二、暴食の王
晩メシの準備を終えた俺は、スラリンとリューを呼び、食卓についた。
食卓にはいつものように、大量の料理がずらりと並べられている。
「一度にこんなにたくさん作るんですね! びっくりしちゃいました」
アイリは目を丸くしてそう言った。
「……あぁ、スラリンとリューがよく食べるからな」
この二人は本当によく食べる。
まぁ、俺としては作り甲斐があっていいことなんだが、後もう少しだけ家計のことを考えてくれると嬉しい。
「ふふっ、どれも見たことがない料理ばかりで、見ているだけで楽しくなりますね!」
アイリは料理中から、ずいぶんと機嫌いい。
「そう……だな……」
一方の俺は、厳しい視線を食卓へ――問題のブツへ向ける。
それはこの中で唯一アイリ一人で作った料理――カレーだ。
(……いったい、何があった?)
それはもはやカレーと呼んでいい代物ではない。
白いご飯の上に、鮮やかな青色のルーがなみなみとかけられている。具材として用意していたはずの、イモや肉はなぜかどこにも見当たらない。おそらくだが、あの青いルーに吸収されたのだろう。
(それにしても何故に『青』……?)
俺の疑問はその一点へ収束する。
アイリに渡した具材の中で、青色を出すものは何もない。カレーのルーの素も、きちんと茶色のものだ。何をどう調理したところで、あんな鮮やかな青色になるわけがない。
俺は彼女に、それとなく質問を投げる。
「なぁ、アイリ。ちょっと、いいかな?」
「どうしました、ジンさん?」
「あのカレー……でいいのかな? あの中に、何かその……『隠し味』的なものは入れてないか?」
「? いいえ、何も入れてませんよ? ……もしかして私……何か失敗しちゃいましたか?」
アイリは少し不安げな表情でこちらを窺った。
「あーいやいや、そんなことはないぞっ! ……うん」
(失敗どころか、あれはもはや一つの発明として成功の域に達している……!)
「そうですか、それはよかったです! あのカレーは腕によりをかけて作ったので、ジンさんには是非とも食べてほしいんですよっ!」
「あ、あぁ……楽しみだ……」
なんということだ……。シェフ直々にご指名を受けてしまった。これで食べないのは、あまりに不自然だ。
(それにしても、アイリは全く気付いていないのか? あのカレーが、料理という概念を逸脱していることに……)
いや、もしや……。おかしいのは俺だけなのか……?
急に不安になり、ちらりと左隣を見ると――。
リューが青い顔して、首を横に振っていた。
(よし、間違いない。おかしいのは、アイリだ)
基本雑食であるリューさえ、本能的に嫌がる料理。並大抵のものではない。
(さて……)
こんなときに頼りになるのは――スラリン先生だ。先生の種族はスライム。鉄でも土でもなんでもおいしくお召し上がりになられる。それに食べたものの成分を分析可能という一家に一台の優れモノだ。もしも毒物が検出されれば、すぐに教えてくれる。それに万が一毒があったとしても、彼女にとっては毒もおいしいメシだ。
「せんせ――ゴホン。……スラリン、どうだ? いけそうか?」
「うん、どれもとってもおいしそうだよっ! 早く食べようよ、ジンーっ!」
先生は待ちきれない様子で、足をパタパタとさせた。
(……さすがは先生だ)
暴食の王という二つ名は伊達ではない。
このもはや『青い何か』さえ『料理』だと判定を下せるとは……世界広しと言えどもスラリンだけだろう。
「そうだな、冷めないうちに早く食べてしまおう。――ときにスラリン、まずはあの青いカレーから食べてもらってもいいか?」
「ん? いいよ!」
スラリンは快く、俺の願いを聞き入れてくれた。
「ありがとう」
(よかった……。これで最悪の事態は避けられる……)
俺はホッと胸をなでおろす。
(まさかメシの時間にこれほどの緊迫感が生まれるとはな……)
「それじゃ、みんな、手を合わせて――」
「「「「いただきます!」」」」
俺とリューは料理に一切手を付けず――『見』に回る。アイリに不審に思われないように、すぐさま水を手に取るカモフラージュも忘れない。アイリはまずはお味噌汁から手をつけるようだ。
そんな緊迫した空気が漂う食卓で――。
「うわーっ、おいしそうっ!」
スラリンは無邪気に、心の底から嬉しそうに、青いカレーに手を伸ばした。
彼女は、大きなスプーンで白飯と共に青いルーをたっぷりすくう。
「ま、待て、スラリンっ! そんな大量に食べるなっ!」
万が一のことも考えて、少しずつ食べるべきだっ!
しかし、彼女は俺の忠告も聞かずに、そのままパクリと口へ運んだ。
「ふぁいじょうぶ、ふぁいじょうぶ! ジンは心配しょ――う゛っ!?」
すると突如、彼女はスプーンを手に持ったままぐらりとバランスを崩し、椅子の上から落ちた。
「スラリン……? おい、大丈夫か、スラリンっ!?」
「スラリンさんっ!?」
「スラリン……?」
顔は既に土色となっており、口からぶくぶくと泡を吹いている。
「くそっ、なんてことだ……っ!」
俺は迷わずに、すぐさま懐から緑のハイポーションを取り出し、スラリンの口へと流し込む。
すると――。
「――ふはっ!?」
スラリンが意識を取り戻してくれた。
「はぁはぁはぁ……。あれ……? 今、何が……?」
どうやらあまりの衝撃に前後の記憶が飛んでしまっているようだ。
「……とにかく、これは危険だ」
アイリには悪いが、俺は断腸の思いで青いカレーを廃棄することにした。
(暴食の王――スラリンですら、処理しきれないほどのナニカ……)
いったいどのような成分が含まれているか、大変気になるところではあるが、『触らぬ神にたたりなし』という。ここは大人しく廃棄するのが安パイだ。
「す、すみませんっ! 私、失敗しちゃってたみたいで……。本当になんとお詫びしたらいいか……」
アイリは立ち上がり、俺たちに向かって深く頭を下げた。
「いやいや、気にしなくていい。誰にだって失敗はある。料理の腕なんてものは、何度も失敗を繰り返しながら、徐々に上手くなっていくものだ」
「そ、そうでしょうか……」
「あぁ、そうだ。どんなことでも練習をすれば、ちゃんと上達していくさ」
「そ、そうですよね……っ! 私、頑張ります!」
アイリが元気になったところで――。
「さぁ、それじゃこの話はここまでだ。せっかくの料理が冷めてしまわないうちに、食べようか」
楽しく温かい空気を作り出すために、俺はニッコリと笑った。
■
その後、無事にメシをこなし、風呂にも入った。後はもう寝るだけだ。
いつものお気に入りの青のパジャマに着替えたスラリン。同様にシロのパジャマに着替えたリュー。二人は俺より早くに寝室の前に立ち、眠たそうな目をこすっている。
「それじゃ、アイリ。こっちに一つ空き部屋があるから、自由に使ってくれ」
俺が彼女を案内しようと一歩踏み出すと――。
「ジンさん、その……スラリンさんとリューさんは……?」
彼女は不思議そうな表情を浮かべ、小首を傾げてた。
その質問に答えたのは俺ではなく、スラリンとリューだった。
「リンはねー? もちろん、ジンの隣だよーっ!」
「私も……っ! ふふっ、当然の……権利……っ!」
二人はなぜか勝ち誇ったような顔でそういった。
「なっ!? ジンさんの隣でっ!?」
何を勘違いしたのか、アイリは頬を赤く染める。
「いや、アイリ。勘違いしてはいけないぞ? この二人は本当にただ俺の横で寝ているだけだ。やましいことなど、何もないからな?」
しかし、どうやら俺の声は届いていないようで、今も「一緒に……隣で……? 男の人と……?」と一人興奮気味につぶやいていた。
「おーい、アイリー?」
彼女の目の前で、俺が手をパタパタしていると――。
「そ、それなら――私もジンさんと一緒がいいです!」
「……え?」
アイリはとんでもない結論を導き出してしまった。
「は、反対っ! リンは断固反対するよっ! 男女が一つのベッドで寝るとか、普通に考えておかしいよっ!」
「私も……反対……っ! ちゃんと……別々で寝るべき……っ!」
「その意見には、とても賛成だが……。それをお前らが言うか?」
そもそもシングルベッドを三つ買う案を反対し、強硬にキングベッドを購入するように言ったのはこの二人だ。そしてその日から現在に至るまで、毎日のようにスラリンとリューは俺の隣でスヤスヤと寝ている。
「り、リンはいいの! スライムだしっ!」
「私も……龍だから、セーフっ!」
二人は謎の理論を展開し、自らの正当性を訴えた。
「で、でしたら、私だってエルフですっ! セーフですよっ! セーフっ!」
その後、しばしの沈黙の後。
「「「ぐぬぬぬ……っ!」」」
三人はなぜか睨み合いを始めた。
(みんな、そんなにベッドがいいのか……?)
個人的には雨風さえしのげれば、割とどこでもいいんだがな……。
「それじゃあ、こうしよう。俺が床で寝るから、三人はベッドの上で――」
俺がそう口を開くと――。
「それじゃ意味がないのっ!」
「それは……違う……っ!」
「何を言っているんですか、ジンさんは!?」
どういうわけか、少なくない反感を買ってしまった。
「はぁ……。なんか知らんが……わかった。それじゃ公平にジャンケンで決めよう。負けた一人は、床で寝ること……いいな?」
「さすがはジンさん、名案ですっ!」
「「む、むぐぅ……」」
スラリンとリューはいまいち納得のいっていないようだが、まぁ二人には納得してもらうほかない。
「それじゃいくぞ、恨みっこなしだからな? 最初はグー、じゃんけん――」
「「「――ポンっ!」」」
リューとアイリは『パー』を出し、スラリンは一人『グー』を出した。
「「やった……っ!」」
「う、うそっ!?」
リューとアイリは仲良くハイタッチし、スラリンは一人膝を折る。
「それじゃ、今日はスラリンが床で寝る番だな」
「い、いやだぁーっ! リンはジンの横がいいーっ!」
「こらこら、スラリン。公平にジャンケンで決めたんだ、駄々をこねちゃ駄目だろ……?」
「で、でも……」
スラリンが目元にうっすら涙を浮かべていると――。
「ふふっ……。敗北者……床で吠えているがいい……っ!」
リューが彼女を煽り立てた。
(リュー……なんて恐ろしい子だ)
先ほどまではスラリンと二人タッグだったはずなのに、自分が勝利するやいなや、すぐさまスラリンを蹴落とすとは……。
「う、うぅ……」
負けたショックが大きすぎたのか、珍しくスラリンはリューの挑発に噛みつかなかった。
さすがに少し可哀想になってきたので、少しフォローを加えてやる。
「まぁ別に今日が俺と寝れる最後の日じゃないんだ、明日勝てばいいさ……だろ?」
そういってスラリンの頭を優しく撫でてやると――。
「……えへへ。うん、そうする」
少しは機嫌を直してくれたみたいだった。
「よし、それじゃみんな、おやすみ」
「「「おやすみなさい」」」
そして俺は目を閉じ――静かに眠りの世界へと沈んでいった。
(やっぱりジンの横は……落ち着く……)
(ちょっと恥ずかしいけど……。ふふ、ジンさんのにおいだぁ……)
(うー……やっぱり、一人は寂しいよー。ジンー……)




