五、エルフの森
大型飛龍ゼルドドン――その強さは、バーナム四世もよく知るところだ。祖父である先代・曾祖父である先々代レイドニア国王が討伐隊を派遣し、誰一人として帰ってくることがなかった。その結果を受け、当代からは徹底的な不干渉の立場をとることが既に円卓会議で決定している。
そんな一国が白旗をあげるような凶悪な飛龍が、たった一人の人間に敗れるわけがない。
「はぁ……寝言は寝てから言え。私は忙しいんだ」
そういって手元の書類に目を落とすバーナム四世。しかし、二人の男たちはなおも食い下がる。
「い、いや、本当なんですよ、陛下! この目で見たんですっ!」
「お、俺もですっ! 馬鹿みてぇにでけぇ大剣を持った男が、ゼルドドンの首をたった一撃で切り落としたんですよ!」
あまりにも荒唐無稽な発言に、バーナム四世は肩をすくめた。同時に彼の傍に控える衛兵からも失笑が漏れ出す。
「お前たちは、確かエルフ狩りをしていたんだったな? 奴等の幻覚魔法にでもやられたんじゃないのか?」
「あ、あり得ませんっ!」
「あれは疑いようもなく、現実! 本当です、信じてくださいよ、陛下!」
あまりに必死にしつこく食い下がる男たちに、さすがのバーナム四世も不快な思いとなる。
「もういい、時間の無駄だ――おい、こいつらをつまみ出せ」
「はっ!」
バーナム四世の命令により、衛兵が男たちをつまみ出さんと動く。
「へ、陛下っ!? ――こんの糞衛兵どもっ、放しやがれっ!」
「本当なんですよ、本当に化物みたいな、とんでもなく恐ろしい顔をした人間がっ!」
しつこく抵抗を見せる二人に、一人の衛兵がいら立ちを見せる、。
「陛下は忙しくあられるっ! これ以上騒ぎ立てるようならば、牢屋にぶち込むぞっ!」
「……ぐっ」
「……へ、陛下ぁ」
牢屋にぶち込むとまで言われてしまった二人は、悔しそうな顔で押し黙ることしかできなかった。慌ただしい二人がいなくなり、静かになった王の間で、バーナム四世はしばし考え込む。
「そういえば……。明後日はエルフ族に貸し付けている借金の返済期日だったか……。――おい、借金の取り立てと――念のためゼルドドンの調査のために明日数人をエルフの森に向かわせろ」
「はっ、かしこまりましたっ!」
■
アイリに道案内をされる形で、俺は見知らぬ森を歩く。ちなみに彼女の細い腕ではつらいだろうから、肉は全て俺が持ってあげている。
そしてその道中、彼女から様々な話を聞くことができた。
この森は通称エルフの森と呼ばれていること。この世界には『魔法』という特異な力が当たり前のように存在すること。レイドニア王国という悪い人間の国がこの近くにあること。
(ここがあのエルフの森……? それにレイドニア王国なんて名前の国は聞いたこともない。何より魔法……だと?)
俺は今、いったいどこにいるのだろうか……?
そんなことを考えていると――。
「つきましたよ、ジンさん。ここが私たちの村です」
どうやら目的の場所についたようだ。
「ほぅ、ここが……」
やはりというか、予想通りというか。エルフたちは藁や木々などを利用して、木の上に家を作ってそこに住んでいるようだった。
「私の家はこちらです」
アイリは見るからに丈夫そうな太いツタを器用に登っていき、木と木の間に架けられた木製の橋を軽やかな足取りで進んでいく。すると一軒の家の前で、その足がピタリと止まった。
「ここが私と母の家です。どうぞ、入ってください」
「ん? あ、あぁ」
家の前まで送ったのでもう帰るつもりだったんだが……。こう先手を打たれてしまっては、少し切り出しにくい。ここは親御さんに挨拶だけして、おいとまするとしよう。
「お母さん、ただいま!」
勢いよく扉を開けたアイリに続いて、俺もお邪魔させていただく。
室内は、自然とともに生きるエルフらしいと言えばエルフらしい――必要最低限の家具類だけが置かれた簡素なものとなっていた。
すると――。
「ごほっ、ごほっ……。お帰り、アイリ。今日は少し遅かったね……っ!?」
アイリの母親が出迎えてくれた。長く綺麗な茶色の髪。そしてエルフ族特有のとがった耳。顔立ちは、少し大人びたアイリと言った感じだ。それにしても――。
(……風邪でも引いているのだろうか?)
顔色が悪く、少し咳も出ているようだ。
「に、人間っ!? 」
アイリの母親は、俺のことを認識するやいなや、顔を青く染めた。そしてすぐさまアイリを家の自分の元へ引き寄せると、鋭くこちらを睨み付けた。
「人間が私たちに……ごほっ、アイリに何の用で……ごほっ、ごほっ」
「お、お母さん、少し落ち着いて……! この人は――ジンさんは人間だけど、悪い人間じゃないの! 森で襲われていた私を助けてくれたの!」
アイリの説得を受けた母親は、信じられないようなものを見る目でこちらをうかがう。
「そ、それは本当なのですか……?」
「助けた……というほど、大袈裟なことは何もしてませんよ。ただアイリを追っていた二人組を追い払っただけです」
実際にあの男たちを追い払ったのはあの小型の飛龍で、その飛龍を狩ったのが俺な訳だが……。まぁ、そんな細かいことはいいだろう。
俺の説明にアイリも追従して首を縦に振る。それを見て、今の話が本当だと理解した母親が深く頭を下げた。
「これは大変失礼なことを……申し訳ございません。……ごほっ。娘を助けていただき、本当にありがとうございました」
「いえいえ、お気になさらずに。俺は本当にたまたまそこを通りかかっただけですから」
何より彼女には興味深い話をいくつも聞かせてもらった。むしろこっちがお礼を言いたいぐらいだ。
「それじゃ、俺はこれで失礼します」
アイリも無事に家に送り届けたことだし、これ以上この村にとどまる理由はない。俺が回れ右して家を出ようとすると――。
「「お待ちくださいっ!」」
二人が同時に俺を呼び止めた。
「あなたは娘を助けてくれた恩人。何もない家ですが、せめてものおもてなしを、ごほっごほっ……。それに夜ももう遅い――今日はうちに泊まっていかれては、どうでしょうか?」
「そうですよ、ジンさん。それにゼルドドンはよほどお腹が空いているとき以外は、夜に行動するという話です。」
「ふむ……」
アイリの言う通り、モンスターの多くは夜行性だ。おそらく飛龍種ゼルドドンもその例に漏れないだろう。
(……今、ゼルドドンに遭遇することは避けたい)
十分な備えも、スラリンとリューの援護もなければ、苦戦は免れないだろう。
それに何よりせっかくの二人の好意をふいにするのも、どうかと思われた。
「それでは……。もしお邪魔でなければ、今日一日ここに泊めさせてもらってもいいでしょうか?」
「「はい、もちろんです」」
二人は快く、俺を受け入れてくれた。
「申し遅れましたが、私はアイリの母――メイビスです」
「俺はジン。長年ハンターをしています」
「はんたー……ですか?」
大人のエルフであるメイビスさんも、ハンターのことは知らないようだった。
「まぁ、何でも屋のようなものです」
「ごほっ……。なるほど、人間の世界にはそのような職業があるんですね……。はじめて知りました……」
(やはり母と子ども、顔もしゃべり方も本当によく似ているな……)
つい先ほども、アイリと同じようなやり取りをしたような気がする。
互いの自己紹介も終えたところで、メイビスさんが口を開く。
「それでは私は晩御飯の支度をしてまいります。ジンさんは、そちらの椅子に座って体を休めていてください。――アイリ、あなたはお風呂の準備をお願い」
「はーい」
俺はメイビスさんのお言葉に甘えて、食卓に置かれた椅子の一つに腰かける。
その後、お風呂の準備を終えたアイリが隣の席に座り、二人で楽しく会話をしていると――。
「お待たせしました。お口にあえばいいのですが……」
メイビスさんが料理の入った皿を、目の前の食卓に並べていく。
まずは普通の白いご飯。そして謎の赤い果実をそのまま蒸し、ホワイトソースがかかったようなもの。黒い肉厚の野菜を三枚におろしたもの。緑と黄の野菜を千切りにしたサラダのようなもの。そして簡単なお吸い物、
見たこともない料理の数々に、好奇心が強く刺激される。
その中で一品、俺の前にのみ置かれた料理があった。
――干し肉だ。
(確か、この世界では肉はとても貴重という話だったな……)
しまったな、早くにこの生肉を渡しておけばよかった。
俺がメイビスさんに気をつかわせてしまったことを、後悔していると――。
「あっ……」
机の上に置かれた干し肉を見たアイリが、なんとも言えない複雑な表情を浮かべる。
昼頃に俺が油の乗った肉をたくさん食べていたことを思い出したのだろう。
「それではいただきましょうか」
メイビスさんはそういうと優しい笑顔を浮かべたまま、椅子へと座る。この家にとって――いや、この森に住むエルフにとって、このたった一枚の干し肉がどれほど貴重なものであるかを説明せずに。
「「「いただきます」」」
食事が始まると俺は真っ先に干し肉へ箸を伸ばし、一思いに口へ放り込む。
(ふむ……)
油の乗った分厚い肉と、乾燥した細切れのような干し肉。純粋に味のみを比較すれば、どちらに軍配が上がるかは、火を見るより明らかだ。しかし――。
「うまい……。これほどうまい肉を食べたのは久しぶりだ」
「……え?」
「そうでしたか、それは何よりです」
アイリは少しあっけにとられたような顔をし、メイビスさんは嬉しそうにほほ笑んだ。
メシのうまさは、何も材料の良し悪しで決まるものではない。誰と食べるか、いつ食べるか、どんなときに食べるか。そういった様々な要因により、メシの味というものは左右される。
(……確かにこの干し肉は、古く薄く乾燥しきっている。おそらく元になった肉自体もそれほど良質なものではないだろう)
しかし、この干し肉には温かい『気持ち』が詰まっている。これがそんじょそこらで食う肉よりもうまいことは、それこそまさに火を見るよりも明らかだ。
そのまま和やかな雰囲気のまま、楽しい食事の時間が過ぎていった。
「「「ごちそうさまでした」」」
俺が満足気にお腹のあたりをさすっていると、メイビスさんが質問を投げかけてきた。
「ジンさん、エルフ族の名物料理はいかがでしたか?」
「どれも今まで味わったことのない不思議な味でしたが――とてもおいしかった。いや、本当にごちそうになりました」
俺は感謝の言葉を述べ、軽くお辞儀をする。
「ふふ、それはよかったです。では、私は後片付けを――う゛ぅっ!?」
立ち上がり食器を片付け始めたメイビスさんが、突然胸と口のあたりを押さえてうずくまった。
「げほっ……ごほっごほっ……」
「お母さん!?」
「大丈夫ですかっ!?」
苦しそうに何度も咳をするメイビスさん、そしてその咳を押さえる右手には――どっぺりと赤い血がついていた。