昼間原狂騒・一岩 - 3
気付けば空は仄暗い。
午後一杯を移動に費やして、時刻は夕方五時を指していた。日が落ち始めると、冷え込みは一層厳しくなる。
今日の街歩きはここまでだ。成果があったようななかったような微妙な散策だったが、取っ掛かりは掴めたようにかがりは思う。
ふたりは視察及び買い物の成果を抱えて、昼間原八岩公園に入ってすぐのベンチで休んでいた。
寒くて休憩には向いていない事もあり、視界内はがらんとしている。
じきに、完全に人影は消えるだろう。
かがりは、先程買った照り焼きバーガーを齧り、ホットコーヒーで流し込んだ。
これから帰って夕飯作りだというのに、店を見たらつい食べたくなって買ってしまった。歩き回るのはいつも通りだとしても、普段気にしない事に注意を払ってエネルギーを消費したので、体がこういう安っぽい味を求めていたのかもしれない。
そのぶん夕飯を減らせばいいさと思いながら、かがりはベンチにどっさり並んだ今日の成果を見た。外気温が天然のクーラーボックスになってくれているといっても、さすがにそろそろ野菜や干物は冷蔵庫に入れたい。
「いっぱい買ったね。お店に置けそうなのあるかな?」
周囲に誰もいないので、ユウも遠慮せず声を出せる。
かがりはコーヒーを置くと、隣にあった袋をガサガサと開き、中身を漁る。
家でじっくり検討する為に、これはと思った物はとりあえず買うには買ったものの、こうして日暮れの風を浴びて冷静になると、本当にこれらが店を飾るのに有効なのか疑問になってくる。なんでこんなものを買ったんだ、と後から自分が信じられなくなる、主に土産物においてままある現象をかがりは思い出した。
適当なひとつを選んで袋から取り出し、ついでにじっと見ているユウにハンバーガーを小さくちぎって落としてやる。甘い照り焼きソースにマヨネーズに玉葱にといろいろ入っているが、妖怪ならおそらく問題ない筈だった。
「狐の感覚でいいから率直に答えてくれ。これが店に並んでたら、お前欲しいか?」
「いらない」
即答だった。
かがりは無言でそれを袋に戻し、別のものを取り出す。
「これは?」
「いらない」
「こっちは?」
「うーん、いらない」
「このフタコブペンギンラクダのぬいぐるみはどうだ」
「いらない。……これ噛んでいい?」
「ダメだ。かわいそうだろ」
かがりの選んだ品は、ユウには尽く不評だった。
これはセンスの問題ではなく、狐の感覚で答えさせればそうなって当然なのである。寝心地の良さそうなクッション、よく跳ねるボールといったものなら好みに合ったかもしれない。
「俺は食べ物がいいなー。
おいしいものがいつでも近くにいっぱいあって、いざって時にはヒジョーショクってのになるんだ!」
「だから食品は面倒なんだよ。許可を取らなきゃいけないし、在庫の入れ替えも他より忙しくなる。うちで売ったもので腹でも壊されたら、それこそ目も当てられん」
「俺、かがりの作ったもので腹壊した事なんてないぞ」
「お前は妖怪だからだろ、忘れるなよ……っておい、お前まさか私が作った料理を売る前提で話してたのか?」
「うん、そう。かがりのゴハンはおいしいから売れるよ!」
「はァ……より良い基準を知らないってのは幸せな事だな。そのままのお前でいてくれ」
かがりは呆れながら笑った。
食えたものではない食事もどきを提供しているつもりは無いが、商品として堂々と売れる程の料理を作っている自負もない。概ね自分とはそういう人間だと、かがりは思っている。料理も本業も、そこそこやるが、決してそこそこ以上ではないのだ。
生きるには、それで困らない。昼間原市は、そういう者に任せて許される街である。常に上を目指して研鑽する必要も、あるいは死と隣り合わせである危険とも無縁だ。
いつかユウに言われたように、この暮らしを、この街を、かがりはなかなか気に入っている。
ただし、とも思う。
本業での躍進は持って生まれた素質の差が大きく、まして力の一部を治療用に譲ってしまった今どうにもならない面も多いが、料理なら努力次第で上を目指せ、かつ自分にとっても生活の質の向上という利益をもたらす。
こうまで純粋に称賛してくれる相手がいるなら、もう少しそちらへ時間を割くのも悪くないように思えてくる。いつもの食卓にもう一品、週に二回追加してみる程度の範囲で。
「さあ、そろそろ帰るぞ。さすがに冷えてきた」
「うん――あ、待って!」
「?」
立ち上がったユウは鼻先を持ち上げるや、濃紺に染まった空に向かい高々と遠吠えを放った。
ホッホォォォウ……と甘く太く公園内に響き渡る鳴き声に、いきなり何をやってるんだとかがりは目を丸くする。
「店にいるとできないから。吠えたら近所迷惑なんでしょ?」
「単に吠えたかっただけなのか……ストレスでも溜まってるんじゃないだろうな」
「違うよ、なんかたまに吠えたくなるんだよ。ほら習性ってやつで――はっ、はっ、はっくしゅん! ぴぃ……」
「おいおい……」
ただの狐ではなくとも、狐は狐。獣である限り野生の本能には抗い難いらしい。
まさか妖怪に風邪もあるまいが、ユウがくしゃみを漏らすのを合図に、かがりはベンチを立った。話していた僅かな時間で、影と地面との境目が曖昧になる程に夜は進んでいる。白いビニールの手提げ袋も、すっかり闇色だ。
ざっ、ざっ、と、よく均された砂利道を踏んで、ふたりは街灯の光り始めた公園を出る。灯玄坂までは幾らもない。
と、その時だった。
「んん……?」
極めて馴染みのある、しかし今は馴染む筈のない音色を、かがりの耳は捉えた。
どんな音かと問われれば、いわゆる祭りの曲になる。
通りには提灯が飾られ、浴衣姿や法被姿の来客たちがずらりと並ぶ出店を賑わせる。
そんな縁日や祭りには付き物の、郷愁を誘う篠笛と太鼓の祭り囃子が、ふたりの立つ場所まで微かに響いてきているのだ。
それ自体はいい。昼間原にも夏祭りはあり、歩行者天国となった道路には地元客、観光客がひしめき合い、商工会が保管する大小の神輿や曳行される山車が人々の目を楽しませる。
これといって光る名所、名物を持たない昼間原市において、唯一と言っていいくらい派手で印象深いイベントといえた。騒音で妖も引っ込むのかトラブルはまずなく、かがりにとっては見回りついでに出店をのんびり冷やかせる楽な仕事期間だった。
おかしいのは、今が夏でも何でもないという事だ。
ユウが耳を立て、鼻をひくつかせる。
聞こえているのはかがりだけではなかったらしい。
「あれ何? 何の音?」
「夏の祭りで流す曲だよ。練習でもしてるのかな」
「真冬に?」
聞かれてかがりは黙った。
冬に祭り囃子を練習して悪いという決まりはないが、変は変だ。
そもそもここの夏祭りで流れる祭り囃子は、基本的に市販の音源を使用しており、実演するのは山車が出る時くらいの筈である。あれは一種の名誉職で、毎年ほぼ顔ぶれは変わらない。今更この時期から練習する必要があるとは思えなかった。
引退や病気などで欠員が出そうだから急遽補充したのかもしれないが、それにしても――。
「ね、ね、かがり」
「どうした?」
「俺、人間のお祭りって近くで見た事ないんだ。笛吹いてるとこ見てみたい!」
「祭りじゃなくてただの練習だぞ? たぶん」
「練習でもいいからさ、行こうよ!」
咥えたリードをぐいぐいと下に引っ張り、ユウが催促する。
かがりは、ぶら下げた買い物袋へ一度目をやった。
拒否しても収まりがつかなそうではあるし、結局あの後も店に入れず外で待機続きだったユウの事を思えば、帰宅前にもう一箇所くらい寄り道してやっても良さそうに思える。
ここまで聞こえてくるのだから、そう遠くでもないだろう。
かがりが頷くと、ユウは嬉しそうに先頭に立って歩き始めた。ぴんと真っ直ぐ張ったリードに待ちきれない気持ちが現れている。
そんなユウを軽くリードを引いて足元に連れ戻すと、かがりは曲を追った。




