三、エルフの少女アイリ
彼女は涙目で、慌てて俺の上着を抱きかかえた。
「あ、あなたは……いったい!?」
彼女は激しく混乱しているようだった。
先ほどの人間たちは? 突如現れた龍はどうなったのか? なぜ自分は裸でこんなおっさんの前にいるのか?
そんないくつもの疑問が彼女の頭に浮かんでいることだろう。
「悪い人間に追われているようだったんでな。助けたんだよ。俺は人間だが、君の敵じゃない。信用は……まぁ、できないよな」
見ず知らずのおっさんを信用できるわけがない。そんなことぐらい、あまり学のない俺でもわかる。
「……」
少女はジッと俺の目を見つめたまま動かない。
「あー……そうだな。三分ほど後ろを向いているから、後は逃げるなりなんなりしてくれ。服はそこに乾かしてあるから、忘れないようにな」
彼女の視線が、たきぎの近くに干してある服へと移る。
「それじゃ、数えるぞ。一、二、三、四、五――」
俺がカウントを進めていくと、背後で衣擦れの音が聞こえた。ちゃんと着替えて、どこかへ行ってくれるのだろう。俺もこれ以上の面倒事はごめんのため、助かると言えば助かる。
(お礼がほしくて助けたわけでもないしな)
あそこで見捨てれば、その後に食うメシがまずくなる。ただ、それだけだ。人助けなんて、自己満足でやるものだ。
(……別にせっかく見つけた話せる人がいなくなって寂しいとか、人恋しいとかそんなことはない。断じてない!)
「百七十七、百七十八、百七十九――百八十」
少しゆっくりと百八十秒数え切り、振り返るとそこには――元の服に着替えたエルフの少女が立っていた。
「っと、どうした? 逃げないのか?」
彼女は今度はちゃんと服を身に纏い、こちらをジッと見つめていた。
「……あなたからは全くと言っていいほど邪気を感じません。……助けてくれたというのも、本当なんですよね?」
「まぁな、信じてくれると助かるが……そこの判断は任せるよ」
話し相手が残っていてくれたことを少しだけ……ほんの少しだけ嬉しく思いながら、俺は引き続き肉を焼く。
「……私の名前はアイリ――エルフ族のアイリです。助けていただきありがとうございました」
すると少しだけ信用してくれたのか、彼女は名前を告げ、深く頭を下げた。
「いいよいいよ、気にするな。えーっと自己紹介だな――俺はジン。長年ハンターをしているもんだ。よろしくな」
「……はんたー?」
「ん、知らないのか? 未知の秘境へいって薬草を摘んできたり、畑を荒らす害獣を駆除したり、巨大なモンスターを討伐したり……まぁ、何でも屋のようなもんだ」
「はんたー……。なるほど、人間の世界にはそのような職業があるんですね……。はじめて知りました……」
ハンターを知らないとは……。俺はずいぶんと遠いところに来てしまったようだ……。
「あなたは――ジンさんは不思議な人ですね」
「そうか? どこにでもいるおっさんだと思うが……」
「人間がエルフを助けるなんて話は聞いたことがありません……」
ん……? 人間とエルフは良好な関係を築いていたはずだが……はて……?
アイリの認識と自分の常識のズレに俺が首をかしげていると――。
「ところで、それはなんですか?」
彼女は俺の食べている分厚い肉を指差した。
「肉だ」
「いえ……それはわかります。そうではなく、どこでそのお肉を手に入れたのかが知りたいのですが……」
「覚えてないのか? ほらさっき君を食べようとした、小型の龍の肉だ」
「小型の……龍……?」
あまりの恐怖に記憶がとんでしまったのだろうか。アイリはつい先ほどのことを覚えていないようだった。まぁ、それならそれでいい。わざわざ怖い記憶を掘り起こす必要もない。
「あれだ……ちょっといい感じのモンスターがいたから狩ったんだよ」
俺はそう言い適度にお茶を濁すことにした。
「そう……ですか……」
少し腑に落ちていない感じの彼女が、顎に手を添え何事かを考え始めたそのとき――。
ぐーっ。
間の抜けた音が、アイリのお腹から鳴り響いた。
「あっ、あのっ! これは違うくてですねっ!」
彼女は一瞬の内に顔を赤く染め、早口でまくし立てた。
「はっはっはっ、腹が減るのは健康な証拠だ。どうだ一緒に食べないか?」
鉄板こと大剣をアイリの方へ向け、怖がらせないように笑いかける。
「い、いいの……ですか? 貴重なお肉ですよ?」
「若いのがそんなこと気にするな。好きなだけ食うといい」
肉は大自然の恵み。一人で独占するでもなく、みんなで分けなくてはならない。
「本当に、いただいてしまいますよ?」
「おー、食え食え。熱いからやけどしないようにな」
大剣の上で踊る肉と俺を交互に見た少女は、ごくりと生唾をのんだ。
「い、いただきます」
そういって分厚い肉を一つまみした彼女は「ふーっふーっ」と少しだけ冷まし――一思いに口へ放り込んだ。
「はむ……っ! ……おいしいっ」
本当においしそうにアイリは肉をかみしめた。
「そうかそうか、それはよかった」
そのままゴクリと飲み込み、物欲しそうな目でこちらを見上げる。
「まだまだあるから、気にせずどんどん食べるといい」
すると一瞬、肉に伸ばしかけたその手をピタリと止めた。
「その……もしよろしければ、私の分はもう結構ですので……。一切れだけ、母に持って帰ってもいいでしょうか?」
「ん、家族の分か? もちろんいいぞ」
彼女の持ち帰りのために、まだ焼いていない生肉を適当な量見繕い、厚手の包帯に包んでやる。
「ん」
持ちやすいように包帯の先をちょうちょ結びにして、アイリに手渡してやる。
「こ、こんなにたくさん……。あ、ありがとうございます」
彼女は本当に嬉しそうに頭を下げた。礼儀正しく、家族思いのいい子じゃないか。
「気にするな。――ほら、もっと食べるといい」
「いえ、既にこれだけいただいているのに、これ以上は――」
ぐーっ。
中途半端に胃に肉を詰めたために、腹の虫が再び音をあげた。
「ふふっ、我慢は体に毒だぞ? さぁ、遠慮は無用だ」
「い、いただきます……」
その後彼女は少し気恥ずかしそうに、そして何より嬉しそうに肉を頬張って食べた。
■
「「ごちそうさまでした」」
二人でお腹をさすりながら、小川からくんだ綺麗な水を飲む。
「こんなにお腹いっぱいお肉を食べたのは、生まれて初めてです。ジンさん、本当にありがとうございました」
「どういたしまして。……ところで『貴重なお肉』とか言っていたよな? この辺りには、そんなに動物がいないのか?」
周囲には少し派手めだが、食べれそうな果実がいくつもなっている。それに水も綺麗だし、気候も穏やかだ。動物が育つには悪くない環境だと思うんだが……。
「昔は――私が生まれるよりも前には、この辺りにもジャヒィやスウェーといった動物がたくさんいたそうです」
ジャヒィ? スウェー? これまた二種類とも聞いたことのない動物だ。
「昔は……ということは、今はもういなくなってしまったのか?」
「……はい。あるときこの地にゼルドドンという恐ろしく凶暴な大型の飛龍が現れました。ゼルドドンは肉食で果実や野菜の類は全く食べません。しかし、その食欲は凄まじく、あっという間にこの地の動物を食べ尽くしてしまいました……」
「なるほど、それで肉が貴重なものとなったということか……」
この周辺の地理情報を含め、これは有益なことを聞いたな。それにしても――。
(ゼルドドン……大型の飛龍、か)
聞いたこともない名前だが、彼女の話によると相当に危険な龍らしい。
(この装備と備えでは……ちと厳しいかもしれんな)
今日は狩りではなく、花見に行っていたということもあり、ひどく軽装だ。そしてポーションやスタミナドリンクなどの回復・補助栄養剤の残数も心許ない。
(それに何より、この場にはスラリンもリューもいない)
大型のそれも飛龍となると、腕っこきのハンター十数人で挑む特級クエスト扱いだ。極大戦力のスラリンとリューの補助があれば、俺一人でもなんとかなるが、さすがに一人では殺されることこそないと思うが、勝てるかどうかは不明だ。
(何にせよ、少し気を引き締めないといけないな)
そうやってこの見知らぬ地の危険度をぐぐっと高めていると、ふと小さな疑問が浮かんだ。
(では、先ほどの小型の飛龍はいったいなんだったんだろうか? もしやゼルドドンとやらの子供……だろうか?)