第36話 生まれて、初めて
純平の心臓が、ドクドクと激しく鼓動している。試合前の鼓動とはまた違う。今までに味わったことのない高揚感と、緊張と、不思議な気持ちが純平の中で渦巻いていた。リフレインされる、ひとみの声。
私……純平くんが、好きなんです。
ひとみと1対1で、非常に狭い空間で見つめることしかできない純平。一瞬、これは夢ではないかと思い、そっと自分の太腿をつねってみた。すると、確かに痛みが伝わってくる。これは夢ではないと純平は確信した。
まだ中学生だった頃、純平は晴海にこう茶化された。
「アンタ、好きな人とかいないの~? いつまでもスポーツバカじゃあ、つまんなくない?」
その頃、というよりも今もであるが、正直言って付き合うだとか恋愛だとか、あまり純平には興味がなかった。むしろ、面倒だとさえ思っていたのだ。
しかし、そんな純平の考えも最近変わりつつある。そのキッカケが、晴海と翔希のことだった。翔希と話をすると嬉しそうにする晴海。純平が晴海のフリをしていた頃には、翔希が嬉しそうに、時にはにかみながら純平と話をしている様子も何度か見た。
さらに、翔希と何度か会ったり話したりすることで、何度か晴海の気持ちになって行動したり喋ったりすることも増えた。そうしているうちに、恋することの良さも感じるようになってきていたのだ。
しかし、自分は高校受験で浪人する始末。高校に合格すれば、ラグビーをしもって友達と遊んだり、ひょっとしたら彼女ができたりするのではないか。そういう風にも思えた。けれど、現実は浪人生。
「あの……さ……」
純平がつらそうな表情でひとみに語り始める。
「はい……」
ひとみも強ばった表情で答える。純平は自分で言っていて泣きそうになるのを何とか押さえ込みながら、続ける。
「俺……。知ってるだろうけど、浪人……してんだよね」
「うん……。晴海から、聞いてた」
それを聞いて少し胸を撫で下ろした。肩の荷が下りた、とでも言えようか。
「だからさ……その……津田さんは、俺と付き合ってもメリットが、ないんだよな」
「メリット……ですか?」
敬語調で答えるひとみ。
「うん。メリット。何かあるかな……って考えるけど、ないんだよな」
純平は頭をボリボリと掻きながら続けた。
「俺、浪人生だし。仮に高校合格してても、俺バカだからみっともないこととかばっかり言いそうだし。それに……ぶっちゃけた話、俺、今まで女の子と付き合ったこと、ないんだよね」
ひとみがそれを聞いて目を丸くした。
「そうなの?」
純平は自分の顔が真っ赤になるのがわかった。
「だ、だから不器用なことしたり、変なこと言ったり、無神経なことしたりして、津田さんを喜ばせることなんて全然できないから、その……」
「私は」
ひとみが純平の言葉を遮って言い始めた。純平は思わぬ展開に驚いて顔を上げる。
「私は、嬉しいよ」
純平はひとみの言葉の真意がわからず、呆然としている。しばらく考えてみるが、やはり彼女の真意がよくわからない。純平は聞き返した。
「何が嬉しいの?」
「純平くんがまだ誰とも付き合ってないこと」
一瞬、バカにされているのかと思ってしまったが、彼女に限ってそんなことはないとすぐにその思考を純平は断ち切った。
その予想どおり、ひとみは続ける。
「だって、純平くんが誰とも付き合ったことがないってことは、全部私とすることがは初めてってことでしょ? い、いま……私が告白したけど。告白されたのも……」
純平は真っ赤になりながら答えた。
「初めて、です」
ひとみがそこで涙をいっぱい溜め込んでいることに気づいた。
「嬉しい……。もしも、私と付き合ってくれたら、純平くんを絶対に幸せにするから。純平くんは、私のことなんて眼中にないかもしれないけど、絶対に夢中にさせるつもりではいるから! だから……」
「待って!」
そこで純平が叫んだ。ひとみも思わずビクついて言葉を止めてしまった。純平が震える声で続けた。
「答えを……待ってほしい」
「……どれくらい?」
純平はしっかりとひとみを見つめながら言った。
「この旅行が終わるまでに……絶対、答えるから」
「思ったより短いね」
ひとみがクスクスと笑う。その笑顔を見ていると、純平は不思議と心が和んでいった。
観覧車はもうすぐ下へ着く。二人は残り少ない観覧車の時間を、微妙な距離を置きながら楽しむのだった。