六、借金
「お母さんっ! お母さんっ!?」
アイリの悲痛な叫びが狭い室内に響く。
「だ、大丈夫よ、アイリ。……ごほっ、ごほっ」
なんとか立ち上がろうとしたメイビスさんだったが、ふらりとその場に倒れてしまった。
「お母さんっ!?」
「アイ……ごほっ、ごほっごほっ……」
メイビスさんは何かをしゃべろうとしているが、うまく呼吸ができておらず、血を吐き出すのみだ。
(これはまずい……っ!)
俺は急いで懐から、青の(・・)ポーションを取り出す。赤では――低位のポーションでは、間に合わない。
「メイビスさん、少し失礼します」
彼女の意識は既に朦朧としていないため、俺は少し強引にその口にポーションを流し込む。
「じ、ジンさん、何を!?」
すると――。
「っはぁーっ! ……はぁ、はぁ。こ、これは……?」
エリクサーがその絶大な効力を示し、一瞬にしてメイビスさんは容体は安定した。
「エリクサーを使いました。これでもう大丈夫です」
空になった瓶を懐にしまい、にっこりと彼女に微笑みかける。
「え、えりくさー……?」
「はい。たとえどんな致命傷や不治の病であろうと、生きている限り即時回復させる万能薬です」
そう、たとえ心臓を貫かれようが、謎の奇病に襲われようが――生きている限り、エリクサーはどんな状態からでも回復させる。最高位のポーションだ。
「そ、そのような、貴重なものをどうして私なんかに……」
「一宿一飯のお礼ですよ、気にしないでください」
「あぁ……本当に、本当にありがとうございます……」
「ジンさん……、お母さんを助けていただいて――本当にありがとうございます」
二人は深く深く腰を折って、感謝の言葉を述べた。
「いえいえ、ご無事で何よりです。ところで、先にお風呂をいただいてしまってもよろしいでしょうか? なにぶん、今日は少し疲れてしまったので……」
「えぇ、もちろんです。アイリ、ジンさんを案内してあげて」
「はい――ジンさん、浴室はこちらです。ついてきてください」
「あぁ、ありがとう」
■
浴室に入り、頭と体を綺麗に洗った俺は、風呂にどっぷりとつかる。
「あー……やっちまった」
先ほどは『一宿一飯のお礼』など格好をつけたが……正直かなり苦しい。
どうにもならなくなったときの――超緊急事態のときのための一本を使ってしまったのだから。
(……いや、これでよかった。俺の判断に間違いはない)
あの場は一刻を争う、まさに緊急事態だった。メイビスさんは、咳と同時に大量の吐血を始めた。つまり少なくとも、いくつかの重要な臓器に深刻なダメージがあったということだ。下手に低位の――赤いポーションを使っていたら、メイビスさんは今頃命を落としていたかもしれない。
しかし――。
「……はぁ」
得たものが大きければ、失ったものもまた大きい。
エリクサーはまさに『万能薬』と呼ぶにふさわしい最高位のポーションである。同時にその生成は至難を極める。超凄腕の錬金術師数人が集まって、一年に一本作れるかどうか……といった具合だ。高い需要がある一方で、供給はごくわずか……。価格が高騰するのも、無理のない話だ。
(確か先月競売に出された時は……俺の年収と同じぐらいの値で落札されたんだったか……?)
つまり俺はたった一日で一年分の給料を失ったことになる。さすがにため息もこぼれてしまう。
「――いや、切り替え切り替え! 良いことをしたんだ、明日のメシはきっとうまい!」
両手で顔をパチンと叩き、気持ちを切り替える。
「とにかく今まで以上に慎重に行動をしないとな……」
エリクサーがない今、万が一にでも致命傷を負ってしまえば、その場で即死亡だ。アイリの話では、この辺りにはゼルドドンという大型の飛龍も出現するようだし、明日からは隠密行動を徹底しなければならない。
「ふぅ……さっさと家に帰る方法を見つけないとだな」
家には予備のエリクサーがまだ数本残っている。いざという時のために、一本は常に持ち歩いておきたい。
「帰還玉を使うか……?」
あれを使えば、俺の家に――最低でも落とし穴に落ちる前の場所に戻されるはずだ。
「……仕方ない。明日中に帰る手段が見つからなければ、使うとしよう」
俺が今後の行動方針を定めたところで、脱衣所の扉が開く音が聞こえた。
「ジンさん、お湯加減はいかがですか?」
アイリの声だ。
(本当に気の利くいい子だな……)
スラリンとリューにも是非とも見習ってほしい。……いや、あの二人にもいいところはあるんだけど。
「ばっちりだ、ありがとう」
「ふふっ、それはよかったです。こちらにタオルを置いておきますね、それではごゆっくり」
そういってアイリは、脱衣所をあとにした。
「ふー……そろそろ上がるか……」
体も十分に温まったし、何より明日の目的も決まった。今日は早く寝て、明日に備えよう。
■
その翌日。俺は品性の欠片もない、罵詈雑言によって目を覚ますことになった。
「おい、エルフども! わかってんだろうなぁ!?」
家の外から、ずいぶんと大きな怒鳴り声が聞こえる。
「なんだ、こんな朝っぱらから……?」
目をこすりながら、体を伸ばす。そして家の扉を開けようとしたそのとき――。
「ジンさん、外に出ちゃ駄目です!」
先に目を覚まし、既に朝の身支度を整えたアイリがそう言った。
「ん、どうしてだ?」
「あれは昨日私を追っていた――レイドニア王国の人たちです。ジンさんの顔が覚えられているかもしれません」
「ふむ、そういうことか」
俺としても、やっかいごとはごめんだ。ここはアイリの言う通り、大人しく家の中から見ておこう。のぞき窓から、外の様子をうかがうと――三人の人間が、今も村の中心で大声を張り上げていた。
「おいおい、クソガキ、何だその目は……? 文句でもあんのか……あ゛ぁ!?」
「ひっ!?」
一人の男が短刀を手に持ち、小さなエルフの少年に詰め寄っていく。
すると――。
「おやめなさいっ!」
とあるエルフの少女が、男の前に立ちふさがった。その少女は他のエルフとは違い、少し装飾の凝った衣装を着ており、胸のあたりに白銀のペンダントをしていた。
(この村の長……にしては、幼すぎるか)
彼女は、一見してアイリよりも少し若く見えた。
「おいおいリリィ様よぉ、その口の利き方は何だ? 誰のおかげで、お前らエルフどもが今も生きていられると思ってんだぁ!?」
すると人間の男は、その矛先をリリィと呼ばれた少女に向けた。
「……あなた方、レイドニア王国のみなさまのおかげです」
リリィは悔し気な表情で、歯を食いしばりながら、そう答えた。
「そーだよっ! よぉくわかってんじゃねぇか! 俺たちが貴重なたんぱく源である肉を! お前らに恵んでやっているから! お前らは生きてられてるんだよなぁっ!?」
「……はい、ありがとうございます」
リリィのその答えに、男は満足しなかった。
「ちっ……心がなぁ――こもってねぇんだよっ!」
「きゃあっ!?」
「リリィ様!?」
男が乱暴にリリィの肩を突き飛ばしたことによって、アイリをはじめとした村のエルフたちが一時騒然となる。
(この反応……。やはり彼女が村長なのか……?)
男は地面に倒れ伏したリリィの肢体を、下劣な目で舐めるように上から下までじっくりと見る。そして劣情に駆られた薄汚い笑みを浮かべ、彼女の顎に手を添えた。
「へへっ、どうだぁ、リリィ様よ。あんたが体で支払うって手もあるんだぜ?」
「そ、それは……」
村全体の利益と自身の体――二つの間で揺れているのか、リリィは悲痛な面持ちで下を向いた。
「その体を差し出せば……そうだな、借金を1%は減額してやるよぉ!」
「「「ぎゃはははははははっ!」」」
ひとしきりエルフたちを嘲り笑った男たちは――。
「とにかく、返済期日は明日だ! 既に三回も期日を伸ばしてやってんだから、次こそはきっちりと払ってもらうぜぇ?」
最後に捨て台詞を残して帰っていた。
「全く……朝からずいぶんと不快なものを見せてくれるな……」