九、一家の大黒柱
「二人とも……どうしてそう思ったんだ?」
俺は率直な疑問を口にする。
今までおかしな態度と言ったら、晩メシのときに少し回答に詰まったときぐらいしか思い当たらない。それだって、ほんの小さな詰まりだったはずだ。そこから『俺が悩み事を抱えてる』ことを結びつけるのは難しい。
「そんなの、顔を見たらすぐにわかるよ」
「うん……帰ってきてから、ずっと変……」
「そうか……」
『ずっと変』とまで言われてしまっては、返す言葉もない。
「極めつけは……晩御飯……」
「そうだね。夜、ジンがお酒を飲まないときは、決まって何か悩んでるときだもん」
「……なるほど」
自分でも気づいていなかった癖のようなものを指摘され、少し気恥しい思いとなる。
「そうか……ばれてたか……」
俺が悩んでいること、喉に引っかかった魚の小骨のようにチクチクと胸を刺すもの――それは他ならない、あのエルフの村のことだ。
「何を悩んでいるかはわからないけど、ジンはジンが正しいと思うことをやればいいと思うよ」
「スラリンの言う通り……。ジンが暗い顔していると……私たちも悲しい……」
二人は俺が何に悩んでいるかを無理に聞くこともなく、優しくそう言ってくれた。
(全く、一家の大黒柱がこれでは駄目だな……。もっとしっかりとしないと……っ!)
ついにというか、ようやくというか――俺は、決心を固めた。
「スラリン、リュー……」
「どうしたの、ジン?」
「ん……何……?」
突然名前を呼ばれた二人は、不思議そうに顔をあげた。
「――ありがとな。お前たちのおかげで、やっとやるべきことを決められた」
「ふふっ、どういたしまして!」
「こちらこそ……いつもありがとう……!」
二人は無茶苦茶なことをして俺を困らせることもあるが、根は本当にいい子たちで、俺はスラリンとリューが大好きだ。血こそ繋がっていないものの実の娘のように可愛がっている。
明日の行動方針が定まったところで、俺は明日以降の生活を――我が家の家計を考える。
(少し、貯金を切り崩す必要があるな……)
金貨五万枚は間違いなく大金だ。俺のポケットマネーだけでは到底足りない。老後のためにと貯めてきた貯金の一部を切り崩す必要がある。加えて今まで以上にアイテムや食事を節制しなければならない。それにはスラリンとリューの協力が必要不可欠だ。
「なぁスラリン、リュー。一つ、お願いごとがあるんだが……」
「ふふっ、水臭いなぁ! 何でも言ってよ、どーんとこいだよ!」
「ジンの言うことなら……なんでも聞くよ……?」
全く、頼もしい返事だ。
「明日から、少しだけメシを減らしてもいいか?」
「「ごめん、それだけは無理」」
「……ですよね」
(……働こう)
俺は強くそう思った。
■
翌日の昼頃、俺は突き刺すような太陽の光で目を覚ました。夜行性のスラリンとリューは、まだ俺の腕にくっついてスヤスヤと気持ちよさそうに眠っている。
二人を起こさないようにゆっくりとベッドから抜け出し、顔を洗い、歯を磨き、いつもの装備に着替える。
「何をするにしても、まずはアイテムを補充しないとな」
朝支度を終えた俺は、大倉庫へと足を向けた。
「ふむ、これとこれと……。あと、それからこれもか……」
エリクサーを一本、普段はあまり持ち歩かない緑色のハイポーションを三本。その他、様々な戦闘向けのアイテムを布製の道具入れに詰め込んでいく。
「――よしっと。これだけあれば、十分だろう」
これで万が一。ゼルドドンと遭遇した場合でも命を落とすことはない……はずだ。
(まぁ、『絶対に大丈夫』とは言えないがな……)
向こうの世界の生態系を、モンスターを、その習性を、俺は全く何も知らない。
『最も厄介な敵は、未知のモンスター』とは、ハンターならだれでも知っている、昔の有名な言葉だ。
(ルーラモスやトリラプテルといった一般によく知られた大型飛龍の討伐でも、S級クエスト扱いとなる。そしてゼルドドンは姿も形もその能力も、全てが不明の大型飛龍だ)
S級クエストを超えた難易度となることは、疑いようがない。どれほど装備を整えようが、油断や慢心は禁物だ。
しっかりと気を引き締めた俺は、大倉庫の最奥にある金庫の前に立つ。ダイヤル式の暗号を入力し、重く固い扉を開くとそこには――。あふれんばかりの金貨・銀貨が姿を現した。俺がコツコツと貯めてきた老後のための貯蓄である。
「金貨五万枚……か……」
それらを丈夫で大きな袋に詰めていく。
きっちり五万枚詰め終わるころには、金庫の中はずいぶんと寂しくなってしまった。
「……重い、な」
物理的にも、そして何より精神的にも、この袋は本当に重たい。
「――いいや、もう決めたことだ!」
三人で――スラリンとリューと食べるメシを楽しめないなんてことは、あってはならない。
重たい金庫の扉を閉め、大倉庫を後にしようとしたとき、一つ忘れ物を思い出した。
「――おっと、危ない危ない」
帰還玉を忘れていた。
あの異世界からこちらの世界へと戻る手段が確立されていない現状、これは文字通り命綱となる。俺は無くさないように、しっかりと懐に仕舞い込み――。
「さて、行くか……」
未練がましくも、いつもより少しだけ重たい足取りで、例の落とし穴へと向かった。
■
金貨五万枚もの大金が詰まった大きな袋を手に持ち、落とし穴に飛び込むと――。
「ふむ……森だな」
やはりというか何というか。落とし穴の先は、昨日と同様に青々とした森が一面に広がっていた。さきほどまで周囲を彩っていた桜はどこにもない。また落とし穴に落ちたはずなのに、上を見上げても、ただ青い空がどこまでも広がっているだけだった。
「さて、エルフの村は……こっちだな」
難しいことは考えずに、俺は目的地へと足を向けた。
昨日元の世界に帰る手段を探して、丸一日この森を走り回ったので、大まかな地形は頭に入っている。脳内の地図を頼りに北へ北へと歩いていくと――前方から男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「また奴等か……」
おそらく昨日の連中が、再び借金の催促に来ているだろう。
「まぁ、ちょうどいいか」
そのまま声の聞こえる方へと、少し早足で向かうと、木の上にいくつもの家が見えた――エルフの村だ。
そしてその中心には短い刀や粗末な槍を持った十人の人間の男たちがいた。彼らにはそれしか芸がないのか、昨日と同様に怒声を張り上げ、エルフたちを恫喝していた。
「なんだってぇ!? リリィ様よぉ、もう一回言ってくれねぇかぁ!?」
「も、申し訳ありません……。これが……今この村にあるすべてのお金なんです……」
少し装飾の凝った衣装を着た、胸のあたりに白銀のペンダントをしたエルフ――リリィの前には、少し控えめな量の金貨が置かれてあった。一見して、五万枚もの数があるようには見えない。
「はぁ!? たった金貨三千枚ぽっちって……なめてんのか、てめぇ!?」
「も、申し訳ございません……っ」
相手が自分より弱い立場と思えばつけあがる。全くもって不愉快な奴等だ。不快な気持ちになりながら、男たちの方へ歩いていくと――。
「ジン……さん……?」
どこかから、俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
見れば、エルフたちの中に不安げな表情を浮かべる、アイリとメイビスさんの姿があった。
(うっ……。少し気恥しいな……)
昨日別れ際に『もう会うこともないだろう』と告げた翌日だ。何となく、顔を合わせづらい。
彼女たちに軽くお辞儀をして、俺はそのまま村の中心へと歩みを進める。
そして人間の集団の先頭――派手な衣装を着た人一倍偉そうな男に問いかけた。
「――借金は確か、金貨五万枚だったな?」
「あぁ、そうだっ! 今日という今日は耳を揃えて――」
「払おうじゃないか」
俺は持ってきた大きな袋を広げる。するとシャランシャランという軽い音とともに、まばゆい光を放つ大量の金貨が顔をのぞかせた。
「な……えっ……。は、はぁっ!?」
おそらく想像だにしなかった事態に、男は間抜けな声をあげてその場で大きな尻もちをついた。