七、メシの味
さきほどの異様な事態について、アイリから簡単に説明を受けた。
エルフの村がレイドニア王国に莫大な借金を抱えるようになった経緯はこうらしい。
この地にゼルドドンが降り立ち、エルフの森の動物を食いつくしてしまった。その結果、エルフ族はたんぱく質を摂取することができず、たちまち病気が流行りだした。
(昨晩のメイビスさんも、おそらくはその病にかかっていたのだろう……)
そのエルフの窮状に目を付けたのがレイドニア王国だ。他国との交易で安価な肉を仕入れたレイドニア王国は、その肉を信じられないような高値でエルフ族に売りつけた。エルフたちは、命には代えられないとその肉を買い続けた。
(しかし、当然ながら、資金はいずれ底をつく)
そこに追い打ちをかけるように、レイドニア王国は法外な利率で金を貸し付けた。借金は複利により年々増え続け、現在はこのエルフの森も担保となっているらしい。
(なんとも、惨たらしいやり口だな……)
同じ人間として反吐が出る。
「それでその借金というのは、今どれくらいあるんだ?」
「現在、金貨にして五万枚ほどだと聞きました……」
「五万枚……」
俺は思わず息をのむ。
(とてつもない金額だ……。先日使ったエリクサーが数本買えてしまうではないか……)
少し失礼な言い方になってしまうが、こんな多額の借金をエルフが返せるわけがない。
エルフは自然とともに生きる種族。森を愛し、山を愛し、川を愛する。だから、森が痛まないように、採取する薬草も狩る動物も必要最低限だ。人間と違い、余分に取ることもしなければ、それを元手にして財を成そうともしない。また金や銀といった希少な鉱山資源を目当てに、山を掘り起こすこともない。
このように俗世と離れ、慎ましやかな生活を送るエルフが、金貨五万枚もの多額の借金を返せるとは到底思えなかった。
「ふむ……」
俺は扉を開け、外に出る。するとそこには、悔し涙を流すもの。呆然として立ち尽くすもの。何が起きたのかわからず、ただただ泣き叫ぶ子どもたちの姿があった。
(……ひどいな)
そこに希望はなく、救いもない。村全体が陰鬱な空気に包まれていた。
「そういえばさっきからメイビスさんの姿が見えないが……?」
「お母さんは今、近くの湖に水を汲みに行っています。普段は私の仕事なんですが、『今日は体が軽いから』って、行ってしまいました」
客人である俺の前だからであろうか。本当はつらい思いをしているはずのアイリは、必死に明るく振る舞っていた。
「……そうか」
俺はそれ以上何も言うこともなく、扉を閉め、顔を洗い、歯を磨き――朝支度を整えた。
(――よし、そろそろ行くか)
帰る手段を探す時間は、日が暮れるまでだ。ゆっくりとしている時間はない。
荷物をまとめた俺は、家事をしているアイリに声をかける。
「アイリ、この肉はみんなで分けて食べてくれ」
そういって昨日メイビスさんに渡しそびれた分に――俺の分を加えた肉を手渡す。
「こ、こんなにたくさんいただけませんよ!」
アイリは、首を横に振った。
「気にするな。この肉だって、俺よりもアイリたちエルフ族に食べてもらった方がきっと喜ぶ」
何より、この肉を必要としているのは俺ではなく、エルフたちだ。
今日中に帰る手段が見つかれば、俺はそのまま家に帰る。もし見つからなかったとしても、帰還玉を使用するつもりだ。つまりどちらにしろ俺がこの地に――肉が貴重なこの地にいるのは今日が最後だ。
(もとの場所に帰れば、肉はそれこそいくらでもある。それならばこの肉は、彼らに与えるのがいいだろう)
アイリは申し訳なさそうに、包帯に包まれた大量の生肉を受け取った。
「何から何まで、すみません。……本当に助かります」
「気にするな」
しかし――俺がしてやれるのもここまでだ。可哀想なことではあるが、さすがに出会って一日二日の相手に金貨五万枚は出せない。それにそもそもこれは、エルフとレイドニア王国の問題だ。完全に部外者である俺が、これ以上首を突っ込む必要もない。
「それじゃ、俺は行く」
「ど、どちらへ……?」
不安そうな表情で、彼女はそう問いかけた。
「元いたところに、な。……おそらくだが、もう会うこともないだろう。短い時間だったが、本当に楽しかった、ありがとう。メイビスさんにもよろしく伝えてくれ」
「そうですか……。ジンさん――この御恩は決して忘れません。本当にありがとうございました。もし、もしまた近くを立ち寄ることがあれば……いつでもいらしてくださいね」
俺はそれに片腕をあげてこたえ、エルフの村をあとにした。
■
その後、帰る手段を必死になって探し回ったが……。
「……ない」
ぽっかりと空いた洞窟。大きな湖の中。高い草の生い茂る湿地。
俺なりに怪しいと思った場所を隈なく探したが、結局帰る手段は見つからなかった。
「あんな感じの――花見に行ったときにあったような落とし穴が、どこかにあると思ったんだがな……」
予想は外れ、どこにもそんなものはなかった。もしかすると、まだ探索できていないところがあるのかもしれないが……。
(どのみち、時間切れだな)
空を見れば、陽は既に地平線に沈みかけており、これからは闇の時間――モンスターの時間となる。これ以上の探索は危険だ。いつゼルドドンに遭遇するかわかったものではない。
「……やむを得んな」
俺は懐から帰還玉を取り出し、一思いにそれを地面に叩き付けた。
すると大量の白い煙幕が俺の全身を包み込み――気付けば、昨日花見をした場所に俺は立っていた。目の前には、昨日俺が落ちた落とし穴がある。
「ふぅ……、ようやく戻ってこれたか」
またうっかり落ちてしまわないように、静かに落とし穴と距離をとる。
「それにしても不思議だ……」
遠目に落とし穴を覗くが、全く底が見えない。
「どれ……」
試しに近くにあったこぶしほどの大きさの石を穴に放り投げ、すぐに地面に片耳をつけた。石が地面に落ちた時になる音が、何秒で返ってくるかによって穴の深さを知ることができる。
しかし――。
「……ん?」
いつまで経っても音は返ってこなかった。
「どういうことだ……?」
こんなことは今まで一度もなかった。
考えられるのは二つ、俺が音を聞き逃したか、それともこの穴の先が全く別の異世界に繋がっているかということである。
前者はほぼあり得ない。耳をすませたときの聴覚には自信がある。遥か遠方の小川の流れる音さえ聞こえるほどには。となると……。
「異世界……か……」
にわかには信じられないが、もし仮にあそこがこの世界とは違う、異世界だとすると――。
(一応、全てのつじつまは合うな……)
見たこともない果実。見たこともないモンスター。謎の大型飛龍ゼルドドン。ポーションのことも、何よりハンターの存在すら知らないエルフ。俺の知るエルフの森とは、全く違うエルフの森。聞いたこともないレイドニア王国という国。
(あそこが異世界だというなら、全て納得のいく話だ……)
そこまで考えたところで、俺は思考を打ち切った。
「まぁ、もう行くこともないだろうし、考えても仕方ないな」
大きく伸びをし、胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込む。
「ふーっ……、帰るか」
回れ右をして、自宅の方へと足を向けると――視界の端にギャラノスの肉と龍泉酒をとらえた。
「そういえば、花見の途中だったな……」
数か月ぶりの息抜きだったはずの花見が、とんだ冒険になってしまった。
「残りも少ないし、ここで食っちまうか」
簡単に火を起こし、残ったギャラノスの肉を焼いていく。ジューっという肉が焼けるとき独特のいい音が鳴り、辺りに肉のいいにおいが充満する。
「そろそろかな……?」
両面がほどよく焼けたことを確認し――。
「いただきます」
ギャラノスの肉を一思いに口へ放り込む。
口の中に濃厚な油が、肉のうまみが一気に広がる。古びれた薄い干し肉とは違う。新鮮で分厚い、極上の高級肉だ。そして間髪を入れずに、これまた至高の一品である龍泉酒をゴクリと飲む。
「はふはふっ……んぐんぐっ……。ぷはぁー……」
しかし――。
「……まずい」
なぜだかそのメシは、全くと言っていいほどに――おいしくなかった。