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5話 トニー、まさかの連れ去られる?

 空き地を出ようとしたマイケルが、ついてきていないこちらに気付いて、怪訝そうに振り返った。僕はその姿を目に留めて、慌てて彼のもとへと駆け寄った。


 その時、僕の耳に車の走行音が聞こえてきた。静まり返った道の向こうから、一台の古くて色が暗いバンが走ってくるのを共に見やったマイケルが、「へぇ?」と淡々とした調子で言う。


「ここ、全然人も通らないから、廃墟地帯かなんかだと思っていたけど、いちおう車も通ってるんだな。初めて見たぜ」

「僕も初めて見た。よくショーンとここに来ていたけど、一度だって車が通ったのは見たことがないんだもの」

「裏道ってことかねぇ。俺がいたところでは、よくドライブでこういうところを走っている連中もいたし」


 そう話す中、車は速度を更に落として、のろのろとゆっくり走行してくる。


 僕は、父さんからよくドライブのことは聞いていたから、そうかもしれないな、と思った。父さんは買い出しのついでに、近場を車でぐるぐると回ってくるのも楽しいと言っていた。多分、それなのかもしれない。


 遠くまですごい速さで移動できる乗り物だけど、父さんはその危険性も僕に教えてくれていた。ぶつかったら危ないから、決して車の前に出てはいけない、と何度も言い聞かされていた僕は、マイケルの手を引いて空き地の中に戻った。このまま立っていたら、この細い道ではぶつかりそうだと思ったからだ。


「何すんだよ?」

「車、ぶつかったら危ないから」

「大丈夫だって。車は俺らを避けるもんなんだよ。運転手が、ド下手くそじゃなけりゃあな」


 マイケルはそう言って、偉そうな様子で「ふんっ」と鼻を鳴らした。


 不意に、のろのろとそこまでやって来た車が、空き地の前で停まった。黒い窓がガタガタと音をたてながら開いて、木の幹みたいな顔をした男が僕らを見やった。


「なぁ、坊や達。道に迷ってしまったみたいなんだ。この辺りのことを少し教えてくれないかな?」


 その問いかけが終わってすぐ、どうしてかマイケルが、僕の手を引いて歩き出していた。彼は機嫌がとても悪そうな顔をしていて、まるで敵を威嚇して警戒するような表情で、鼻もとにも皺が寄っている。


 空き地を出ようとする僕らを見て、窓から顔を覗かせた男が、続けて質問してきた。


「教えてくれるだけでいいんだ。ここから、どう行けば大通りに抜けられるんだい? おじさん、ここに来るのは初めてなんだよ、なぁ頼むよ」


 マイケルの行動を不思議に思いながら、僕は腕を引っ張られたまま男に尋ね返した。


「どこの大通りですか? 隣町に行く大きな道のこと?」

「そうそう、その道さ。友達の家を探しているんだ」


 男が窓から顔を出して、空き地を出る僕らの姿を目で追った時、マイケルが僕の手を更に引き寄せながら、彼の方をジロリと睨みつけてこう言った。


「おじさん、ここの人間じゃないだろ」


 僕が「突然どうしたの、何を言っているの?」と尋ねても、マイケルはこっちを見なかった。じっと男を睨みつけている。


 運転席から尋ねてくる太ったその男の向こうから、別の引きしまった大きな顔をした髪のない男が様子を窺っているのが分かった。何せ僕は、とても視力がいいんだ。


 すると、尋ねてきた男が、少し面白そうな顔をして唇を引き上げた。


「そうだよ。ここの土地の人間じゃない、だって『友人を訪ねる』って言っただろう?」

「ふうん? でも、ここはほとんど廃墟になってるし、道だって狭いだろ。その友達の家もなさそうなのに車を進めて来たってことは、ストレートに考えると『おじさん達』は頭が悪いんじゃねぇかって思うけどな」

「うわわわわッ、失礼だよ」


 僕は、慌ててマイケルの袖を引いた。どうしてそんなことを言うの、と僕が尋ねると、彼は男たちを睨みつけたまま、こう言ってきた。


「知らない大人を信じるもんじゃないぜ、トニー。ここには少ないかもしれないけどよ、大都会には、ここじゃ考えられないくらいに危険がいっぱいあんだ。――ほら、行くぞ」


 僕の手を引いたまま、マイケルが先程よりも速く歩き出した。引きずられるように足を進める僕は、車を振り返ることなく進み続ける彼の背中に「ねぇ」と問い掛けた。


「どこ行くの? ここ、ショーンの家がある方向じゃないよ」

「悪いけど、あの車の進行方向には行けない。ひとまず、このまま適当に人がいる通りまで行くぞ。お前、結構血筋が良さそうな『おぼっちゃま顔』してるしな。少しは危険性を考えて、遊ぶ場所も選ばないと危ねぇぞ」


 僕は、自分が立派で綺麗な毛並みをしているのは知っている。父さんや周りの人たちが、よく褒めてくれるからだ。「少ししたら、もっと大きくなる子なんですよ」って父さんが自慢しているのも、聞いたことがある。


 でも姿形が変わっている今、僕には『血筋が良さそう』なんて思われるところはないはずだから、不思議だった。自慢の大きな耳や、ふさふさの尻尾だってなくなってしまっているんだもの。


 僕の手を引くマイケルの手は、意外と濃い小麦色をしていた。髪も赤に近い茶色で、家族の白い肌と茶髪を見慣れている僕は、この白い肌と髪の色を見てそれっぽいと判断しているのかなぁ、と首を捻る。


「ねぇマイケル、さっきのおじさん達、今頃とても困ってるんじゃないかな。道を教えてあげなきゃ」

「放っとけよ、近くに交番もあるんだから、自分で訊きに行くだろ。お前、もし教えるとして、道の名前とか建物の名前とか、知ってるのか?」


 肩越しにジロリとマイケルに目を向けられて、僕は「そういえば、知らないな」と呟いた。確かに、人間みたいに道や土地や建物の名前は、詳しくは知らないでいるから、たとえ紙とペンを渡されたとしても教えられそうにない。


 そう考えていた僕は、車が近づいてくる音が聞こえて、彼に手を引かれながら後ろを振り返った。あれ、車が後ろ向きに走って、こっちに近づいて来るよ?


「すみませーんっ、道は他の人に訊いて下さーい」


 僕は、残っていた手を大きく振って、そう叫んで伝えてみた。


 それでも車は停まる様子がなくて、もしかして、僕らが進んでいる方から大きな通りに出ようとしているのだろうか、と思ってマイケルに視線を戻した。


「ねぇ、あの車、ここを通りたいんじゃ――」


 その時、僕は後頭部に衝撃が走ってよろめいた。驚いたようにマイケルが振り返るのが見えたけれど、彼の顔が上に消えていく。……ああ、違うか、僕の身体が地面に向かっているんだ。


「トニー!」


 薄暗くなった視界の向こうで、マイケルの「ぐっ」と呻くくぐもった声が続いた後、低い声で「こいつは要らないな」と言う声が聞こえた。


 あれ、さっきのおじさん?


 どうして、すぐそばであの男の人の声がするんだろう。そう心の中で独白は続くのに、思い通りに身体が動かなくて、視界も真っ暗になった。それでも、身体の感覚は残っていて、誰かが大きな身体で、僕を持ち上げようとするのが分かった。


「くそっ、こいつ、見た目の細さよりも随分重いな。まるで、狩ったあとの動物みてぇな重量感だぜ」

「馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ。ほら、あのガキが起きる前に、ずらかるぞ」


 別の声が聞こえてきて、上下から僕の身体が持ち上げられた。しばらく揺られていたら、僕は硬いところに放り投げられて、すぐに低く唸るような音が始まって、僕を乗せた何かが移動している振動を感じた。


 ちょっと、どこに連れて行くの? 僕はこれから、マイケルをショーンのところまで連れて行かなきゃいけないんだよ!


「すぐにでも、ことを始めなきゃならねぇな」

「あのガキが通報したらどうする? やっぱり、一緒に連れてきた方が良かったんじゃないか?」

「馬鹿か。必要以上に抱え込んだら、自滅するのがオチだぜ。ガキ同士とはいえ、知恵は働く。話し合われて逃げられでもしたら、面倒だしな」

「さずがだぜ、兄貴」


 二人の男の声が飛び交っていて、僕は言葉の意味がよく分からなくて尋ねようとした。けれど、やっぱり身体は動かなかった。目も開かないし、僕の身体は、まるで眠っているみたいに呼吸を繰り返しているだけだ。


 冗談じゃない、この姿になっている時間は短いんだ。起きろよ、僕の身体ッ!


「さぁて、まずは適当な場所を見つけて、この坊やから話を訊き出さなきゃな」

「まずは、家と電話番号、だろ兄貴?」

「なぁにしたり顔で言ってんだ。まずは名前だ、この馬鹿が」

「ごめんよ、兄貴……。名前と家の場所と、次に電話番号だな?」

「ああ。すぐに電話して、サツにチクるようなら命はないと言い聞かせて、それから交渉だ」


 そう言った男が、ふうっと息を吐いた。僕の身体の下がガタガタ揺れて、僕は身体が痛むのを感じた。


 いい加減、僕が分かるように話しをして欲しいんだけどなぁ、と思った。


「兄貴、コレが終わったあとは、このガキを『しまつ』するのかい……?」

「馬鹿言え、俺たちはそんな悪党じゃねぇだろ。無事に金を受け取ったら、戻ってきてガキを近くで降ろす。それで、すぐに俺たちはとんずらさ。行った先で変装でもすれば、問題はないだろ。今までも、それで大丈夫だったんだ」

「そうだな、それもそうだ」


 納得したように男が呟く中、僕は彼らが悪党じゃないと、わざわざ名乗ってくれたことに安心していた。何かが終われば家に帰してくれるらしい。どうやら彼らは道案内と、そして僕のことが知りたいようである。


 でも、どうして彼らは道だけじゃなくて、僕のことを知りたいんだろう?

 

 それとも、話し相手が欲しいのだろうか? 父さんも悩みがあると、よく僕の横に座って話すことがあった。意味が分からなくても、僕に話を聞いてもらえるだけで、心が軽くなると言っていた。


 ということは、彼らは僕が、ショーンの家の『トニー』であることを知っているの? だから話を聞いて欲しくて、こんなことをしているのだろうか。


 でも、僕のことを『トニー』や『馬鹿犬』じゃなくて、『ガキ』って言っているということは、やっぱり彼らは『今の姿の僕』しか知らないということなんじゃないの?


 考えるほどに、僕は頭の中がこんがらがってきた。似たりよったりな容姿をしている人もいるから、誰かと勘違いしているのだろうか。


 僕らは普段、柄や毛並みや顔、身体の大きさや形、匂いにも大きな違いがあるけど、人間にはほとんどそれがない。きっと、僕に似た人は、話を聞くことが上手な人で――ああ、やっぱり、話し相手が欲しくて僕をつれ出したのか!

 

 なぁんだ、と僕は安心した。


 とはいえ、僕としては、話を聞くのは全然構わないのだけれど、今は少し状況が違っていた。マイケルを、ショーンのところへ連れて行かなければいけないのだ。


 そう考えたところで、僕はふっとあることに気付かされた。時々、僕は本能的な直感が働くのだけれど、それは、これまでに一度だって外れたことはない。まるで、ふっと未来の映像が浮かぶみたいに、頭の中に想像がポンっと出てくるだ。

 

 僕の頭の中に浮かんだのは、ショーンと僕が会う場面で、僕が彼に『トニー』だって信じてもらえないというものだった。僕は根拠もなく、それが未来で起こりうることだと受け止めて、少し悲しくなってしまった。


 けれど同時に、新しい映像が頭の中に浮かんでもいた。それは、ショーンとマイケルが仲良くなって、一緒に遊ぶようになっている光景だった。



 マイケルと友達になって、明るい表情をするようになったショーンが、楽しそうな顔をして駆けて帰ってきて、僕に「ただいま」って言う。家に入っていったと思ったら、飛び出してきて、外で待っている友達のもとへ向かいながら僕に「いってきます」って言うんだ。


 僕に留守を頼んだショーンは、たくさんの友達と一緒に笑い合って、歩き出しながら「今日は何をしようか?」って問い掛ける。すると、誰かがボールを持ち上げて「これをやろうよ」って言って、マイケルとショーンに笑い掛ける――そんな嬉しい想像が、僕の頭の中に走り抜けた。



 なんて素敵なんだろう! と僕は思った。夕方、遊びきったショーンが駆けて帰ってきて、きっと僕にこう言うんだ。


――『今日も最高に楽しかった。さあっ、散歩に行こう! お前に話したいことが、たくさんあるんだ!』


 ショーンは、とても話すことが好きだ。僕は、ショーンと遊ぶのも、彼の話を聞きながら歩くのも好きだった。とても明るくなって、家にこもることも、時々寂しい顔をすることもなくなったショーンが思い浮かんだ僕は、とても幸せな気持ちになった。


 きっと、友達が出来ても、僕とショーンの関係は変わらないだろう。それに、僕はショーンが楽しくて、嬉しそうな顔をして家を出入りするのは、とても素敵なことだと思った。マイケルも、さっき僕に見せた笑顔を毎日浮かべて、ショーン達と最高の毎日を過ごすんだ。



 だから僕がするべきことは、そのきっかけを掴むために、マイケルをショーン会わせることだ。そう思った。



 言葉が通じなくても、僕とショーンは仲良しだ。それは、きっとこれからも、ずっと変わらない。僕は彼の親友『トニー』として、変わらずにそばにいられるのだろう。


 まずは、僕を連れてきたこの人たちの話を早めに聞いてあげて、それから、マイケルに「ショーンと会って」と伝えなければいけない。多分、それだけで奇跡の魔法のタイムリミットも、いっぱいいっぱいになってしまう気がした。


 だから僕は、ショーンと言葉を交わすことについては、欲ばって求めてしまうのを諦めることに決めた。考えてみれば、言葉なんて僕らの間には必要なかった。


 ガタガタと下が揺れる中、僕は、おじさん達の話を訊くのに時間がかかってしまったら、どうしようかと考えた。マイケルはどうしても、僕からショーンに「マイケルだよ」って紹介して欲しいと思っているみたいだけれど――あ。そうか、学校だ!


 名案を思いついて、僕は心の中で叫んだ。ショーンも毎日、学校という場所に行っている。そこにマイケルもいるはずなので、時間がなくなってしまうようなら『明日学校で話し掛けてみて』って言おう。


 その時、車が大きく揺れて、僕はどこかに頭をぶつけてしまった。


 ゴチンって音が頭の中まで響いてきて、つい「痛い!」って叫んだつもりなのに、やっぱり口は動かないでいた。


 乗っていた何かが、停まったみたいだった。唸るような音がやんで、どこかでドアが開く音がして、海の匂いが一気に僕の鼻についた。きっと、彼らは海岸近くに来たのだろう。耳をすましても、波の音は聞こえなかったから、その近くにある畑の中かな? だって、少し土と野菜の匂いがする。


「兄貴、こいつを起こしてもいいかい?」

「ああ。起きたら俺が話す。お前だと、ボロが出ちまいそうだからな。おい、メモ帳とペンの用意は?」

「ばっちりさ」


 近くでそんな声がした後、誰かが僕の身体を激しく揺さぶってきた。

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