六、封印魔法と衰え
「着いたぞ。――これが試しの剣だ」
そう言ってジグザドスさんは、不思議な石に突き立てられた一振りの剣を指差した。
「なるほど、これが試しの剣ですか……」
俺が目を細めてじっくりと観察していると――。
「んー? 普通の剣じゃない?」
「しかも……かなりボロい……」
「でも、先端だけしか刺さっていませんね……」
「ありゃ、これって……」
スラリンたちが思い思いの感想を口にした。
その中でも一人、ヨーンが妙な反応を見せた。
「どうした、ヨーン? 何か気になることでもあったのか?」
「んー、ちょっと待ってね……」
そう言って彼女はスタスタと歩き出し、おもむろに試しの剣の柄を握り、
「よいしょっと」
まるで手荷物を持ち上げるような気軽さで引っ張った。
しかし――残念ながら剣はビクともしなかった。
「あっ、これは無理だわ……」
一人納得したようにうんうんと頷く、ヨーン。
いったい今ので何がわかったというのだろうか。
「いきなりどうしたんだ?」
「あー、いやさ……。何か変な感じがしたから試しに調べてみたんだけど……こりゃ駄目だ。いくらおっさんでもこの剣は絶対に抜けっこないよ」
「ほぅ、詳しく説明してくれないか」
一見したところ、この剣は先っぽだけが石に刺さっている状態だ。別に俺でなくとも、ザリやジグザドスさん、それに体重のかけ方によっては、アイリやスウェンさんでも抜けそうなものである。
「んっとね、これには封印系統の魔法がかかってんのよ。それも相当強力な」
「封印系統の……魔法……?」
「そうそう。この剣と石は『物理的に』というよりも『魔法的に『つながってんの。だからたとえ百人でかかろうが、千人でかかろうが『腕力』じゃ絶対に抜けないんだよ」
「なるほど……」
……それは困ったな。
するとアイリもその意見に追従するように頷いた。
「確かに……あの剣からは妙な力を感じますね……」
マナを感じることができ、魔法を操る二人が口を揃えてそう言うんだ。間違いはないだろう。
「何か、その魔法を解く方法はないのか?」
「んー……解呪の魔法もあるっちゃあるけど……」
「あるけど……?」
「私は火属性の魔法しか使えないからねー」
肩を竦めながら、首を横に振るヨーン。
(そう言えば……以前戦ったときも、火を使った攻撃しかしてこなかった……)
ヨーンが駄目ならば、アイリはどうだろうか?
彼女は悠久の時を生きるエルフ族――解呪の魔法なるものを使えても不思議ではない。
しかし――。
「……申し訳ありません、ジンさん。解呪の魔法というのも今初めて聞いたぐらいでして……」
彼女はしょんぼりとした顔つきで、小さく首を横に振った。
「そうか、いや気にしないでくれ」
俺がそう言って優しく彼女に笑いかけると。
「じ、ジン様……大丈夫、ですよね……?」
ザリが少し不安げな様子で尋ねてきた。
その横にいるスウェンも心配そうにこちらを見ている。
「ふんっ、何を話しているのか知らんが……逃げ出すなら今の内だぞ?」
少し雲行きが怪しくなり始めた俺たちに対し、ジグザドスさんは「ほれ見たことか」と言わんばかりに笑った。
(もし、ここで試しの剣を抜くことに失敗すれば……この村での情報収集は困難を極めるな……)
しかし、残念ながら既に退路は断たれている。
(……やるしかない、か)
俺は意を決して試しの剣の前に立つ。
そして二、三度深呼吸をし、その柄に手を掛けた。
「ふん……っ!」
しかし――試しの剣はビクとも動かなかった。
剣先がほんの少し石に刺さっているだけなのに、全くと言っていいほど微動だにしない。
「いや、だからいくらおっさんでもそれは無理だって……」
背後でヨーンの呆れたような声が聞こえるが、俺はそのままゴリゴリと力を込めていく。
「ぬぅうんっ!」
これでもまだ……抜けない。
まるで時が止まったように、試しの剣は微動だにしなかった。
「「じ、ジン様……っ」」
ザリとスウェンの不安げな声が聞こえた。
(まだ……大丈夫だ。まだ三割ほどの力しか込めていない)
俺はさらに力を込め、試しの剣を引き抜かんとする。
両腕の筋肉が隆起し、体を支える太ももの筋肉が膨張していく。
「ぐぬぬぬぬぬ……っ!」
両足を支える大地に、大きな亀裂が走った。
同時に青白い光を放っていた石が、真紅の光を放ち始める。
「ジン、頑張れー! リンが応援してるよーっ!」
「ジンなら……できる……っ!」
「あともう一息です、ジンさん!」
スラリンにリュー、それからアイリが応援する声が聞こえる。
(これは……気合を入れねばならんな……っ)
三十も半ばになるおっさんだが、俺だって男だ。大事な家族の前では格好もつけたくなるというもの。
「ふんぐぐぐぐぐぐ……ぬぅうううううううんっ!」
本腰を入れて剣を抜きにかかったそのとき――。
パキンという乾いた音とともに、試しの剣が抜けた。
「ふぅ……っ。ようやく抜けたか……」
額に薄っすらと浮かんだ汗を右手で拭うと。
「さっすがジン! 余裕だね!」
「圧倒的……パワー……っ!」
「お見事です、ジンさん!」
「うっそだぁ……」
少し離れた場所で見守ってくれていたスラリンたちが駆け寄ってきた。
「中々に根性のある剣だったな、少し手間取ってしまった」
「いや『根性のある』っていうか……魔法なんだけど……」
そう言ってヨーンは、俺の持つ試しの剣をしげしげと見つめた。
「魔法が……強引に『引き千切ぎられてる』……。いや、もう何でもありだね……おっさん」
「ふっ、腕力には少し自信があるからな」
ヨーンからの称賛の言葉をありがたく受け取る。
俊敏性や体力など、全盛期の頃と比較すれば身体能力は大きく衰えてしまっている。
ただし、腕力だけは別だ。毎朝しっかりと鍛錬をし、今でも全盛期とそれほど変わらない水準を維持している。こればっかりは、まだまだ若い者には負けていないつもりだ。
「いや、腕力に自信があるレベルを軽くぶっちぎってるけど……。はぁ……あそこで白旗あげてほんっと正解だったな……」
ヨーンがどこか呆れたようにそんなことを呟くと。
「さすがはジン様! やはり貴方様こそが、選ばれし大英雄に間違いありません!」
「す、凄すぎですっ! 本当にあの試しの剣を抜いてしまうなんて……っ!」
ザリとスウェンが目を輝かせてそう言った。その目には憧憬の灯が宿っており、こそばゆい気持ちとなってしまう。
「そ、そんな……そんな馬鹿な……っ」
一方、ジグザドスさんは顔を青くして、たたらを踏んだ。
どうやら俺が試しの剣を抜いたことが、どうしても信じられないようだ。
「どうだ、ジグザドス! これで文句はないだろう! ジン様はまぎれもなく伝承にある大英雄――いや、神なのだ!」
ザリは意気揚々と勝ち誇った笑みを浮かべてそう言い放った。スウェンもそれに追従するようにコクコクと何度も頷いている。
(……やめてくれ。俺は大英雄でもないし、ましてや神でもない……)
それにそんなジグザドスさんを挑発するようなことを言わないでほしい。この村の村長である彼には、まだまだ聞かねばならないことが山ほどある。可能な限り良好な関係を維持しておきたい。
すると――。
「ぐっ……。こ、こんな馬鹿なことが……っ。これでは……無駄じゃないか……っ。儂は、いったい何を……どうすれば……っ」
ジグザドスさんはよろめきながら、うわ言のようにつぶやいた。
その目には戸惑い、困惑、憔悴、希望、絶望――様々な色が浮かび上がり、ザリの挑発も届いていないようだった。
(……尋常の様子ではないな。いったい何故、これほど混乱しているんだ?)
彼らユークリッド村の住人からすれば、一応俺は試しの剣を抜いた大英雄ということになる。喜びこそすれ、このように慌てふためく理由などないはずだが……。
(何か、深い事情でもあるのだろうか……)
そんなことを考えていると――。
「し、失礼する……っ!」
そう言ってジグザドスさんは、早足でどこかへと去ってしまった。
「ふんっ、一昨日来やがれってんだ!」
ザリがそこへ後ろ指をさし、
「へーん、ジンの勝ちーだっ!」
「どっちが『馬の骨』かは……あまりに明白……っ!」
そこへスラリンとリューが乗っかかった。
どうやら先ほどジグザドスさんが俺に対して『馬の骨』と言ったことをしっかり覚えていたらしい。
(聞こえていたらどうするんだ……。気持ちは嬉しいが、もう少し先のことも考えてくれよ……)
心の中で大きなため息をついていると。
「さっ、ジン様どうぞ我が家へいらしてください」
上機嫌なザリが満面の笑顔でそう言った。
「……あぁ、ありがとう」
どうしてこう丸く収まらないんだろうか……。
そんなことを思いながら、俺はザリの家へと向かった。




