目にする。
思い思いに歩き、あるいは道端に座って食事や雑談に興じている人々と違い、小さな薬局の店先に佇み、はっきりと注意を自分達へ向けている人間の姿を。




