第31話 戻るタイミング
「うん。怪我の具合もほぼ良くなってきたね」
大森接骨院の院長で賢輔の父でもある孝雄が笑顔でそう言った途端、その笑顔よりもさらに輝く笑顔で晴海が笑った。
「本当!? おじさん!」
「あぁ。もう夏休み入る頃だろう? 良かったね。プールは8月くらいにならないと不安だけれども、普通に出かけたり遊んだりするには支障のない具合になってきているよ」
「やったー!」
晴海は飛び上がりたい気分でいっぱいだった。
「ねぇ、聞いた!?」
「あ、あぁ……」
純平がボーッとした様子でうなずく。
「なによぉ! もっと喜びなさいよね! ね、先生!」
「そうだね。辛かっただろうけど、よく辛抱したと思うよ」
「ありがとうございます!」
「じゃあ、次は来週。多分、次かその次くらいで通院も終わりだと思うよ」
「はーい! それじゃ、失礼します!」
診察室を意気揚々と出て行く晴海。ペコリとお辞儀をした後、純平もそれに続いた。
「フンフッフッフーン!」
鼻歌を歌いながら廊下を歩く晴海。しかし、その後ろで冴えない様子の純平がいる。
「どうしたのよ~。さっきから暗いなぁ」
「いや……」
「何よ。言いたいことあるならハッキリ言ったほうがスッキリするわよ?」
「ん……」
純平がようやく口を開いた。
「戻るタイミング……どうする?」
「あ……」
怪我が治るということは、純平が晴海の身代わりをする必要がなくなるということである。けれども、問題は山積みだった。
まず、純平が築き上げてきたクラスメイトや翔希との関係を、今までまったく関わってこなかったことになる晴海がうまく保てるかという点である。そして、純平の進路に関することもまた問題であった。
あれだけ能天気な父母だと、予備校探しなどしてくれているようにはとても思えなかった。純平は純平で、再び浪人生としての道を歩むことになる。
形は違えど、現実を一気に突きつけられた。これまで楽しく過ごしてきた生活が、また、元通りになる。
「……ゴメンね」
晴海が呟いた。
「あたし……アンタでいいから行けみたいな感じで……こんなこと押し付けたけど……。うん……」
会話が続かない。晴海は俯いたまま、言葉を続けることができなくなった。
「双子だし……あたしがドジなのに、あたしがアンタにワガママ押し付けて……」
「……。」
純平もどう返していいかわからず、黙りこくったままだった。
「考えてみればさ。アンタの貴重な勉強の時間、あたしのワガママで奪っちゃってたよね……。なんていうか……ホントごめ」
「あのさー」
純平が突然大声で言った。
「お前らしくなくって気持ち悪いんですけど?」
「きっ……!?」
晴海が真っ赤になった。
「気持ち悪い!? 人が珍しく素直に謝ってるのに、何よソレ!」
「ほらほら~! それがホントのお前だろ? ネコ被ってんじゃねーぞ!」
純平がワシャワシャと晴海の頭を撫でた。晴海はもっと赤くなってワーワーとわめいている。
「お前俺に謝らなきゃなんねぇことなんて、何にもしてないと思うけど?」
「え?」
「俺、お前の代わりになってガッコ行くこと迷惑とか、言ったことある?」
「……。」
「堀越と付き合う形になるの、嫌がったことある?」
「そんなことは……」
一度もなかったのだ。けれども、彼女の中ではどこか、後ろめたい部分があった。それはいろんなことで形作られていた。純平に対する申し訳なさ、翔希への想い、それを代弁する純平への嫉妬、ひとみや美砂を騙すような形になっている純平の変装。どれもこれも、すべては自分が原因なのだが、それが逆に彼女を苦しめていた。
「なかった」
けれども、それを受け入れてくれたのだ。晴海を取り囲む人々は。騙されていることを知らずに。
「もう、歩けるだろ?」
「うん……」
「そろそろ、代わり時だ」
純平が寂しそうに呟いた。
「寂しいけどな。美砂ちゃんやひとみちゃん、花梨ちゃんと毎日一緒だっただけに、もう一緒になることないんだって思うと」
「……。」
「でも、いつまでも俺は晴海でいることはできない。だから、もう……な」
「でもさぁ、いつ代わるの?」
「ん?」
「できるだけ、不自然にならないようにしないと」
「そんなの、家の中で変われば完了じゃん」
「それだけでいけば問題ないけど……」
「何か問題あんのか?」
「いっぱい」
晴海が不安げに呟いた。
「例えば?」
「あたし、ひとみちゃんや美砂のことをアンタがどんな風に呼んで、どんな風に接してたかがわかんない」
「はぁ?」
純平は不思議そうな顔をした。
「今さら何言ってんだよ。美砂ちゃんとは中学から一緒なんだろ?」
「高校に進学したら、ちょっとは変化があるかもしれないじゃない」
「あ……そういうもん?」
「そういうもんなの。それに……堀越くんとも、どんな風に過ごしてるかがわかんないし……急に家ではい、タッチ交替なんてして、あたし上手くやっていく自信がちょっとなくって……」
「ふーん……」
晴海ぐらい要領がよければ、問題ないのではないかと純平は思ったが、口には出さなかった。
「じゃーさ。ちょうどいいチャンスがあんだけど」
「チャンス?」
「あぁ。俺たち、これに申し込んだんだ」
晴海は純平が差し出した紙を見た。
「京都・大阪・神戸三都物語~Summer Version~……?」
「これに行くから、その間に俺と江島や堀越とのやり取り、見てろよ」
「……あたしのほうだけ一人で行くの、微妙」
「誰がお前側は一人って言ったんだよ」
「え?」
「途中でお前が俺と入れ替わるんだよ、ここで」
「えぇ!?」
晴海は思わぬ大胆な提案に、呆然とするだけだった。