第30話 弟の成長
「ほっ、堀越くん!」
落ち着いて深呼吸をしたにもかかわらず、晴海の声は裏返ってしまった。
「晴海さん」
翔希の笑顔が晴海の胸に衝撃を与えた。
(うそー! しょ、翔希くんってマジかっこいいんですけど!)
晴海は思わずフラフラしてしまった。事実、晴海は怪我をして以来面と向かって翔希と会うのは今日が初めてなのである。それも、このデートだ。まだ付き合う付き合わないはハッキリ返事をしていないと純平は言っていた。それでも、翔希は8割方付き合っているような気分になっているようだった。
「体調、大丈夫?」
長時間トイレに入っていた晴海のことを心配していたようで、翔希は晴海の顔を覗きこんだ。晴海は思わぬ角度と近さになった翔希の顔を見て、真っ赤になった。
「だだだ、大丈夫だお!」
「だお?」
こんがらがって、口調までおかしくなってきていた。まさかここまで自分が動揺するとは晴海自身、思っていなかったようだ。翔希は晴海の口調にクスクスと微笑む。
「おもしろいな、やっぱり晴海さんって」
「え……えへへ」
「じゃあ、次は何に乗る?」
翔希は園内案内図を晴海に見せる。
「それじゃあ……FLY AWAYなんかはどう?」
「いいね! 行こうか」
翔希がそっと晴海の手を繋いだ。
「……!」
晴海は思わず真っ赤になった。
「恥ずかしい?」
「そ、そんなことないよ!」
「よかった」
晴海は正直、驚いていた。まさか、ここまで純平が翔希との関係を深めているとは思わなかったのだ。
(どこまで……行ったんだろう)
不安が晴海の心の中に渦巻いてきていた。弟に自分の身代わりを任せたとはいえ、まさかここまで深くなってきているとは思ってもみなかったのだ。
「……。」
「晴海さん?」
「は、はい!」
「行こう?」
「はい!」
しかし、翔希の歩幅は思ったよりも広く、晴海との間はどんどん開いていった。その上、骨折が完治していない晴海が、追いつくのは不可能に近い。
「ま……待って。堀越くん」
雑踏に紛れて、翔希との間が開いていく。それがまるで、自分と翔希の関係を象徴しているようにさえ感じられ、急に胸が苦しくなった。
ガシッ、と晴海の手がしっかりと握られた。
「大丈夫?」
「翔希くん……」
やはり翔希は優しい。晴海はそう思った。次の瞬間、翔希の口から出てきた言葉に晴海の心臓は飛び跳ねるほど、鼓動を速めた。
「足……どうかした?」
ドクン、と心臓の鼓動が嫌な音を立てる。
「ど、どうもしないよ?」
「そんなハズない」
翔希は真剣な眼差しで晴海の足に触れた。
「これは……打撲、ううん、捻挫か……骨折してる? 晴海さん……」
翔希の所属部活動を晴海は思い出した。彼はサッカー部に在籍している。
「俺の先輩が……足の骨折でこんな感じの症状を出したことがあるんだ。晴海さんの症状……それに似てる」
晴海の頭は真っ白になっていった。絶対に大丈夫だという先ほどまでの確信が、アッという間に崩れていった。もはや、後戻りできない段階にまで来ていた。このままでは、純平が扮していた期間とも辻褄が合わなくなる。この場をうまくごまかしても、純平が戻った時に辻褄が合わなくなる。
晴海は自分が安易に取った行動で、これまでの純平の行動がすべて崩れていくような気さえしていた。
「どういうこと? 晴海さ……」
その時だった。
「あー! 何やってんだよ、お前!」
「!?」
翔希が声のする方を振り向くと、晴海と瓜二つの少年が立っていた。
「あ……君は」
翔希の顔を見てひとみがペコリとお辞儀をする。
「あ、晴海ちゃん!」
ひとみが嬉しそうな声を上げた。純平が「ひとみちゃん!って呼べ」と口パクで指示をする。
「ひとみちゃーん! 偶然!」
「ひとみちゃーん、じゃねーよ! お前、こんなとこで何やってんだ?」
純平はツカツカと晴海のところへ駆け寄ってきて、耳元でそっと囁いた。
「とりあえず、俺の言うことに反論するな。俺もお前に反応する隙与えねぇから」
「え?」
晴海はわけのわからないまま、純平のペースに乗せられていた。
「お前さぁ、昨日も言ったろ? いくら堀越くんとデートしたいからって、今日ばっかりは無理するなって」
「だ、だって」
「だいたい、昨日舞い上がって風呂で踊ってひっくり返って足、捻挫してんだろ? それなのにROCK YOU乗るなんて無茶するから、こういう風に堀越くんにも迷惑かけるんだ」
翔希は「い、いや! 迷惑なんてことないよ」と慌てて首を横に振る。
「優しい彼氏じゃーん、晴海!」
「か、彼氏って!」
「まだそんなんじゃないよ!」
翔希がハッキリそう言った。純平は晴海があからさまに落ち込んでいるのに気づいたが、ここはもう少しの我慢と思い、話を続けた。
「あれ? そうなの。晴海」
「ま、まぁ……」
「そっかー。ま、今日はそういうわけで堀越くん。コイツ、足こんなだからさ。今日のところは帰してやってくんない?」
「う、うん……」
翔希はあまりに純平が早く喋るので、勢いに押されてうなずくことしかできなかった。
「じゃ、そういうわけだから晴海。お前、堀越くんに送ってもらって早く帰れ」
「わかった……」
「俺はひとみちゃんともうちょっと遊んで帰るからさ」
「うん」
「じゃーな!」
そういうと純平はひとみと一緒に歩いて晴海たちの元から離れていく。
「……。」
しばしの沈黙の後、翔希が呟いた。
「帰ろうか」
「うん……」
「あのさ」
恥ずかしそうに翔希が言った。
「無理……しないでほしいんだ」
「え?」
「俺……晴海さんのこと、大事だから。俺のことで、無理はしないでほしい」
晴海の胸がキュウッと締め付けられるよう苦しくなった。
「うん。わかった」
「ありがとう」
翔希に見慣れた笑顔が戻ってきた。
(このありがとうは……アンタにもだからね。純平)
弟の成長を垣間見た瞬間だった。晴海は姉として、弟が少し変わっていることに気づき、寂しいような嬉しいような、複雑な気持ちになっていた。