四、大賢者
あの小型の飛龍がゼルドドンとやらの子どもなのか、はたまた完全に別種の飛龍なのか。今考えたところで結論はでない。俺は思考を打ち切り、アイリの容態を確認する。
「ところでアイリ、体の調子はどうだ?」
すると彼女は慌てて自身の体を確認しはじめた。
「……傷が……なくなってる?」
「そうか、それはよかった」
俺は日頃から低位のポーションしか持ち歩かないから、あれで完全に傷が治っているのか少し不安だったが、どうやらいらぬ心配に終わったようだ。
ほっと胸をなでおろしていると、突然彼女が立ち上がり、俺の肩をゆすった。
「あ、あなたは失われた魔法を――治癒魔法を使えるんですか!?」
近い。近い。いいにおいがす――じゃなくて、近い。
「ちょ、ちょっと落ち着いてくれ」
「あっ……す、すみません」
冷静さを取り戻したアイリは、元いた場所にポスリと座った。
「えーっと、何だっけ治癒……『魔法』?」
そういえばそのまえに『ロスなんちゃら』と言っていたような気もする。
「はい。失われた魔法の一つ、治癒魔法です。もしかして、ジンさんは伝承に記された大賢者様ですか?」
「いや、人違いだ」
ハンターはバリバリの――超がつくほどの肉体労働者だ。モンスターが跋扈するこの世界において非常に大事な存在だが、間違っても大賢者と呼ばれるような職業ではない。
「で、では、どうやって私の怪我を?」
「これを飲ませたんだ」
懐から赤い液体の入った瓶――ポーションを取り出す。
「これ……は?」
アイリは不思議そうな表情を浮かべている。
「ポーションだ。」
「ぽーしょん……?」
どうやら彼女は、ポーションを知らないようだった。
(ハンターのこともポーションのことも知らないのか……)
俺はいったいどのような場所に来てしまったのだろうか……。世界から取り残されたような寂しい気持ちになる。
「えーっと、そうだな……。簡単に言うとすり傷や切り傷などを一瞬で治す薬……だな」
その他にも軽度の病から、精神的なマイナス状態といった様々なバッドステータスにも効果があるが、詳しい説明は割愛した方がいいだろう。これ以上アイリを混乱させるのも、よくない。
「すり傷や切り傷……そうですか。……いえ、すみません、助かりました。ありがとうございます」
彼女はどういうわけか少しだけ落胆したようだったが、すぐにお礼を言った。
「気にするな、そこらの売店で売っている安物だ」
二人の暴食娘のおかげで、我が家の家計は常に火の車。よほどの重傷でもない限り、低位のポーションで間に合わすのだ。
「人間の世界には、こんな便利なものがあるんですね……」
心底感心したようにアイリは呟いた。
(ふむ、それにしても『魔法』……か)
まるでおとぎ話のような単語の登場に、俺は好奇心を強く刺激された。
(詳しく話を聞いてみるか)
俺がアイリに質問を投げかけようとしたそのとき――。
「ところでジンさん。どうして私は……その、裸だったのでしょうか?」
俺が最も聞かれたくないことを、直球で投げかけてきた。
「あー……それは何というかその……、血まみれだったからな。水で清めようとし――」
そこまで口を開き、俺は自身の失敗を悟る。
(しまった……。アイリに小型の龍に襲われた記憶はないんだった……)
「ち、血まみれ? そこまでの怪我ではなかったと思うんですが……」
彼女は小首を傾げ、当然の疑問を口にする。さすがに肩口の傷だけで、裸にして水で清める必要はない。何より、彼女の服装は完全に肩が露出している。
「ほ、ほら、エルフは穢れと不浄を嫌うだろう? だから、念には念をということで……通らないか?」
……通るわけがないだろう。これで通ってしまったら、それこそアイリの頭の方を心配する。
「……何か、隠していますね?」
「まぁ……隠しているな」
ここで素直に「龍に襲われていたところを助けた」ということもできる。しかし、それは何というか非常に恩着せがましく聞こえるし、何よりいたずらに彼女の怖い記憶を呼び起こすことになる。俺は仕方がなく、正直にそう言った。
すると彼女は、ジト目でこちらを見て――。
「……えっちですね」
おっさんの胸を深く抉る一言を言い放った。
「まっ、待ってほしい。――俺は見ていない、どこも! ほらこの包帯で目隠しをしながら、介抱したんだ。本当だ、信じてくれ!」
さすがのおっさんもここだけは譲れない。他の何を信じなくてもいいが、これだけはどうしても信じてほしい。いくら独り身で寂しいおっさんと言えども、娘ぐらいの年齢の少女に欲情したりはしない。決して。
すると彼女はジト目のまま、ポツリと口を開いた。
「……本当ですか?」
「本当だ!」
即答だ。
面倒くさがりで腰の重い俺だが、ここばかりは――いざというときは俊敏に動く。
「――ふふっ、冗談ですよ」
俺の必死の態度が心を打ったのか、アイリはいたずらの成功した子どものようにクスリと笑った。
「なんだ……。心臓に悪いから、勘弁してくれ……」
「ふふっ、すみません。私を助けてくれた人の言うことですから、もちろん信じてますよ。それにしても……面と向かって、『隠し事をしてる』なんていう人初めて見ました。本当にジンさんはおかしな人ですね」
そういってアイリは優しげに笑いかけてきた。
「ん、そうか?」
どこからどうみても、どこにでもいるただのおっさん何だがな……。
「はい、こんなに優しくて温かい目をした人ははじめて見ました」
「……お、おう」
そう面と向かって褒められると……何というか照れる。
会話に困った俺がふと空を見上げると、既に陽が傾きかけていた。
(そろそろ自宅へ帰る手立てを探さなければならないな……)
家にはまだ大量の食糧があったはずだから、当分の間あの二人が暴れ出すことはない……はずだ。俺がいないことで機嫌を損ねている可能性はあるが……。
俺は立ち上がり、アイリに声をかける。
「どれ、近くまで送っていこう」
「い、いえ、そこまでご迷惑をおかけするわけには……」
彼女は申し訳なさそうな表情でそういった。
「しかし、またさっきのような人間に襲われるかもしれないぞ? ん? あぁ、もし迷惑ならいいんだが……」
年頃の少女からすれば、俺のような得体の知れないおっさんに住所を知られるのは、抵抗があるのかもしれない。少しその辺りの配慮に欠けていたか。
「い、いえ! そんな――迷惑なんかじゃないですよっ!」
するとアイリは首を激しく横に振った。
「そうか、それならよかった。そろそろ陽もくれそうだし、早いところ帰ろう。親御さんが心配するといけない」
「すみません、よろしくお願いします」
■
レイドニア王国――エルフの森近郊に位置する総人口千人ほどの小さな国に、二人の男が泡を吹いて逃げかえった。さきほどエルフの少女アイリを追いかけていた、卑劣で低俗な男たちである。
「へ、陛下~~っ! ゼルドドンが……ゼルドドンがっ!」
陛下と呼ばれた男――レイドニア=バーナム四世は、二人の緊迫した表情と『ゼルドドン』という言葉により、ついにかの凶悪な飛龍が我が国へ牙を向いたのかと、肝を冷やす。
「ぜ、ゼルドドンがどうしたというのだっ!?」
「ゼルドドンが突然現れて……っ! そんで……っ!」
「お、落ち着け! まずは水を――おい、水を持ってこい!」
「はっ!」
横にいた衛兵を怒鳴りつけ、すぐさま水を用意させるバーナム四世。
エルフの森からここまで全力で走ってきた二人は、手渡された水を浴びるように飲み干した。
「んぐんぐっ……。ぷはぁ……。え、エルフ狩りをしてたら、突然ゼルドドンが空から降ってきたんだっ!」
それを聞いたバーナム四世はホッと胸をなでおろした。
「はぁ……。なんだそんなことか……」
ゼルドドンがエルフの森を餌場としていることは、過去に行った実地調査の既に判明している。この国に襲い掛かってきたのでなければ、どうということはない。不干渉を貫くまでだ。
「そんなつまらないことを一々報告しなくとも――」
「――そしたら、化物みてぇにつえぇ人間が、ゼルドドンをぶっ殺しちまったんだ!」
「……は?」
バーナム四世は、自らの耳を疑った。