五、空の散歩
ひとしきりスラリンたちと遊び終わった頃には、既に日が地平線に沈もうとしていた。
「どうだ、楽しかったか?」
「「うんっ!」」
「そうか、それはよかった」
最近は仕事で忙しく、こうして遊ぶのは久しぶりだった。そういう理由もあってか二人は本当に嬉しそうに笑ってくれた。
(さてこれで残る問題は――)
チラリと一本の大きな木の根元へ視線を向ける。
(……まだ駄目そうだな)
そこには三角座りのまま、ボーッと虚空を眺めるヨーンの姿があった。一時間ほど前から彼女はあの姿勢を取っており、微動だにしない。
「おーい。大丈夫か、ヨーン?」
すると彼女は視線だけをこちらに向け、ポツリとつぶやいた。
「もう……あいつらとは遊んでやんない……」
「ま、まぁそう言ってやるな。二人に悪気はないんだ」
「……そうかもしれないけどさ」
そう言った彼女の目尻には、少しだけ涙が浮かんでいた。
(ふむ……)
どうやらヨーンが負った心の傷は、俺が思ったよりも深かったらしい。
(頭は抜群に切れるが、中身はけっこう子どもで純粋だからな……)
さて、いったいどうしたものか……。俺は頭を悩ませながら、先ほど起きた二つの事件を思い返す。
■
一つ目の事件はリューの大好きな空の散歩をしているときに起きた。
空の散歩――リューが少しだけ人化を解いて龍の姿に戻り、その上に俺たちが乗って一緒に空を飛ぶ。遊びというよりはただの散歩だが、彼女はこれがすごく大好きだった。昔から何度もせびられて、長い時は二、三日散歩し続けたこともあったっけか。
「それじゃ……みんな乗って……っ!」
彼女がそう言って、少しだけ人化を解いた。
幻想的なまでに美しい白銀の毛並み。
優しさと強さを兼ね備えた紺碧の双眼。
見るものを慄かせる力強い翼。
破滅の龍と呼ばれる伝説上の存在が姿を現した。
「うわぁ……。何度見ても美しいですね……」
アイリが感嘆の息を漏らす。同時に人化を解いたリューを初めて目にしたヨーンもゴクリと息を呑んだ。
「へ、へぇ、ちょっとはすごいじゃん……」
まだほんの短い付き合いだが、ヨーンはどちらかというとあまり素直ではない――少しだけひねくれた性格の子だということは把握している。これは彼女なりの精一杯の誉め言葉だろう。
「ふふん……っ!」
二人からの賛辞を受け取ったリューは上機嫌に尻尾を振った。
そこへ――。
「へーん、こんなのに驚いてたら、リンの本当の姿を見たら腰を抜かしちゃうよ!」
いつものようにリンが水を差した。
(あぁ……こいつはまた余計なことを……)
今まで何十回何百回と見てきた二人の小競り合いに、俺は一人肩を落とす。
「……こんなの?」
自慢の龍の姿を馬鹿にされたリューの眉尻がピクリ吊り上がる。まぁ彼女からすれば当然の反応だ。何せ自分の容姿を貶められたのだから。
「ふんっ、真っ黒の不細工達磨に何を言われても……私には響かないよ……?」
気の強いリューは、きつい反撃に打って出た。
「……あ゛? 今、なんつった?」
そして気の短いスラリンは、その挑発にいとも簡単に乗ってしまう。
(結局、こうなるのか……)
リューの瞳が怪しく光り、スラリンの体からどす黒い影がゴポゴポと漏れ出したところで、二人の間を割って仲裁に入る。
「落ち着け二人とも。ここで喧嘩をしたら、貴重なみんなで遊べる時間が無くなってしまうぞ?」
「「むっ、それは困る……」」
「よし。それじゃ今のはなかったことにして、まずは空の散歩に行こうか」
スラリンとリューが頷いたことを確認し、俺はリューの背に乗る。
それに続いてスラリンとヨーンもその背によじ登った。
「へぇ……意外と柔らかいんだな……」
初めてリューの背に乗ったヨーンは、興味深そうにチョンチョンと指で鱗をつつく。
「さて、それじゃそろそろ――っと、どうしたアイリ? 乗らないのか?」
出発しようとしたそのとき、アイリがまだリューの背に乗っていないことに気付いた。
「いえ、私は見てるだけで大丈夫です」
「本当にいいのか? 楽しい散歩になるぞ?」
「アイリも一緒に行こうよー!」
「風……気持ちいいよ……?」
「けっこういい経験になると思うよー?」
しかし、アイリはゆっくりと首を横に振った。
「いえ、お気遣いなく」
「もしかして……どこか具合でも悪いのか?」
彼女は生まれ育ったエルフの森を離れ、その直後にあのマグマの溢れた異世界へと渡った。環境が何度も劇的に変わったことによるストレスは相当なものだろう。そういった疲労から体調を崩していても何らおかしくない。もう少し気を遣うべきだったか……。
「いえ! そういうのではないので、大丈夫です! お気遣いありがとうございます、ジンさん」
だが、どうやら彼女は健康面には全く問題がないようだった。
「そうか、もし何かあったら隠さずにすぐに相談してくれよ?」
「はい、ありがとうございます」
「それじゃ、ちょっと行ってくる――リュー」
「あいー」
リューが翼をはためかせ、ふわりと浮遊する。
「お、おぉっ!」
空を飛んだ経験がないのか、ヨーンは興奮気味に周囲の景色を眺めた。
「スラリン、ヨーン、しっかりと掴まるんだぞ?」
リューの背に生えた突起物を指差して、念のため二人に忠告しておく。まぁスラリンは何度も空の散歩にいっているから大丈夫だとは思うが、念には念をという奴だ。
「はーい!」
「はいよー」
二人が元気よく返事を返したところで――。
「それじゃ……行くよ……っ!」
リューは大きく翼をはためかせ、一瞬にして音速を越えた。
「あー……。やっぱり、こうなるんですね。乗らなくてよかった……」
気持ちいい風が全身を打ち、一瞬にして周囲の景色が変化していく様はまさに圧巻の一言だった。
「はっはっはっ! いい速度だっ!」
「いやっほぅうううううっ!」
「もっと……もっと速く……っ!」
「し、死ぬぅううううううっ!?」
そのまましばらく刺激的な散歩を堪能しているとだ――。
「も、もう駄目……。力が……っ」
事前に注意したというのに、どういうわけかヨーンがその手を離してしまった。
「た、助けてぇええええええっ!?」
「ヨーンっ!?」
大空に何の装備もなく放り出されるヨーン。高度はおよそ千メートル。落下すればただではすまない。
「リュー、止まれっ! スラリン、影をっ!」
すぐさまリューが空中で急停止し、スラリンが影を伸ばしたことによって事無きを得たが、あれは本当に危険だった。
その後、「どうして手を離したのか」とヨーンに問いかけると、彼女は「強力な魔法を操る反面、肉体のスペックはそれほど高くはない――むしろ人間の女の子と同じだ」ということを涙ながらに語ってくれた。
■
そして二つ目の事件は、みんなで砂遊びをしているときに起こった。




