7話 送られたトニー、マイケルとショーンのいる家へ
車で空き地の前に降ろしてもらった時、僕は聞き慣れた声がすることに気付いた。どこからか「トニー!」と呼ぶマイケルの声がする。
「じゃあな、坊や。――負けるんじゃないぞ、逞しく生きろ」
瞳を潤ませた太っちょが、そう言って車は走り去ってしまった。
僕がマイケルの姿を探そうとした時、車と反対方向から、マイケルが飛び出してくるのが見えた。彼は僕を見て、ひどく驚いたような顔をして駆け寄ってくる。
「お前、無事だったのかッ? さっきの誘拐犯共はどうした!?」
「『ゆうかいはん』? おじさん達とは、ちょっとお話しただけだよ?」
「お話しだって? そのためだけに、俺は頭にタンコブを作らされたわけか?」
「『たんこぶ』?」
強い口調で言ったマイケルが、苛立った様子で後頭部をさすったけれど、すぐ深い溜息をこぼして肩を落とした。
「さっき目が覚めた時、お前が連れ去られたのを思い出して、一人でパニックになって走り回ってた……けどまぁ、お前がなんともなくて良かったよ。もう一辺回っても車が見付けられなかったら、警察に通報しに行くところだった」
難しい単語ばかり出たので、マイケルの言っている内容がほとんど分からなかった。ただ、僕の身を心配してくれていたみたいだ、ということは、なんとなく伝わってきた。
「で、お前、頭は大丈夫なのか? 思いっきり殴られていたように見えたんだが」
「え? そうだったの?」
「そうだったのって、気付かなかったのか?」
マイケルが、半眼で見やってそう言う。
僕は頭をしばらく触って、これといって痛いところも見つからず、手を下ろした。そういえば、自分がかなり石頭であることを、遅れて思い出した。
「大丈夫だと思うよ。僕、頑丈だから」
そう答えたら、マイケルが「石頭ってことか?」と怪しむように口にして、それからようやく安心したような笑みを浮かべた。つられて僕も笑うと、彼は「次こそ、案内してくれよな」と少し疲れたように言って歩き出す。
「それにしても、絶対誘拐犯だと思うんだけどなぁ……」
そんなマイケルの独り言を聞きながら、僕はまだ時間が残されていることに気付いた。海岸通りを抜けて住宅街へと共に進みながら、どうやってショーンに彼を紹介すればいいんだろう、と頭を悩ませ続けていた。
日差しは先程より傾いていて、たくさん並んでいる一軒家の建物で夕日が半ば遮られ、辺りは少し薄暗い印象が漂っている。
「おい、このへんか?」
「もうちょっと先だよ」
答えながら僕は、ふと見上げた電線に、鳩のおじさんがいることに気付いた。
「うまくやったようだね、トニー坊や」
鳩のおじさんは、そう言うと「君が人間になっているのは驚いたけど、話はまた明日にでも聞こう。おやすみ」と続けて、飛んで行ってしまった。僕はお礼が言いたかったけど、隣にマイケルの存在があったから、何も言わずに彼が飛んで行くのを見届けた。
明日、ちゃんとお礼を言おう。そして、今日のことを彼に話そう。そう思った。
鳩のおじさんは、きっとびっくりして翼を広げてしまうに違いない。奇跡みたいな魔法が起こって、こうして一時的にでも、僕が人間と言葉を交わるようになるだなんて、夢みたいだ。
そう思っているうちに、僕の家がすぐそばまで迫って来ていた。もう、庭だって覗ける位置だ。それに気付いた僕は、どうしよう、と改めて困ってしまった。
先程の『信じてもらえない』という直感のような想像もあって、「トニーだよ」と言うには心の準備だって出来ていない。そもそも、ショーン家の『トニー』は、繋いでいた紐を噛み千切って勝手に動き回っていたわけで……――そう思い返して、僕は「あ」と声を上げた。
なんだか、怒られそうな気がしてきた。
僕はそちらについて嫌な予感がして、つい足を止めてしまっていた。
そういえば昔、慣れない初めての紐を噛み千切って、花壇で遊んだ時、母さんにものすごく怒られたのだった。そのあと、父さんに怒鳴られて、ペギーには『馬鹿犬』ってキンキン声で偉そうに説教までされた。
「おい、どうしたんだ?」
突然足を止めた僕を、マイケルが顰め面で振り返って、そう問いかけてきた。僕は、すぐに答えられず「うーん……」と腕を組んで、もう少し考えた。
不意に、別のことにも気付かされた。今、庭には『トニー』がいないのだ。ショーンや父さん達が『僕』がいないのを見て、騒ぎになっていたりしたら、どうしよう……?
「お前、唐突に悩んだり青くなったり、表情が忙しい奴だな。一体どうしたんだよ?」
「その、なんていうか…………僕の――あぁっと違った、『ショーンの家』は、今、どんな感じなのかなぁと思って……? あの青い屋根の大きな家が、そうなんだけど」
僕は道の先に見える、『青い屋根の大きな家』を指した。マイケルと一緒に、その場に足を止めたまま首を伸ばして、耳を澄ませながら普段の今の時間の様子を思い返す。
いつもなら、ショーンは部屋にこもっていて、母さんが夕飯作りをしている頃だよね。ペギーと父さんは、まだ帰ってきていないだろうから、もしかしたら、誰も庭の異変には気付いていのかもしれない。
その推測を裏付けるように、騒がしい物音は聞こえて来なかったから、僕はひとまずほっと胸をなでおろした。
マイケルを、ショーンに会わせよう。
本能の直感のように、そうピタリと心が決まった。
初対面で困惑するショーンに、僕が『トニー』だって説明することや、それをマイケルが疑問に思って、僕自身が困った状況に立たされるかもしれないことについては、考えないようにした。ごちゃごちゃ悩むよりも、仲良くなれるかもしれない二人を、今、会わせてやることが大切だと思えたからだ。
「行こう、マイケル」
「おう」
僕はキリッと顔を上げると、マイケルを引き連れて、先頭に立って家へと向かった。
見慣れた小さな小屋には、噛み切られた紐と食べかけのご飯と、僕が中途半端に置いたボールだけが残されていた。辺りはしん、と静まり返っていて、いつもならとっくに付いているはずの玄関の灯かりもなく、家の窓もすべて閉められてカーテンがされている。
「あれ? いないのかなぁ」
僕は不思議になって、物音のしない家の扉を軽く叩いた。
「ショーン? 誰かいないの?」
何度か呼び掛けてみたけど、家の中から返事は返ってこなかった。鼻をちょっとくんくんさせてみたものの、母さんがご飯の支度をする際の、あの美味しそうな匂いだって全くしない。
後ろにいたマイケルが、辺りを見回して、それからある場所に目を留めて僕の服を引っ張った。
「車はあるみたいだぜ? ということは、皆で近くの店にでも歩いて行っているんじゃないか? 俺の母さんも、近くのちょっとした買い物なんかは、車を置いていくからな」
「うーん。食事に行くときも買い出しも、いつもは車で行くんだけどなぁ」
僕はそう言いながら、マイケルが指した場所に、父さんの黒い車が停まっているのを確認した。まるで、住んでいる人だけが唐突に消えてしまったようにも感じて、戸惑いを隠しきれなかった。
そうしたら、隣にいたマイケルが「落ち着けよ、えらく落ち込んでるなぁ」と、僕の肩を数回叩いてこう続けた。
「まっ、いないんならしょうがねぇよ。明日、学校でどうにかして話しかけてみるさ」
「うん……」
「そういえば、お前って何組なんだ?」
マイケルが、今気付いたと言わんばかりに尋ねてきた時、僕はふっとショーンの香りが鼻先を掠めて、ハッと顔を上げて振り返っていた。
耳を澄ませると、ここよりも少し距離がある場所から、聞き慣れた足音も聞こえてきた。それは歩幅も体重も違うショーンや父さんや、母さんやペギーが駆けている『音』だった。
それを聞いた瞬間、僕は、考えるよりも速く走り出していた。




