九、エピローグ
「それじゃ少しギルドの方まで行ってくる」
「ジンさん、お気をつけて」
「いってらっしゃーいっ!」
「早く……帰ってきてね……」
アイリ・スラリン・リューに見送られ、俺は一人ハンターズギルドへと向かった。
ちなみにヨーンは、寝室でスヤスヤと眠っている。朝メシを食べ終わった後に、「ちょっとお昼寝ー……」と言って、吸い込まれるようにベッドへと向かったのだ。
(食後すぐに寝るのは、あまりよくないんだが……。これも『怠惰』の魔人だから、仕方がない……のか?)
そんなことを考えながら歩いていると、あっという間にハンターズギルドに到着した。
木製の大きな扉を開き、建物の中に入ると――。
「あっ、ジンさん!」
先ほど手紙を届けてくれた受付嬢が駆け寄ってきた。
「早速来ていただけたんですね、ありがとうございます」
「いえいえ、仕事の話ですからお気になさらずに。――ところでタールマンさんは?」
「奥で書類作業をしておられます。さっ、どうぞこちらへ」
受付嬢に案内されギルドの奥へと進んでいくと、突き当りに大きな扉が目に入った。最近よく訪れるここは、タールマンさんの仕事部屋だ。
「少々お待ちください」
受付嬢は一度深呼吸をし、コンコンコンと優しく目の前の扉をノックすると。
「どうした?」
部屋の中から、低く渋い男の声が返ってきた。タールマンさんだ。
「はい。ジンさんがお見えになられました」
「おぉ、そうか! 入っていただけ!」
「かしこまりました。――それではジンさん、中へどうぞ」
そう言って受付嬢は、丁寧な所作で音もなく大きな扉を開いた。
「あぁ、ありがとう」
ここまで案内してくれた彼女に礼を言い、部屋に入ると――。
「おぉ、ジン君! よくぞ来てくれた! せっかくの休暇中なのに呼び出してすまないね」
優しい笑みを浮かべたタールマンさんが、こちらへと駆け寄ってきた。
「いえいえ。十分に羽を伸ばすことができましたので、お気になさらずに」
「はっはっはっ、そう言ってくれると助かるな。――さて立ち話もなんだ、そこに掛けてくれ」
「失礼します」
備え付けの高級なソファに座ると、彼はその対面に「よっこらせと」腰を降ろした。
「――おい、彼に何か飲み物を」
「かしこまりました」
タールマンさんがパンパンっと軽く手を打つと、受付嬢は素早い手つきで二人分の飲み物が入ったグラスを机に並べた。
「――どうぞ。コルドスの実を使用した果実水です」
「ほぅ、コルドスの実を……珍しいですね」
コルドスの実――主にルーラル王国の北端で取れる八角形の黄色い果実だ。収穫量が少ないことに加えて、保存がきかず、すぐに傷んでしまうためにこの辺りで見かけることは珍しい。
「だろう? たまたま昨日、市場の行商人から仕入れることができてね」
彼は上機嫌にそう言って、グラスに口をつけた。
それに続いて俺も、グラスの中身を口に含む。
(――うまい)
よく冷えており、コルドスの実特有のほのかな酸味が鼻腔をくすぐる――清涼感あふれる素晴らしい一杯だ。
「ふむ……さっぱりとしておいしいですね」
「あぁ、私も久しぶりに飲んだが、これが中々にうまい」
そうして本題に入る前の軽い挨拶が和やかに終わると、タールマンさんはゴホンと一つ咳払いをし、その視線を受付嬢に向けた。
「今からジン君と少し内密の話があってな……。悪いが少しの間、席を外してくれ」
大聖典は内容はおろか、存在そのものが国家の最重要機密。さすがに一介の職員である受付嬢の耳に入れるわけにはいかないのだろう。
「はい、かしこまりました。また何か御用の際はハンドベルを鳴らしてください」
「あぁ、すまないな」
受付嬢は丁寧に頭を下げると静かにこの部屋を後にした。
そうして彼女の足音が聞こえなくなったあたりで、タールマンさんが口を開く。
「――さてそれでは仕事の話しに移ろうか。ときにジン君、手紙は持って来たかね?」
「はい」
懐からタールマンさんから送られた手紙を取り出し、机の上に広げる。
手紙に書かれていた内容は、大きく分けて三つ。
・謎の穴に突入したハンターは、俺を除いて未だ誰一人として帰還していないこと。
・ヨーン討伐の報酬が王国から届いたこと。
・そして――大聖典の解読が進んだこと。
「まずは……そうだな、一つ一つ順番に話していくとしようか」
「えぇ、お願いします」
タールマンさんは、立派な白いあご髭をクシャクシャと触りながら口を開いた。
「既に伝えた通り、ハンターズギルドは謎の穴の調査のために三度のクエストを発注している」
「確かはじめはD級、二度目はA級――そして最後に特級クエストとして……ですよね?」
「うむ。第一陣――D級クエストを受けたハンターたちが出発してから三週間。第二陣が出発してから既に二週間近くが経過しているが、無事に帰還した者は一人としていない。……君を除いてね」
「……そうですか」
彼らが生存している可能性は、ほとんどゼロに近いだろう。
「あぁ……非常に残念なことだが、おそらくは既に現地で死亡している可能性が高い」
「……そうでしょうね」
俺たちのように転移先がまずかったのか、それとも現地で何かトラブルが起きたのか、はたまた『大罪』によって殺されてしまったのか……。
「そういえば第三陣は――俺の他に特級クエストを受注したハンターたちは、どうなっているんですか?」
特級クエストとなったこの調査を受けたのは、何も俺一人ではない。国中から腕利きのハンター宛てに指名が入っていたはずだ。彼らも未だに帰還していないということだろうか。
「ん? あぁ、いやいや、彼らの多くはまだ出発していない。今は装備を整え、パーティを組んでいるところだろう」
「おや、そうでしたか」
少しスローペースな気もするが……。まぁハンターにはそれぞれの準備があるだろうし、口を挟むこともないだろう。一人そう納得していると、鋭く俺の思考を読み取ったタールマンさんが苦笑した。
「まぁ彼らの肩を持つわけではないが……準備期間としては別におかしくない長さだぞ? 君のフットワークが軽過ぎるんだよ」
「そうでしょうか?」
「うむ、君のように特級クエストを受けた翌日に出発するなど……ふふっ、正気の沙汰とは思えんからなぁ。……おっと、気を悪くはせんでくれよ!?」
いったい何を思ったのか、タールマンさんは少し慌てて俺のフォローに回った。
「ふふっ、そんな小さなことで機嫌を損ねたりはしませんよ」
「いや、すまんすまん! ――とは言っても、彼らもそろそろ準備を終え、出発する頃合いだろう。君がいくつも優れた結果を出しているだけに、王都のハンターズギルドが「急ぐように」と指示を出しているそうだ。それに……まぁ、彼らにもメンツや対抗心があるからな」
「ふむ、対抗心……ですか」
そんな話を聞かされては、少し複雑な気持ちになってしまう。
「王都のハンターは君のことをあまり良くは思ってないからね……」
過去に起きたあの一件以降、王都での俺の評判は……お世辞にも良いとは言えない。特に王都のハンターには、ひどく嫌われてしまっている。
「……ゴホン。まぁ、それは置いておくとして――そうだ! 忘れない内に、先に渡しておこう」
こもった空気を晴らすように、タールマンさんが明るくそう言うと、スッとソファから立ち上がり、部屋の最奥にある大きな金庫を開けた。彼はその中にある大きな麻袋を両手で机の上まで運び、口紐をほどいて中を見せた。
「ヨーン討伐の成功報酬、金貨十万枚だ。さぁ、受け取ってくれ」
袋の中には、まばゆい光を放つ金貨がぎっしりと詰められており、ジャラジャラと豪華な音が鳴っている。
「――確かに」
しっかりと報酬を受け取った俺は、麻袋の口紐を結び直し、隣のソファに寝かせる。
(前金も含めてこれで金貨二十五万枚か……)
エルフの森の購入費用、金貨十万枚。メイビスさんに使用したエリクサー、その他ポーション類などもろもろ差し引いたとしても既に金貨十万枚ほどの稼ぎだ。
(危険なクエストであることに間違いはない……。が、それに見合うだけの報酬だ……)
ゼルドドンとヨーンを討伐したことにより、現在調査が進んでいない穴は残り五つ。他のハンターには悪いが、少なくとも後三つ分の報酬はいただくつもりだ。何せハンターとしての最盛期を終え、既に身体能力が下降し始めている俺には、あまり時間がない。
(最悪の場合――俺がクエスト中に死亡することも考慮して、なるべく早く十分な貯蓄をしておきたい……)
幸いなことに、数年前と違って今はスラリンとリューには頼れる仲間がいる。ヨーン……は何とも言えないが、アイリは間違いなく頼りになる。お金のやりくり・人付き合いなど、彼女がいればそうそう問題は起きないだろう。俺がしっかりと遺産さえ残せば、将来的に彼女たちがひもじい思いをすることもないだろう。
そんなことを考えていると、タールマンさんが果実水を一杯口に含んだ。
「ふーっ。さて無事に報酬の支払いも済んだところで――そろそろ|大聖典(本題)へと移ろうか」
「えぇ、お願いします」
少し脱線してしまっていた思考をもとに戻し、しっかりとタールマンさんの目を見る。
「先の手紙にも記した通り、つい先日大聖典の解読が進んだ。……いや、ヨーン君に言わせれば、何者かが大聖典の原典に『文字として書き記した』というのが正しい表現となるんだったね」
確かに以前ここへヨーンを連れてきたときに、彼女はそんな話をしてくれた。この国で保管されているものは、大聖典の模造品――レプリカであり、オリジナルである原典に書かれた内容が転写されているだけだと。
「今回新たに記された内容は、次に向かうであろう異世界について、だ」
そう言いながら、彼は手紙の一か所を指差した。
怠惰なる罪が軍門に下り
精霊たちの宴が始まる
次なる世界は憤怒の楽園
厚着の奏者が指揮棒を振るう
良心に両翼をもがれ
貴方は命の選択を強いられる
甘言に惑わされてはならない
静かにその身を差し出すのがいいだろう
それは短い、たった八行の詩だった。
「ジン君、率直に君の意見を聞きたい。――この予言をどう見る?」
「ある……特定の個人についての予言だと、思います」
「なるほど。……よければ、そう考える理由も教えて欲しい」
俺は少し思考を整理し、詩の一節を指差した。
「『次なる世界は憤怒の楽園』――この部分を矛盾なく説明するためには、この詩がある特定の個人の未来を記したものだと解釈するしかないからです」
「うむ……確かにその通りだ」
今まで俺が転移した二つの異世界において、第一陣と第二陣のハンターがいた痕跡は一切確認できなかった。つまり各所に発生した謎の穴は、全て異なる異世界に繋がっている。
(そしてどの穴の調査に向かうかについては、クエストを受けた各ハンターに一任されている)
この二点から導き出される結論は、この予言はあるハンターが次に向かう異世界についての記述だということだ。
「この『怠惰なる罪』は、うちに新しく住むことになったヨーンで間違いないでしょう。何せ彼女は怠惰の魔人ですから」
「あぁ。そして『精霊たちの宴』は、君が報告してくれた四大精霊――水の精霊ウンディーネ・火の精霊サラマンダー・風の精霊シルフ・地の精霊ノームのことだろう。つまり冒頭の二行はこれまであった過去の出来事についての記述だな」
「えぇ。『予言』となるのは、そこから先の六行ですね」
俺とタールマンさんは、再びこの詩を黙読する。
「『次なる世界は憤怒の楽園』か。次の世界は『憤怒の大罪』が支配していると見て間違いないだろう」
俺もその点について異論はないので、コクリと頷く。
「しかし、『厚着の奏者』か。素直に文字通り受け取るならば、この憤怒の大罪もヨーン君と同様に人型であると考えられるな……」
「はい。それに『指揮棒を振るう』とあるので、何らしかの軍団を統率していることも予想できます」
「うむ……まとめると『憤怒の大罪』は、高度な知能を持つ人型モンスター……か。実に厄介だな……」
「えぇ」
高度な知能を持つモンスターは手強い。それはかつて名うてのハンターであったタールマンさんもよく知るところだ。
何とも言えない微妙な空気が流れる中、タールマンさんがポツリと口を開いた。
「最初の四行はまだ意味を理解できるが……。下半分――残りの四行については、えらく抽象的でわかりづらいな……」
俺は机の上に広げられた手紙、そこの記された詩の後半四行に視線を向ける。
良心に両翼をもがれ
貴方は命の選択を強いられる
甘言に惑わされてはならない
静かにその身を差し出すのがいいだろう
『命の選択』『その身を差し出す』と、後半に向かうに連れてその内容が物騒なものになっている。
「ジン君、君はこの詩全体をどう考え――。……いや、まどろっこしいことはもうやめによう。聡明な君のことだ、既に気付いているのだろう? この大聖典が――君の未来を描いた予言書であるということを!」
「……まぁ、薄々そうではないかと思っていました」
「強欲の魔龍ゼルドドンに怠惰の魔人ヨーン――不思議なことに、この本に記された内容は今まで全て君が経験してきたことばかりだ! まず間違いなく、この詩に書かれてあることが、君の身に降りかかってくるだろう! つまり、君は次の調査で――」
「死ぬことになりますね」
「……そうだ」
お互いが口を閉ざし、しばしの間、沈黙が場を支配する。
俺は咳払いを一つして、反論を展開する。
「――ただし。それはこの予言書が本当に予言書であった場合の話です」
「……」
「ゼルドドンにヨーン、それに権能についてなど、今までこの大聖典に記されたことは基本的に全て既に起きた出来事を後追いしているに過ぎません。この世界に出現した七つの穴の予言にしても、発見が遅れただけで、文章として記されたのは穴が出現した後だったかもしれません」
予言なんて所詮は眉唾物であり、俺はこれっぽっちも信じていない。
未来とは自分の行動と選択によって導かれるものであり、顔も名前も知らない誰かに決められるものではない。
すると――。
「……私は反対だ」
静かに重々しく、タールマンさんははっきりとそう言った。
「……反対、とは?」
鋭い眼光が俺を捉えて離さない。
「次の穴の調査に、君は行くべきではない。クエストはここで打ち止めにするべきだ」
「タールマンさんの気持ちは非常に嬉しいですが――お断りします」
その瞬間――彼はゆらりと立ち上がり、凄まじい殺気を放ち始めた。
「……刺し違えてでも止めると言ったら?」
「……やってみますか?」
お互いの殺気がぶつかり合う。
部屋の家具がきしみ始め、机の上に置かれたグラスは粉々に割れた。
永遠にも思える無言の睨み合いは――タールマンさんが椅子に座ったことで終わりを迎えた。
「……なぜだ!? 君には守るべき家族がいる! こんな危険を冒してまで、このクエストを受ける理由などないはずだ! お金だって、君ほどの武力があれば無限に稼げる! せめて――せめて納得のいく理由を教えてくれっ!」
彼は血がにじむほど強くコブシを握り締め、真っ直ぐに俺の目を見つめた。
(……やはりタールマンさんは本当にいい人だ)
この危険なクエストから降りるよう必死になって説得しているのも、全ては俺の身を案じてのこと。ここはきちんと誠意ある態度で、きちんとした理由を説明するのが筋だ。
「既にお話しした通り、そもそも俺が予言を信じてないから、というのが一つ。それに――」
「それに?」
「知ってしまったんですよ」
「……何をだね?」
「あの穴の先には未知の世界が広がっていて、多くの人々が七つの大罪によって苦しめられていることを。そして何より――彼らが助けを求めていることを」
それを聞いたタールマンさんは、何か言い出そうとした直後――諦めたように頭を垂れた。
「はぁ……。その真っすぐな目だけは、いくつになっても変わらないな……」
「申し訳ない」
「私も後十年若ければ、力づくでも君を止めたんだがね……。全く、歳は取りたくないものだ」
「ご冗談を。今でも十分に俺を止めることぐらいできるでしょうに」
「はっ、どの口が言うか。たとえ全盛期の私でも君に勝てるわけがないだろう? 謙遜もそこまでいくと嫌味だぞ?」
「それは失礼しました」
お互いが「くっくっくっ」と笑い合い、先ほどとは一変して和やかな空気が流れる。
「それで、次はどの穴の調査に向かうつもりなんだ?」
そう言ってタールマンさんは、机の上に七つの穴の位置が示された大きな地図を広げた。
「ふむ、そうですね……。やはり、このロディス樹林の入り口にある穴でしょうか。自宅からも近いですしね」
「そうか、わかった。一応、予言のことも頭に入れて――くれぐれも無茶はしないでくれよ」
「えぇ、ありがとうございます」
別れ際にしっかりと硬い握手を結び、俺はスラリンたちの待つ自宅へと帰った。
■
「――というわけで、次に調査へ向かうのは、ロディス樹林の入り口に出現した穴に決まった」
自宅に到着した俺は、ちょうど居間でお喋りをしていたスラリン・リュー・アイリに、先ほどの話をかいつまんで説明した。余計な不安を煽らないために、後半四行の物騒な予言については伏せてある。
「当然ながら、今までと同様――いや、それ以上に危険なクエストになることが予想される。しっかりと気を引き締――」
「ぃいやったーっ!」
「ジンとの旅行……セカンド……っ!」
俺の注意は右から左へなのか、前回同様にスラリンとリューは大はしゃぎを始めた。
(いや、もはや何も言うまい……)
今はふざけている彼女たちとて、危機が迫ればきちんとした行動をとってくれる……はずだ。
「アイリは、どうする? 今回はおそらくだが、前回よりも危険なクエストになるだろう。もし気が乗らないようであれば――」
「いえ、私も行きます」
そう即答した彼女の目には、強い決意が感じられた。
そのとき俺の脳裏をよぎったのは、ヨーン討伐へと向かう前に交わしたアイリとの短い問答である。
【あー……アイリはどう思う?】
【私は……危険だと思います】
【……ふむ、確かにな】
【――ですが、その謎の穴の先で、私たちエルフ族のような――苦しんでいる人たちがいるのならば、助けにいきたいと思います】
彼女の気持ちをしっかりと受け取った俺は、コクリと頷く。
「わかった。それじゃ今回も全員でいくか」
「はい、よろしくお願いします!」
「あぁ、こちらこそよろしく頼むぞ」
強大な威力を誇るが火属性の魔法しか使えないヨーンとは異なり、アイリは広く多様な種類の魔法を操る。彼女の同行は非常に心強い。さて、あとは……。
「……ところで、ヨーンは?」
当然ながらヨーンも連れて行くつもりだ。彼女は強力な火属性の魔法を操るだけでなく、俺たちの知らない様々な知識を保有している。数万年――はるか悠久の時を生きる悪魔族の知識は、今回のクエストにおいても大きな助けになるだろう。
すると俺の質問を受けたアイリは、苦い顔をしながら頬をポリポリとかいた。
「えーっと、ヨーンさんは……何というかその……。まだ寝室の方で、ぐっすりと……」
「寝ているのか……」
「はい……。何度か起こしはしたんですが、布団をがっしりと掴んで離しませんでした……」
時刻は昼の十二時を回っている。二度寝にしてもやり過ぎだ。
「全く、しょうがない奴だな……」
仕方がないので、寝室まで彼女を起こしにいくと――。
ベッドの上に猫のように「く」の字に丸まったヨーンが、気持ちよさそうに眠っていた。スースーっと規則的な寝息を立て、その口からは少しよだれがたれていた。
「ヨーン、起きろ。もうお昼だぞ」
彼女の肩を優しく揺らし、声をかけると――。
「んんぅ……。あと、もうちょっとだけぇ……」
ヨーンは両目を閉じたまま、ろれつの回っていない口でそう言った。
「はぁ……。もうちょっとって、後どれくらいだ?」
「んーとぉ……………………………………すぴー……」
「……ヨーン?」
返事がない。
残念なことに今までの会話も全て寝言のようだ。
「おい、起きろヨーン。クエストに行くぞ」
今度はさっきよりも少し乱暴に肩を揺する。
「いやー。行きたくないー……」
すると先ほどよりは、しっかりとした口調でクエスト行きを断った。しかし、その両目はいまだ固く閉ざされたままだ。
「ふむ……いったいどうしたものか……」
最近ヨーンのやる気が目に見えて低下している。
(いや、そもそもこのだらけきった姿こそが本来の――素の状態のヨーンなのか……?)
ヨーンは『怠惰の魔人』、十分に考えられる話だ。
(そうすると先日、魔法や大聖典についていろいろと教えてくれたのは、彼女なりに全力で動いていた……ということだろうか?)
彼女の生来の特性である『怠惰』。その取扱いについて、俺が頭を悩ませていると――。
「ジーンっ! お腹空いたーっ!」
元気いっぱい、お腹空っぽのスラリンが勢いよく寝室に飛び込んできた。
「あー……そうだな。昼メシはすぐに作るから、もうちょっとだけ待っててくれ」
「わかった! って、あれ? ヨーン、まだ寝てるの?」
「あぁ、さっきから起こしてはいるんだがな……」
ヨーンの布団への執着心は中々のもので、長期戦が予想される。
「そっかー。それじゃリンも手伝うね!」
するとスラリンはベッドに飛び乗り、遠慮なくヨーンのおでこをペチペチと叩き始めた。
「ヨーン、起きてー! もうお昼だよー!」
「いや、まだお昼だから……。もうちょっと寝るー……」
しかし、さすがは『怠惰』を冠する魔人というべきか。その程度の刺激は意に介さず、おでこを叩かれながらも「くかー」っと可愛らしいイビキをかき始めた。なんという奴だ……。
「あれ、寝ちゃった!? もうー、ほら着替えて着替えてっ!」
するとスラリンは、ヨーンのパジャマを素早い手つきで脱がし始めた。
これにはさすがのヨーンも目を覚まし、服を脱がされないように胸のあたりを手で押さえながら移動を開始した。
「や、やめてぇー……」
「こらこらーっ! 逃げるなーっ!」
しかし、ヨーンの身体能力は年頃の少女と変わらない。そのうえ、今は寝起きだ。
そんな彼女がスラリンから逃げられるわけもなく、あっという間にいくつもの細く黒い影に捉えられ、逃げられないように空中に固定された。
「ふっふっふっ――覚悟ーっ!」
「いやーっ!」
スラリンはヨーンの抵抗を意にも介さずに、楽しそうに服を脱がしていった。
女の子同士ということもあってか、全くと言っていいほどに手加減がない。
俺は彼女のプライバシーなどなどを最大限考慮し、すぐに後ろを向いた。
(数万年を生きる悪魔族とはいえヨーンは女の子――こんなおっさんに裸を見られるは抵抗があるだろう)
「あー……それじゃ俺は昼メシを作ってくるから、後は任せたぞスラリン」
「はーい!」
「おっさん、助けてぇーっ!?」
俺はヨーンの悲痛な叫びを背に受けながら、一人厨房へと向かった。
■
その後、簡単な昼メシを取り、スラリンの体にありったけのアイテムを詰め込んだ。
「さて、みんな準備はできたか?」
「ばっちりだよー! もうお腹いっぱい!」
「……期待で……胸いっぱい!」
「準備ばっちりです!」
「うぅ……どうしてあたしが……」
若干一名、沈み込んでいる者もいるが、概ね問題ないようだ。
「それじゃ行くか」
「「「「おーっ!」」」」
「……やだなぁ」
その後、地図を片手にロディス樹林を目指して歩くこと数時間。
「ねぇねぇ、ジン! たっくさん木が見えてきたよ! おいしそーっ!」
「あぁ、あれがロディ樹林だな」
ようやく前方に目的地が見えてきた。
「……焼いて食べると……おいしいだろうな」
「えーっ!? 絶対に生の方がおいしいよー!」
「これだからスラリンは……味覚がまだまだ子供……」
「な、なにをー!?」
和気あいあいと楽しげにジャレている二人を横目に、俺は地図を頼りに進む。
「ふむ、あの大きな木がこれで……。この変わった形の岩がここだから……」
そのまましばし樹林の入り口付近を探索していると――。
「……っと、ここだな」
地表にぽっかりと開いた謎の穴を発見した。
「真っ黒な穴はっけーん!」
「……この先に……未知の世界が!」
「今ならわかります。……ここにはとてつもない量のマナが収束しています」
「そりゃ、この穴はマスターが開けたものだからねー」
黒く底の見えない謎の穴を前に、それぞれが思い思いの感想を述べる。
(マスター――ヨーンを含め、七つの大罪を作り出した謎の人物……か)
ヨーンが数万年を生きる悪魔族であるから、そのマスターとやらも同じく数万年を生きていることになる。どちらにせよ、人間ではないことは確かだ。
「なぁ、ヨーン。魔法に堪能なお前なら、この先がどんな世界に繋がっているか、わかるんじゃないのか?」
すると彼女は力なく首を横に振った。
「おっさんー、それは無茶だよー。空間転移系の魔法は超がつくほどの高等魔法だよ? その逆探知なんて、そりゃーもう……とんでもない魔法の才能があっても……無理だろうなぁ……」
ヨーンは「無理無理ー」とはっきり断言した。
「なるほど、そういうものなのか……」
「うん、そういうものー」
ならば仕方あるまい。中身の見えないブラックボックスに突入する怖さはもちろんある。が、ある程度のリスクは容認しなければならない。
「よし、前回同様に念のため、手を繋いでおこう。この穴の先がどうなっているかわからんからな。それとスラリンとリューは万が一に備えて、すぐに人化を解けるようにしていてくれ。わかっていると思うが、優先的にアイリとヨーンを保護してくれよ」
「はーい!」
「……わかった!」
アイリとヨーンは強力な魔法を操る反面、身体能力はあまり高くない。前回のような高所から落下したり、下がマグマであった場合などはどう足掻いても助からない。しかし、俺ならば数百メートルの高さから落下しても、下が灼熱のマグマであろうとも重症を負うことはない。
「それじゃ、合図とともに飛び込むぞ? いっせー……のー……」
「「「「「でっ!」」」」」
全員が手をつないだまま同時に穴に飛び込む。
その瞬間、視界が暗転し、何ともいない浮遊感が全身を包み込む。
そして――気付けば俺たちは、背の低い草が生い茂った地面に座り込んでいた。
初めに目に飛び込んできたのは見たことのない種類の樹木の数々だ。
(森……というよりは、ジャングルと言った方が適切だな、これは……)
以前に転移したエルフの森とは違い、より強く『野生』を感じさせる。いくつもの木々によって日光が遮られているため、辺りは薄暗い。気温はそれほど高くはなさそうだが、空気が必要以上に湿っているためやや蒸し暑く感じられた。
「ふむ……どうやら安全な場所に――」
「――キシャァアアアアアアアッ!」
「……転移できたわけではなさそうだな」
甲高い鳴き声がした方に目を向ければ、体長二メートルほどの小型の龍がウジャウジャと姿を見せた。ここらを縄張りにしている集団なのであろう。その数は軽く三十を超えている。
当然ながら招かれざる客である俺たちを強く警戒しており、今も鋭い牙を見せながら、ジリジリとこちらに詰め寄ってきている。
「ねーっ! 見て見て、ジン! あんな龍食べたことないよ!」
「でも……龍にしては小さくない……? それに骨ばってて……あまりおいしくなさそう……」
自然界において絶対的な捕食者であった『暴食の王』と『破滅の竜』――彼女たちの頭の中には、『モンスター=食べ物』の等式が常に成り立っている。しかし、それは俺たちのいたあの世界の中に限った話だ。ここは完全なる未知の異世界。少し釘を刺しておいた方がいいだろう。
「スラリン、リュー。ここは何の情報も異世界だ。油断は禁物だぞ」
「もっちろん、大丈夫だよ!」
「油断慢心……私とは無縁……っ!」
「……そうか」
不安はつのる一方だが……ここは二人を信じよう。
そんなこんなをしている内に、小型の龍たちはどんどん詰め寄ってくる。
「アイリとヨーンは、俺の後ろに」
「はい」
「いやー……。さすがにこんな小物なら、さすがに余裕だよー」
ヨーンは無防備にテクテクと小型の龍に近づいていく。
「大丈夫だとは思うが……油断はするなよ」
「あはは、おっさんは心配性だなー」
彼女はだらりと右手を前に突きだし、魔法を唱えた。
「<火の槍/フレイムジャベリン>……あり?」
しかし、火の槍は発生することなく、彼女の魔法は不発に終わった。
そしてそれを敵対行動と受け取ったのか――竜たちは口を大きく開き、敵意をむき出しにして、ヨーン目掛けて一斉に走り始めた。
「キシャァアアアアアアッ!」
「ちょ、おっさん助けてーっ!?」
涙目になりながら、こちらに向けて全力で逃走を開始するヨーン。
「やるぞ、スラリン、リュー!」
「いっただきまーす!」
「弱火で……じゅじゅっと……!」
その後、ものの十秒も経たない内に、全ての龍を仕留めることができた。
「んー! おいしかったー! 独特な酸味が最高だったね!」
「イマイチ……骨ばっかりだった……」
食事に精を出していた二人は一旦置いておくとして――問題はヨーンだ。
「し、死ぬかと思った……」
俺の後ろに隠れればいいものを、パニックに陥ってしまったのか、俺のお腹に抱き着いたまま離れようとしなかった。戦いにくいことこの上ない。
「全く何をやっているだお前は……」
呆れ半分で声をかけると――。
「い、いや違うんだって! あれぐらいのモンスター、普通ならあたし一人でもどうにでもなったよ! でも――この世界にはマナが全くなかったの!」
「マナが全くない、だと……?」
ヨーンは真剣な表情で、この世界に発生している異常事態を訴えた。




